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短信・雑感(過去ログ)

「短信・雑感」は日記がわりに書いています。2021年11月23日。

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2023年

 
2023年6月
  • 2023.6.30 2023年のちょうど折り返し点。今年も、なんだかバタバタと動いてきたが、後半も同じようなことになりかねない。と言って、名案もないのだが。

  • 2023.6.29 以前から依頼されていたreferee reportをなんとかまとめる。

  • 2023.6.28 立教での講義のために、色々な科目のシラバスを読む。貿易論は、グローバル化時代には、国際ミクロ経済学として、ミクロ・マクロ・統計に並ぶ存在のはずだが、現実はそこからほど遠いようだ。科目が国際貿易論となっているものでも、リカードとHOを各2回程度。新貿易論や新々貿易論に言及する予定のものも少ない。

  • 2023.6.27 歯医者さん。治療中の歯が缺けてしまったのではないかと心配していたが、被せ物の一部が剥がれていただけだった。まずは一安心。

  • 2023.6.25〜26 昨日お酒を飲んだせいか、あるいはちょっと詰めすぎてきたせいか、二日間、ダラダラ。日曜日ははんぶん寝ていた。

  • 2023.6.24 独占研究会第552回への報告。報告論題:国際価値論から「失われた30年」を考える。(1)「失われた30年」関連書を読んで、(2)なにが欠けているか・・・産業空洞化論、(3)アジアの中の日本の構造問題、(4)経済学の課題、の4部構成とした。なんとか趣旨はわかってくれたと思うが、「経済学の課題」が課題として響いたかどうか、そこは疑わしい。

  • 2023.6.20〜23 独占研究会第552回への報告準備。概要は考えてあったとはいえ、4日足らずで準備をするのは大変だった。なんとか、筋書きはできたが、うまくいくかどうか。

  • 2023.6.18〜20 Restatementの第6節History and path dependenceをなんとか仕上げ、後の第7節と第8節は、既存の2017年のAn overviewから2節を丸々引用してなんとかまとめ上げた。

  • 2023.6.17 Restatementの§5.1をようやく仕上げる。あまりにも色々なことが関係てしていて、絞り込むことができなかった。明日一日で、なんとかまとまりをつけなければ。

  • 2023.6.16 もう月の後半になって、別の準備わ始めなければなせらないのに、Restatement §§5.1は、もう一度、最初から書き直さなければならなくなった。Real-World Ecoomics Review Blogは、久しぶりに、投稿するとすぐに閲覧できるようになった。こここここことを読んでみてください。

  • 2023.6.15 Restatementの§§5.1がなかなかまとまらない。ダラダに書いていたら、ながくはなったが肝心の議論にぜんぜんたどりつかない。

  • 2023.6.14 もう6月も折り返し点。国際価値論のRestatementはなかなか進まない。Real-World Economics Review Blogにまた投稿。このコメントの要点は、いかなる理論も進化するし、停滞することもある。Lars Syllはこれを公理系と捉えてしまうので、理論の進化・展開という視点が欠けてしまう。公理系でも、それに対する理解は、時代とともに大きく変化するのだが、そのdynamicsがなぜか捉えられていない。というか、自分で理論を少しでも前に進めようとした経験がないために、そのあたりの感覚をすっぼり欠いているのだろう。

  • 2023.6.13 歯の治療。11万もかかるという。これで後10年生きられるなら、そう高いともいえないが、後何年生きられるかは分からない。Victria Chickは86歳、Luisi Pasinettiは92歳まで生きた。Pasinettiくらいいきられればもちろん元は取れる。それを期待しよう。

    3日間、RWER Blogの投稿ばかりをしてきたようだが、この間の大きな収穫は、Joan RobinsonのSpring Cleaningを読んだことだった。Nuno MartinsJoan Robinson and the reconstruction of economic theory (Cambridge Journal of Economics 2023)を読んでその存在を知った。ロビンソンらしい表題の付け方だ。確かに、経済学は大いには大掃除が必要なのだ。ただ、彼女のhistorical timeの構想を実現するには、それに相応しい理論の枠組みというか原型が必要だ。今のところ、それを可能にする唯一のものは森岡真史の数量調整過程だろう。だが、我々のMicrofoundations of Evolutionary Economicsへの反響を見ても、なかなかそこが分かっていない・分かってくれないという問題がある。

  • 2023.6.12 Victoria Chickが今年1月に死んだ。Luisi Pasinettiとほぼ同時だった。その追悼の思い出話をJesper JespersenがRWER Blogに載せている。これに直接反論しようかと思ったが、二日ほど我慢して、投稿もJespersenのものに対してではなく、Lars Syllの6月6日の投稿へのコメントとした。

    Chickに対しては特に異論はない。『一般理論』解釈でがんばったことは認めて良いだろう。もちろん、基本的に解釈でしかないので、限界はある。JespersenがChickの影響を強く受けたこと、彼女の主催する非公式のPost Keynesian Study Groupがあったらしい。ただ、私はJespersenのMacroeconomic Methodologyにはかなりの異論がある。副題に「Post Keynesianからの視点」とあるが、よくて微温的、悪くいえば反動的(政治思想としてではなく、理論における逆行的傾向)である。

  • 2023.6.11 Real-World Economics Review Blogにrsmが私の投稿に対する反論らしきものを載せていることに気づき、補足的な投稿

  • 2023.6.10 よせば良いのに、またReal-World Economics Review Blogに投稿してしまった。Lars Syllの主張には、演繹体系ではすべてが一挙にわかるかの誤解があるのではないだろうか。ある公理系を設定しても、そこに含意されているすべての命題がわかるわけではない。また最近のOntologyの流行のせいか、認識論Epistemologyが哲学の中心にあった時代にはほとんどの人が弁えていた認識の限界という感覚が失われ、ことの本質を見抜きさえすれば、対象が理解できるかの誤解が生まれているのではないか。

  • 2023.6.9 朝、早起きしてしまったせいか、一日中、頭が冴えない。Real World Economics Review BlogのLars Syllの投稿 Why Krugman and Stiglitz are no real alternatives to mainstream economics June6, 2023に私からのコメントを書く。Lars Syllは、けっきょく、拒否の力は強いが、ではどうするかの展望がない。これはいつものことなのだが、いつまで経っても、それは変わらない。RWER Blogは、最初、見つけたときは、もっと可能性があると思っていたのだが、正統派以上に異端派の内部にも大きな問題がある。

  • 2023.6.8 ようやく数値例にけりをつける。EIERの方は、なんとか7月まで伸ばせそうだ。

  • 2023.6.7 SamuelsonのSraffa Bonus図に取り組んでいる。簡単な計算なのに、なかなかきんとした答えが出ない。

  • 2023.6.6 Samuelsonの図形と国際価値の関係を調べていたら、おもしろいことに気がついて興奮して一晩中うとうとしていた。しかし、よく調べてみると、ひとつ重要な見落としがあることに気がついた。気づいたこと自体は正しいのだろうが、全域木では処理できない境界面が隠れていた。これをどう考えたら良いのか。

  • 2023.6.5 SamuelsonのSraffa Bonusの解説をなんとか仕上げたが、価格の関係など、まだまだスッキリしない。

  • 2023.6.4 二日連続の講習の影響が中一日おいてでた感じ。やはり疲れた。

  • 2023.6.3 日本の各地で線状降水帯による水害。東京はそれどでもなかったが、東海道新幹線が運休になるなど、太平洋岸に大きな被害が出た。夕方から久我山へ妻とホタルけんぶつに出かける。

  • 2023.6.2 火災・防災管理初期講習の二日目。朝9時から夕方5時近くまでの缶詰ふつかはきつかったが、無事終了。甲種防火管理者と甲種防災管理者取得の修了証をもらった。線状降水帯が近づいて東京も土砂降り。

  • 2023.6.1 火災・防災管理初期講習。朝9:00から午後5時近くまでばっちり。長い時間座って話を聞かなければなせない上に、脚をじゅうぶん前に伸ばせないのが辛い。


     

    2023年5月
  • 2023.5.31 約束していた鉢植えの葡萄の苗をもらった。苗といっても高さ1メートル半はあり、うまくいけばことしは実をつけるらしい。

  • 2023.5.30 歯医者。治療済みの歯の神経が死んで、うみを持っているらしい。治療効果は出ているようだ。RIIとR0の同型性についていろいろ考えさせられたが、なんとか切り抜けられた。

  • 2023.5.29 今日は何も読まずに、まずは書くことに専念。やはりこうでなければ原稿は進まない。

  • 2023.5.28 また色々読んで一日潰してしまった。要反省。実はPC操作のちょっとした誤りで、25日から28日までの分を消してしまい、再現にするのに一苦労。おかげで1時間半も潰してしまった。

  • 2023.5.27 ようやくRS貿易経済の定義部分を書き始める。

  • 2023.5.26 細かい不備には目をつぶって、分析に使えるところまで持っていくことが大切だ。

  • 2023.5.25 Lynn Mainwaring の Can Sraffa point us to a better future? の冒頭の一節が心にのしかかる。Adriano Birolo他編のProduction, Distribution and Trade: Alternative Perspectives (2013) の第6章、p.119:
    In his review of Piero Sraffa's Legacy in Economics (Kurz 2000), Sergio Parinell0 (2002) noted that forty years of development of Sraffian theory had resulted in "losers" (wounded neoclassicals) and "non-winners" -- Sraffians who had little constructive to offer in place of neoclassical theory. The following passage (Parrinello 2002, p.258) is, I believe, a remarkably frank assessment of the state of modern Sraffian theory and serves admirably as a text for this essay:
    The contribution to Sraffa's Legacy on the Sraffian side continue to develop the criticism of marginalism or they pertain to the history of economic thought. This attitude contrasts with the works of the Classics [who] were actively concerned with applying their theories to the important economic problems of their own time. Ricardo and Marx, in particular, did not wait until the defects of the theory of value (of which they were indeed aware) were overcome before dealing with the problem of growth, innovation and distribution in the nineteenth century.

  • 2023.5.24 久しぶりに晴れて気温も低く、快適な気候。あじさいの花が咲き出した。RS貿易経済の定義で試行錯誤。数学者風の癖を捨てて、より実質的な定義をめざすべきだろう。

  • 2023.5.23 歯医者さんへ。昔なおしたはずの歯の神経が死んでうみを持っているらしい。Kaldor関係で「発見」したRamesh Chandraに論文コピーを請求したら、Endogenous Growth in Historical Perspective: From Adam Smith to Paul Romer (2022) という本全部を送ってきた。Paul Romerで終わっている限界はあるが、収穫逓増と経済発展という一連の経済思想の歴史として、じっくり読むに値しそうだ。

  • 2023.5.22 ようやくreferee reportを書き上げた。何かこれだけで一仕事した気になって、論文の方に身が入らない。

  • 2023.5.21 EIERで引き受けたrefereeのためにある論文を読んでいる。いわゆるnativeの英語だが、言い回しが複雑な上、どうも具体的な内容にどぼしい気がする。

  • 2023.5.20 Amazonで『増補 複雑系経済学入門』を見ていると、ほとんど繰り返されていることがある。それは週日には一冊も売れず、売れるのは週末(金曜日夜から土曜日)だけだ。今週もおなしパタンで、今朝1冊売れて、ちくま学芸文庫の順位が172位になった。先週は2冊売れて100以内に入った。そのあと、毎日順位が下がって、昨日は1000位近くに。まあ、こんな本は週末に読んでみようと思う人だけが買うものかもしれない。

  • 2023.5.19 Hiroshimaサミットが始まった。各国の首脳が平和記念館と原爆ドームを訪ねた後、宮島で会議を開いたのはなかなか良かった。ゼレンスキー大統領も来日するらしい。

  • 2023.5.18 落ち着いて紙にていねいに書いてみると、私のまちがいが分かった。おかげで年来の疑問に答えることができた。Jones (1961) の説明は、あいであの骨子は正しいのだか、正確な定式になっていない。後進が追いかけても分からなかったはずだ。これでRestatementの第3節は、おおかた終えることができた。

  • 2023.5.17 午前中には念願のassignmentとclassの関係が解明できたと思っていたが、詳しく見るとうまくいかない。どこがまちがっているのだろう。

  • 2023.5.16 2部完全グラフの全域木の数え上げ定理について、色々参照する。KnについてはPrüfer codeを用いた証明などがU-Tubeにも出ていて驚く。

  • 2023.5.15 Restatementはグラフ理論の説明に入る。

  • 2023.5.14 気を取り直してRestatementを書き進めている。二部グラフの全域木という設定にも、それなりの意義がある気がするが、十分な理論付けはまだできない。

  • 2023.5.13 藤本問題について考え続けている。

  • 2023.5.12 今春第一号のアゲハの幼虫が蛹化を始めた。なかなか気に入った場所が見つからない。

  • 2023.5.11 藤本M氏と二人で研究会。凸錐論を本格的に勉強されての国際価値論の再定式化の試み。加えて難問を提起された。正則価値の定義が維持できるかどうかが問われる。

  • 2023.5.10 蘆花公園を一周してユリノキを探してみたが、見つからなかった。蘆花時代にはなかったものが、そのまま推移してきたということか。世田谷区には北沢緑道ユリノキ公園があるのだから、少しはうえておいても良さそうなものを。Googleで"ユリノキの並木道"を引いてみると、東京では迎賓館前、仙台市・北目町通りの「ユリノ並木」、兵庫県豊岡市の植村直己冒険館前の並木道(開館を記念して植えられたというから、植村直己が好きだったのだろうか)のほか、長野県では安曇野市三郷と信州大学農学部のユリノキ並木が載っていた。一度、行ってみたいものだ。

  • 2023.5.9 第2節第4項は、筆が進まず。つい色々読んでしまう。

  • 2023.5.8 Restatementの第2節第3項を書き上げる。

  • 2023.5.7 昨夜のカフェオレのせいか、夜、目が覚めてしまい、おかげで翌日は一日中眠気で仕事にならず。

  • 2023.5.6 長男元気の結婚式。すべてが無事に終わってよかったが、妻は気疲れぎみ。

  • 2023.5.5 ようやくRestatement論文に調子が出てきた。次は、2国3財だ。

  • 2023.5.4 あるところのエゴノキが満開だった。そう思って家の前の通りを見ると、すでに咲き終わりという状態。気つかなかったらしい。

  • 2023.5.3 ブラシノキの花が咲いていた。蕾ははけっこう乱雑についているのだが、雄蕊が成長すると花序全体がきれいにブラシ状になっている。

  • 2023.5.2 近くにユリノキが花をつけているのを見つけた。高い柵に囲まれている上に、花のついているところも高いので、近くでみる我には行かないが、目立たないけれども可愛らしい花のようだ。チューリップの木とも言われるが、はっぱの花もチューリップに似ているのが不思議だ。

  • 2023.5.1 The theory of international values: a restatementを書き始める。今日できたのは、たった1ページだけ。それでも、書き進めれば山となる?


     

    2023年4月
  • 2023.4.30 4月28日の問題を考えるために、Viner ( 1937) The Study in the Theory of International Tradeを読んでいる。といっても第8章だけだが、いろいろ発見がある。F. D. Grahamが各所に出てくる。Ricardoの貿易章の読み方も、Vinerはまちがえていない。

  • 2023.4.29 医者に行ったら、ピソプロロールを飲んでやる気がしないといったことはないかと聞かれた。そう言われてみると、この一ヶ月、ほとんど仕事が進まなかったのはそのせいかと思いたくなる。薬のせいにせずにがんばろう。

  • 2023.4.28 2国が貿易しているとき、一国のある財の生産技術が進歩して輸出するようになったとき、もう一方の国の実質賃金はかならず低下するのだろうか。何かうまいこと考察方法がないものか。

  • 2023.4.27 高い木に紫色の花が咲いている。どこかで見たようなと眺めていると、通りがかりの女性が「トチノキ」と教えてくれた。そうだ、これはマロニエだったのだ。もうじき5月だ。

  • 2023.4.26 久しぶりにReal-World Economics Blogを覗いたら、「矛盾による証明」をまちがった形に使って、Lars Syllが相変わらず、経済モデル一般の批判を行なっている。一ヶ月ほど前にもKrugman批判をしていたので、本業の貿易論で批判してみたらどうかと示唆しておいたのに乗ってきたらい。ちょうど良い機会なので、長文の反論(と新しい国際価値論の宣伝)を書いておいた。

  • 2023.4.25 散歩していたら、鉢植えだったが緋色のヒナゲシを見つけた。やはりこの色でないと、晶子の歌の感じは出ない。

  • 2023.4.24 東京都の「防火・防災管理新規講習」の登録のために消防署支所へ。まる二日あるというのでびっくり。

  • 2023.4.23 世田谷区長と区議会議員の選挙。花粉も黄砂もおさまつているようだったので、ひさしふりぶりに仙川まで散歩。

  • 2023.4.22 マンションの第2回理事会。2ヶ月もあったから、何かできると思っていたが、結局何もせずに2ヶ月が過ぎた。

  • 2023.4.21 Nadia Garbelliniに感想と批評を送る。5月半まで学期末で忙しいが、そのあと真剣に取り組むという返事がきた。

  • 2023.4.20 ついに4月も下旬に入ってしまった。Nadia Garbelliniの"International trade as a process of choice of technique"という論文についての感想と批評を書いている。谷口和久氏がRGの論文紹介A new framework for anayzing technological changeに感想をCommentとして投稿してくれた。そのおかげかある種の「異変」が起こり、この一日だけで14件ものRecommendがついた。

  • 2023.4.19 Nadia Garbelliniに"International trade as a process of choice of technique"を送ってもらった。国際貿易を技術選択として捉えるという観点が私と良く似ている。新しい人物発見と思っていたら、実はすでに一年前にも、別の論文でやり取りしていた。最近では一年も経つとほとんど忘れている。

  • 2023.4.18 Santiago José Gahnと連絡がとれた。稼働率の長期趨勢となるとなかなか及ばないが、かれのCritical notes on some recent neo-Kaleckian contribution on capacity utilizationで問題にしてる範囲なら、いSMTの枠内でいろいろ言えるかもしれない。

  • 2023.4.17 散歩しているとスイセンが咲いていた。スイセンぐらいだれでも知っているわいとふと名札(ネームプレート)をみてびっくり。スイセンはヒガンバナ科だという。後で調べたから、ヒガンバナ科にはアガパンサス亜科、ネギ亜科、ヒガンバナ亜科があり、ヒガンバナ亜科の中にヒガンバナ連、スイセン連、アマリリス連などがあって、科というよりおなじ亜科の中のあるほど「似ている」らしい。そういわれてみると、なるほど葉の生え方などはよく似ているが、花はとうてい似ているとは言えない。1998年に発表されたAPG体系以前では、これらのいくつかはユリ科にかぞえられていたという。分子系統学の研究によれば、ユリ科は多系統群で5系統ほどに分けられ、その中にネギ科、ヒガンバナ科、ヒヤシンス科、スズラン科などがあるらしい。植物学もそれなりに進化しているということか。

  • 2023.4.16 晴れたり、急に雨になったり、不安定な天気だったが、久しぶりに黄砂の飛ばない日となり、本格的な散歩。多くのハナミズキが今ちょうど満開。

  • 2023.4.15 Cesaratto の2015年の論文 Neo-Kaleckian and Sraffian Controversies on the Theory of Accumulation. Review of Political Economy 27(2), 154-182 を読んでいた。Post Keynesiansの成長理論の色々な定式の問題点がうまく整理されている。すべて一財のみのmacroモデルだが、SMTの理論が活かせないものか。夜、ResearchGate に Maria Cristina Marcuzzoの"Reality (and Not Simply Abstract Rationality) as the Starting Point of Economic Theory"が公開されていた。これはPasinettiの2007年の本Keynes and the Cambridge Keynesiansの第2編のPostlude "Fighting for independence"の9つの提言のひとつひとつに各一章を当てた本の第1章だ。しかし、これはPasinettiの「未完の革命」という精神に反するものではないか。「義憤」(?)に駆られて、コメントを投稿。

  • 2023.4.14 Lawsonは、数学的解析を否定はしないが、中核的な研究方法とはみなさない。そこに存在論的研究方針の問題点があるように思い、Lawsonの本を一日中読んでいたが、核心の問題点を見つけることができなかった。

  • 2023.3.13 ResearchGateにHodgsonのIs there a future for heterodox economics? (2019) の批評に対するHodgsonの応答が出ている。わたしもコメントをひとつ書いた。

  • 2023.4.12 黄砂が来襲して日本列島をすっぽり覆うというので、散歩にも出かけず家に閉じこもり。朝、10分ほど、太陽に当たりなかせら体操をしただけ。

  • 2023.4.11 おとといはシャクヤクに触れたが、シャクナゲも咲いている。花がツツジにそっくりで、見た感じからもツツジが突然変異を繰り返してシャクナゲになったのでは思わせる。遺伝子的に正しい考察かどうかは分からない。そういう論文があるかどうか調べてみたが見つからなかった。

  • 2023.4.10 全域木によって定義される認容なものとして正則な国際価値を定義してきたが、逆にある技術系が一次独立で、摂動によってもそれが維持されるなら、その技術系は全域木であるという定理が成立するかもしれない。

  • 2023.4.9 あらゆる花が咲き誇っている。目につくのは、今盛りのモッコウバラ。白いヤマブキも、意外に多い。あるお宅の小さな庭には、鉢植えのシャクヤクがやはり白一色の見事な花をつけていた。

  • 2023.4.8 TeXを使える環境を整えようとしたら、それに先立つHomebrewがインストールできない。なんということだ。

  • 2023.4.7 京都から筍が届いた。付け合わせの木の芽(山椒の葉)を買いに4県のスーパを巡る。こういうものになると、標準がないらしく、パッケージも値段もかなりまちまち。

  • 2023.4.6 藤本容啓氏と国際価値論の私的研究会。

  • 2023.4.3 長男の結婚式に着るモーニングの試着に妻と一緒に青山5丁目まで。新入生のオリエンテーションが始まっていた青学を見物した後、大学付設のような茶珈堂で、名物らしいフレンチ・トーストを食べる。

    Jochen HartwigのThe evolution of Patinkin's interpretation of Keynes' principle of effective demand (European Journal of the History of Economics Thought 2022)を読む。「有効需要原理」に関するDon Patinkinの解釈がどう変わってきたか、興味ぶかいtraceだが、そろそろGeneral Theory 第3章を正しく解釈するということをやめるべきではないか。この論文は、そうすることの無意味さを顕著に教えてくれるが、残念ながらHartwig自身には、こうした反省がないようだ。多少の怒りも込めて、ResearchGateの彼の論文に対するCommentを書いた。

  • 2023.4.2 昨年9月3日のシンポジウムの3氏の報告(磯谷明徳・植村博恭・黒瀬一弘)に対する「回答」にようやく決着をつけることができた。Bruno Jossaの"The principle of effective demand according to Pasinetti"(in Ciccone, Gehrke, and Mongiovi (eds.) Sraffa and Modern Economics, Volume II, pp.152-167.)も読みおえたが、まったく期待はすれだった。これがどういう意味でSraffaの経済学に関係しているのだろう。編者の見識が問われる。もはやKeynesの文言解釈の時代ではないと思うのだが、どうだろうか。私のThe principle of effective demand: a new formulationと比べてほしい。明日からは、別の仕事に取り掛からねば。

  • 2023.4.1 友人の鹿野忠良さんが「リカードにも考えられなかったようなことが世界経済に起こっている」という記事が日経新聞に出ていたと知らせてくれた。図書館で調べてみると、3月27日(月)の一面トップで、副題に当たる縦見出しには「リカードの矛盾を超えて」とある。中国や東南アジア諸国の経済的躍進によって、アメリカ合衆国の中西部に廃業や失業が続き、なかなか立ち直れないという話が中心。貿易に双方に利益があるとしたリカードそのものから見れば「矛盾」だが、より深い理由はリカード理論のその後の発展にある。主流派(新古典派)の貿易論には4つの世代があると言われているが、どのひとつも貿易による失業の発生を扱えない理論構造になっている。だから、1990年代に経済のグローバル化が叫ばれたとき、クルーグマンをはじめとして多くの国際経済学者は、(圧倒的少数派のRobert Reichなどを除いて)9グローバル化の及ぼす負の側面を過小評価していた。クルーグマンも、最近では自分のまちがいを認めているが、なぜそういうまちがいが起こったのか、経済理論の問題としては突き詰めていない。新しい国際価値論は、国際貿易状況における失業を扱える枠組みになっているが、日経の記者も、そこまでは勉強してくれていない。理論だけでなく、もう少しわかりやすい展開が必要ということだろう。


     

    2023年3月
  • 2023.3.31 ついに3月も最終日。いろいろやるべきことが溜まってきて、どう手をつけたら良いか。

  • 2023.3.30 久しぶりに良い天気。春分もすぎたせいか、夕方5時にもまだ陽が出ている。蘆花公園にいき、読書。

  • 2023.3.29 日本中晴れているのに、なぜか東京だけが雨とか。ここ数日、雨が多すぎ。

  • 2023.3.28 Morishima (1964) Chapter 4, Section 3についてようやく全体像を理解できたように思う。要旨をWORD文書8ページにまとめた。いずれ公開したい。

  • 2023.3.27 雨その他で3・4日サボっていたが、買い物を兼ねてひさしぶりに1時間半散歩。さすがにくたびれた。

  • 2023.3.26 今日も一日、降ったり止んだり。せっかくの桜はだいなし。また一日、Morishima (1964) の第4章に費やしてしまった。

  • 2023.3.25 3年ぶりの独占研究会。場所は東京経済大。高須賀義博先生の追悼記念研究会でいちど報告させてもらったはずだが、どうやって大学まで辿り着いたか、いっさい記憶がない。久しぶりのためか、20数名の参加があった。会食後、吉祥寺で石塚良次氏と1時間ほど話す。

  • 2023.3.24 Morishima (1964) の第4章では、数量過程が漸近的に安定であるということはやはり証明できていないのではないか。複雑な変形を繰り返していすぎるし、どうも何箇所かに勘違いがあるようだ。

  • 2023.3.23 Morishima (1964) Equilibirum, Stability, and Growthの第4章 An alternative dynamic system with a sprecturm of techniques を読んでいる。これが価格と数量の双方での(漸近)安定性を証明した論文とはなかなか思えないが、定式化にわからないところもあり、再度、もう少し詳しく検討している。

  • 2023.3.22 連日の暖かさでもサクラはほぼ満開に。家の脇にあるコブシは、ちょっと見ぬまに、もう最盛期を過ぎてき散り初めている。色々な花が一斉に咲き始めた感じ。WBCで日本チームが優勝、TVは朝からほぼそればかり。

  • 2023.3.21 連日の外出で疲れたのか、一日中、うつらうつら。

  • 2023.3.20 妻とふたりでRod and Yayoi Smithさんを田園調布に訪ねる。都市計画区域内の家を出す寝るのは初めて。Yayoiさんのいとこの家を日本滞在中借りているという。元の一軒を二つに分けた、小さな家と庭に紅白のボケの花が綺麗に咲いていた。

    Amit Badhuriの"Price or quantities? The common link in the metods of Sraffa, Keyensa and Kalecki"(Ciccone, Gehrke, and Mongiovi [2011] Sraffa and Modern Economics Volume II, Routledge, pp.89-96.)にSraffa (1926)の引用として以下の文節が引かれている:
    ... with a horizontal long period supply curve, cost determines price, while demand does not affect it but determines instead the quantity produced.
    しかし、Sraffa(1926)にはこのような文面は現れない。イタリア語で書かれたSraffa (1925)の引用間違いかと思ったが、該当の箇所を見つけることはできなかった。Googgleでは、この文はCicconeたち編の本のみがヒットする。

  • 2023.3.19 進化経済学会年次大会2日目。二日目の方がPosterへの反応がいいかもと期待したのだが、現実は厳しくほとんど反応なし。

  • 2023.3.18 進化経済学会第27回東京大会(立教大学)、初日。朝一番の企画セッションで報告、午後はPosterのために半日。今日から急に寒くなったのは痛手。Posterへの反応は、こうした企画に慣れていない学会としてはまずまずか。

  • 2023.3.17 ポスター発表資料は十分余裕を持って作成したはずだったのに、いざ印刷してみたら、行がずれて使い物にならず。WORDでFormatしたのに、mailで送ってみたら、まったく違ったものに。それを修正するのに一日終わってしまった。森岡・谷口両氏とお祝いの会食。

  • 2023.3.16 学会報告用のプリゼン資料作りに一日。PTTで作成していたら、途中でPTTXには転換できずにひと騒動。

  • 2023.3.15 この週末(3.11-12)にamazonで『増補 複雑系経済学入門』が3冊売れたようだ。最近にしては珍しいこと。

  • 2023.3.14 一日何もせず、ゆったり過ごす。東京では桜が開花宣言。

  • 2023.3.13 バスで宇佐神宮へ。中津から大分空港への路線の途中。宇佐神宮は、今回の良好の目的地の一つ。もちろん、行ったからといって何も新しく分かることはないが、行けなかった百体神社・凶首塚古墳の位置関係や距離感は掴めた。大分空港午後5時発の飛行機で家に帰り着いたのは9時半近く。

  • 2023.3.12 一日かけて中津に移動。午後遅く、福沢諭吉の旧宅と中津城を見学。

  • 2023.3.11 飫肥(おび)城見学。日向・伊東氏5万7千石の居城。土曜日のせいか、観光客も多かった。午後は、鬼の洗濯岩を見て鵜戸神宮と青島神社に参拝。明治期の写真に比べて青島がはっきり隆起しているのに驚く。

  • 2023.3.10 飛行機で宮崎・日南市へ。黒木家の皆さんと会食。

  • 2023.3.9 明日10日から4日間、宮崎・大分へ旅行。

  • 2023.3.8 ここ二、三日の暖かさでウメ、ボケ、サクラ(花の色から河津桜系か)が一緒に咲いている。数日前からツワブキによく似た花が咲いている。さてツワブキは、春咲きもあるのかと思って調べてみたら、ヒメツワブキというものだった。葉っぱがツワブキよりずっと小さく、花はより鮮やかな気がする。

  • 2023.3.7 循環器の先生が言っていたように、朝起きたら心房細動は治っていた。薬のせいなのか、自然にもどったのか。

  • 2023.3.6 長寿健康診断の期限が切れるので朝から病院へ。心電図をとったが、正常そのものという。しかし、午後になる心房細動がでて息苦しい。結局、循環器専門の先生に診てもらって薬をもらう。病院2軒と薬局とで一日終わってしまった。

  • 2023.3.5 ここ数日の疲れが溜まったのか、やる気がでない。早く寝る。

  • 2023.3.4 櫻井公人教授の退職最終講義にでる。立教大学特別専任教授という制度が今年からでき、されに就職されるとのことで、あと5年はこれまで通りに勤められるとのこと。元ゼミ生の出席も多く、サンシャインシティの59Fのオーシャン・カシータで開かれた懇親会も大変な賑わいだった。

  • 2023.3.3 Cafficeという喫茶店で藤本容啓氏と会う。新宿の東側はまだ慣れず、代々木駅の近くまで行ってしまう。正則価値の新しい定義について、解説、3時間ほど議論する。帰りにMosaicを通ったら、3月末で閉鎖されるという。ビルの隙間にできた小道だが、なんとない風情があった。最後とおもってBagle & Bagleで軽食。

  • 2023.3.2 塚本恭章著『経済学の冒険』をなんとか読み終えて、同著への推薦文を確定させる。

  • 2023.3.1 久しぶりに少し余裕ができたので仙川まで散歩。しかし、花粉の悲惨がひどかったようで、(かんだ)はなかみ製造機になっしまった。


     

    2023年2月
  • 2023.2.28 昨夜は悪戦苦闘して、なんとか論文全体の趣旨を整えたが、これで納得してもらえるものになるのかどうか。こちらは、大会実行委員会へ、もう一つのEvolutionary and Institutional Economics ReviewのSpecial Issueへの原稿も、なんとか形式を整えて、投稿を終えた。

  • 2023.2.27 歯医者へ。詰めていたものが取れてしまったが、こちらは銀歯で済んだ。報告論文はなかなかまとまらない。藤本さんに読んでもらったが、論旨が通っていないと厳しい評価。大会用論文とは別に、EIER投稿用論文の草稿第1稿を掲載する。コメントがあれば、y@shiozawa.netまで。3月中にご意見をいただければ、最終稿に反映させる可能性がある。

  • 2023.2.26 進化経済学会の報告用論文、今日中には仕上げる予定だったが、なかなかまとまらない。

  • 2023.2.25 入居している集合住宅の初めての理事会。防災担当理事を買って出たので、色々考えなければならないのだが、理事に選ばれた総会から一ヶ月、何もできなかった。

  • 2023.2.24 ロシアによるウクライナ侵略開始から一年。こんな日にも、論文のことにのみ忙しがっている自分が情けない。

  • 2023.2.23 進化経済学会大会でのポスター報告原稿は何とか仕上げた。というか、何とか16枚を埋めた。

  • 2023.2.22 宮崎義一『近代経済学の史的展開』の第二部の第二章・第三章をほとんど読んだ。宮崎先生がケインズの経済像にきわめて厳しい見方をしていたことに気づき、驚いている。

  • 2023.2.21 ぐうぜんカレツキの『経済変動の理論』(宮崎義一・伊東光晴訳、1958)が出てきた。買って積んであったのだが、読んだ記憶はほとんどない。しかし、宮崎と伊東の二人がなぜこの本を訳したのか、二人に対するカレツキの影響はどんなものだったのだろうか気になって宮崎義一『近代経済学の史的展開』を読みはじめた。なんといっても、この二人は私が大きな影響を受けた恩師だ。

  • 2023.2.20 学会報告の論文A4 20枚以下を書かねばならないが、いろいろ書いて疲れてきた。30分で話せることはせいぜい3テーマほど、何を話せばいいのか。

  • 2023.1.19 ようやくポスター発表の原稿をまとめた。全紙(A0)1枚分、A4 16枚はなかなかの分量だ。

  • 2023.2.18 森嶋通夫は、近代経済の80%は固定価格経済であると考え、価格の固定性を考慮した一般均衡理論と称するものを提示した(『新しい一般均衡理論/資本と信用の経済学』)。その第4章「一時的均衡」を読んでみても、価格が固定される機構(収穫一定)はあるが、その元にある産業の製品の生産量がいかに決まるかの説明がない。ただ、一時均衡なるものが存在すると言っているだけだ。そのことなら、すでにArrow and Debreuでわかっていたはずだ。彼らの仮定に収穫一定は排除されていない。しかし、均衡が存在するとこと、現実の経済がそれを発見できることの間には大きなギャップがある。なぜ、その問題を考えることなく、近代経済が説明できたと思ってしまったのだろうか。均衡理論の罠にはまっていたとしか考えられない。

  • 2023.2.17 生まれてはじめてポスター発表用の原稿を作っている。

  • 2013.2.16 もう2月も半分経過。月末までに仕上げなければならない原稿が3本。少し油断していたかもしれない。

  • 2013.2.15 "Unplugged"という日本語の雑誌がある。講談社から出ているHOUYHNHNM Unpluggedではない。かつてあった『風餐』という雑誌の後継誌らしい。その11号に編集発行人の府川雅明が上田悟司に聞くという形式で複雑系経済学についての解説が載っている。20ページの大特集だ。私と森岡・谷口の3人によるMicrofoundations of Evolutionary Economicsをも射程に収めた解説としては、日本はもちろん世界でも最初のものであろう。細かい事実のまちがいが少数あるが、大筋としてはとても正確に全体像を捉えている。経済学者でも、こうはいかないかもしれない。感謝。

  • 2023.2.14 ケインズ経済学はなぜ経済成長の理論と見なされないのか(Why is Keynesian theory not considered as a theory of economic growth?)という問題がResearchGateで投げかけられ、すでに投稿数41本に達している。もちろん、荒唐無稽な投稿も多いのだが、考えるよい機会になる。私の投稿は38本目、41本目など。Hubert EscaithはもとWTOの主席統計官。

  • 2023.2.13 進化経済学会の年会費を納入しようとしたら、フェローになると年会費免除だそうだ。大変な特典だ。

  • 2023.2.12 今書いているSome supplementary Explanationsは、そろそろ打ち止めとしなければ。

  • 2023.2.11 水戸・偕楽園の梅まつりが始まった。近くでも梅が咲いているが、なぜか開花時期か不均整。小正月のどんど焼きのとき、近くの梅園の一本の西側半分が咲いていた。一ヶ月経った今も、奥の一本だけが満開だが、他の多くの木は咲く気配もない。

  • 2023.2.10 東京を含む全国に雪。東京都区内にも大雪警報が出されたが、世田谷区は2cm程度の積雪。こういうのは「大雪警報」ではなく「小雪警報」あるいはせめて「積雪警報」というべきだろう。

  • 2023.2.9 Peter EarlとTi-Ching Pengの"Brands of Economics and the Trojan Horse of Pluralism" Review of Political Economy 24(3): 451-67, July 2012という論文を読んでいた。主流派の経済学内にトロイの馬を送り込むという戦略はなかなかおもしろい。

    この数日、PKの理論としての消費需要をどう考えるか考えていた。Earlのような存在を知ったことは心強いが、経済学の方向としてはほとんど考えが進まなかった。

  • 2023.2.8 BS TBSの「報道1930」で日銀の異次元金融緩和が特集されていた。アベノミクスを掲げた選挙で自民党が圧勝したのだから、「失われた20」をさらに10年伸ばした「功績」は、金融緩和や「期待に働きかける」ことでインフレは起こらないということだろう。インフレは、金融現象・貨幣現象であるという基本に問題があると思う。インフレは、金融経済の現象というより、かなりの程度に実体経済の問題なのではないか。

  • 2023.2.7 鶴田満彦先生が今日未明に亡くなられた。昨年の独占研の「明治大学」とのお別れ会に欠席されたので、体調が心配されていたが、体調がやはりかなり悪かったのだろうか。

    Peter Earlは、自称も他称もPost Keynesianのbehavioral economistだとわかった。LavoieもEarlの著書をPKではもっとも精密な経済行動の叙述と紹介している。

  • 2023.2.6 日本ではPeter Earlの議論はどう紹介されているかと思い、"ピーター・アール"で検索してみたがヒットしない。"P.アール 経済学"ではどうかと思い引いてみると2件ヒットした。歴史学など他分野の人のものが他にも引かれていた。Peter Earlには、英語ではペーパ・バックのものを含め何冊もの本があるが、翻訳はないようだ。翻訳大国日本としては珍しいことか。ヒットした2本は、いずれも米川清氏の論文。2本ともほぼ同時期のもので、同じような内容だが、端的に両者の違いを指摘した短い方を紹介しておこう。「2つの限定合理性」『経営学論集第86集』(2016)。新・行動経済学になって「限定合理性」いかに変形されて新古典派経済学と妥協したかがよくわかる。米川の指摘は経営学の視点からは当然とも言えるが、この問題は経済学でももっとよく考える必要がある。

  • 2023.2.5 Peter EarlのBehavioral Economicsの序文を読んでみた。新旧の行動経済学を論じた論文があり、H.A.Simonや彼の後継者たち(MarchやCyertなど)までが旧行動経済学だという。Simonを行動経済学とみなす必要はないが、問題はTvertsky & Kahneman以降の新・行動経済学が登場したことにより、旧・行動経済学がほとんど忘れられているという。もしこれが本当だとすれば、単に新旧の好き嫌いでは済まされない。

  • 2023.2.4 Peter Earl という経済心理学者がいる。若い頃に読んで印象に残っている。題名や中身までは不確かだが、たぶんLifestyle Economics (1986)だっただろう。私よりずっと年上の人かと思っていたが、昨年、ResearchGateで通信する機会があり、私とあまり変わらない人間であることを知って驚いた。そのPeter EarlがPrinciples of Behavioral Economics: Bringing Together Old, New and Evolutionary Approaches, Cambridge University Press, 2022という本を出したことをつい二日ほど前に知り注文した。それが今日届いた。日本に現物があったようだ。私は、現在のNew behavioral economicsよりもOld behavioral economics (たとえば、G. KatonaのPsychological Analysis of Economic Behavior 1951) を高く評価するほうなので、Old behavioral economicsから扱っているくれるだけで嬉しいが、それにおまけがついてevolutionary approachまでを考えて統合するというのだから買わない手はない。あまり読む時間は取れないが、すこしのぞいておこうと思ってページを繰っていたら、以下の紹介があって驚いた。
    Readers who are interested in more formal approaches are strongly encouraged to consult the work of Shiozawa et al. (2019), which complements at many points the perspective offered in this book. (p.3)
    われわれの本に対する理解者が意外なところにいたということだ。

  • 2023.2.3 節分で生のイワシを探してスーパ3店、魚屋一軒を回ってみた。生のものがないわけではないが、頭が落ち、腹が開かれている。食べやすいだろうが、鬼祓いにはならないだろう。仕方なしに銚子産の丸干しの大きなものを買ってかえる。

  • 2023.2.2 EIERのシンポジウム用の原稿は、ようやくラフ稿が完成したが、読み直しだけでも、だいぶ時間が掛かる。とくにこういう仕事は、眠いとまったくだめだ。

  • 2023.2.1 Luigi Pasinettiが亡くなったと明大の八木尚志教授から連絡が来た。まだ、twitterへの個人による死亡記事しか出ていないようだ。


     

    2023年1月
  • 2023.1.31 高松紀夫さんのご家族から49日の忌明けのご挨拶がきた。住所をみると、なんと同じマンションの住人だった。もう5年も住んでいるが、ちっとも知らなかった。

  • 2023.1.30 ResearchGateのcitationsが502となり、ようやく500を越えた。実をいうと、このうち半分ぐらいは自分自身の引用だろう。ひょっとすると、もっと高率かもしれない。それでも、なんとか1,000までは目指したい。

  • 2023.1.29 マイナンバーカードを受け取りに区役所支所へ。NHKの大河ドラマ「どうする家康」は、お市の方を元康に娶らせようと信長が命令するという意外な展開。さて、どう落とし前をつけるかハラハラしたが、実はお市の方の初恋の人という設定であった。

  • 2023.1.28 Normal cost pricingが正いことは漠然と分かっていたが、きちんとした説明ができなっかた。一晩考えた結果、なんとかひとつの説明まではたどりついた。

  • 2023.1.27 Marc LavoieのPost-Keynesian Economicsの第3章を§3.5から§3.7までを通して読んでいる。上乗せによる価格設定(markup pricing)の各種類をおさらいするためもあり、我々の本の紹介である§3.7.4とどう接続しているのか知るためでもある。意外によく接続していてびっくり。Lavoieにとっては、まさに待っていた研究成果だったのかもしれない。

  • 2023.1.26 注文していたMarc LavoieのPost-Keynesian Economics 2nd Edition (2022)が届いた。科研費で買えることになったのでありがたい。

  • 2023.1.25 Dixit & Stiglitz (1977)と40年後にそれを回顧したStiglitz(2017)を読んでみても、選好グループ間の遷移確率を考えたものはなかった。小さな部分に過ぎないが、"love of variety"を凌駕できたかもしれない。

  • 2023.1.24 私が「強い選好」と呼んでいる「選好」(CES選好関数の指数[ふつうはσ<1]をσ>1としたもの)においても、グループ間の転移確率にあるものを仮定すると、シェアが価格比の関数となることが分かった。これが正しければ、上乗せ率が出てくるもうひとつの説明が出てきたことになる。

  • 2023.1.23 今ごろ気がついたのだが、われわれ塩沢・森岡・谷口の本Microfoundations of Evolutionary Economicsに関するシンポジウム(Tony Aspromougos, Kenji Mori, Arrigo Opocher, J. Brakely Rosserの4氏の寄稿にわれわれ3人が共著でReply/返答を書き、Metroeconomica編集長のHeinz KurzとNari Salvadoriがシンポジウム序言を書いたもの)がようやく巻号とページが確定して載っている。73巻の第1号だから、昨年中の早くに決まったもののようだ。Free to readになっているので、ここを訪れて読んでください(Downloadはできないが、PDFで読める)。我々の返答は34ページからはじまっている。プリントアウトして読みたい方は、下記email addressにご連絡ください。じつは、本やこの返答に書きれなかったことなどをEIER(Evolutionary and Institutional Economics Review)の次号か次次号のために、いま第一稿を書いている。

  • 2023.1.22 Hotellingの変形としてシェア関数が価格比の関数となる場合を感変えている。意外な進展があった。この関数は、Dixit-Stiglitz流のCES Utility functionからも導くことがてきるが、それは代表的個人が弱い選好を持つ場合に限られる。上乗せ価格の普遍性は、異なる諸個人が強い選好を持つ場合にも、同様のシェア関数が得られるであろうとことを示唆している。

  • 2023.1.21 初心に戻ってHotellingの競争を再検討している。

  • 2023.1.20 必要があって、Tony LawsonのThe Nature of Post Keynesianism and Its Links to Other Traditions Journal of Post Keynesian Economics 16(4): 503-538, 1994 を読んでいる。

    Lawsonは、新古典派の問題点が"the universal orthodox reliance upon axiomatic-deductive reasoning" (上記 p.524)にあり、Post Keynesiansがそれを暗に反対しているとしてPKに一種のエールを送っている。既存の新古典派批判(ないし主流派批判)としてこれがあたっていても、そのゆえをもってその反対的立場を異端派経済学の方法論的要請とすることはできない。

    Lawsonは科学的探究が以下のようなもものであることを認める。
    Clearly, if a knowledge of structures cannot be obtained merely through sense experience, it is hardly intelligible that they can be created out of nothing, as it were. What is a issue here, then, is a transformational conception of knowledge. From the transcendental realist perspective, knowledge progresses as existing theories, hunches, hypotheses, anomalies, and the like, come to be transformed in, and thrugh, the laborious social practice of science. (ibid. p.514)
    Given that science is revealed as a laborious social practice concerned with revealing structures governing phenomena of interest, and given the open nature of the world, it follows that methodological reasoning must be constructively involved at every stage of research. (ibid. p.515)
    Lawsonは、問題の所在をほぼ正しく把握しているといえよう。かれの問題は、それにもかかわらず、経済学の探究において数学的な方法をほとんど先験的に排除してしまうところにある。Lawsonはまだまだやや慎重である(全面的否定・拒絶にはなっていない)が、Lars Syllになるとこの排除が中心的主張にまでなっている。LawsonやSyllは、数学的思考を"axiomatic-deductive reasoning"としか捉えられず、その試行的・検討的・創造的性格をみて取れていない。科学の営みが、上に見るように、諸理論・予感(ないし勘)・仮説・異常(ないし変則)の集合から考え始めざるをえないことをLawsonは正しく理解している。しかし、でき上がった「理論」を提示するときに、axiomatic-deductiveな形をとることがほとんどであること(その認識は正しい)をみて、諸理論・諸仮説の集合を総合・再編成するにあたり、数学的思考が創造的な働きをすることを見落としてしまっている。研究における試行錯誤過程がほとんど見落とされているし、試行錯誤に先だって必要とされる相互に無関係なあるいは矛盾する諸理論の統合に向けた試みが否定されてしまっている。Lawsonは人間の論理的思考能力の限界を十分に感じていない。だから日常言語を使って経済のような巨大システムの全貌を捕まえうると考えている。それは空虚な幻想だろう。数学を使ったからといって、それは容易ではない。しかし、数学を使っての体系化という道を(ほとんど)閉ざしてしまったことで、かれは饒舌な方法論者にはなってしまった。方法論のみから新しい(とくに画期的・突破的な)理論が生まれることがほとんどないことを忘れてしまっている。そのことは、Lawsonがcritical realismを受け入れ、ontology的の導入を提唱し始めてからすでに30年近く経つにもかかわらず、かれの周辺ないしかれの方法論に刺激を受けた研究でbreakthroughと呼べるものがほとんど生まれていなことが証明している。(もし、この研究は反例ではないかというものがあれば教えてほしい。)

  • 2023.1.19 Frederic S. LeeはPost Keynesian経済学の中ではほとんど唯一の価格理論の単行本Post keyensian Price Theoryの著者だ。そのLeeが癌で亡くなる直前まで完成をいそいでいた本Microeconomic Theory (2018、Tae-hee Jo編)の中で、We don't know anything about how profit mark-ups are setと言っている(p.219)。J. E. KingのPost Keyensian Economics (2015)にも言及がある(p.51)。先行するすべての理論に不満だったようだ。

  • 2023.1.18 私がなぜLars Syllの論陣にいちいち反論しているか(昨日1.18の項参照)説明しておいた方が良いだろう。私はSyllには大したoriginalityはなく、ただTony Lawsonの経済学方法論をややまちがった方向に極端化しているに過ぎないと見ている。したがって、本丸はLawsonだが、彼の影響力はきわめて大きい。例えば、昨年翻訳が出たスキデルスキーの『経済学のどこが問題なのか』(鍋島直樹訳、名古屋大学出版)は、善意に溢れた新古典派経済学の方法論批判なのだが、その骨子のひとつに経済は開放系なのに閉鎖系として扱っているというものがある。これはRoy Bhaskarの考えをLawson経由で輸入したものだ。私の考えでは、もうこの段階からまちがっている。ガリレオの落体の法則やケプラーの惑星運動の三法則は、対象が閉鎖系であるから数式化できたのではなく、そこに数式を発見したからBhaskarのいう閉鎖系になったのだ。経済学でも事情は同じだ。下手な数学化を試みれば失敗するに決まっているが、だからといって数式化ないし数学的定式化自体が悪いわけではない。例えば、我々のMicrofoundations of Evolutionary Economicsは、数式ないし数学的定式化に溢れているが、均衡論でも方法論的個人主義でもなく、システムの全体過程を分析している。それが一見「閉鎖系」のような形に見えるのは、需要を価格の関数としてではなく(需要関数の否定)、一定の価格のもとでも緩やかに変化するものとして扱っているからだ。Lawsonは出身が数学とあるが、研究としてやったのは計量経済学(の批判)であって、まだ定かではない対象を捉えよえと苦労した経験がないのではないか。数学でしか捉えられない複雑な関係があることが彼らの議論からはすっぽりと抜けている。

  • 2023.1.17 Real-World Economics Reviewという雑誌がある。2000年頃のフランスの経済学の学生の反乱に刺激を受けて発足したのだ。その付録にReal-World Economics Review Blogがある。前にも一度紹介したかもしれない。異端派が中心になって活発な議論が行われているといえば聞こえが良いが、中にも酷いものがあり、経済学そっちのけで政策のみに関心のある人や、経済学のそもそもの素養のない人もいる。その常連の寄稿者の一人にLars Syllがある。個人のBlogのほとんどをReal-World Economics Review Blogに転載している。専門は経済学方法論・社会科学哲学という。しかし、実態はTony Lawsonのや乱暴な縮小版のようなもので、経済学の数学化や仮説演繹的モデル構築に反対する論陣を張っている。ここに紹介するのは、Lars Syllの2023年1月12日のEconomic modeling — a constructive critiqueに対する私の反論。

  • 2023.1.16 ローマ字部分が増えたら、文字が小さくて読みにくくなった。活字の大きさを変えることにした。

  • 2023.1.15 A Macroeconomics Reader (1997)のpatinkin論文のすぐ後にはBill GerrardのKeynes’s General Theory Interpreting the interpretations (Economic Journal 1991)が載っている。Gerrardは知らない人だが、解釈学の人らしい。"The significance of Keynesian economics depends on its ability to provide an understanding of how the economy actually works. The significance of Keynesian economics does not depend on being the economics of Keynes. What Keynes himself believed is a question for the historians of economic thought, not for macroeconomists."(p.106) ときわめてまともなことが注意されている。問題は、"an understanding of how the economy actually works"であろう。Gerrardの理解では"A principal aim of Keynesian economics has been to give a definitive answer to the question ‘What does Keynes’s General Theory really mean?’"(p.95)ということで、これでは"an understanding of how the economy actually works"と乖離してしまうが、「ケインズ経済学」の実情を伝えるものとは言える。そうなった根本の理由にPasinettiのいうparadigm changeの未実現があろう。コペルニクス(1473–1543、『天界の回転』は1543)の地動説のあと、ケプラー(1571–1630)、ニュートン(1642–1726、奇跡の2年間は1965-67)と120年以上かかった歴史とほぼ同じことを経済学もくりかえしているのだろう。

  • 2023.1.14 どういう風の吹き回しだったか忘れてしまったが、Don PatinkinのOn different interpretations of the General Theory (1990、A Macroeconomics Reader 1997 所収)を読んで、変なこと(=新しいこと)に気がついた。Patinkinの問いは、Keynesにはなぜこれほど多様な解釈があるのかというものだ。ほぼ同時代のHicksやSamuelsonの主著と比べれば、その違いは歴然としている。Patinkinの結論は、General Theoryがそれだけ大きな革命だったというものだった(そのことは別に考えたい)。その中で、fundamental uncertaintyに注目してケインズ革命を考えるという習慣は、General Theory出版後約四半世紀後の1960年代から始まったと指摘している。Sydney Weintraubの Classical Keynesianism, Monetary Theory, and the Price LevelとGeorge Shackleの展望論文‘Recent Theories Concerning the Nature and Role of Interest’とが1961年に現れ、Joan Robinsonの活躍もあって、IS-LMおよび45度線分析が衰え、代わりにuncertaintyがケインズ革命の中心に考えられるようになったらしい。こうした変化を背景とすると、Paul Davidsonなどアメリカ中心の(というよりReview of Post Keynesian Economics中心のか)Post Keynesian Economicsが成立し、それが過度にuncertaintyを強調するものになってしまったことがわかる気がする。Patinkin (1990)の簡単な紹介は、ここのJanuary 9, 2023 at 7:23 amのわたしの記事をみてください。

  • 2023.1.13 散歩していたら幸福実現党の政治ポスターが目に入った。なんと「勤勉革命」がその中に入っている。今年出すはずの本の題名を先取りされている。冗談ではないと思って帰ってWEBで調べてみたら、「バラマキやめて「勤勉革命」」が七大政策のひとつらしい。「勤勉革命」の内容は、「二宮尊徳の精神」とあって、私の本と無縁ではない。私の本が二番煎じになってしまうではないか。

  • 2023.1.12 HarcourtとKriesler編のThe Oxford Handbook of Post Keynesian Economics (1)を読んでいる。もちろん大部なもので全部は読めないが、Ken Coutts and Neville Normanの18. Post-Keynesian Approaches to Industrail Pricing : A Survery and CritiqueやRobert Dixon and Jan Toporowskiの20. Kelckian Economicsはとても良かった。特に後者からはKalecky派の概要がはじめてわかった気がした。Keynesとの違いとして指摘されていること(価格理論の存在、投資に対する長期金利の無効性)など、その後のPKでどのくらい生かされているのだろうか。

  • 2023.1.11 昨年12月のポストケイズ派経済学研究会の後の飲み会で経済学のあり方が問題になった。私が「真理に対する愛が足りない」と言ったら、ある人が「真理などというものはオーム真理教と同じで怪しげなものだ」と言った。確かに怪しげなところはあるが、しかし真理追求の意欲なしには経済学は進歩するだろうか。

  • 2023.1.10 歯医者に行ったら、またセラミックで補綴が必要となり、金37,400円の予告。

  • 2023.1.9 Keynesは自分の理論をtheory of output as a wholeと名付けたが、それを語る理論枠組みを持たなかった。その枠組みがなぜ半世紀以上現れなかったか、なぜそれが谷口・森岡の結果を待つ必要があったのか、その理由がわかった。

  • 2023.1.8 年末に買ったCANONのプリンタGM4030、PCとつなげようとしてみたら、Macに対応するDriverが存在せず、新しいPCから直接に印刷することは不可能なことがわかった。いくら特殊機種とはいえ、CANONさん、それはないだろう。

  • 2023.1.7 昨日買ってきた七草のセット、ひとつずつ調べる前に炊かれてしまった。

  • 2023.1.6 Kingはmicrofoundationsが原理的に不可能という立場。その理由として①downward causation、②fallacy of compositionの二つの存在をあげている。downward causationの証拠のひとつとして創発特性を上げるのだが、果たしてこの分類の立て方は適切だろうか。

  • 2023.1.5 J.E.KingのThe Microfoundations Delusionを読んでいる。前にイナゴ読み(grasshopper reading)をしたことはあるが、ほぼ通して読むのは初めて。元旦から5日間かけてようやくなんとか読み通した。表題が示すように、これはPost Keynesian経済学にmicrofoundationsを与えようとする我々の意図と正反対の立場の本だが、microfoudnationsをめぐる複雑で錯綜した立場の全体像をなんとか掴むことができた。

  • 2023.1.4 年賀状をいろいろいただいたが、整理している時間がない。なんとか松の内にやれればと思っている。

  • 2023.1.3 箱根駅伝は、往路・復路とも中央大学が2位。昨年は、久しぶりにシード権獲得と復活基調だったが、2位は予想外の大健闘。来年100回大会の優勝を目指す位置につくことができた。

  • 2023.1.2 今年は家に集まることをやめて渋谷のホテル・セルリアン内のレストランで会食。わたちしたち夫婦と長男、次男夫婦、長女と、今年長男と結婚予定の一人と計7人。

  • 2023.1.1 今年の年賀状を公開します。しばらくお待ちください。


    2022年

     

    2022年12月
  • 2022.12.31 ついに2022年も最終日。ロシアのウクライナ全土へのミサイル攻撃は今日も続き、朝日新聞カメラマン一人が負傷した。はかない望みかもしれないが、来年はウクライナの勝利と世界の平和が達成されることを願う。

  • 2022.12.30 2月末といわれていたプリンターが届いた。せっかく年内に届いたのだからと買いに行った。10Kg近くの荷物、大した距離ではないが重たかった。

  • 2022.12.29 SMT(Shiozawa, Morioka, and Taniguchi 2019)がなぜ旧来の進化経済学に欠けていたミクロ的基礎であるか、ずいぶんてまどったが、なんとか満足できる一節を書くことができた。

  • 2022.12.28 また麻婆豆腐に挑戦してみたが、会心の出来とはなかなかならない。

  • 2022.12.27 技術変化が経済成長の基本的駆動因であることに異存はないが、それをどう説明するかが問題だ。

  • 2022.12.26 Nelson and Winter (1982)には何が欠けていたか考えている。

  • 2022.12.25 ロシア正教会から独立していたウクライナ正教会は、ことしクリスマスを従来の1月7日ではなく、12月25日に祝うことを容認したという。

  • 2022.12.24 アメリカは、ゼレンスキ大統領をホワイトハウスと議会に招待してウクライナ支援の強化と継続を呼びかけさせた。ゼレンスキは前日にはバフムトを電撃訪問し、米大統領にはある指揮官が差しだした自らの勲章を、下院議長には前線兵士が寄せ書きをしたウクライナ国旗をお土産にした。何から何まで心憎い演出だ。

  • 2022.12.23 寒気団が張り出して、日本列島中が大雪に見舞われそうだ。ニュースを見ていると北米や西ヨーロッパでも大雪のようだ。3方向に寒気団が吹きだしているのだろう。普通の寒気団では双葉のように吹きだすが、もっとエネルギー準位が上がると三極吹き出しとなる。これが50年ほど前に聴いて覚えている西浦廉政さんの大域分岐理論の最初期の業績。寒気団が張りだすごとに想いだす。

  • 2022.12.22 プリンタを買いに近くのYamada電気に行った。ところが現品は売れず、予約して入荷待ちだという。2月末まで待たなければならない。珍しく予約注文で購入する経験をした。コロナとウクライナ(半導体不足)の影響のようだ。こうした事態がいくつもの商品におこると昔の社会主義経済のような「不足の経済」となるのだろう。

  • 2022.12.21 赤い実をつけたヒイラギはクリスマスの飾りの代表的なものだ。東京にもヒイラギがしばしば生垣に使われている。その葉っぱにはトゲの数が7つのものと5つのものとがある。とうぜん葉っぱの形もちがう。変種とも考えられるが、同じ木にも違う数のものがついている。葉が出るとき暖かいとトゲの数が5つになりやすいのでは、とおもわれるのだがどうだろう。

  • 2022.12.20 Nelson and Winter (1982) An Evolutionary Theory of Economic Changeで価格理論がどう扱われているか調べている。

  • 2022.12.19 歯医者。神経を抜かなければならないかもしれないと言われていたが、そうならずに済んでまずは一安心。

  • 2022.12.18 ようやくEIERのSMT特集の論文に取り掛かる。

  • 2022.12.17 水道橋の日大でポストケインジアン研究会。報告者は、島倉原と袴田兆彦の両氏。

  • 2022.12.16 12月5、6、8日に言及したPhilip Georgeの"A giant bludner"論文の問題がいまだ決着がつかないのは困ったものだ。RWER共同編集者のひとりのJamie Morganが問題の所在がわからないようなのだが、RWER Blogのかつての論敵の一人Ikonoclastが変な投稿をしてきた。経済は複雑なものだから、一般均衡理論に反対するPhilip Georgeに共感するとして、Hooker編のPhilosophy of Complex Syestemsを長々と引用している。彼とは、彼の投稿がBlog記事として取り上げられたPure economicsへのわたしのコメント(2021.2.13 8:34amのもの)ほか、いろいろな機会に議論してきた。Ikonoclastは基本が人類学者らしく、人間社会は経済や政治などに分割して理解できないと主張する。その主張にはもっともなところもあるが、それだけでは経済なら経済の固有の領域の特性を明らかにできない。経済は複雑系であるが、そのことで経済学が成立しないわけではないと上記のコメントでも指摘した。そのせいかどうか、今度はPhilosophy of Complex Syestemsを引用して「反撃(?)」にでたようなのだが、問題はそんなことではない。単純な論理の問題なのに、そのまちがいが分からないようだ。複雑系を主張する人たちのあいだに、こういう 単純な論理のまちがいに気づかない(がわからない)人がいるとは、複雑系経済学の主唱者のひとりとしてどう考えたらいいのか。

  • 2022.12.15 「本に溺れたい」というブログを主宰しているrenqing氏が「価格を決定するものは、「需要」ではなく、「費用」である」という記事を書いている。アロー&ハーンの『一般均衡分析』から引用のあと、わたしの『近代経済学の反省』(1983)までが参照されている。ページが入っていたので該当箇所を読んでみたが、書いた本人が忘れてしまっていたことだった。このときから最小価格定理と言っていたとすると、わたしの経済学は40年のあいだほとんど進歩していないことになる。

  • 2022.12.14 Elinor Ostromの翻訳をすこし手伝うことにして、訳文を見直している。Ostrumの理論をかなり知らないと、翻訳はなかなか難しいかもしれない。昨日に引き続き、『リカード貿易問題の最終解決』(2014)に補章としてのせた「上乗せ率を帰結する複占競争」をアップした。
  • 2022.12.13 友人に請求されて「カーン・ケインズ過程の微細構造」『経済学雑誌』(大阪市立大学)第83巻第第3号48-64頁を探し出した。ついでだから、ここに公開することにした。わたしが大阪市立大学に移って最初の論文だが、現在のShiozawa, Morioka, and Taniguchi (2019) Microfoundations of Evolutionary Economicsの最初のきっかけとなったもの。この論文の定式では、半自動的な数量調整過程は発散している。これではものにならないが、もっと複雑な予想形成にしても収束を証明するのは難しすぎるとわたしは諦めた。それを谷口和久が計算機上のシミュレーションで過程の収束を示してくれ、森岡が線形の場合には一般に収束することを示してくれた。

  • 2022.12.12 歯医者の帰りに久しぶりに仙川へ。途中、象の鼻公園とという、たぶん昔の農業用水路を暗渠にしてできた公園を歩いていたら、カリンが落ちていた。驚いて近くをさがすと、生垣の中にカリンの木があった。生垣の中を探すと、大きなカリンが5センチほども土に埋まっていた。無傷だったので二つ拾ってかえる。 東京で見かけるのはカリン、信州で見る「カリン」は実はマルメロとか。属は違うが、実も木肌もよく似ている。ただ、カリンは実を上むきにつけるが、マルメロは下向き。東京で見るカリンは3メートルほどのものが多いが、親類の家の庭にあるマルメロは高さが15メートルほどもある。

  • 2022.12.11 高松紀夫のお通夜に大阪まで往復。事前に食満氏、お通夜の会場では加藤・八木両氏にお会いする。

  • 2022.12.10 Almudi & Fatas-VillafrancaのThe Foundational Evolutionary Traverse of Richard R Nelson and Sidney G Winterにコメントを書く。読むにも書くにも長い時間がかかった。

  • 2022.12.9 元毎日新聞の高松紀夫が亡くなった。朝、加藤勝美さんから連絡があった。高松さんには、フォーラム堂島のコーディネータに推薦してもらうとなど、大きな恩がある。

  • 2022.12.8 Philip Georgeの"Giant blunder"論文についてRWERの共同編集者の一人Jamie MorganにResearchGateを通して文句をいったところ、時間ができたら読むと答えてきた。他にもいろいろあって忙しいことは分かるが、自分が主宰している雑誌の危機なのに、のんびりしたものだ。

  • 2022.12.7 独占研究会の「お別れ会」。だれかが亡くなられたというのではなく、長いあいだ明治大学が会場を確保してくてきたが、来年からまた元の東京経済大学に移転することになったので、感謝の意を込めたもの。研究会の後、いつも使っていた「吉甚」も、長いコロナのためか、閉店してしまったという。

  • 2022.12.6 昨日の記事の書き手Philip Georgeの他の論文3本を読むなどで忙しかった。あまり深い知見もなく、論理的にも整理されていないが、"A Giant Blunder"論文ほどにはひどくないひと安心。

  • 2022.12.5 FIFAワールドカップの決勝トーナメント、夫婦で応援していたが、日本は最後のPK戦で負けてしまった。気分が悪かったので、Real-World Economics Blogに長文の批判文を書いてしまった。Lars Syllのような無茶な主流派批判を繰り返していれば、こういう事態は当然予測されたことなのだ。

  • 2022.12.4 Review of Keynesian StudiesThe Principle of Effective Demand: a New Formulationは、辛くも11月のトップを維持したようだ。このサイトからアクセスしてくれた人がいたのなら感謝。RWER Blogの Jef Ferry Free trade theory fails correspond to realityへコメント。< と > を使ったら、タグ扱いになり、式がめちゃめちゃ。すぐ下の修正も読んで。

  • 2022.12.3 12月は忙しくなることはわかっているが、EELの査読を引き受けてしまった。ワールドカップ:韓国もポルトガルに逆転の劇的勝利。しかし、なぜか生中継をした局はなし。

  • 2022.12.2 FIFAワールドカップ:日本がスペインに勝利し、決勝トーナメントへ。

  • 2022.12.1 藤本隆宏氏・吉井哲氏と3人で新論文(といっても実はすでに5年以上経過しているもの)の最終打ち合わせ。午後4時には終わる予定が、けっきょく7時まで。

     
     

    2022年11月
  • 2022.11.30 ついに11月も最後の日。あと一ヶ月で何ができるだろうか。

  • 2022.11.29 コロナ・ワクチン5回目。モデルナだが、副反応はほとんどなし。もう12月というのに、ユリの花が咲いているところがある。赤紫と白。ユリは夏の花のはずなのに。もちろん、異常気象の結果のはずはないが、狂い咲きの変種だろうか。

  • 2022.11.28 もうじき12月。昨年末にThe Principle of Effective Demand: a New Formulationを公開してから、半分以上の月でThe Review of Keynesian Studies (RKS)のトップ記事(Most read articlesの第一位)を占めてきたが、来月はどうなるか。11月始めにRKSの第4巻が公開されたから、新しい記事に抜かれるかもしれない。

  • 2022.11.27 日本はコスタリカに0-1で完敗。蘆花公園ではイチョウの黄葉が太陽に当たってきれい。すぐ隣には、まだ青々とした緑のイチョウのあるのはなぜ。

  • 2022.11.26 妻の誕生日。娘と3人で会食。

  • 2022.11.25 タンポポが二輪咲いていた。工事用の鉄の障壁の北側の根もと。どういう現象だろうか。

  • 2022.11.24 ロシアがウクライナに侵略戦争を開始して9ヵ月たった。ロシアが当初おもい描いていたようには戦争が進んでいないことは確かだが、最近のロシアのミサイルによるウクライナ各地のインフラ施設攻撃により、ウクライナの人々は寒い冬を暖房も電気もない生活を強いられている。日本政府が支援しなければならないこととは別に、われわれ市民も何か助けられることはないだろうか。発電機は小型でもいろいろ役に立つようだから、日本から送る運動ができないものだろうか。

  • 2022.11.23 帰京。サッカー・ワールド・カップ、日本、初戦でドイツに勝利。

  • 2022.11.22 ガスの工事。草むしり。

  • 2022.22.21 買いもの。本棚でぐうぜん Bernard Paulré (1985) La Causalité en Economie / Signification et porteé de la modélization structurelle. Presses Universitaires de Lyon, Lyon を見つける。こんな本を買っていたという記憶はないが、もう20年もまえから因果性(causailty)に関心があったのだろうか。

  • 2022.11.20 信州・大町へ。やはり格段に寒い。

  • 2022.11.19 「長沼節夫さんを偲ぶ会」に出席。日本記者クラブの10階ホール。コロナのため延期に延期が続いて、今日が5回目だったという。遺稿集とも、生涯の記録ともいえる『ジャーナリストを生きる/伊那谷から韓国・中国そして世界へ』ができていた。長沼節夫著・長沼節夫著作集編纂委員会編、南信州新聞社刊、2000円。巻末にDVDが付録され、本文500ページ弱には盛り込めなかった内容や追悼文も多数盛り込まれている。わたしが長沼さんと親しかったのは1967年から70年までの3年余りだが、晩年にも南都が話を聞く機会があった。しかし、それでは知り得なかった長沼さんの多様な活動や生き様を知ることができた。編纂委員会のご苦労に感謝。

  • 2022.11.18 富士見台駅横に新装・開店した「京都 玉姫珈琲」に初めていく。

  • 2022.11.17 高校・大学でほぼ同期だったYさんがALS(筋萎縮性側索硬化症)と去年診断されたという。ショック。なんと声を掛ければ良いかも分からない。

  • 2022.11.16 蘆花公園(正式には蘆花恒春園)では桜が咲いていた。十月桜という栽培種だそうだ。みごとというより、可憐で弱々しい感じ。

  • 2022.11.15 Bahar Arazの論文3本を読んでいる。

  • 2022.11.14 烏山図書館で『古事記はいかに読まれてきたか』を立ち読み。本居宣長が京都遊学中に古事記の刊本を買っているという。その程度には、古事記は読まれるようになっていたのだ。

  • 2022.11.13 中川洋一郎さんの論文"Confrontation of Full-Cost and Marginal Principles in the Automobile Supply Chain:Implications of Durable Consumer Goods in the Market Turmoil after WWII"についての自分なりのコメントをようやく書き上げる。

  • 2022.11.12 中川氏には、牧夫・犬・羊というアイデアですでに『新ヨーロッパ経済史I:牧夫・イヌ・ヒツジ』(学文社、2017)という本がある。

  • 2022.11.11 中川洋一郎さんから多数の抜刷りが届く。なかなかすぐには読みきれないが、牧夫・犬・羊という三機能に注目するというのは、すごくおもしろい。こういう長期の経済史があっても良い。

  • 2022.11.10 昨日のMaria Cristinaの論文にコメントを書く。ただし、最初の投稿にはまったく反対の意味のことを書いてしまったので、第2のコメントで修正する。

  • 2022.11.9 Cambridgeで一緒だったMaria Cristinaが相棒のAnnalisa RosselliとOn Sraffa's Challenge to Causality in Economicsという論文を書いている。Ajit Sinha編のA Reflection on Sraffa’s Revolution in Economic Theoryという本の1章だ。Sraffaが"a struggle to escape from 'mechanical', i.e. causal theory"というのが主旨だ。SraffaはSchrödingerの"Indeterminism in Physics"(1931)という論文を読んでいたようだ。当時の人たちが量子力学の出現にいかに影響を受けていたか、よくわかる。同様の影響はSchumpeterにもみられる。しかし、因果性を決定論と直結させることには大きな問題がある。確率的因果というものも考えられるからだ。Sraffaはmechanical theoryにgeometrical representationを対比し、differenceとchangeの区別にこだわっていたという。それがたとえSraffaの1960年の本に繋がったとしても、経済学をcausalなものとして組み立て直すという研究方針は変えるべきではないだろう。

  • 2022.11.8 Full cost原理といっても、わたしが理解しているものとは相当にちがう解釈があるようだ。そのことに驚き。

  • 2022.11.7 ある論文を読んでいたら、Nubbemeyer, E. (2010) A Reconsideration of Full-Cost Pricing. Doctoral thesis presented to Ludwig-Maximilian-University Munchen.という博士論文が紹介されていた。この第1章は、full-cost principleの発見から追跡調査、限界理論の対応と反応の歴史が懐疑的な立場から扱われている。2010年という時点での考察だけあって、わたしの知らない事情を含めて、総覧するにはとても便利なものとして紹介しておきたい。ここに触れられていない事情としては、わたしが知っているのは、Lesterの提出論文に対するMachlupの偏頗な対応ぐらいである。第1章についてあえて注文を付けるとすれば、Joël Deanなどのcost function計測の意義をもうすこし掘り下げてほしかったくらいである。ただし、第3章などの考察は、限界理論との対比のためとはいえ、需要変化のあり方について、なお新古典派的な想像野の内部にあるような気がする。

  • 2022.11.6 ほぼ一ヶ月前に描き終えていた福留久大氏の『リカード貿易論解読法』書評をもう一度読み直して編集部に送る。

  • 2022.11.5 3日に衝動買いしてしまったグールソンのかっこサイレント・アース/昆虫たちの「沈黙の春」』がなかなかおもしろい。

  • 2022.11.4 引用の必要があって「ミクロ・マクロ・ループ」をgoogleで引いてみたら、このサイトの「ミクロ・マクロ・ループについて」がトップに出ていた。懐かしく開けてみたら、目次の形が崩れていたので修正した。本文中の図も同様だったが、こちらは簡単にはいきそうもなく、そのまま。

  • 2022.11.3 上北沢の自販機のところにもういちど行ってみた(10.28参照)。100円自販機はまだあった。ただし、36口のうち、7口は値上がりしていた。一度には、値上げできないもののようだ。さらに驚くことに、そこから50Mもしないところに、別の会社の自販機があり、ほとんどすべて100円の商品だった。しかし、この近辺の多くの自販機では130円が普通、140円の品も多い。中身の違いまでは分からないが、わずか数メートルで価格が違うことがあっても、販売が一方に偏ることはないということだろう。これは宇野派の一部のいう「市場の無規律性」なのだろうか。思考を放棄しているだけではないのか。

  • 2022.11.2 Heinrich Bortisの論文 Classical-Keynesian Political Economy, not Neoclassical Economics, is the Economic Theory of the Future に長いコメントを書く。

  • 2022.11.1 京都行きの疲れがなかなか抜けない。

     
     

    2022年10月
  • 2022.10.31 ついに10月末日。勤勉革命の第5章の構想がなかなかまとまらない。

  • 2022.10.30 11時から森岡・谷口両氏と今後の研究課題などについて、3時からはメール仲間3人と雑談。

  • 2022.10.29 国際価値論研究会第26回(京都大学にて)。小池洋一、田中宏、わたしの3人の報告。わたしのものは「報告」というより、問題提起ないし質問といつたもの。

  • 2022.10.28 4・5日前に上北沢の自販機で100円で買った紅茶が思いのほか美味しかった。もう一度というので行ってみたら、なんとすべてが「売り切れ」。これは何を意味するか。人気が出て売り切れたのか、それともメーカが耐えきれなくなって値上げするためなのか。

  • 2022.10.27 ロバートソンの恒等式(参考資料)について再考。長い備忘録をメール仲間へ送る。

  • 2022.10.26 インプラントはなんとか直った。帰りは学芸大前から中目黒まで東横線横を歩き、中目黒から目黒まで歩いた。一時間強。さすがに疲れた。

  • 2022.10.25 ようやくKemp-Benedictの論文にコメントを送ることができた。(K-Bの論文を読みたい方はy@shiozawa.netまでご連絡ください。PDFをお送りします。)

  • 2022.10.24 インプラントの歯の一つが"抜けて"しまった。近くの歯科医に行ったが、元の歯科医でないと治療できないと言われた。メーカがわからないと対応できないという。

  • 2022.10.23 Review of Keyenesian Economicsに、Steve KeenMarc Lavoieのおもしろい応酬を見つけた。論理的にはLavoieの方が厳密だろうが、ここはKeenの直感を取りたい。会計計算では、結果の事態は記述できるが、原因や動因は分析できない。Keenはそこを言いたいのだろう。これはRobertsonの恒等式とも関係している。Lavoieを納得させるだけの説明を考えなければならない。

  • 2022.10.22 Kさんの息子のTomohiroさんの案内で、広尾一帯を散歩。オープン・カフェで久しぶりにビールを飲む。

  • 2022.10.21 Kemp-Benedict (2022)をまだ読んでいる。空はだいぶ秋めいてきた。ベニカナメモチが赤い新芽を吹き始めている。

  • 2022.10.20 富士見台のドトールがコーヒー夢姫に変わっていた。まだ開店準備中だったが、店がより開放的になって広くなった感じ。

  • 2022.10.19 Kemp-Benedict (2022)の基本の考えがほぼ理解できたと思う。生産要素の生産性が経済全体を通して上昇していくというのだが、それでは各企業が投入係数の削減に取り組んだ結果が製品価格の引き下げを通して経済全体に波及していくというわたしの考えとは根本的に異なる。

  • 2022.10.18 Kemp-Benedictの論文A classical-evolutionary model of technological change(2022)を理解するために、起源に遡って読んでいる。

  • 2022.10.17 冨田賢さんご夫妻のご招待で渋谷で会食。

  • 2022.10.15 今日は散歩で久我山駅まで歩いてしまった。苧麻によく似た草を見つけたが、花がぜんぜん違う。

  • 2022.10.14 ハロッドの『国際経済学』の第7章「不均衡の是正」(第4版,1957)を読む。これはほとんどヒューム・プロセスではないのか。失業は想定にはいっているが、感覚はすごく古い。これでハロッド『国際経済学』には失業の理論があるといえるか。例え、第6章「貿易差額」(第2版,1939)を考慮してもそう言って良いだろう。

  • 2022.10.13 インフルエンザのワクチン(無料)を打つ。注意書きを読むと、副反応がすごくあるように思うが、医者にこのことを話すと、コロナ・ワクチンとほとんど差がないらい。ワクチンというだけで過剰反応しているということか。

  • 2022.10.12 1930年代の貿易論の中では唯一失業を扱ったものとしてハロッドの『国際経済学』があるというので読んでいる。乗数理論に基づく失業の議論はあるが、何かが足りない気がする。

  • 2022.10.12 Path dependenceとLock-inとはどういう関係にあるのだろうか。技術進化の過程において、path dependenceは普遍的だが、Lock-inは珍しいのではないか。技術の進化理論においてこの辺りが明確でない気がする。

  • 2022.10.11 H. Escaithに返信。Post Keynesian Price Theory in view of Global Value Chainsに対するNew Keynesianの立場からの疑問に反論。

  • 2022.10.10 Kemp-Benidictが"A classical-evolutionary model of technological change"という論文をJournal of Evolutionary Economicsに発表したというので、論文PDFを請求。

  • 2022.10.9 元気が初めて婚約者と来訪。9月19日の国際会議のブリゼン資料をRGにアップ。

  • 2022/10.8 ようやくWeb Pageが動くようになったので、まずは7月17日日の国際価値論研究会第25回例会のわたしの報告を載せてみる。

  • 2022.10.7 寒波襲来。日中の東京の気温は札幌より低かった。高齢者招待日で世田谷文学館で萩原朔太郎展を見る。

  • 2022.10.6 元気がWEBページを見てくれて、昨日から表示と更新ができるようになった。韓国時代劇「私の国」最終回。イ・バンウォン(李芳遠)と二人の剣の使い手たちの愛憎もつれる物語。第一次王子の乱から第2次王子の乱をへて、バンウォンが世子に就任するまで。

  • 2022.10.5 サイバー適塾改めグローパル適塾の20周年記念式典。初めてZOOMにて参加。塩野義製薬株式会社の社長兼会長の手代木功氏の講演は非常によかった。パテント・クリフについて、業界3位から同10位にまで後退した企業を受け継ぎ、立て直す難しさなど。

  • 2022.10.4 福留氏はすでに7月1日に逝去とのこと。死者に手向ける書評とはならないが、学問のためには仕方ない。

  • 2022.10.3 書評は概成。しかし、言いたいことが書けていない。いろいろ削って第2案とする。T氏とI氏に第2案を読んでもらう。

  • 2022.10.2 昨日から福留の書評を書き出す。結言には活動できるのは「あと数ヶ月」と長男夫婦に宣言されており、そのための急拵えらしい。

  • 2022.10.1 満79歳の誕生日。「正月は冥土の旅の一里塚、めでたくもありめでたくもなし」の気分ますます。これは一茶かと思っていたが、一茶にしては俳句ではないと思って調べてみたら、一休の歌だった。

     
     
     

    2022年9月
  • 2022.9.28 ちょうど仕事の端境期、書評を先に済ませることにして『解読法』を読み始める。

  • 2022.9.27 福留久大『リカード貿易論解読法/資本論による論証』が届く。松本から送られて、一日で届いている。

  • 2022.9.26 福留氏の過去の著作などをWEB上で調べる。

  • 2022.9.25 福留久大氏の書評を引き受ける。札幌土産を渡すため、大山さんに池袋で会う。巣鴨プリズンの跡地と江戸時代の辻切慰霊の地を教えてもらう。

  • 2022.9.24 やはり疲れたのか、一日昼寝。

  • 2022.9.23 15時発のANAで帰京。札幌を少し見物してと思っていたが、雨が降ったり止んだり。

  • 2022.9.22 11:00〜12:00の講演。英語よりはやはりやりやすい。それでも一枚重要なシートを飛ばしてしまった。

  • 2022.9.21 前日に会場を確認したので大丈夫と思っていたが、ホテルを出るとき方向を間違えたらしく、迷子に。30分も遅刻。

  • 2022.9.20 正午のANAで札幌へ。午後遅めの札幌はすでに雨が止んでいたが、大通り公園でのフード・フェスティバルは中止。仕方なくすすきの近くのパプレストランへ・

  • 2022.9.19 私の報告。10分程度のオーバでなんとか報告を終える。なんとか合格か。

  • 2022.9.18 西浦シンポの報告資料をようやくまとめて10時過ぎ、主催者の水藤さんにお送りする。国際会議には遅れたうえ、建物の入り口がわからず、右往左往。

  • 2022.9.16 ちょうど札幌に行く頃に奥羽地方へ台風がやってきそう。どうなるのか。

  • 2022.9.15 北大で行われる西浦先生古希記念シンポジウムの報告資料作りにようやく取り掛かる。

  • 2022.9.14 Post Keynesian Price Theory の報告資料をようやく完成させる。

  • 2022.9.11 明大での国際会議での報告は、当初はPost Keynesian Price Theory in View of Global Value Chainsだったが、副題にUpdating Ricardo's theory of international trade を付け加えてもらうことにする。

  • 2022.9.10 明大での国際会議報告のための資料作り。

  • 2022.9.9 明日が中秋の明月というので、ススキを探して歩く。今年は、穂をつけたススキがほとんどなく、探すのに一苦労。

  • 2022.9.4 明治の八木さんより、今年はリカード生誕250年ということで、「リカードウ生誕250周年をを祝う ネオリーカーディアンの4報告」に私の報告も加えたいと言ってきた。リカード生誕250年は知らなかったが、悪くない企画。

     
     
     

    2022年8月
  • 2022.8.31ラフ稿、いちおう完成。

  • 2022.8.30 ようやくConclusionに近づいた

  • 2022.8.29 Three Aspects of Complexity in Economicsを再開。

  • 2022.8.28 イモリのモーリを受け取りに行く。

  • 2022.8.27 食満さんにご馳走にになる。

  • 2022.8.26 結構疲れて、一日、ぶらぶら。

  • 2022.8.25 大町から帰る。

  • 2022.8.24 書庫から関連しそうな本を探して書誌のみ転記。

  • 2022.8.21 Elinor Ostromを少し読む。

  • 2022.8.20 庭の草取り。妻が大部分やった後の最後の部分。

  • 2022.8.19 買い物バスてDeliciorへ。

  • 2022.8.18 Three Aspects of Complexity in economicsをようやく書き始める

  • 2022.8.17 重い荷物を下げてながく歩いたせいか、ぎっくり腰気味

  • 2022.8.16 信州・大町へ。

  • 2022.8.15 ホームページが公開できなくなっている。FTPの切り替えで勝手がわからない。

  • 2022.8.14 7月17日の報告原稿をようやく完成させる。

  • 2022.8.13 新しいPCの操作にもようやくすこし慣れてきた。

  • 2022.8.12 作業中の原稿はメモリーからほとんど復元できた。メールはgmailなので、接続できさえすればなんの問題もなかった。

  • 2022.8.11 長男の元氣についていってもらい、PCを買う。いろいろ話し合ってMacに切り替えることに。設定はほとんど元気がやってくれた。

  • 2022.8.10 2008年以来使っていたPCがダウン。江戸時代日本の勤勉革命についての本が完成するまでとだましだまし使っていたが、ついに寿命か。

  • 2022.8.9 6月以来、Amazonで『増補 複雑系経済学入門』への書評投稿が続いている。6.12エピキュリアン・タントリストさん、8.8青野洋三さん。ありがとうございます。きちんと読んでいます

  • 2022.8.8 この二日間、朝起きるとひどい湿疹。

  • 2022.8.5 Ab ovoの構成、まだまだ苦戦中。

  • 2022.8.4 二日続いた大雨のあと、東京はずいぶん涼しくなった。

  • 2022.8.3 均衡とAb ovoの構成、ようやく筋道が見えてきた。

  • 2022.8.2 理論生物学者のKobaさんが「複雑系はなぜ廃れてしまったか?」とtweetしたところ、思わぬ反響があったという。ちょうど1年前。

  • 2022.8.1 ついに8月に突入。いろいろやりたいことが貯まってきても、なかなか希望を実現できない。

     
     
     
     

    2022年7月
  • 2022.7.31 野村一也さんが『増補 複雑系経済学入門』を紹介してくれているのを見つけた。糖質科学の専門家だ。「数学とオカルトのあいだ」に書いたと同様のことが、生命科学と数学との関係にもあるという。

  • 2022.7.30 副反応というほどではないが、やや熱があり、体もだるい。まあ、ワクチンが効いている証拠と思うほかない。

  • 2022.7.29 4回目のワクチン。モデルナ筋注スバイクバックス。コロナ・ウィルスのスバイクにより有効な工夫がなされたワクチンかと期待したが、単なる名前の変更らしい。

  • 2022.7.28 「均衡」を再構成することについて考えなおしている。

  • 2022.7.27『日本農書全集』第35巻が届いた。江戸時代の養蚕技術の変化など、調べることがほとんど無理かと思っていたが、これで1800年以降の様子は分かりそうだ。これは関良基氏の本のおかげ。

  • 2022.7.26 サルスベリの花が眼に見るようになると、夏の花はもうほとんど終わりか。

  • 2022.7.25 おととい、ぐうぜん自販機でトマトジュースを飲んだ。何十年ぶりかで懐かしい味がした。学生時代にはトマトジュースは、まいちにとはいわないまでも2〜3日に一度は飲んでいた。さいきんは、1L入りの紙パック入りのものを飲んでいたが、自販機のトマトジュースは塩味の効きかたがまさに50年以上前の学生時代のものと同じだった。なぜさいきんは自販機のトマトジュースを飲まないのか気になって、散歩のついでに調べてみた。分かったのは、まず置いてないのだ。アサヒ飲料の一部の自販機にしかないようだ。コカコーラ、サントリー、サッポロ、ペプシ、伊藤園などを見たが売っていない。
     こんな些細なことを長々と書いたのは、これが買い方のひとつのあり方だからだ。自販機で飲み物を買うときには、ほとんどそこに売られているものの中から買う。まったく受動的な買い方だ。つまり買う前に、買いたいものが確定していない。だいたいの種類(と価格帯)だけが頭の中にあり、あとは反射だ。
     この連想で思い出したのが、新貿易理論の出発点のひとつとなったKrugmanの論文だ(Krugman Intraindustry Specialization and the Gains from Trade, 1981)。ここでKrugmanは、製品多様性への消費者の嗜好(consumers' taste for a diversity of products)という概念を用いている。いわゆるDixit-Stiglitz utility functionだ。これは任意の予算制約式について、各種の財の混合バスケットをあたえる。しかし、むかし書いたことだが(Estimationg Optimal Product Variety for Firms)、こういう嗜好は新古典派の枠組みでは扱いやすいが、個人個人によって異なる好みをもつ場合は扱えない。
     これも「理論の必要」によって仮定が選択されるひとつの事例だ。

  • 2022.7.24 Evidence-based Economicsに関する論文をよむ。Joffe以外にも同じ目標を掲げている人がいることは分かったが、目指しているものはだいぶちがうかもしれない。

  • 2022.7.23 研究会と講義のため17日までの一週間根を詰めて準備してきたせいか、いまごろになって疲れがでた。メールの返事をすこし。

  • 2022.7.22 コルナイの自伝をようやく読み上げた。意外に早くから社会主義の「改革」路線に見切りを付けていることに驚いた。わたしにとっての「収穫」(?)は、やはり第10章「価格に挑む」すなわち『反均衡』を採りあげた章だった。わたしたちの本の出発点を記したものだが、2005年時点でこの本の成果についてコルナイが意外に弱気であるのには驚いた。この本の延長上での成果がほとんどなかったと自己評価している。ポジティプな影響としてTversky and Kahnemanの行動経済学を引いていて意外だった。我々の本のような展開が出てきていることを知ってもらえれば、もっと違った評価になったとおもわれる。残念だが、仕方がない。

  • 2022.7.21 昨日から『コルナイ・ヤーノシュ自伝』を読んでいる。2006年に出た直後に盛田常夫氏から恵贈されたのだが、これまでところどころ覗いてみただけだった。

  • 2022.7.19 立教大学の貿易論の講義の最期の一コマをいただいて、講演。テーマは「貿易論と経済学現在」。この主題はすでに3回目だが、内容は前回・前々回とまったちがう。今回はGVC(グローバル・バリュー・チェーン)について。く

  • 2022.7.17 国際価値論研究会第25回例会。報告者は塩沢と川上桃子さん(アジア経済研究所)。わたしの報告は、「国際価値論における経路依存の考え方」(2022.10.8改稿)をみよ。

  • 2022.7.16 今日はプリゼン資料作り。早めに終わってよかった。自画自賛になってしまうが、価格と数量の独立と径路依存とが思いのほか深く結びついていることが分かってうれしかった。

  • 2022.7.15 17日の国際価値論研究会(第25回)第一報告の報告原稿がようやくできた。見直してみると節番号がまちがっていたり、さんざん。まだこれからプリゼン資料を作成しなければならない。新しい参加者にも分かるように最初のところから説明した。報告後の意見も聞いた上で、いずれWEB上に公開する予定。国際価値論が方法論的にもひじょうに新しい枠組みをもつことがだんだん分かってきた。

  • 2022.7.12 今日は関東一円で雨。埼玉県では大雨も。

  • 2022.7.10 Marc LavoieのPost-Keynesian Economics 2nd Edition がでた。この3.7.4項で、われわれの本(SMT)を採りあげてくれている。数量調節と価格調節のちがい、経済学全体にとっての意義、SMTの成果を簡潔かつ正確に紹介してくれている。ここを見てください。

  • 2022.7.9 グローバルバリューチェーン(Gloabal Value Chains)の歴史だけでも、けっこう時間がかかる。

  • 2022.7.8 本の第5章はアフリカまできたが、とうめんお預け。国際価値論研究会の報告論文を作成しなければならない。

  • 2022.7.7 猛暑日が続いたが、今日はすこし涼しい。気持ちの上では秋がちかいような。夕方、散歩をしていたら虫の音が聞こえた。

  • 2022.7.6 Amazonでは『増補 複雑系経済学入門』が入荷待ちの状態となり、売れ筋ランキングの順位はきのうよりもっとあがった。
    Amazon 売れ筋ランキング: - 6,147位本 (の売れ筋ランキングを見る本) - 6位ちくま学芸文庫 - 6位日本経済入門 - 10位経済学入門

  • 2022.7.5 午前中に『増補 複雑系経済学入門』が3冊売れ、以下の順位がついた。こんな順位は初めて。

    Amazon 売れ筋ランキング: - 7,624位本 (の売れ筋ランキングを見る本)
    - 7位ちくま学芸文庫
    - 7位日本経済入門
    - 14位経済学入門

    「ちくま学芸文庫」はいつも3番目にでていたので、この掲示順は固定したものと思っていたが、順位の早い順に並べているようだ。

  • 2022.7.4 6月中にと思っていた第5章がまだ完成しない。短くするつもりだったのに、それも実現しない。

     
     
     
     

    2022年6月
  • 2022.6.28 ローザ・ルクセンブルグの『資本蓄積論』を拾い読み。

  • 2022.6.27 Parallel history に関する思いがけない展開があった。三人寄れば文殊の知恵か。

  • 2022.6.26 クチナシも盛りをすぎてきた。新しい花は咲き続けていて、あいかわらず良いにおいをしているが、古い花が落ちずに付いているのがおしい。

  • 2022.6.25 夜型生活から脱却しなければ。

  • 2022.6.24 エピキュリアン・タントリストさんが書評の中で「今では複雑系という言葉は懐かしく感じ」ると書かれている。複雑系はそれだけの広がりを持ったのだが、そのごどれだけ深まったのか。さいきん仲間内で行なっている討論では、再生産という考え方と人間にとっての複雑さが相補的に関係しているのではないか、ということが見えてきた。

  • 2022.6.23 6月に入って『増補 複雑系経済学入門』のAmazonでの書評が2本入った。「織田信長」さんと「エピキュリアン・タントリスト」さん。とくに後者の最後の段落では誉めらすぎていて恥ずかしい。誉め殺しという手かもしれない。

  • 2022.6.22 だいぶ厚くなって、座っていても汗ばむようになった。なかなか気力がわかない。

  • 2022.6.21 ちょうど20年前に『数学セミナー』の姉妹誌ともいえる『数学のたのしみ』に「数学とオカルトのあいだ」という文章を書いていた。今回の"To be, or nto to be"とある意味、好対照なものだ。関心のある方は、ぜひ一読いただきたい。

  • 2022.6.19 きょうもBhaskharを読んでいたが、肝心の部分がよく分からない。

  • 2022.6.18 上北沢の松沢地区センターの庭で珍しいアジサイを見つけた。小さな花だが、そのひとつひとつの縁が1mmほど上側内向きに巻いている。

  • 2022.6.17 『数学セミナー』のエッセイに誤りがあった。正則な国際価値の定義で、不等号の向きが逆転していた。最初の原稿では正しかったのだか、校正で説明を加えたりしているうちに、不等号の向きへの注意がおろそかになったようだ。

  • 2022.6.16 ローソンとバスカーの「批判的実在論」(critical realism)について考えている。「閉じた系」という概念にもっと彫琢を施さなければなるまい。

  • 2022.6.15 スキデルスキーの『経済学のどこが問題なのか』(名古屋大学出版会)について訳者の鍋島直樹氏に感想を書く。

  • 2022.6.14 『数学セミナー』7月号が届く。ひさしぶりに一冊ほとんどに眼を通す。数学工房の桑野耕一さんという方が「およそ考えるに値するものは」という巻頭言を書いている。読んでいる途中、これは特集の企画者の津田一郎が書いたのかと一瞬誤解してしまった。ヒルベルトの考えとして紹介されている。「およそ考えるに値するものは、なんでも数学の対象たりうる」というのだ。トニー・ローソンなどとは正反対の考えだ。とちらが正しいかではなく、どちらがどれだけ知力をしぼるかに懸かっているのだろう。

  • 2022.6.13 経済学の現状は、理論家と実証家との分業しかありえないとおもうが、そうとばかり言っていられない事情もあるので、RWER Blogに「証拠にもとづく経済学構築への議題」を投稿してみた。どんな反応があるだろうか。

  • 2022.6.12 いろいな花が咲いている。まさに百花斉放。ダリアの花も咲き出した。中学一年のときの(10月まで)担任の依田先生は単身赴任で学校の近くに庭付きの一軒家を借りていた。3坪ほどのちいさな庭だったが、20種ぐらいのダリアを育てていた。なにも覚えていないが、依田先生というとそのことばかり思い出す。

  • 2022.6.11 Real-World Economics Review Blogに経済学における論理的・数学的reasoningの機能と意義について投稿。

  • 2022.6.9 訳者の鍋島直樹氏から恵贈されたロバート・スキデルスキーの『経済学のどこが問題なのか』(名古屋大学出版会)を数日掛けて読む。新古典派=主流経済学の批判としては、欠けるところがないと思われる総合的・全面的なもので、批判の論点のほとんどに賛成する。ただ、問題はでは新古典派に代わりうる経済学をいかに構築すべきかについてはほとんど示唆されていない。いまはむしろそれが問題ではないのか。

  • 2022.6.8 検査では大腸ホリープはなく、他の悪性のものも発見されなかった。まずは一安心。帰りに成城と経堂のふたつの本屋をまわって『数学セミナー』を探したが、取扱がない。『数学セミナー』や『経済セミナー』は、よほどの大型店に行かないとないものらしい。経済学とちがって、最近は数学人気が復活してきたと思っていたのだが、全体としてはそれほどでもないらしい。

  • 2022.6.7 きのうから東京は梅雨入り。読み方の難しい苗字に「栗花落」というのがあるそうだ。『鬼滅の刃』のキャラクタの1人の名として有名になった。これは「つゆり」と読むが、「つゆいり」がなまったものという。東京郊外に栗の木はそうおおくないが、見つけることはできる。たしかに、すでにあの長い特徴的な花が咲き、いまはそれが落ちる頃だ。

  • 2022.6.6 Duncan FoleyのCrisis and theoretical methods: equilibrium and disequilibrium once again. Working Paper 03/2017, New School for Social Researchを読む。かなりがっかり。分析枠組みがまるで新古典派。そういう意識もないのだろう。

  • 2022.6.5 ドクダミの花がツツジの生垣の上面まで顔を出して咲いている。高さは6〜70cmはあるだろう。ふつうは2〜30cmのところで花を咲かせる。ツツジの生垣の中では太陽があたらない。そこで茎を精一杯伸ばして、上面にたどりついたところで花を咲かせたのだろう。これは遺伝ではないが、環境に適応した一例だ。

  • 2022.6.4 わたしのThe Principle of Effective Demand論文が1月以来ずっとReview of Keynesian StudiesのMost viewed articlesのトップだったのに、今月になって平井さんの論文に抜かれてしまった。

  • 2022.6.3 きょうがロシアによるウクライナ侵攻100日目。わたしの日録でもウクライナの登場頻度は減少しているが、忘れても慣れてもいけない。

  • 2022.6.2 The Economy by the CORE teamについてBowles and Carlinの論文What Students learn in Economics 101: Time for a Changeを読み終え、感想を五氏に送る。おもに背景/基盤にある経済学への不満。

  • 2022.6.1 国際価値論研究会の次回予定がようやく確定。

     
     
     
     

    2022年5月
  • 2022.5.31 ついに5月末日。第5章はけっきょく一字も書けず/書かずじまい。

  • 2022.5.30 大腸ポリープの検査で一日おわる。

  • 2022.5.29 預けていたイモリ2匹を引き取りに恵比寿まででかけた。

  • 2022.5.28 進化経済学についてWittやHodgsonなどを読む。

  • 2022.5.27 買物の帰りにアゲハの幼虫を3匹みつけた。2匹はもうかなり大きい。

  • 2022.5.26 疲れていたのか、今日はほとんど寝ていた。

  • 2022.5.25 2度目の除草剤。しかし、夕立のような雨で効果減? 15:43分発の「あずさ」で帰京。

  • 2022.5.24 雲のかからない北アルプス。まだ雪がかかっていて輝いている。もって帰るべき本を選定。

  • 2022.5.23 ようやくE-mailを読む余裕ができた。

  • 2022.5.22 除草剤を散布。

  • 2022.5.21 買物バスでDeliCia大町店へ。

  • 2022.5.20 部屋の掃除などでくたびれた。

  • 2022.5.19 13時発の「あずさ」で信濃大町へ。妻とふたり。松本で乗り換え。

  • 2022.5.18 新宿で買物。

  • 2022.5.17 3頭目のアゲハがぶじ羽化。第4章「勤勉革命の2・3の理論問題」、ようやく概成。

  • 2022.5.16 さなぎになっていたアゲハ2頭がきょう羽化した。(蝶だけなぜ1頭、2頭と数えるの?)

  • 2022.5.15 『数学セミナー』7月号原稿「To be or not to be」の校正。

  • 2022.5.14 歴史家にも分かってもらえるような貿易論、だいぶ終りに近づいた。

  • 2022.5.13 天下堂医院を受診。妻をみてくれた先生を紹介してもらう。

  • 2022.5.12 歩いていたらドクダミの葉のあいだから白い小さな3弁の花が顔をだしていた。あれ、ドクダミって3弁だったっけとよく見ると、別の植物だった。ムラサキツユクサによく似ている。調べてみたら、トキワツユクサらしい。白いムラサキツユクサもあるというから断定はできないが、トキワツユクサはTradescantia fluminensisといって外来種らしい。しかも、いまは要注意外来生物に指定されているという。花はちいさくて花弁の先がとがっている。ムラサキツユクサより花は清楚。

  • 2055.5.11 例の本のなかの「経済史家のための貿易論入門」のような項をかいている。分かってもらえそうに書くのはなかなかむずかしい。

  • 2055.5.10 昨日はロシアだけでなくおおくの国にとって戦勝記念日だった。この日をひとびとはどう考えて過ごしたのだろうか。プーチンの演説は自己正当化だけだったが、ロシア人の心にはどう響いただろう。わたしも記念に去年8月のNHKテキスト「100分で名著」の『アレキシエーヴィチ 戦争は女の顔をしていない』をすこし読んだ。

  • 2022.5.9 千歳烏山のシャノワールが閉店していた。気付かなかった。フランス語の店名がまたひつ消えておフランスのひとりとしてはすこし寂しい。ロシアほどではないだろうが、フランス文化の日本のおける低落ははなはだしい。

  • 2022.5.8 昨日の記事で思い出した。中央大学図書館の回りにはカイノキ(楷の木)が植えられている。学問の木というので選ばれたのだろう。テラスの下に植えて上にのばしているため、刈り込まれていて見栄えがしない。大阪の的塾の周辺にもカイノキの並木がある。しかし、カイノキとえば、やはり岡山の閑谷学校の庭に植えられた2本であろう。紅葉の季節に行ったためもあり、みごとなものだった。

  • 2022.5.7 エゴノキの花が咲いて、すこし散り始めている。中央大学の多摩キャンパスには、大きなエゴノキがあって、まいねんみごとに花をつけたが、鑑賞するひとがほとんどなく残念だった。

  • 2022.5.6 雁行形態論基本形(第Ⅰ形)の図解に取り組む。以前に描いていたものには、かなりの混乱があることに気付いた。

  • 2022.5.5 最初の3匹は、きのうまでもりもり食べていたのに、きょうはあっさり蛹化をはじめた。春型のせいだろうか。小さなアゲハになりそうだ。

  • 2022.5.4 きのうアゲハの幼虫の別の2匹を見つけた。こちらは休眠中かあまり動かない。30日に見つけた3匹は黒から緑に色が変わり、いま猛烈に食べている。

  • 2022.5.3 憲法記念日。プーチンのウクライナ侵略で自衛の大切さはよく分かった。だからといって戦争の準備をしたがる人が多いのはこまったものだ。戦争の仕方を考えるまえに、戦争を始めさせない仕方も考えないと、わさわざ戦争を始めさせることになりかねない。

  • 2022.5.2 いまツツジが満開。

  • 2022.5.1 近くの図書館に行ったら「過去のベストセラー」という特集をやっていた。中に『山女日記』があったので、2章だけ読んでみた。NHK BSプレミアムでやっていたのとはだいぶちがう。見たのは再放送だったけれど、工藤夕貴のファンになった。

     
     
     
     

    2022年4月
  • 2022.4.30 アゲハの幼虫を3匹見つけた。去年はなぜか一匹も見つけられなかった。

  • 2022.4.29 Nathan RosenbergのHistorigraphy of technial progress. (Inside the Blaxk Box: Technolgoy and Economics 第1章)を再読。1982年出版だからちょうど40年前だが、技術変化の経済学はその後どれだけ進歩したか。

  • 2022.4.28 午後4時。冬だったらもう薄暗かったのに、太陽の高度は今まだ高い。

  • 2022.4.26 きようは一雨あったあと、強風。

  • 2022.4.25 急に暑くなったせいか、きょうは今年はじめて虫の声を聞いた。

  • 2022.4.24 タンポポは花の時期がながい。すっかりほうけたものの横に花が咲いている。ある解説には、花茎は花が咲きおわると成長が止まるとあったが、ほんとうだろうか。咲いた花の高さよりも綿ぼうしになったものの方がかなり高い。咲きおわってからもかなり伸びるのではないだろうか。タンホポの綿毛/風に乗り/空のたび。8・9年前の駄作。

  • 2022.4.23 中国には「売国奴」の対義語として「愛国奴」ということばがあるという。極端なナョナリズムを主張し、国際協調を主張するひとを売国奴と批判する人達にたいする呼び名だそうだ。プーチンはまさに愛国奴だ。ただ自分勝手な歴史観にもとづき領土拡張を試みると、けっきょくは国を疲弊させることになる。

  • 2022.4.22 ロシアが新型ミサイル=サルマトの実験に成功したと発表、プーチン大統領が「世界に類をみない」ものと誇ってみせた。これは北朝鮮がたびたびミサイルや核実験に成功したと誇ってみせるのとよく似ている。ロシアは北朝鮮に似てきたのだろうか。
    北朝鮮が核付きミサイルに執着するのは(政権の正統性に疑問符をつけないならば)、あるていど妥当な計算である。アメリカが軍隊を送って一挙に占領しようとすれば、かなり危ういから、そういうことを起こさせない抑止力をもとうとするだろう。しかし、ロシアは国土もひろく、攻め込んでも容易に占領できない国であることはだれでもわかる。それでもサルマトのようなものを誇らなければならないのは、ロシアがけっきょくは北朝鮮並みの2等国に成り下がりつつあることを表明しているのではないか。ロシアはGDPで測ると韓国に追い抜かれているというから、隣国を占領しようなどとしているうちに、自国の経済がボロボロになるのではないか。

  • 2022.4.21 Googleのサービスのひとつに引用通知がある。自分の論文がどこかで引用された場合に知らせてくれる便利なものだが、今日の通知は「代作」業者のSample paperだった。
    -Shiozawa, Y. (2007). A New Construction of Ricardian Trade Theory?A Many-country, Many-Commodity Case with Intermediate Goods and Choice of Production Techniques. Evolutionary and Institutional Economics Review, 3(2): 141-187.
    -Fujimoto, T. & Shiozawa, Y. (2012). Inter and Intra Company Competition in the Age of Global Competition: A Micro and Macro Interpretation of Ricardian Trade Theory, Evolutionary and Institutional Economics Review, 8(2): 193-231.
    の二本が引用されていたが、知らずに本文を読んでみたら、論文の内容とほとんど関係ないことがわたしの主張(Shiozawa 2007)として参照されていた。代作は、高校レベルからPhD論文まであるようで、この見本論文はどのレベルのものだろうか。修士ぐらいのterm paperとしてなら、指導教員がいそがしいか何人も指導している場合、専門をすこし外れれば通ってしまうかもしれない。今日はたまたま毎日新聞の「科学の森」(15面)に「国民の安全帯や巣か「研究不正」」という記事が載っている。林正男氏の「白楽の研究者倫理」というウェブ・サイトにこの3月16日に不正論文記事が1000本になったことを機会になされた鳥居真平記者のインタビュー記事だ。いろいろな不正の種が学生時代から撒かれているということだろう。トランプやプーチンのFake! にもつながっていよう。

  • 2022.4.20 与謝晶子は「ああ五月、フランスの野は火の色す 君もコクリコ、われもコクリコ」と詠んだ。いま路傍には、ヒナゲシがたくさん咲いているが、どうも可憐さも激しさもない。調べてみたら、1960年ごろヨーロッパからの帰化種でナガミヒナゲシというものらしい。

  • 2022.4.19 公園の花壇にナノハナが咲いている、とおもってよく見とるハボタンだった。アプラナ科とは知っていたが、花がこんなに似ているとは驚き。

  • 2022.4.18 ようやく大島真理夫の『土地希少化と勤勉革命の比較史』論が終った。

  • 2022.4.17 娘が犬のアイザックと遊びにきた。

  • 2022.4.16 春の移ろいははやい。八重のサクラが葉桜で残っているのに、ハナミズキが満開になり、ツツジも花をつけ始めた。足元では六弁のオオアマナが咲いている。英語ではベツレヘムの星というらしい。

  • 2022.4.14 ロシア国防省はマリウポリ防衛に当たっていたウクライナ第36海兵旅団の兵士1026名が投降したと報じている。ウクライナ側はこれを確認していないが、この1026名が今後どう扱われるか国際社会は注視していく必要がある。捕虜は戦時国際法にもとづいて処遇されなければならない。しかし、スターリン下のソ連はカチンの森事件を起こしている。こんご投降したウクライナ兵がこうした扱いにあわないようにしなければならない。事件現場をドイツ軍に発掘されたあと、ゴルバチョフが登場するまでソ連はそれはドイツ軍が行ったことだと50年間も言いはりつづけた。それはFake情報の古典的事例になった。

  • 2022.4.13 3月末の健康診断の結果を聞きにいく。甘いものを控えるよう言われてしまった。

  • 2022.4.12 安直にNHKの「100分で名著 存在と時間 ハイデッガー」を買った。残念ながら「つねにすでに」の解説記事は見当たらなかった。

  • 2022.4.11 進化経済学会での磯谷会長講演(3月26日)についての感想を書く。

  • 2022.4.10 ようやく大島真理夫『土地希少化と勤勉革命の比較史』批判にたどりついた。

  • 2022.4.9 一日中、ダグラス・ノースの『経済史の構造と変化』を読んでいた。それほど良い本だろうか。

  • 2022.4.8 いよいよ大島真理夫の「土地希少化論」の議論に入る。

  • 2022.4.7 インドの国連代表ティルムティ氏は「ウクライナでの戦争以来、もしインドがどちらかの側を選ぶとするなら、それは平和の側であり、暴力を終わらせる側である。」と述べた。ロシアを国連人権理事会から除籍するかに関する国連総会における4月7日の演説で。投票には棄権した。次は中国も「平和の側」に立つことを明確にしてほしい。

  • 2022.4.6 CoreEconチームの The Economy のどこに不満か。基本はBolwesの「ポストワルラシアンの進化社会科学」という構想への疑問に重なる。そのことはBowlesの『制度と進化のミクロ経済学』「訳者あとがき」に書いた。あのときはまだ「ポストワルラシアン」という形容詞の意味に半信半疑だったが、けっきょく基本はワルラスでよいが、いくつかの強い仮定を緩めていけばじゅうぶんな経済学になると考えているのだろう。 The Economy がそれを証明してしまった。

  • 2022.4.5 ColanderがRWER 91に載せた論文にこう書いている:
    Economics has always had an underlying tension between two visions of economics. One is an equilibrium vision ... The other is a complexity vision...
    こういう視点はなかったが、指摘されてみればその通りかも。反均衡と複雑系とは深いところで繋がっていたのだ。パラレル・ヒストリーの新しいテーマでもある。

  • 2022.4.4 2月18日に亡くなられた荒井康裕さんの追悼の「おもいで」を書いた。50年以上、反戦の旗を掲げつづけられた立派な人生だった。

  • 2022.4.3 Google Search Gonsole Teamからこのウェブ・ページについてのリポートがきて、その中のTop Growing Queries に「複雑系 廃れた」というものがあった。調べてみるとKobaさんという理論生物学者が複雑系についてこんな感想を書いていた: 複雑系はなぜ廃れてしまったか?(私的考察) 比較的妥当な考察と思うが、経済学においては多少ちがう文脈がある。その点を『増補 複雑系経済学入門』の「補章」に書いた。

  • 2022.4.2 PetriSchefoldとが論争している。なぜSchefoldがこんな議論をするのか理解しかねる。

  • 2022.4.1 Fabio Petriの大著 Microeconomics for the critical mind のPrefaceと全章のabstractを読む。CoreEconチームの The Economy / Economics for a changing world とちがって実に偉大な本だ。ボリュームもすごい。全1395ページ。


     
     
     
     

    2022年3月
  • 2022.3.31 Fabio Petriから返事がきて、その返事を書く。

  • 2022.3.30 WORDとPowerPointが動かなくなっていたが、どういう偶然か回復したようだ。

  • 2022.3.29 Schefoldの的外れの議論にかんしFabio Petriにメール。

  • 2022.3.28 ほとんど一日中、昼寝?

  • 2022.3.27 横出・炭谷・桑垣の3氏とあう。たぶん3年ぶり。
    2つ日間留守にしているあいだに家の近くはサクラとコブシが満開。

  • 2022.3.26 都市経営・創造都市修了生の同窓会設立集会であいさつ

  • 2022.3.25 16世紀の実質賃金下落のなぞの一部が解けたかもしれない。

  • 2022.3.24 26日の都市経営研究科・創造都市研究科同窓会設立総会での講演(20分)の要旨を書く。

  • 2022.3.23 ウクライナのゼレンスキー大統領が日本の国会で演説。原稿執筆にいそがしく、生で聞くのを逃してしまった。

  • 2022.3.22 思わぬPCトラブル。直ってくれればよいが。

  • 2022.3.21 ウクライナからの難民が日本に到着した。日本政府も受け入れに積極的というが、来たいひとを受け入れるというだけでよいのだろうか。300万人を超える避難民が出ている以上、日本も何万人(何十万人)という相応の分担数を決めて受け入れ準備をするべきではないだろうか。

  • 2022.3.20 情けないことに70歳台になって花粉症が出た。じゅうぶん鈍感だから花粉症なんかにはならないと自慢していたのだが。健康にはよくないが、とうぶん昼間は外に出ないことにしている。

  • 2022.3.19 習主席はウクライナ危機について「見たくないものだ」、しかし「全方位、無差別の制裁が実施されれば、苦しむのは庶民だ」と言ったという。無差別の攻撃が続いて苦しんでいるウクライナ人は庶民ではないのか。対ロシア経済制裁をしないでも、ロシアにもウクライナにも軍事援助はしないくらいは宣言できたのではないか。道義なき国の指導者として記憶されたいのだろうか。この事態を将来の史官はどう書くだろうか。

  • 2022.3.18 今日(日本時間夜10時から)アメリカ合衆国バイデン大統領と中国の習近平国家主席(兼党総書記)とがオンラインで会談するという。内容はまだわからない。中国がアメリカの圧力に譲る必要はない。しかし、これは中国が道義のある国であることを世界に示すよい機会ではないか。そうなることを願う。

  • 2022.3.17 3月16日、国際司法裁判所がロシアによるウクライナへの軍事侵攻についてウクライナのの訴えを認め、ロシアに対して「ただちに軍事行動を止める」よう暫定命令を出した。評決では、ロシア出身のGevorgian副裁判長と中国出身のXue Hanqin(薛捍勤)判事とが反対票を投じた(13対2)。インド出身のDalveer Bhandari判事は暫定命令(多数意見)に賛成した。インドは国連安保理や総会でロシア非難に反対しつづけているが、Bhandari判事は出身国の政治的意向とは独立に判事としての判断をくだした。GevorgianとXueの両判事は、出身国の意向とは独立に、良心にしたがって判断を下す道義的義務を放棄した。とくにXue判事の判断は、中国が道義なき国として振舞う可能性を連想させるものであり、中国の将来にけっしてよい影響をもたらさないであろう。Bhandari判事の評決は、東京裁判におけるパール判事(Radhabinod Pal)の意見書を想起させる。今回もインド司法界の健全性を示すこととなった。

  • 2022.3.16 23時36分、宮城・福島で震度6強の地震。東京でもさいしょに小さな地震があり、気づいてTVを着けたら、緊急地震警報が発令された。P波・S波が別々に感じられ、S波は東北大震災を髣髴させるものだった。関東一円で一時200万世帯以上が停電したというが、さいわい自宅地域での停電はなかった。

  • 2022.3.16 ウクライナのゼレンスキー大統領のアメリカ連邦議会への訴えを聴く。日本時間午後10時。

  • 2022.3.15 卒業式の季節? 千歳烏山周辺には、袴姿の若い女性がたくさん。

  • 2022.3.14 ほとんど一日中、確定申告のみなおし。計算などはすべて妻がやってくれたのだが、検算だけでもそうとうややこしい。

  • 2022.3.12 ジンチョウゲが満開。春を代表するにおいだ。リラの花に似ているので(じっさい、リラ/ライラックの和名はムラサキハシドイで紫沈丁花と書く)近縁種かとおもったが、調べてみるとジンチョウゲはフトモモ目>ジンチョウゲ科>ジンチョウゲ属、リラはモクセイ目>モクセイ科>ハシドイ属で、目まで違うというのでびっくり。

  • 2022.3.11 11回目の3月11日。あの日はもっと寒かった。娘は3時間近くあるいて帰ってきた。

  • 2022.3.10 東京はウメが満開。カワヅザクラも咲いている。南向きのビル前の歩道では、コブシが一・二輪咲いた。ウクライナもはやく暖かくなって、すべてがぬかるんでくれればよいのに。

  • 2022.3.9 K氏に会い、GVCsの研究と単行書計画について相談。前後に長沼節夫さんの追悼文を書く。さいきんは、追悼文を書く機会が増えてきた。歳だから仕方ないとはいえ、やはりつらい。

  • 2022.3.8 大枚をはたいてJoan Thirsk編のThe Agrarian History of England and Wales Volume IV 1500-1600を購入。900ページの大冊。使えとうなのは第9章だけなのだが。

  • 2022.3.7 簡単なものなのに、なぜか計算が合わない。どこが問題なのか。

  • 2022.3.6 妻が退院。この50年間の医学・医術の進歩はすごい。それにくらべて経済学は。

  • 2022.3.5 国連総会緊急特別会合の投票結果を見ていると、棄権の中には旧ソ連の構成国でロシアの隣に位置している国々が多い。そういう国ほど侵略の脅威にさらされているのだが、とうめんは身を守る手段なのだろうか。わたしががっかりしたのは、べトナムだ。アメリカに爆撃下に永年晒され、中国から「懲罰戦争」という難癖をつけられた国が、なぜ毅然とウクライナ侵略に反対できないのだろうか。アメリカの戦争に反対し、ベトナムの人達の抗戦努力を敬意の念をもってきた人間のひとりとして残念なことと思った。

  • 2022.3.4 NHKのニュースをみていたら、日本国内でロシア人いじめや排斥運動がおきているという。そんなのんきな場合ではない。ちかくにロシア人がいたら、かれらの親戚や友人、知人にできるかぎりの情報をおくり、ロシア国内を変えるよう働きかけてもらうことだ。独裁者プーチンを引きずりおろす以外に今回の危機から人類を救う道はない。あらゆる国からロシア国内に正しい情報を送り込まなくてはならない。日本もそのひとつなのだ。

  • 2022.3.3 頭の狂った独裁者の暴虐になにもでない自分が悲しい。せめてものお礼に国連難民委員会ウクライナ緊急支援にすこしだけ寄付をした。

  • 2022.3.2 国連総会緊急特別会合でドイツ外相の演説が感銘を呼んでいる。言論でしか対応できない日本は、どんな演説をしたのだろうか。中国とインドには(水面下で)どういう働きかけをしたのだろうか。

  • 2022.3.1 ベラルーシからキエフに向う60KMの車列はなにを意味するのだろう。どこかで横から攻撃されれば動きようがなくなるのだが。

     
     
     
     

    2022年2月
  • 2022.2.28 ウクライナはまだ耐えている。かつて(1968年8月20日)ソ連を中心とするワルシャワ条約軍(ルーマニアとアルバニアをのぞく)がチェコスロバキアに3方から攻め込んでほとんど2日のうちにチェコスロバキア全土を掌握した。プーチンは、このような「勝利」を思い描いていたのかもしれない。チェコスロバキアには、共産党指導部内部に分裂があり、ドブチェクら改革派も抗戦準備ができていなかった。プーチンは、侵略5日目にして、国境近くのハリコフすら落とせないでいる。

  • 2022.2.27 この歳になって、狂った権力者が力にものをいわせて4千万もの人民を抑圧するのをみたくない。なんとかならないものか。

  • 2022.2.26 プーチンのウクライナ侵略が始まった(2月24日)。公然たる侵略から丸2日過ぎたが、キエフはまだ占領されていない。時間の問題だろうが、できるかぎり抵抗しまた抵抗の芽を残し、21世紀の独裁者に侵略が高くつくことを示してほしい。

  • 2022.2.25 ワクチンの副反応で昨日いちにちダウン。37度8分。これでじゅうぶん抗体はできただろう。

  • 2022.2.23 きょう3回目のワクチン接種。モデルナ。

  • 2022.2.21 Abelian cycleとでも名づけるべき景気循環があったらしい。凶作で食料に有効需要が振り向けられると、繊維産業が不況になり、豊作ではその逆になる。Ricardoが見ていた景気循環はこうしたものだったのだろう。

  • 2022.2.20 Loco Solare、がんばってくれたが、残念。それでも銀メダル。おめでとう。北見が太陽の輝く町に。

  • 2022.2.19 16世紀の英実質賃金はなぜ下落したか。

  • 2022.2.18 やってくれました。

  • 2022.2.17 日本カーリング女子、決勝トーナメントになんとか出場。今度は一矢むくいよう。

  • 2022.2.16 偶然だがReview of Keynesian Economics 2(3)におもしろい応酬を見つけた。Robertsonの恒等式と関係しそうだ。

  • 2022.2.15 徹夜などすべきでない。回復するのに丸2日かかってしまった。

  • 2022.2.14 藤井聡太はなぜ強いか。進化経済学にとっても何か学べるかもと思い、谷川浩司の『藤井聡太論』(講談社、2021)を読む。内容はおもしろくて思わず徹夜になってしまったが、なぞは解けず。

  • 2022.2.13 杉本昭七先生が2月11日に亡くなられた。京大の経済研究所時代、多国籍企業の研究会などで議論させてもらった。

  • 2022.2.12 藤井聡太、ついに五冠。かれはなぜ強いのか。

  • 2022.2.11 CES生産関数も、代替弾力性<1以下では「下限」がある。

  • 2022.2.10 東京もほとんど終日雪。

  • 2022.2.9 すこし調子がでてきた。

  • 2022.2.8 今日はCES生産関数の復習で一日終わってしまった。

  • 2022.2.7 D.H.ロバートソンの『貨幣』(安井琢磨・熊谷敞夫訳、岩波現代叢書)が届いた。古本で、本体価格95円、送料350円。これだけで複雑な気持ちだが、函に入っていて中身は新品。1960年の第6刷の定価は180円。ペギー葉山じゃないけれど、学生時代を思いだす。

  • 2022.2.6 鶴見俊輔の『期待と回想』(上・下)がちくま文庫から出ることになり見本が届いた。2月9日から配本、発売は2月12日。

  • 2022.2.5 偶然だが、PasinettiのEconomic Theory and Technical Progress (1999)を読んだ。これはParallel historyのテーマのひとつに膨らませられるかもしれない。

  • 2022.2.4 LavoieのThe Godley-Tobin Memorial Lectureがでた。本当のタイトルは、副題のGodley versus Tobin on monetary mattersの方のようだ。Free DL可能。TobinのSFCとちがいGodleyのSFCがPK的である証拠として、われわれの本を挙げている。(SFCはSan Franciscoではなく、Stock-Flow Consistent [system, theory, model]の略)

  • 2022.2.3 節分。この日記のようなWeb pageにも、すくなくとも二人の「読者」がいることが判明。ちょっと書きづらくなった。

  • 2022.2.2 Robertsonの恒等式の周辺をさぐっていたら、Hideo AoyamaのA Critical Note on D. H. Robertson's Theory of Saving and Investment (I) and (II)が期間分析の方法的諸問題についていろいろ議論していることを発見。これでだいぶ議論の種が増えた。

  • 2022.2.1 Austin and Sugihara (es.) (2013) Labour Intensive Industrialization in Global Historyの斎藤修氏の論文(第4章)を読む。

     
     
     
     

    2022年1月
  • 2022.1.31 Robertsonの恒等式は、それがなぜ成立するかより、どう使えるかが重要なのだろう。飯田和人の2年前のこの論文は、その意味であたらしい試み。

  • 2022.1.30 本の執筆はまったく進まないのに、新しい貨幣経済についての新しい枠組みが見えてきた。

  • 2022.1.29 ケインズの「投資」概念のおかしさが分かってきた。

  • 2022.1.28 岡光夫の論文の後半を読んでいたら「小作の経営自立」という文言にであった。虚を衝かれた感じ。

  • 2022.1.27 ようやく本の執筆を再開。

  • 2022.1.26 Dennis H. RobertsonのBanking Policy and the Price Levelが届いた。ざっとのぞいてみたが期待していたことは見つからなかった。残念。

  • 2022.1.25 Pei et als. (2016) Crop management as an agricultural adaptation to climate change in early modern Europeを見つけた。これで気候変動のヨーロッパ近世農業への影響はいちおう掴めるが、うまく全体像ができるかどうか。

  • 2022.1.24 Elinor OstromのUnderstanding Instituional Diversityが届いた。簡単には読めそうもない。

  • 2022.1.22 Sergio MariottiからForging a new alliance between economics and engineeringを送ってきた。はじめはマユツバで読んでいたが、重要なことを考えていた(第3節以降)。

  • 2022.1.21 16世紀には地代論が生きていた?

  • 2022.1.20 リカードの差額地代論に遭遇!?

  • 2022.1.19 ひさしぶりにRWER blogにコメント

  • 2022.1.18 一月だというのに、もう花粉症らしい。むかしは「じゅうぶん鈍感だから」と無視してきたが、ついに薬を処方してもらうはめに。

  • 2022.1.17 Wilhelm Abelを読んでいる。14世紀のヨーロッパ農業なんて、なかなか頭に入らない。

  • 2022.1.16 トンガで火山爆発、日本では太平洋岸に津波。

  • 2022.1.15 Penelope FrancksのThe Japanese Consumerが届いた。

  • 2022.1.14 安田喜憲の『気候変動の文明史』(NTT出版、2004)を読む。残念ながら16世紀に関する記事はなかった。

  • 2022.1.13 Nootboomの短い論文Mutual rejection: The case of economics and business studiesは、経済学と他の隣接学問との現在のありようをよく表現している。わたしの結論は「経済学を変えるしかない」。応援は無理としても、経営学や会計学の人たちには、この必要を理解してもらいたいものだ。

  • 2022.1.12 ポメランツの『大分岐』には「インボルーション」か「勤勉革命」かという軸がある。これはけっこうおもしろいかもしれない。

  • 2022.1.11 かなり偶然だがK.G. PerssonのAn Economic History of Europeを読みはじめた。長期の経済史というとAllenかClarkのような議論が圧倒的かと思っていたが、もうすこし覚めた目でみているひとがいるようだ。

  • 2022.1.10 必要があって、グローバル・バリュー・チェーン(GVCs)に関する論文を読んでいた。

  • 2022.1.9 いままで考えたことのなかったテーマで一本新しい論文が書けそうだ。ただ、近縁の問題がけっこういろいろ議論されていることもわかってきたので、どう構成するかがむずかしい。

  • 2022.1.8 イングランド16世紀の実質賃金低下の原因がだんだんわかってきた。最初の直観がだいたい当たっていたようだ。

  • 2022.1.7 昨日5cmも積もっていた雪が、夕方には日陰をのぞいてほとんど解けてしまった。太陽エネルギーの大きさを改めて思い出す。

  • 2022.1.6 今日は東京でも大雪。

  • 2022.1.5 有効需要原理に関する新しい定式を発表したので、関連の議論がどうなっているかGoogleで見てみたが、この12年間の日本には注目すべきものはなそそうだった。とうぜんというべきか、情けないというべきか。

  • 2022.1.4 今日はまがりなりにも仕事初め。16世紀イングランドの実質賃金について悪戦苦闘。

  • 2022.1.3 箱根駅伝で中央大学6位。最後に3位から6位に落としたのは残念だったが、10年ぶりのシード権。元ゼミの陸上の学生たちも喜んでいることだろう。

  • 2022.1.2 小さな小さなうれしいニュース。有効需要原理の論文がRKSの12月トップに。

  • 2022.1.1 新年あめでとうございます。ことしは研究会をぜひ再開したい。懸案の本も完成させたい。やりたいことはいろいろありますが、体力が追いつきません。

    2021年


     
     
     
     

    2021年12月
  • 2021.12.31 今年はKornai(10月18日)とHarcourt(12月7日)が亡くなった。

  • 2021.12.30 16世紀イングランドの実質賃金率下落について読んでいる。

  • 2021.12.29 恒例の大掃除。といってもやったのはレンジフードの油よけ版のみ。

  • 2021.12.28 気候変動と歴史とをあつかったふたつ本(フェイガン 2000と田家 2010)を読んでみた。田家がだんぜんよいが、それでもイングランドについてはあまり分からなかった。

  • 2021.12.27 年賀状の文案を書いた。

  • 2021.12.26 「青天を衝く」最終回。感慨ふかし。

  • 2021.12.25 RWER Blogで反論しようとおもったが、一晩考えてやめた。

  • 2021.12.24 クリスマス・イブ。でも街は。閑散ではないが、黙々という感じ。

  • 2021.12.23 主流派の経済学をさんざん批判してきたが、経済学が新しいものに転換できないのは、主流派だけのせいではなく、異端派があまりにもだらしないからではないだろうか。

  • 2021.12.22 かつては均衡を使わなくては分析できないという意見が強かった。SMTは実例を提示することにより、この意見を封じた。過程分析に反対でない人が「均衡にも役立つところがある」という意見にはどう応えたらよいか。

  • 2021.12.21 RWEBで経済学ぱ統計物理学からどう学べるかという趣旨の論文が紹介されている。ミクロとマクロの連結という点では、これは重要な先行事例だ。A. Shaikhまでがentropy maximizationを使って所得分布を考えているという。いろいろな事例が考察されているので参考にはなるが、深いとはいいがたい。そこで、わたしのコメント

  • 2021.12.20 Janos Kornaiが亡くなっていた。今年10月18日。93歳だった。反均衡の経済学がこれから発展するというときに、それを見ることなく亡くなってしまった。

  • 2021.12.19 昨日のPK研報告のプリゼン資料をアップしました。

  • 2021.12.18 今日は早稲田大学でポストケインズ派経済学研究会(PK研)報告。藤森頼明氏追悼の研究会でもあった。

  • 2021.12.17 カーリング女子がオリンピックにいけることになった。オリンピックでもがんばれ。

  • 2021.12.16 「小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言」。こんな宣言が2018年に採択されていた。知らなかった。この英文解説はここ。Peasantsは「小農」と訳すべきか、たんに「農民」でよいのか。

  • 2021.12.15 日テレの「恋です/ヤンキー君と白杖ガール」、今日が最終回だった。妻が関心をもっていて一緒にみていて松嶋敦茂のことを思った。かれの場合、弱視ではなく強度の近視だったと思うが、眼の不自由ななか、学説史という眼を酷使する世界でよく大成できたものだ。かれの「競合的パラダイム」は、いまもわたしの杖となっている。

  • 2021.12.14 経済学はイデオロギーだという主張がある。人類学者のKen Zimmermanがそう主張している。これはわたしの反論。経済学はイデオロギーの一種だというのは正しいが、ただのイデオロギー一般ではなく科学でありうるものだ。だから科学を目指さなければならないのに、最初からあきらめるだけでなく、科学を目指そうとする動きの邪魔までするとなると問題だ。

  • 2021.12.13 12月15日で没後満2年となる落合正堯さんのために短い追悼文を書いた。癌の薬物療法を拒否して覚悟の死だった。

  • 2021.12.12 Science ZeroはVideoでみた。深いとはいいがいたいが30分番組ではこの程度だろう。それでも、真鍋・Hasselman・Parigi各教授の仕事から経済学がヒントをもらえそうな気がする。
    日本人だった真鍋さんがノーベル物理学賞を授賞したのだから、その記事がメディアに溢れるのはとうぜんとしても、同時授賞のハッセルマンおよびパリージ教授の記事がこの一週間ほとんどでないのはなぜだろう。日本人の関心の狭さ?それとも科学ジャーナリズムの人手不足?

  • 2021.12.11 明日(12日夜11:30)NHK Eテレで真鍋叔郎さんのノーベル賞記念番組がある。かれの一次元モデルの取り方は、経済学にも示唆を与えるものと思っているが、さてどんなものになるのか。

  • 2021.12.10 質的変化に対する私見。井上義朗の科学における「ロマン主義」について改めて考えさせられる。

  • 2021.12.9 Tony Lawsonについてもう一度議論してみた。

  • 2021.12.8 80年前の今日、真珠湾。

  • 2021.12.7 「封建制」とはなにか。あまりにも多義的だ。こうした概念にたよって人類の歴史が考えられてきた。反省が必要だろう。

  • 2021.12.6 速水融『近世日本の経済社会』再読。

  • 2021.12.5 わたしの昨日の投稿にたいするTony Lawsonの長い回答がこれ。わたしのリプライはこれ

  • 2021.12.4 Real World Economics Blogでの討論にTony Lawsonが参入してきた。これはかれの質問にたいするわたしの回答

  • 2021.12.3 PK研での報告のためにJ. E. King (2012) The Microfoundations Delusion を読んでいる。PKや他の異端派経済学者たちが、このテーマをめぐっていかに四分五裂していたかはよくわかったが、肝心のあるべきmicroeconomicsについての考察がまったく深められていない。

  • 2021.12.2 速水融編『歴史のなかの江戸時代』(藤原書店、2011)を読みおえた。江戸時代像については特段の違和感はない。

  • 2021.12.1 論文The principle of effective demand がReview of Keynesian Studies Vol.3 に公開されました。open accessです。


     
     
     
     

    2021年11月
  • 今日でもう11月も最後。今書いている本は、今年中に完成するだろうか。

  • 2021.11.29 昨日は天気に恵まれて、飛鳥山公園(紙の博物館、渋沢記念館、公園内でコーヒー)、旧古川庭園、染井通り、巣鴨・刺抜き地蔵とまわり、巣鴨の激安地区で久しぶりに3人で飲みました。

  • 2021.11.28 今日は飛鳥山から旧染井村あたりの散策です。

  • 2021.11.27 Hamouda (2016)によると、Joan RobinsonはKeynes, Kalecky, and Sraffaの統合をもくろんで、Keynes理論をSraffaの延長上に長期化することを考えていたという。逆でしょう。Sraffaを短期分析の理論に組み替えることで、Keynes理論が基礎付けられる。

    11.27 4:50付記 Keynesを長期化するという考えは『資本蓄積論』(1956)の序文に書いているのですね。この本、もっているけれど、読んでいないことがバレバレ。

  • 2021.11.26 Amazonに「売れ筋ランキング」というものがある。『増補 複雑系経済学入門』でいうと、11月24日19時 228,708位、同21時 30,869位、25日23時 127,149位という具合。在庫数から判断すると、この間2冊売れたに過ぎないが、それでこんなに順位が変化するというのは、順位の概念がおかしい。たぶん一時間おきぐらいに、何冊うれたか調べて順位をつけているのだろうが、あまり売れない本は1週間あるいは一月平均をとるなどしないと意味がないのでは。プログラムの修正を期待したい。

  • 2021.11.25 わたしたちの本に対するMarc Lavoieの書評が1770に届いたまま伸び悩み。この書評はopen access、自由にdown loadできます。

  • 2021.11.24 科学ジャーナリストの尾関章さんが「"複雑系"授賞の陰の複雑な事情」について書いている。ほんとはさして複雑でなく、遅すぎただけなのだが。

  • 2021.11.23 今年のノーベル物理学賞は真鍋叔郎教授ほか2名でしたが、その献辞は"“for groundbreaking contributions to our understanding of complex physical systems.”でした。つまり「複雑物理系の理解に関する草分け的貢献」に与えられました。ノーベル賞が複雑系関係の貢献に与えられたのは、経済学賞のH. A. Simonに対するもの(1978)以外にはありませんでした。おかげで複雑系への社会の関心が復活してか、『増補 複雑系経済学入門』もすこし売行きが回復しているようです。

    短信・雑感の最後です。