塩沢由典公式HP>短信・雑感

短信・雑感(過去ログ)

「短信・雑感」は日記がわりに書いています。2021年11月23日。

ホームページ(短信・雑感)に戻る。

2023年


2023年2月
  • 2023.2.28 昨夜は悪戦苦闘して、なんとか論文全体の趣旨を整えたが、これで納得してもらえるものになるのかどうか。こちらは、大会実行委員会へ、もう一つのEvolutionary and Institutional Economics ReviewのSpecial Issueへの原稿も、なんとか形式を整えて、投稿を終えた。

  • 2023.2.27 歯医者へ。詰めていたものが取れてしまったが、こちらは銀歯で済んだ。報告論文はなかなかまとまらない。藤本さんに読んでもらったが、論旨が通っていないと厳しい評価。大会用論文とは別に、EIER投稿用論文の草稿第1稿を掲載する。コメントがあれば、y@shiozawa.netまで。3月中にご意見をいただければ、最終稿に反映させる可能性がある。

  • 2023.2.26 進化経済学会の報告用論文、今日中には仕上げる予定だったが、なかなかまとまらない。

  • 2023.2.25 入居している集合住宅の初めての理事会。防災担当理事を買って出たので、色々考えなければならないのだが、理事に選ばれた総会から一ヶ月、何もできなかった。

  • 2023.2.24 ロシアによるウクライナ侵略開始から一年。こんな日にも、論文のことにのみ忙しがっている自分が情けない。

  • 2023.2.23 進化経済学会大会でのポスター報告原稿は何とか仕上げた。というか、何とか16枚を埋めた。

  • 2023.2.22 宮崎義一『近代経済学の史的展開』の第二部の第二章・第三章をほとんど読んだ。宮崎先生がケインズの経済像にきわめて厳しい見方をしていたことに気づき、驚いている。

  • 2023.2.21 ぐうぜんカレツキの『経済変動の理論』(宮崎義一・伊東光晴訳、1958)が出てきた。買って積んであったのだが、読んだ記憶はほとんどない。しかし、宮崎と伊東の二人がなぜこの本を訳したのか、二人に対するカレツキの影響はどんなものだったのだろうか気になって宮崎義一『近代経済学の史的展開』を読みはじめた。なんといっても、この二人は私が大きな影響を受けた恩師だ。

  • 2023.2.20 学会報告の論文A4 20枚以下を書かねばならないが、いろいろ書いて疲れてきた。30分で話せることはせいぜい3テーマほど、何を話せばいいのか。

  • 2023.1.19 ようやくポスター発表の原稿をまとめた。全紙(A0)1枚分、A4 16枚はなかなかの分量だ。

  • 2023.2.18 森嶋通夫は、近代経済の80%は固定価格経済であると考え、価格の固定性を考慮した一般均衡理論と称するものを提示した(『新しい一般均衡理論/資本と信用の経済学』)。その第4章「一時的均衡」を読んでみても、価格が固定される機構(収穫一定)はあるが、その元にある産業の製品の生産量がいかに決まるかの説明がない。ただ、一時均衡なるものが存在すると言っているだけだ。そのことなら、すでにArrow and Debreuでわかっていたはずだ。彼らの仮定に収穫一定は排除されていない。しかし、均衡が存在するとこと、現実の経済がそれを発見できることの間には大きなギャップがある。なぜ、その問題を考えることなく、近代経済が説明できたと思ってしまったのだろうか。均衡理論の罠にはまっていたとしか考えられない。

  • 2023.2.17 生まれてはじめてポスター発表用の原稿を作っている。

  • 2013.2.16 もう2月も半分経過。月末までに仕上げなければならない原稿が3本。少し油断していたかもしれない。

  • 2013.2.15 "Unplugged"という日本語の雑誌がある。講談社から出ているHOUYHNHNM Unpluggedではない。かつてあった『風餐』という雑誌の後継誌らしい。その11号に編集発行人の府川雅明が上田悟司に聞くという形式で複雑系経済学についての解説が載っている。20ページの大特集だ。私と森岡・谷口の3人によるMicrofoundations of Evolutionary Economicsをも射程に収めた解説としては、日本はもちろん世界でも最初のものであろう。細かい事実のまちがいが少数あるが、大筋としてはとても正確に全体像を捉えている。経済学者でも、こうはいかないかもしれない。感謝。

  • 2023.2.14 ケインズ経済学はなぜ経済成長の理論と見なされないのか(Why is Keynesian theory not considered as a theory of economic growth?)という問題がResearchGateで投げかけられ、すでに投稿数41本に達している。もちろん、荒唐無稽な投稿も多いのだが、考えるよい機会になる。私の投稿は38本目、41本目など。Hubert EscaithはもとWTOの主席統計官。

  • 2023.2.13 進化経済学会の年会費を納入しようとしたら、フェローになると年会費免除だそうだ。大変な特典だ。

  • 2023.2.12 今書いているSome supplementary Explanationsは、そろそろ打ち止めとしなければ。

  • 2023.2.11 水戸・偕楽園の梅まつりが始まった。近くでも梅が咲いているが、なぜか開花時期か不均整。小正月のどんど焼きのとき、近くの梅園の一本の西側半分が咲いていた。一ヶ月経った今も、奥の一本だけが満開だが、他の多くの木は咲く気配もない。

  • 2023.2.10 東京を含む全国に雪。東京都区内にも大雪警報が出されたが、世田谷区は2cm程度の積雪。こういうのは「大雪警報」ではなく「小雪警報」あるいはせめて「積雪警報」というべきだろう。

  • 2023.2.9 Peter EarlとTi-Ching Pengの"Brands of Economics and the Trojan Horse of Pluralism" Review of Political Economy 24(3): 451-67, July 2012という論文を読んでいた。主流派の経済学内にトロイの馬を送り込むという戦略はなかなかおもしろい。

    この数日、PKの理論としての消費需要をどう考えるか考えていた。Earlのような存在を知ったことは心強いが、経済学の方向としてはほとんど考えが進まなかった。

  • 2023.2.8 BS TBSの「報道1930」で日銀の異次元金融緩和が特集されていた。アベノミクスを掲げた選挙で自民党が圧勝したのだから、「失われた20」をさらに10年伸ばした「功績」は、金融緩和や「期待に働きかける」ことでインフレは起こらないということだろう。インフレは、金融現象・貨幣現象であるという基本に問題があると思う。インフレは、金融経済の現象というより、かなりの程度に実体経済の問題なのではないか。

  • 2023.2.7 鶴田満彦先生が今日未明に亡くなられた。昨年の独占研の「明治大学」とのお別れ会に欠席されたので、体調が心配されていたが、体調がやはりかなり悪かったのだろうか。

    Peter Earlは、自称も他称もPost Keynesianのbehavioral economistだとわかった。LavoieもEarlの著書をPKではもっとも精密な経済行動の叙述と紹介している。

  • 2023.2.6 日本ではPeter Earlの議論はどう紹介されているかと思い、"ピーター・アール"で検索してみたがヒットしない。"P.アール 経済学"ではどうかと思い引いてみると2件ヒットした。歴史学など他分野の人のものが他にも引かれていた。Peter Earlには、英語ではペーパ・バックのものを含め何冊もの本があるが、翻訳はないようだ。翻訳大国日本としては珍しいことか。ヒットした2本は、いずれも米川清氏の論文。2本ともほぼ同時期のもので、同じような内容だが、端的に両者の違いを指摘した短い方を紹介しておこう。「2つの限定合理性」『経営学論集第86集』(2016)。新・行動経済学になって「限定合理性」いかに変形されて新古典派経済学と妥協したかがよくわかる。米川の指摘は経営学の視点からは当然とも言えるが、この問題は経済学でももっとよく考える必要がある。

  • 2023.2.5 Peter EarlのBehavioral Economicsの序文を読んでみた。新旧の行動経済学を論じた論文があり、H.A.Simonや彼の後継者たち(MarchやCyertなど)までが旧行動経済学だという。Simonを行動経済学とみなす必要はないが、問題はTvertsky & Kahneman以降の新・行動経済学が登場したことにより、旧・行動経済学がほとんど忘れられているという。もしこれが本当だとすれば、単に新旧の好き嫌いでは済まされない。

  • 2023.2.4 Peter Earl という経済心理学者がいる。若い頃に読んで印象に残っている。題名や中身までは不確かだが、たぶんLifestyle Economics (1986)だっただろう。私よりずっと年上の人かと思っていたが、昨年、ResearchGateで通信する機会があり、私とあまり変わらない人間であることを知って驚いた。そのPeter EarlがPrinciples of Behavioral Economics: Bringing Together Old, New and Evolutionary Approaches, Cambridge University Press, 2022という本を出したことをつい二日ほど前に知り注文した。それが今日届いた。日本に現物があったようだ。私は、現在のNew behavioral economicsよりもOld behavioral economics (たとえば、G. KatonaのPsychological Analysis of Economic Behavior 1951) を高く評価するほうなので、Old behavioral economicsから扱っているくれるだけで嬉しいが、それにおまけがついてevolutionary approachまでを考えて統合するというのだから買わない手はない。あまり読む時間は取れないが、すこしのぞいておこうと思ってページを繰っていたら、以下の紹介があって驚いた。
    Readers who are interested in more formal approaches are strongly encouraged to consult the work of Shiozawa et al. (2019), which complements at many points the perspective offered in this book. (p.3)
    われわれの本に対する理解者が意外なところにいたということだ。

  • 2023.2.3 節分で生のイワシを探してスーパ3店、魚屋一軒を回ってみた。生のものがないわけではないが、頭が落ち、腹が開かれている。食べやすいだろうが、鬼祓いにはならないだろう。仕方なしに銚子産の丸干しの大きなものを買ってかえる。

  • 2023.2.2 EIERのシンポジウム用の原稿は、ようやくラフ稿が完成したが、読み直しだけでも、だいぶ時間が掛かる。とくにこういう仕事は、眠いとまったくだめだ。

  • 2023.2.1 Luigi Pasinettiが亡くなったと明大の八木尚志教授から連絡が来た。まだ、twitterへの個人による死亡記事しか出ていないようだ。


    2023年1月
  • 2023.1.31 高松紀夫さんのご家族から49日の忌明けのご挨拶がきた。住所をみると、なんと同じマンションの住人だった。もう5年も住んでいるが、ちっとも知らなかった。

  • 2023.1.30 ResearchGateのcitationsが502となり、ようやく500を越えた。実をいうと、このうち半分ぐらいは自分自身の引用だろう。ひょっとすると、もっと高率かもしれない。それでも、なんとか1,000までは目指したい。

  • 2023.1.29 マイナンバーカードを受け取りに区役所支所へ。NHKの大河ドラマ「どうする家康」は、お市の方を元康に娶らせようと信長が命令するという意外な展開。さて、どう落とし前をつけるかハラハラしたが、実はお市の方の初恋の人という設定であった。

  • 2023.1.28 Normal cost pricingが正いことは漠然と分かっていたが、きちんとした説明ができなっかた。一晩考えた結果、なんとかひとつの説明まではたどりついた。

  • 2023.1.27 Marc LavoieのPost-Keynesian Economicsの第3章を§3.5から§3.7までを通して読んでいる。上乗せによる価格設定(markup pricing)の各種類をおさらいするためもあり、我々の本の紹介である§3.7.4とどう接続しているのか知るためでもある。意外によく接続していてびっくり。Lavoieにとっては、まさに待っていた研究成果だったのかもしれない。

  • 2023.1.26 注文していたMarc LavoieのPost-Keynesian Economics 2nd Edition (2022)が届いた。科研費で買えることになったのでありがたい。

  • 2023.1.25 Dixit & Stiglitz (1977)と40年後にそれを回顧したStiglitz(2017)を読んでみても、選好グループ間の遷移確率を考えたものはなかった。小さな部分に過ぎないが、"love of variety"を凌駕できたかもしれない。

  • 2023.1.24 私が「強い選好」と呼んでいる「選好」(CES選好関数の指数[ふつうはσ<1]をσ>1としたもの)においても、グループ間の転移確率にあるものを仮定すると、シェアが価格比の関数となることが分かった。これが正しければ、上乗せ率が出てくるもうひとつの説明が出てきたことになる。

  • 2023.1.23 今ごろ気がついたのだが、われわれ塩沢・森岡・谷口の本Microfoundations of Evolutionary Economicsに関するシンポジウム(Tony Aspromougos, Kenji Mori, Arrigo Opocher, J. Brakely Rosserの4氏の寄稿にわれわれ3人が共著でReply/返答を書き、Metroeconomica編集長のHeinz KurzとNari Salvadoriがシンポジウム序言を書いたもの)がようやく巻号とページが確定して載っている。73巻の第1号だから、昨年中の早くに決まったもののようだ。Free to readになっているので、ここを訪れて読んでください(Downloadはできないが、PDFで読める)。我々の返答は34ページからはじまっている。プリントアウトして読みたい方は、下記email addressにご連絡ください。じつは、本やこの返答に書きれなかったことなどをEIER(Evolutionary and Institutional Economics Review)の次号か次次号のために、いま第一稿を書いている。

  • 2023.1.22 Hotellingの変形としてシェア関数が価格比の関数となる場合を感変えている。意外な進展があった。この関数は、Dixit-Stiglitz流のCES Utility functionからも導くことがてきるが、それは代表的個人が弱い選好を持つ場合に限られる。上乗せ価格の普遍性は、異なる諸個人が強い選好を持つ場合にも、同様のシェア関数が得られるであろうとことを示唆している。

  • 2023.1.21 初心に戻ってHotellingの競争を再検討している。

  • 2023.1.20 必要があって、Tony LawsonのThe Nature of Post Keynesianism and Its Links to Other Traditions Journal of Post Keynesian Economics 16(4): 503-538, 1994 を読んでいる。

    Lawsonは、新古典派の問題点が"the universal orthodox reliance upon axiomatic-deductive reasoning" (上記 p.524)にあり、Post Keynesiansがそれを暗に反対しているとしてPKに一種のエールを送っている。既存の新古典派批判(ないし主流派批判)としてこれがあたっていても、そのゆえをもってその反対的立場を異端派経済学の方法論的要請とすることはできない。

    Lawsonは科学的探究が以下のようなもものであることを認める。
    Clearly, if a knowledge of structures cannot be obtained merely through sense experience, it is hardly intelligible that they can be created out of nothing, as it were. What is a issue here, then, is a transformational conception of knowledge. From the transcendental realist perspective, knowledge progresses as existing theories, hunches, hypotheses, anomalies, and the like, come to be transformed in, and thrugh, the laborious social practice of science. (ibid. p.514)
    Given that science is revealed as a laborious social practice concerned with revealing structures governing phenomena of interest, and given the open nature of the world, it follows that methodological reasoning must be constructively involved at every stage of research. (ibid. p.515)
    Lawsonは、問題の所在をほぼ正しく把握しているといえよう。かれの問題は、それにもかかわらず、経済学の探究において数学的な方法をほとんど先験的に排除してしまうところにある。Lawsonはまだまだやや慎重である(全面的否定・拒絶にはなっていない)が、Lars Syllになるとこの排除が中心的主張にまでなっている。LawsonやSyllは、数学的思考を"axiomatic-deductive reasoning"としか捉えられず、その試行的・検討的・創造的性格をみて取れていない。科学の営みが、上に見るように、諸理論・予感(ないし勘)・仮説・異常(ないし変則)の集合から考え始めざるをえないことをLawsonは正しく理解している。しかし、でき上がった「理論」を提示するときに、axiomatic-deductiveな形をとることがほとんどであること(その認識は正しい)をみて、諸理論・諸仮説の集合を総合・再編成するにあたり、数学的思考が創造的な働きをすることを見落としてしまっている。研究における試行錯誤過程がほとんど見落とされているし、試行錯誤に先だって必要とされる相互に無関係なあるいは矛盾する諸理論の統合に向けた試みが否定されてしまっている。Lawsonは人間の論理的思考能力の限界を十分に感じていない。だから日常言語を使って経済のような巨大システムの全貌を捕まえうると考えている。それは空虚な幻想だろう。数学を使ったからといって、それは容易ではない。しかし、数学を使っての体系化という道を(ほとんど)閉ざしてしまったことで、かれは饒舌な方法論者にはなってしまった。方法論のみから新しい(とくに画期的・突破的な)理論が生まれることがほとんどないことを忘れてしまっている。そのことは、Lawsonがcritical realismを受け入れ、ontology的の導入を提唱し始めてからすでに30年近く経つにもかかわらず、かれの周辺ないしかれの方法論に刺激を受けた研究でbreakthroughと呼べるものがほとんど生まれていなことが証明している。(もし、この研究は反例ではないかというものがあれば教えてほしい。)

  • 2023.1.19 Frederic S. LeeはPost Keynesian経済学の中ではほとんど唯一の価格理論の単行本Post keyensian Price Theoryの著者だ。そのLeeが癌で亡くなる直前まで完成をいそいでいた本Microeconomic Theory (2018、Tae-hee Jo編)の中で、We don't know anything about how profit mark-ups are setと言っている(p.219)。J. E. KingのPost Keyensian Economics (2015)にも言及がある(p.51)。先行するすべての理論に不満だったようだ。

  • 2023.1.18 私がなぜLars Syllの論陣にいちいち反論しているか(昨日1.18の項参照)説明しておいた方が良いだろう。私はSyllには大したoriginalityはなく、ただTony Lawsonの経済学方法論をややまちがった方向に極端化しているに過ぎないと見ている。したがって、本丸はLawsonだが、彼の影響力はきわめて大きい。例えば、昨年翻訳が出たスキデルスキーの『経済学のどこが問題なのか』(鍋島直樹訳、名古屋大学出版)は、善意に溢れた新古典派経済学の方法論批判なのだが、その骨子のひとつに経済は開放系なのに閉鎖系として扱っているというものがある。これはRoy Bhaskarの考えをLawson経由で輸入したものだ。私の考えでは、もうこの段階からまちがっている。ガリレオの落体の法則やケプラーの惑星運動の三法則は、対象が閉鎖系であるから数式化できたのではなく、そこに数式を発見したからBhaskarのいう閉鎖系になったのだ。経済学でも事情は同じだ。下手な数学化を試みれば失敗するに決まっているが、だからといって数式化ないし数学的定式化自体が悪いわけではない。例えば、我々のMicrofoundations of Evolutionary Economicsは、数式ないし数学的定式化に溢れているが、均衡論でも方法論的個人主義でもなく、システムの全体過程を分析している。それが一見「閉鎖系」のような形に見えるのは、需要を価格の関数としてではなく(需要関数の否定)、一定の価格のもとでも緩やかに変化するものとして扱っているからだ。Lawsonは出身が数学とあるが、研究としてやったのは計量経済学(の批判)であって、まだ定かではない対象を捉えよえと苦労した経験がないのではないか。数学でしか捉えられない複雑な関係があることが彼らの議論からはすっぽりと抜けている。

  • 2023.1.17 Real-World Economics Reviewという雑誌がある。2000年頃のフランスの経済学の学生の反乱に刺激を受けて発足したのだ。その付録にReal-World Economics Review Blogがある。前にも一度紹介したかもしれない。異端派が中心になって活発な議論が行われているといえば聞こえが良いが、中にも酷いものがあり、経済学そっちのけで政策のみに関心のある人や、経済学のそもそもの素養のない人もいる。その常連の寄稿者の一人にLars Syllがある。個人のBlogのほとんどをReal-World Economics Review Blogに転載している。専門は経済学方法論・社会科学哲学という。しかし、実態はTony Lawsonのや乱暴な縮小版のようなもので、経済学の数学化や仮説演繹的モデル構築に反対する論陣を張っている。ここに紹介するのは、Lars Syllの2023年1月12日のEconomic modeling — a constructive critiqueに対する私の反論。

  • 2023.1.16 ローマ字部分が増えたら、文字が小さくて読みにくくなった。活字の大きさを変えることにした。

  • 2023.1.15 A Macroeconomics Reader (1997)のpatinkin論文のすぐ後にはBill GerrardのKeynes’s General Theory Interpreting the interpretations (Economic Journal 1991)が載っている。Gerrardは知らない人だが、解釈学の人らしい。"The significance of Keynesian economics depends on its ability to provide an understanding of how the economy actually works. The significance of Keynesian economics does not depend on being the economics of Keynes. What Keynes himself believed is a question for the historians of economic thought, not for macroeconomists."(p.106) ときわめてまともなことが注意されている。問題は、"an understanding of how the economy actually works"であろう。Gerrardの理解では"A principal aim of Keynesian economics has been to give a definitive answer to the question ‘What does Keynes’s General Theory really mean?’"(p.95)ということで、これでは"an understanding of how the economy actually works"と乖離してしまうが、「ケインズ経済学」の実情を伝えるものとは言える。そうなった根本の理由にPasinettiのいうparadigm changeの未実現があろう。コペルニクス(1473–1543、『天界の回転』は1543)の地動説のあと、ケプラー(1571–1630)、ニュートン(1642–1726、奇跡の2年間は1965-67)と120年以上かかった歴史とほぼ同じことを経済学もくりかえしているのだろう。

  • 2023.1.14 どういう風の吹き回しだったか忘れてしまったが、Don PatinkinのOn different interpretations of the General Theory (1990、A Macroeconomics Reader 1997 所収)を読んで、変なこと(=新しいこと)に気がついた。Patinkinの問いは、Keynesにはなぜこれほど多様な解釈があるのかというものだ。ほぼ同時代のHicksやSamuelsonの主著と比べれば、その違いは歴然としている。Patinkinの結論は、General Theoryがそれだけ大きな革命だったというものだった(そのことは別に考えたい)。その中で、fundamental uncertaintyに注目してケインズ革命を考えるという習慣は、General Theory出版後約四半世紀後の1960年代から始まったと指摘している。Sydney Weintraubの Classical Keynesianism, Monetary Theory, and the Price LevelとGeorge Shackleの展望論文‘Recent Theories Concerning the Nature and Role of Interest’とが1961年に現れ、Joan Robinsonの活躍もあって、IS-LMおよび45度線分析が衰え、代わりにuncertaintyがケインズ革命の中心に考えられるようになったらしい。こうした変化を背景とすると、Paul Davidsonなどアメリカ中心の(というよりReview of Post Keynesian Economics中心のか)Post Keynesian Economicsが成立し、それが過度にuncertaintyを強調するものになってしまったことがわかる気がする。Patinkin (1990)の簡単な紹介は、ここのJanuary 9, 2023 at 7:23 amのわたしの記事をみてください。

  • 2023.1.13 散歩していたら幸福実現党の政治ポスターが目に入った。なんと「勤勉革命」がその中に入っている。今年出すはずの本の題名を先取りされている。冗談ではないと思って帰ってWEBで調べてみたら、「バラマキやめて「勤勉革命」」が七大政策のひとつらしい。「勤勉革命」の内容は、「二宮尊徳の精神」とあって、私の本と無縁ではない。私の本が二番煎じになってしまうではないか。

  • 2023.1.12 HarcourtとKriesler編のThe Oxford Handbook of Post Keynesian Economics (1)を読んでいる。もちろん大部なもので全部は読めないが、Ken Coutts and Neville Normanの18. Post-Keynesian Approaches to Industrail Pricing : A Survery and CritiqueやRobert Dixon and Jan Toporowskiの20. Kelckian Economicsはとても良かった。特に後者からはKalecky派の概要がはじめてわかった気がした。Keynesとの違いとして指摘されていること(価格理論の存在、投資に対する長期金利の無効性)など、その後のPKでどのくらい生かされているのだろうか。

  • 2023.1.11 昨年12月のポストケイズ派経済学研究会の後の飲み会で経済学のあり方が問題になった。私が「真理に対する愛が足りない」と言ったら、ある人が「真理などというものはオーム真理教と同じで怪しげなものだ」と言った。確かに怪しげなところはあるが、しかし真理追求の意欲なしには経済学は進歩するだろうか。

  • 2023.1.10 歯医者に行ったら、またセラミックで補綴が必要となり、金37,400円の予告。

  • 2023.1.9 Keynesは自分の理論をtheory of output as a wholeと名付けたが、それを語る理論枠組みを持たなかった。その枠組みがなぜ半世紀以上現れなかったか、なぜそれが谷口・森岡の結果を待つ必要があったのか、その理由がわかった。

  • 2023.1.8 年末に買ったCANONのプリンタGM4030、PCとつなげようとしてみたら、Macに対応するDriverが存在せず、新しいPCから直接に印刷することは不可能なことがわかった。いくら特殊機種とはいえ、CANONさん、それはないだろう。

  • 2023.1.7 昨日買ってきた七草のセット、ひとつずつ調べる前に炊かれてしまった。

  • 2023.1.6 Kingはmicrofoundationsが原理的に不可能という立場。その理由として①downward causation、②fallacy of compositionの二つの存在をあげている。downward causationの証拠のひとつとして創発特性を上げるのだが、果たしてこの分類の立て方は適切だろうか。

  • 2023.1.5 J.E.KingのThe Microfoundations Delusionを読んでいる。前にイナゴ読み(grasshopper reading)をしたことはあるが、ほぼ通して読むのは初めて。元旦から5日間かけてようやくなんとか読み通した。表題が示すように、これはPost Keynesian経済学にmicrofoundationsを与えようとする我々の意図と正反対の立場の本だが、microfoudnationsをめぐる複雑で錯綜した立場の全体像をなんとか掴むことができた。

  • 2023.1.4 年賀状をいろいろいただいたが、整理している時間がない。なんとか松の内にやれればと思っている。

  • 2023.1.3 箱根駅伝は、往路・復路とも中央大学が2位。昨年は、久しぶりにシード権獲得と復活基調だったが、2位は予想外の大健闘。来年100回大会の優勝を目指す位置につくことができた。

  • 2023.1.2 今年は家に集まることをやめて渋谷のホテル・セルリアン内のレストランで会食。わたちしたち夫婦と長男、次男夫婦、長女と、今年長男と結婚予定の一人と計7人。

  • 2023.1.1 今年の年賀状を公開します。しばらくお待ちください。

    2022年

    2022年12月
  • 2022.12.31 ついに2022年も最終日。ロシアのウクライナ全土へのミサイル攻撃は今日も続き、朝日新聞カメラマン一人が負傷した。はかない望みかもしれないが、来年はウクライナの勝利と世界の平和が達成されることを願う。

  • 2022.12.30 2月末といわれていたプリンターが届いた。せっかく年内に届いたのだからと買いに行った。10Kg近くの荷物、大した距離ではないが重たかった。

  • 2022.12.29 SMT(Shiozawa, Morioka, and Taniguchi 2019)がなぜ旧来の進化経済学に欠けていたミクロ的基礎であるか、ずいぶんてまどったが、なんとか満足できる一節を書くことができた。

  • 2022.12.28 また麻婆豆腐に挑戦してみたが、会心の出来とはなかなかならない。

  • 2022.12.27 技術変化が経済成長の基本的駆動因であることに異存はないが、それをどう説明するかが問題だ。

  • 2022.12.26 Nelson and Winter (1982)には何が欠けていたか考えている。

  • 2022.12.25 ロシア正教会から独立していたウクライナ正教会は、ことしクリスマスを従来の1月7日ではなく、12月25日に祝うことを容認したという。

  • 2022.12.24 アメリカは、ゼレンスキ大統領をホワイトハウスと議会に招待してウクライナ支援の強化と継続を呼びかけさせた。ゼレンスキは前日にはバフムトを電撃訪問し、米大統領にはある指揮官が差しだした自らの勲章を、下院議長には前線兵士が寄せ書きをしたウクライナ国旗をお土産にした。何から何まで心憎い演出だ。

  • 2022.12.23 寒気団が張り出して、日本列島中が大雪に見舞われそうだ。ニュースを見ていると北米や西ヨーロッパでも大雪のようだ。3方向に寒気団が吹きだしているのだろう。普通の寒気団では双葉のように吹きだすが、もっとエネルギー準位が上がると三極吹き出しとなる。これが50年ほど前に聴いて覚えている西浦廉政さんの大域分岐理論の最初期の業績。寒気団が張りだすごとに想いだす。

  • 2022.12.22 プリンタを買いに近くのYamada電気に行った。ところが現品は売れず、予約して入荷待ちだという。2月末まで待たなければならない。珍しく予約注文で購入する経験をした。コロナとウクライナ(半導体不足)の影響のようだ。こうした事態がいくつもの商品におこると昔の社会主義経済のような「不足の経済」となるのだろう。

  • 2022.12.21 赤い実をつけたヒイラギはクリスマスの飾りの代表的なものだ。東京にもヒイラギがしばしば生垣に使われている。その葉っぱにはトゲの数が7つのものと5つのものとがある。とうぜん葉っぱの形もちがう。変種とも考えられるが、同じ木にも違う数のものがついている。葉が出るとき暖かいとトゲの数が5つになりやすいのでは、とおもわれるのだがどうだろう。

  • 2022.12.20 Nelson and Winter (1982) An Evolutionary Theory of Economic Changeで価格理論がどう扱われているか調べている。

  • 2022.12.19 歯医者。神経を抜かなければならないかもしれないと言われていたが、そうならずに済んでまずは一安心。

  • 2022.12.18 ようやくEIERのSMT特集の論文に取り掛かる。

  • 2022.12.17 水道橋の日大でポストケインジアン研究会。報告者は、島倉原と袴田兆彦の両氏。

  • 2022.12.16 12月5、6、8日に言及したPhilip Georgeの"A giant bludner"論文の問題がいまだ決着がつかないのは困ったものだ。RWER共同編集者のひとりのJamie Morganが問題の所在がわからないようなのだが、RWER Blogのかつての論敵の一人Ikonoclastが変な投稿をしてきた。経済は複雑なものだから、一般均衡理論に反対するPhilip Georgeに共感するとして、Hooker編のPhilosophy of Complex Syestemsを長々と引用している。彼とは、彼の投稿がBlog記事として取り上げられたPure economicsへのわたしのコメント(2021.2.13 8:34amのもの)ほか、いろいろな機会に議論してきた。Ikonoclastは基本が人類学者らしく、人間社会は経済や政治などに分割して理解できないと主張する。その主張にはもっともなところもあるが、それだけでは経済なら経済の固有の領域の特性を明らかにできない。経済は複雑系であるが、そのことで経済学が成立しないわけではないと上記のコメントでも指摘した。そのせいかどうか、今度はPhilosophy of Complex Syestemsを引用して「反撃(?)」にでたようなのだが、問題はそんなことではない。単純な論理の問題なのに、そのまちがいが分からないようだ。複雑系を主張する人たちのあいだに、こういう 単純な論理のまちがいに気づかない(がわからない)人がいるとは、複雑系経済学の主唱者のひとりとしてどう考えたらいいのか。

  • 2022.12.15 「本に溺れたい」というブログを主宰しているrenqing氏が「価格を決定するものは、「需要」ではなく、「費用」である」という記事を書いている。アロー&ハーンの『一般均衡分析』から引用のあと、わたしの『近代経済学の反省』(1983)までが参照されている。ページが入っていたので該当箇所を読んでみたが、書いた本人が忘れてしまっていたことだった。このときから最小価格定理と言っていたとすると、わたしの経済学は40年のあいだほとんど進歩していないことになる。

  • 2022.12.14 Elinor Ostromの翻訳をすこし手伝うことにして、訳文を見直している。Ostrumの理論をかなり知らないと、翻訳はなかなか難しいかもしれない。昨日に引き続き、『リカード貿易問題の最終解決』(2014)に補章としてのせた「上乗せ率を帰結する複占競争」をアップした。
  • 2022.12.13 友人に請求されて「カーン・ケインズ過程の微細構造」『経済学雑誌』(大阪市立大学)第83巻第第3号48-64頁を探し出した。ついでだから、ここに公開することにした。わたしが大阪市立大学に移って最初の論文だが、現在のShiozawa, Morioka, and Taniguchi (2019) Microfoundations of Evolutionary Economicsの最初のきっかけとなったもの。この論文の定式では、半自動的な数量調整過程は発散している。これではものにならないが、もっと複雑な予想形成にしても収束を証明するのは難しすぎるとわたしは諦めた。それを谷口和久が計算機上のシミュレーションで過程の収束を示してくれ、森岡が線形の場合には一般に収束することを示してくれた。

  • 2022.12.12 歯医者の帰りに久しぶりに仙川へ。途中、象の鼻公園とという、たぶん昔の農業用水路を暗渠にしてできた公園を歩いていたら、カリンが落ちていた。驚いて近くをさがすと、生垣の中にカリンの木があった。生垣の中を探すと、大きなカリンが5センチほども土に埋まっていた。無傷だったので二つ拾ってかえる。 東京で見かけるのはカリン、信州で見る「カリン」は実はマルメロとか。属は違うが、実も木肌もよく似ている。ただ、カリンは実を上むきにつけるが、マルメロは下向き。東京で見るカリンは3メートルほどのものが多いが、親類の家の庭にあるマルメロは高さが15メートルほどもある。

  • 2022.12.11 高松紀夫のお通夜に大阪まで往復。事前に食満氏、お通夜の会場では加藤・八木両氏にお会いする。

  • 2022.12.10 Almudi & Fatas-VillafrancaのThe Foundational Evolutionary Traverse of Richard R Nelson and Sidney G Winterにコメントを書く。読むにも書くにも長い時間がかかった。

  • 2022.12.9 元毎日新聞の高松紀夫が亡くなった。朝、加藤勝美さんから連絡があった。高松さんには、フォーラム堂島のコーディネータに推薦してもらうとなど、大きな恩がある。

  • 2022.12.8 Philip Georgeの"Giant blunder"論文についてRWERの共同編集者の一人Jamie MorganにResearchGateを通して文句をいったところ、時間ができたら読むと答えてきた。他にもいろいろあって忙しいことは分かるが、自分が主宰している雑誌の危機なのに、のんびりしたものだ。

  • 2022.12.7 独占研究会の「お別れ会」。だれかが亡くなられたというのではなく、長いあいだ明治大学が会場を確保してくてきたが、来年からまた元の東京経済大学に移転することになったので、感謝の意を込めたもの。研究会の後、いつも使っていた「吉甚」も、長いコロナのためか、閉店してしまったという。

  • 2022.12.6 昨日の記事の書き手Philip Georgeの他の論文3本を読むなどで忙しかった。あまり深い知見もなく、論理的にも整理されていないが、"A Giant Blunder"論文ほどにはひどくないひと安心。

  • 2022.12.5 FIFAワールドカップの決勝トーナメント、夫婦で応援していたが、日本は最後のPK戦で負けてしまった。気分が悪かったので、Real-World Economics Blogに長文の批判文を書いてしまった。Lars Syllのような無茶な主流派批判を繰り返していれば、こういう事態は当然予測されたことなのだ。

  • 2022.12.4 Review of Keynesian StudiesThe Principle of Effective Demand: a New Formulationは、辛くも11月のトップを維持したようだ。このサイトからアクセスしてくれた人がいたのなら感謝。RWER Blogの Jef Ferry Free trade theory fails correspond to realityへコメント。< と > を使ったら、タグ扱いになり、式がめちゃめちゃ。すぐ下の修正も読んで。

  • 2022.12.3 12月は忙しくなることはわかっているが、EELの査読を引き受けてしまった。ワールドカップ:韓国もポルトガルに逆転の劇的勝利。しかし、なぜか生中継をした局はなし。

  • 2022.12.2 FIFAワールドカップ:日本がスペインに勝利し、決勝トーナメントへ。

  • 2022.12.1 藤本隆宏氏・吉井哲氏と3人で新論文(といっても実はすでに5年以上経過しているもの)の最終打ち合わせ。午後4時には終わる予定が、けっきょく7時まで。



    2022年11月
  • 2022.12.30 ついに11月も最後の日。あと一ヶ月で何ができるだろうか。

  • 2022.11.29 コロナ・ワクチン5回目。モデルナだが、副反応はほとんどなし。もう12月というのに、ユリの花が咲いているところがある。赤紫と白。ユリは夏の花のはずなのに。もちろん、異常気象の結果のはずはないが、狂い咲きの変種だろうか。

  • 2022.11.28 もうじき12月。昨年末にThe Principle of Effective Demand: a New Formulationを公開してから、半分以上の月でThe Review of Keynesian Studies (RKS)のトップ記事(Most read articlesの第一位)を占めてきたが、来月はどうなるか。11月始めにRKSの第4巻が公開されたから、新しい記事に抜かれるかもしれない。

  • 2022.11.27 日本はコスタリカに0-1で完敗。蘆花公園ではイチョウの黄葉が太陽に当たってきれい。すぐ隣には、まだ青々とした緑のイチョウのあるのはなぜ。

  • 2022.11.26 妻の誕生日。娘と3人で会食。

  • 2022.11.25 タンポポが二輪咲いていた。工事用の鉄の障壁の北側の根もと。どういう現象だろうか。

  • 2022.11.24 ロシアがウクライナに侵略戦争を開始して9ヵ月たった。ロシアが当初おもい描いていたようには戦争が進んでいないことは確かだが、最近のロシアのミサイルによるウクライナ各地のインフラ施設攻撃により、ウクライナの人々は寒い冬を暖房も電気もない生活を強いられている。日本政府が支援しなければならないこととは別に、われわれ市民も何か助けられることはないだろうか。発電機は小型でもいろいろ役に立つようだから、日本から送る運動ができないものだろうか。

  • 2022.11.23 帰京。サッカー・ワールド・カップ、日本、初戦でドイツに勝利。

  • 2022.11.22 ガスの工事。草むしり。

  • 2022.22.21 買いもの。本棚でぐうぜん Bernard Paulré (1985) La Causalité en Economie / Signification et porteé de la modélization structurelle. Presses Universitaires de Lyon, Lyon を見つける。こんな本を買っていたという記憶はないが、もう20年もまえから因果性(causailty)に関心があったのだろうか。

  • 2022.11.20 信州・大町へ。やはり格段に寒い。

  • 2022.11.19 「長沼節夫さんを偲ぶ会」に出席。日本記者クラブの10階ホール。コロナのため延期に延期が続いて、今日が5回目だったという。遺稿集とも、生涯の記録ともいえる『ジャーナリストを生きる/伊那谷から韓国・中国そして世界へ』ができていた。長沼節夫著・長沼節夫著作集編纂委員会編、南信州新聞社刊、2000円。巻末にDVDが付録され、本文500ページ弱には盛り込めなかった内容や追悼文も多数盛り込まれている。わたしが長沼さんと親しかったのは1967年から70年までの3年余りだが、晩年にも南都が話を聞く機会があった。しかし、それでは知り得なかった長沼さんの多様な活動や生き様を知ることができた。編纂委員会のご苦労に感謝。

  • 2022.11.18 富士見台駅横に新装・開店した「京都 玉姫珈琲」に初めていく。

  • 2022.11.17 高校・大学でほぼ同期だったYさんがALS(筋萎縮性側索硬化症)と去年診断されたという。ショック。なんと声を掛ければ良いかも分からない。

  • 2022.11.16 蘆花公園(正式には蘆花恒春園)では桜が咲いていた。十月桜という栽培種だそうだ。みごとというより、可憐で弱々しい感じ。

  • 2022.11.15 Bahar Arazの論文3本を読んでいる。

  • 2022.11.14 烏山図書館で『古事記はいかに読まれてきたか』を立ち読み。本居宣長が京都遊学中に古事記の刊本を買っているという。その程度には、古事記は読まれるようになっていたのだ。

  • 2022.11.13 中川洋一郎さんの論文"Confrontation of Full-Cost and Marginal Principles in the Automobile Supply Chain:Implications of Durable Consumer Goods in the Market Turmoil after WWII"についての自分なりのコメントをようやく書き上げる。

  • 2022.11.12 中川氏には、牧夫・犬・羊というアイデアですでに『新ヨーロッパ経済史I:牧夫・イヌ・ヒツジ』(学文社、2017)という本がある。

  • 2022.11.11 中川洋一郎さんから多数の抜刷りが届く。なかなかすぐには読みきれないが、牧夫・犬・羊という三機能に注目するというのは、すごくおもしろい。こういう長期の経済史があっても良い。

  • 2022.11.10 昨日のMaria Cristinaの論文にコメントを書く。ただし、最初の投稿にはまったく反対の意味のことを書いてしまったので、第2のコメントで修正する。

  • 2022.11.9 Cambridgeで一緒だったMaria Cristinaが相棒のAnnalisa RosselliとOn Sraffa's Challenge to Causality in Economicsという論文を書いている。Ajit Sinha編のA Reflection on Sraffa’s Revolution in Economic Theoryという本の1章だ。Sraffaが"a struggle to escape from 'mechanical', i.e. causal theory"というのが主旨だ。SraffaはSchrödingerの"Indeterminism in Physics"(1931)という論文を読んでいたようだ。当時の人たちが量子力学の出現にいかに影響を受けていたか、よくわかる。同様の影響はSchumpeterにもみられる。しかし、因果性を決定論と直結させることには大きな問題がある。確率的因果というものも考えられるからだ。Sraffaはmechanical theoryにgeometrical representationを対比し、differenceとchangeの区別にこだわっていたという。それがたとえSraffaの1960年の本に繋がったとしても、経済学をcausalなものとして組み立て直すという研究方針は変えるべきではないだろう。

  • 2022.11.8 Full cost原理といっても、わたしが理解しているものとは相当にちがう解釈があるようだ。そのことに驚き。

  • 2022.11.7 ある論文を読んでいたら、Nubbemeyer, E. (2010) A Reconsideration of Full-Cost Pricing. Doctoral thesis presented to Ludwig-Maximilian-University Munchen.という博士論文が紹介されていた。この第1章は、full-cost principleの発見から追跡調査、限界理論の対応と反応の歴史が懐疑的な立場から扱われている。2010年という時点での考察だけあって、わたしの知らない事情を含めて、総覧するにはとても便利なものとして紹介しておきたい。ここに触れられていない事情としては、わたしが知っているのは、Lesterの提出論文に対するMachlupの偏頗な対応ぐらいである。第1章についてあえて注文を付けるとすれば、Joël Deanなどのcost function計測の意義をもうすこし掘り下げてほしかったくらいである。ただし、第3章などの考察は、限界理論との対比のためとはいえ、需要変化のあり方について、なお新古典派的な想像野の内部にあるような気がする。

  • 2022.11.6 ほぼ一ヶ月前に描き終えていた福留久大氏の『リカード貿易論解読法』書評をもう一度読み直して編集部に送る。

  • 2022.11.5 3日に衝動買いしてしまったグールソンのかっこサイレント・アース/昆虫たちの「沈黙の春」』がなかなかおもしろい。

  • 2022.11.4 引用の必要があって「ミクロ・マクロ・ループ」をgoogleで引いてみたら、このサイトの「ミクロ・マクロ・ループについて」がトップに出ていた。懐かしく開けてみたら、目次の形が崩れていたので修正した。本文中の図も同様だったが、こちらは簡単にはいきそうもなく、そのまま。

  • 2022.11.3 上北沢の自販機のところにもういちど行ってみた(10.28参照)。100円自販機はまだあった。ただし、36口のうち、7口は値上がりしていた。一度には、値上げできないもののようだ。さらに驚くことに、そこから50Mもしないところに、別の会社の自販機があり、ほとんどすべて100円の商品だった。しかし、この近辺の多くの自販機では130円が普通、140円の品も多い。中身の違いまでは分からないが、わずか数メートルで価格が違うことがあっても、販売が一方に偏ることはないということだろう。これは宇野派の一部のいう「市場の無規律性」なのだろうか。思考を放棄しているだけではないのか。

  • 2022.11.2 Heinrich Bortisの論文 Classical-Keynesian Political Economy, not Neoclassical Economics, is the Economic Theory of the Future に長いコメントを書く。

  • 2022.11.1 京都行きの疲れがなかなか抜けない。



    2022年10月
  • 2022.10.31 ついに10月末日。勤勉革命の第5章の構想がなかなかまとまらない。

  • 2022.10.30 11時から森岡・谷口両氏と今後の研究課題などについて、3時からはメール仲間3人と雑談。

  • 2022.10.29 国際価値論研究会第26回(京都大学にて)。小池洋一、田中宏、わたしの3人の報告。わたしのものは「報告」というより、問題提起ないし質問といつたもの。

  • 2022.10.28 4・5日前に上北沢の自販機で100円で買った紅茶が思いのほか美味しかった。もう一度というので行ってみたら、なんとすべてが「売り切れ」。これは何を意味するか。人気が出て売り切れたのか、それともメーカが耐えきれなくなって値上げするためなのか。

  • 2022.10.27 ロバートソンの恒等式(参考資料)について再考。長い備忘録をメール仲間へ送る。

  • 2022.10.26 インプラントはなんとか直った。帰りは学芸大前から中目黒まで東横線横を歩き、中目黒から目黒まで歩いた。一時間強。さすがに疲れた。

  • 2022.10.25 ようやくKemp-Benedictの論文にコメントを送ることができた。(K-Bの論文を読みたい方はy@shiozawa.netまでご連絡ください。PDFをお送りします。)

  • 2022.10.24 インプラントの歯の一つが"抜けて"しまった。近くの歯科医に行ったが、元の歯科医でないと治療できないと言われた。メーカがわからないと対応できないという。

  • 2022.10.23 Review of Keyenesian Economicsに、Steve KeenMarc Lavoieのおもしろい応酬を見つけた。論理的にはLavoieの方が厳密だろうが、ここはKeenの直感を取りたい。会計計算では、結果の事態は記述できるが、原因や動因は分析できない。Keenはそこを言いたいのだろう。これはRobertsonの恒等式とも関係している。Lavoieを納得させるだけの説明を考えなければならない。

  • 2022.10.22 Kさんの息子のTomohiroさんの案内で、広尾一帯を散歩。オープン・カフェで久しぶりにビールを飲む。

  • 2022.10.21 Kemp-Benedict (2022)をまだ読んでいる。空はだいぶ秋めいてきた。ベニカナメモチが赤い新芽を吹き始めている。

  • 2022.10.20 富士見台のドトールがコーヒー夢姫に変わっていた。まだ開店準備中だったが、店がより開放的になって広くなった感じ。

  • 2022.10.19 Kemp-Benedict (2022)の基本の考えがほぼ理解できたと思う。生産要素の生産性が経済全体を通して上昇していくというのだが、それでは各企業が投入係数の削減に取り組んだ結果が製品価格の引き下げを通して経済全体に波及していくというわたしの考えとは根本的に異なる。

  • 2022.10.18 Kemp-Benedictの論文A classical-evolutionary model of technological change(2022)を理解するために、起源に遡って読んでいる。

  • 2022.10.17 冨田賢さんご夫妻のご招待で渋谷で会食。

  • 2022.10.15 今日は散歩で久我山駅まで歩いてしまった。苧麻によく似た草を見つけたが、花がぜんぜん違う。

  • 2022.10.14 ハロッドの『国際経済学』の第7章「不均衡の是正」(第4版,1957)を読む。これはほとんどヒューム・プロセスではないのか。失業は想定にはいっているが、感覚はすごく古い。これでハロッド『国際経済学』には失業の理論があるといえるか。例え、第6章「貿易差額」(第2版,1939)を考慮してもそう言って良いだろう。

  • 2022.10.13 インフルエンザのワクチン(無料)を打つ。注意書きを読むと、副反応がすごくあるように思うが、医者にこのことを話すと、コロナ・ワクチンとほとんど差がないらい。ワクチンというだけで過剰反応しているということか。

  • 2022.10.12 1930年代の貿易論の中では唯一失業を扱ったものとしてハロッドの『国際経済学』があるというので読んでいる。乗数理論に基づく失業の議論はあるが、何かが足りない気がする。

  • 2022.10.12 Path dependenceとLock-inとはどういう関係にあるのだろうか。技術進化の過程において、path dependenceは普遍的だが、Lock-inは珍しいのではないか。技術の進化理論においてこの辺りが明確でない気がする。

  • 2022.10.11 H. Escaithに返信。Post Keynesian Price Theory in view of Global Value Chainsに対するNew Keynesianの立場からの疑問に反論。

  • 2022.10.10 Kemp-Benidictが"A classical-evolutionary model of technological change"という論文をJournal of Evolutionary Economicsに発表したというので、論文PDFを請求。

  • 2022.10.9 元気が初めて婚約者と来訪。9月19日の国際会議のブリゼン資料をRGにアップ。

  • 2022/10.8 ようやくWeb Pageが動くようになったので、まずは7月17日日の国際価値論研究会第25回例会のわたしの報告を載せてみる。

  • 2022.10.7 寒波襲来。日中の東京の気温は札幌より低かった。高齢者招待日で世田谷文学館で萩原朔太郎展を見る。

  • 2022.10.6 元気がWEBページを見てくれて、昨日から表示と更新ができるようになった。韓国時代劇「私の国」最終回。イ・バンウォン(李芳遠)と二人の剣の使い手たちの愛憎もつれる物語。第一次王子の乱から第2次王子の乱をへて、バンウォンが世子に就任するまで。

  • 2022.10.5 サイバー適塾改めグローパル適塾の20周年記念式典。初めてZOOMにて参加。塩野義製薬株式会社の社長兼会長の手代木功氏の講演は非常によかった。パテント・クリフについて、業界3位から同10位にまで後退した企業を受け継ぎ、立て直す難しさなど。

  • 2022.10.4 福留氏はすでに7月1日に逝去とのこと。死者に手向ける書評とはならないが、学問のためには仕方ない。

  • 2022.10.3 書評は概成。しかし、言いたいことが書けていない。いろいろ削って第2案とする。T氏とI氏に第2案を読んでもらう。

  • 2022.10.2 昨日から福留の書評を書き出す。結言には活動できるのは「あと数ヶ月」と長男夫婦に宣言されており、そのための急拵えらしい。

  • 2022.10.1 満79歳の誕生日。「正月は冥土の旅の一里塚、めでたくもありめでたくもなし」の気分ますます。これは一茶かと思っていたが、一茶にしては俳句ではないと思って調べてみたら、一休の歌だった。



    2022年9月


    2022年8月


    2022年7月


    2022年6月


    2022年5月

    2022年4月


    2022年3月


    2022年2月
    2022年1月

    2021年

    2021年12月
    2021年11月
    短信・雑感の最後です。