労働者の党であったはずの民主党がエリートの党になり、共和党とともにNew liberalismに加担してしまった。これが民主党が働く階級の人々の票を集められなくなった根本の原因である。民主党の失敗はWall Streetに共感的な党に変化してしまったことにある。同様のことは、いろんな国で民主的で進歩的と自認してきた人々についても言える。それらの政党ないし人々は自己批判する必要がある。Trumpは、これら働く人々の不満を集めて当選した。Trumpは、populistでぁってelitismではない。彼は、働く人々を見下していはいない。しかし、彼がElon Muskのお金にたよったことに象徴されるように、Trump政権は矛盾を抱えている。彼はが約束を実現すると考えることはむずかしい。Sandelが『平等について、いま話したいこと』(早川書店、2025年1月)の中でThomas Pickettyとはなしあったように、平等には3つの次元がある。経済的、政治的および社会的の次元(富ないし所得、参画・声、尊敬と尊厳)である。工場労働者、電気工事の従事者、ケアワーカーなどの平等を3つの次元で取り戻さなければならない。そのためには、社会を変える必要があり、そのためには政治的参画が必要だ。つまり、これら3つの次元がともに支え合う変革が必要である。おおよそこのような話である。Blockquoteにしてあるが、もちろん、私なりの要約である。これは今から1ヶ月ほどまえのもので、Trump関税前の収録だが、経済学にとっても、示唆的だ。 例えば、働く人の賃金は、新古典派経済学が説くように、労働者の限界生産性によって決まっているだろうか。大谷翔平のような人にとってはそうだかもしれないが、ケア・ワーカの例をとつてみればわかるように、その賃金は社会的同意によって成立している。その人たちの賃金水準を上げようとするなら、彼らにより大きな声をあたえるとともに、それを支持する広い支持が必要だろう。非正規雇用のような社会的に分担された人々を多数作ってしまえば、ふつうに働く人々の賃金はなかなか上がらなくなる。様々な労働に対する賃金は、社会的同意によって決定されている側面を非正統派の経済学はもっと強調すべきだろう。 Rust beltの人たちがただ産業の衰退する地域に住んでいるというだけで、働く場がないだけでなく、尊厳を持って生きる機会をも奪われてしまう経済的・社会的損失についても、もっと重みを置くべきだろう。すでに触れたかもしれないが、国際経済学には(ケインズ革命後の展開を見ても)失業という概念が存在しない。それは同時に、衰退する産業や地域が存在しないことをも意味する。そのような経済学しかなかったからこそ、アメリカの民主党をふくめ、多くの民主的・進歩的諸政党が経済リベラリスムにのめり込んでしまったのだろう。Trumpが関税でやろうとしていることは非理論的で矛盾に満ちいてるが、それを経済自由主義の立場から批判しても始まらない。Trump政権が生まれてきた原因にまで遡って考えるならば、経済学の理論自体をも変えていかなければならない。
他国からの輸入において、企業努力により各国がアメリカという巨大マーケットを攻略するために価格を下げてくる。それによって、ある程度インフレを抑えるというところを理論として考えている節は見られます。そういったところが、トランプ政権内に強い信念として浸透している印象は受けます。(https://news.yahoo.co.jp/articles/f0cfb8d0b583573cbc9bf37caccfa3929541eb49)「ある程度インフレを抑える」という曖昧さがあれば、いろいろいうことができる。アメリ側がそう考えているなら、すなくとも交渉中の90日間は、日本やアメリカ以外の各国企業は、関税をひきあげても、出荷価格を下げることはできないと強く主張すべきだろう。かつての自動車交渉や、さらに前の日米構造協議のときも、日本企業はpricing-to-marketといって「為替レート変動を 輸出価格にあまり転嫁しない」政策をとってきた。Trumpの背後にいる経済学者たちは、アメリカに売り込んでいる企業は(アメリカ市場の大きさ・重要さのために) pricing-to-market 政策をとる可能性が高いと踏んでいるわけだ。Smartphoneやcomputerの関税を例外としたのは、製品の製造がアメリカ企業のglobal value chainによって行われている場合、そのような行動を期待できないと考えたのだろうか。関税による脅しに対しては、国の交渉にばかり期待するのでなく、輸出企業自身が容易に脅しに屈しない覚悟と、それを可能にする輸出先の多様化および国内需要の開拓になお一層取り組まなければならないだろう。 追記: Trump大統領周辺の経済思想については、日本総研の福田直之氏の解説「トランプ関税を貫く思想と変貌する米国」が比較的詳しく、参考になる。 追記2: 上の記事中、石田健さんの意見として、Trump氏のまわりには関税をあげても物価はそれほど上昇しないと考える「理論」があるらしいと紹介した。そこではpricing to marketという考えを紹介した。Stephen Miranさんの「関税をかけても、輸出元の通貨が関税と同率で減価すれば輸入物価は上がらない」という考え(currency offset)をも含めるべきだった。Pricing to marketとcurrency offsetとは、起こる現象もなぜそうなるかのメカニズムもことなるが、同様の効果を持つことは確かだ。
Friedman and Schwartz (1963) argued in a comprehensive empirical study that monetary shocks are the major cause of business cycle fluctuations. They observed that sharp declines in the money stock occurred prior to severe economic downturns. The apparent inconsistencies of economic fluctuations with economic theory that abstracted from money led to widespread acceptance of the Friedan-Schwartz view even though a theoretical foundation was lacking. Real business cycle theory finds that a major fraction of US postwar business cycle fluctuations is accounted for by persistent shock to total factor productivity (see Kydland and Prescott (1991)). If money is not a major contributing factor to business cycle fluctuations, why is money highly correlated with output? Freeman and Kydland (1998) provides a possible answer to using a transaction based theory of money.私とPrescottとでは、正反対の立場かに立つというべきだが、この感変えには同意できる。
(Edward C. Prescott 1998 Business Cycle Research: Methods and Problems)
Within macroeconomic reasoning, two completely separate methodologies have been developed: one for neoclassical theory based on equilibrium models, and another for the post-Keynesian theory based upon causal relationships and path dependent analysis, where uncertainty, a lack of information, institution and supply and demand factors under constant change create a sustained and (partially) unpredictable dynamic structure.この対立を明確に述べている方法論の本は珍しい。これをきちんと推し進めれば、Post Keynesianの経済学の枠組みは、もっと大きく変わってくるはずだが、第6章 Equilibrium and pathe dependece from a perspective of uncertainty では、Keynesのequilibrium概念をstadstillとして解釈して妥協している。こうした妥協が、結局、彼のtwo completely separate methodologiesを中途半端なものにしているのだろう。それでもLars SyllのThe ultimate methodological issue in economicsよりははるかに良い。同稿に対する私のコメントをもみよ。
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