塩沢由典公式HP

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コロナ禍で巣ごもり生活、6年近く更新停止となっていた「公式HP」を再開することにしました。2020年7月10日。
短信・雑録を2021年11月から始めました。


まずは、 著書紹介 をご覧ください。新刊の書評・反響などを紹介しています。

さいきん書いた論文などに関する情報は、こちら をご覧ください。論文の意義や反響などについても載せていきます。

2020年までのサイトに御用のあるかたは、こちら をご覧ください。

  • 短信・雑感

    2023年2月
  • 2023.2.1 Luigi Pasinettiが亡くなったと明大の八木尚志教授から連絡が来た。まだ、twitterへの個人による死亡記事しか出ていないようだ。

    2023年1月
  • 2023.1.31 高松紀夫さんのご家族から49日の忌明けのご挨拶がきた。住所をみると、なんと同じマンションの住人だった。もう5年も住んでいるが、ちっとも知らなかった。

  • 2023.1.30 ResearchGateのcitationsが502となり、ようやく500を越えた。実をいうと、このうち半分ぐらいは自分自身の引用だろう。ひょっとすると、もっと高率かもしれない。それでも、なんとか1,000までは目指したい。

  • 2023.1.29 マイナンバーカードを受け取りに区役所支所へ。NHKの大河ドラマ「どうする家康」は、お市の方を元康に娶らせようと信長が命令するという意外な展開。さて、どう落とし前をつけるかハラハラしたが、実はお市の方の初恋の人という設定であった。

  • 2023.1.28 Normal cost pricingが正いことは漠然と分かっていたが、きちんとした説明ができなっかた。一晩考えた結果、なんとかひとつの説明まではたどりついた。

  • 2023.1.27 Marc LavoieのPost-Keynesian Economicsの第3章を§3.5から§3.7までを通して読んでいる。上乗せによる価格設定(markup pricing)の各種類をおさらいするためもあり、我々の本の紹介である§3.7.4とどう接続しているのか知るためでもある。意外によく接続していてびっくり。Lavoieにとっては、まさに待っていた研究成果だったのかもしれない。

  • 2023.1.26 注文していたMarc LavoieのPost-Keynesian Economics 2nd Edition (2022)が届いた。科研費で買えることになったのでありがたい。

  • 2023.1.25 Dixit & Stiglitz (1977)と40年後にそれを回顧したStiglitz(2017)を読んでみても、選好グループ間の遷移確率を考えたものはなかった。小さな部分に過ぎないが、"love of variety"を凌駕できたかもしれない。

  • 2023.1.24 私が「強い選好」と呼んでいる「選好」(CES選好関数の指数[ふつうはσ<1]をσ>1としたもの)においても、グループ間の転移確率にあるものを仮定すると、シェアが価格比の関数となることが分かった。これが正しければ、上乗せ率が出てくるもうひとつの説明が出てきたことになる。

  • 2023.1.23 今ごろ気がついたのだが、われわれ塩沢・森岡・谷口の本Microfoundations of Evolutionary Economicsに関するシンポジウム(Tony Aspromougos, Kenji Mori, Arrigo Opocher, J. Brakely Rosserの4氏の寄稿にわれわれ3人が共著でReply/返答を書き、Metroeconomica編集長のHeinz KurzとNari Salvadoriがシンポジウム序言を書いたもの)がようやく巻号とページが確定して載っている。73巻の第1号だから、昨年中の早くに決まったもののようだ。Free to readになっているので、ここを訪れて読んでください(Downloadはできないが、PDFで読める)。我々の返答は34ページからはじまっている。プリントアウトして読みたい方は、下記email addressにご連絡ください。じつは、本やこの返答に書きれなかったことなどをEIER(Evolutionary and Institutional Economics Review)の次号か次次号のために、いま第一稿を書いている。

  • 2023.1.22 Hotellingの変形としてシェア関数が価格比の関数となる場合を感変えている。意外な進展があった。この関数は、Dixit-Stiglitz流のCES Utility functionからも導くことがてきるが、それは代表的個人が弱い選好を持つ場合に限られる。上乗せ価格の普遍性は、異なる諸個人が強い選好を持つ場合にも、同様のシェア関数が得られるであろうとことを示唆している。

  • 2023.1.21 初心に戻ってHotellingの競争を再検討している。

  • 2023.1.20 必要があって、Tony LawsonのThe Nature of Post Keynesianism and Its Links to Other Traditions Journal of Post Keynesian Economics 16(4): 503-538, 1994 を読んでいる。

    Lawsonは、新古典派の問題点が"the universal orthodox reliance upon axiomatic-deductive reasoning" (上記 p.524)にあり、Post Keynesiansがそれを暗に反対しているとしてPKに一種のエールを送っている。既存の新古典派批判(ないし主流派批判)としてこれがあたっていても、そのゆえをもってその反対的立場を異端派経済学の方法論的要請とすることはできない。

    Lawsonは科学的探究が以下のようなもものであることを認める。
    Clearly, if a knowledge of structures cannot be obtained merely through sense experience, it is hardly intelligible that they can be created out of nothing, as it were. What is a issue here, then, is a transformational conception of knowledge. From the transcendental realist perspective, knowledge progresses as existing theories, hunches, hypotheses, anomalies, and the like, come to be transformed in, and thrugh, the laborious social practice of science. (ibid. p.514)
    Given that science is revealed as a laborious social practice concerned with revealing structures governing phenomena of interest, and given the open nature of the world, it follows that methodological reasoning must be constructively involved at every stage of research. (ibid. p.515)
    Lawsonは、問題の所在をほぼ正しく把握しているといえよう。かれの問題は、それにもかかわらず、経済学の探究において数学的な方法をほとんど先験的に排除してしまうところにある。Lawsonはまだまだやや慎重である(全面的否定・拒絶にはなっていない)が、Lars Syllになるとこの排除が中心的主張にまでなっている。LawsonやSyllは、数学的思考を"axiomatic-deductive reasoning"としか捉えられず、その試行的・検討的・創造的性格をみて取れていない。科学の営みが、上に見るように、諸理論・予感(ないし勘)・仮説・異常(ないし変則)の集合から考え始めざるをえないことをLawsonは正しく理解している。しかし、でき上がった「理論」を提示するときに、axiomatic-deductiveな形をとることがほとんどであること(その認識は正しい)をみて、諸理論・諸仮説の集合を総合・再編成するにあたり、数学的思考が創造的な働きをすることを見落としてしまっている。研究における試行錯誤過程がほとんど見落とされているし、試行錯誤に先だって必要とされる相互に無関係なあるいは矛盾する諸理論の統合に向けた試みが否定されてしまっている。Lawsonは人間の論理的思考能力の限界を十分に感じていない。だから日常言語を使って経済のような巨大システムの全貌を捕まえうると考えている。それは空虚な幻想だろう。数学を使ったからといって、それは容易ではない。しかし、数学を使っての体系化という道を(ほとんど)閉ざしてしまったことで、かれは饒舌な方法論者にはなってしまった。方法論のみから新しい(とくに画期的・突破的な)理論が生まれることがほとんどないことを忘れてしまっている。そのことは、Lawsonがcritical realismを受け入れ、ontology的の導入を提唱し始めてからすでに30年近く経つにもかかわらず、かれの周辺ないしかれの方法論に刺激を受けた研究でbreakthroughと呼べるものがほとんど生まれていなことが証明している。(もし、この研究は反例ではないかというものがあれば教えてほしい。)

  • 2023.1.19 Frederic S. LeeはPost Keynesian経済学の中ではほとんど唯一の価格理論の単行本Post keyensian Price Theoryの著者だ。そのLeeが癌で亡くなる直前まで完成をいそいでいた本Microeconomic Theory (2018、Tae-hee Jo編)の中で、We don't know anything about how profit mark-ups are setと言っている(p.219)。J. E. KingのPost Keyensian Economics (2015)にも言及がある(p.51)。先行するすべての理論に不満だったようだ。

  • 2023.1.18 私がなぜLars Syllの論陣にいちいち反論しているか(昨日1.18の項参照)説明しておいた方が良いだろう。私はSyllには大したoriginalityはなく、ただTony Lawsonの経済学方法論をややまちがった方向に極端化しているに過ぎないと見ている。したがって、本丸はLawsonだが、彼の影響力はきわめて大きい。例えば、昨年翻訳が出たスキデルスキーの『経済学のどこが問題なのか』(鍋島直樹訳、名古屋大学出版)は、善意に溢れた新古典派経済学の方法論批判なのだが、その骨子のひとつに経済は開放系なのに閉鎖系として扱っているというものがある。これはRoy Bhaskarの考えをLawson経由で輸入したものだ。私の考えでは、もうこの段階からまちがっている。ガリレオの落体の法則やケプラーの惑星運動の三法則は、対象が閉鎖系であるから数式化できたのではなく、そこに数式を発見したからBhaskarのいう閉鎖系になったのだ。経済学でも事情は同じだ。下手な数学化を試みれば失敗するに決まっているが、だからといって数式化ないし数学的定式化自体が悪いわけではない。例えば、我々のMicrofoundations of Evolutionary Economicsは、数式ないし数学的定式化に溢れているが、均衡論でも方法論的個人主義でもなく、システムの全体過程を分析している。それが一見「閉鎖系」のような形に見えるのは、需要を価格の関数としてではなく(需要関数の否定)、一定の価格のもとでも緩やかに変化するものとして扱っているからだ。Lawsonは出身が数学とあるが、研究としてやったのは計量経済学(の批判)であって、まだ定かではない対象を捉えよえと苦労した経験がないのではないか。数学でしか捉えられない複雑な関係があることが彼らの議論からはすっぽりと抜けている。

  • 2023.1.17 Real-World Economics Reviewという雑誌がある。2000年頃のフランスの経済学の学生の反乱に刺激を受けて発足したのだ。その付録にReal-World Economics Review Blogがある。前にも一度紹介したかもしれない。異端派が中心になって活発な議論が行われているといえば聞こえが良いが、中にも酷いものがあり、経済学そっちのけで政策のみに関心のある人や、経済学のそもそもの素養のない人もいる。その常連の寄稿者の一人にLars Syllがある。個人のBlogのほとんどをReal-World Economics Review Blogに転載している。専門は経済学方法論・社会科学哲学という。しかし、実態はTony Lawsonのや乱暴な縮小版のようなもので、経済学の数学化や仮説演繹的モデル構築に反対する論陣を張っている。ここに紹介するのは、Lars Syllの2023年1月12日のEconomic modeling — a constructive critiqueに対する私の反論。

  • 2023.1.16 ローマ字部分が増えたら、文字が小さくて読みにくくなった。活字の大きさを変えることにした。

  • 2023.1.15 A Macroeconomics Reader (1997)のpatinkin論文のすぐ後にはBill GerrardのKeynes’s General Theory Interpreting the interpretations (Economic Journal 1991)が載っている。Gerrardは知らない人だが、解釈学の人らしい。"The significance of Keynesian economics depends on its ability to provide an understanding of how the economy actually works. The significance of Keynesian economics does not depend on being the economics of Keynes. What Keynes himself believed is a question for the historians of economic thought, not for macroeconomists."(p.106) ときわめてまともなことが注意されている。問題は、"an understanding of how the economy actually works"であろう。Gerrardの理解では"A principal aim of Keynesian economics has been to give a definitive answer to the question ‘What does Keynes’s General Theory really mean?’"(p.95)ということで、これでは"an understanding of how the economy actually works"と乖離してしまうが、「ケインズ経済学」の実情を伝えるものとは言える。そうなった根本の理由にPasinettiのいうparadigm changeの未実現があろう。コペルニクス(1473–1543、『天界の回転』は1543)の地動説のあと、ケプラー(1571–1630)、ニュートン(1642–1726、奇跡の2年間は1965-67)と120年以上かかった歴史とほぼ同じことを経済学もくりかえしているのだろう。

  • 2023.1.14 どういう風の吹き回しだったか忘れてしまったが、Don PatinkinのOn different interpretations of the General Theory (1990、A Macroeconomics Reader 1997 所収)を読んで、変なこと(=新しいこと)に気がついた。Patinkinの問いは、Keynesにはなぜこれほど多様な解釈があるのかというものだ。ほぼ同時代のHicksやSamuelsonの主著と比べれば、その違いは歴然としている。Patinkinの結論は、General Theoryがそれだけ大きな革命だったというものだった(そのことは別に考えたい)。その中で、fundamental uncertaintyに注目してケインズ革命を考えるという習慣は、General Theory出版後約四半世紀後の1960年代から始まったと指摘している。Sydney Weintraubの Classical Keynesianism, Monetary Theory, and the Price LevelとGeorge Shackleの展望論文‘Recent Theories Concerning the Nature and Role of Interest’とが1961年に現れ、Joan Robinsonの活躍もあって、IS-LMおよび45度線分析が衰え、代わりにuncertaintyがケインズ革命の中心に考えられるようになったらしい。こうした変化を背景とすると、Paul Davidsonなどアメリカ中心の(というよりReview of Post Keynesian Economics中心のか)Post Keynesian Economicsが成立し、それが過度にuncertaintyを強調するものになってしまったことがわかる気がする。Patinkin (1990)の簡単な紹介は、ここのJanuary 9, 2023 at 7:23 amのわたしの記事をみてください。

  • 2023.1.13 散歩していたら幸福実現党の政治ポスターが目に入った。なんと「勤勉革命」がその中に入っている。今年出すはずの本の題名を先取りされている。冗談ではないと思って帰ってWEBで調べてみたら、「バラマキやめて「勤勉革命」」が七大政策のひとつらしい。「勤勉革命」の内容は、「二宮尊徳の精神」とあって、私の本と無縁ではない。私の本が二番煎じになってしまうではないか。

  • 2023.1.12 HarcourtとKriesler編のThe Oxford Handbook of Post Keynesian Economics (1)を読んでいる。もちろん大部なもので全部は読めないが、Ken Coutts and Neville Normanの18. Post-Keynesian Approaches to Industrail Pricing : A Survery and CritiqueやRobert Dixon and Jan Toporowskiの20. Kelckian Economicsはとても良かった。特に後者からはKalecky派の概要がはじめてわかった気がした。Keynesとの違いとして指摘されていること(価格理論の存在、投資に対する長期金利の無効性)など、その後のPKでどのくらい生かされているのだろうか。

  • 2023.1.11 昨年12月のポストケイズ派経済学研究会の後の飲み会で経済学のあり方が問題になった。私が「真理に対する愛が足りない」と言ったら、ある人が「真理などというものはオーム真理教と同じで怪しげなものだ」と言った。確かに怪しげなところはあるが、しかし真理追求の意欲なしには経済学は進歩するだろうか。

  • 2023.1.10 歯医者に行ったら、またセラミックで補綴が必要となり、金37,400円の予告。

  • 2023.1.9 Keynesは自分の理論をtheory of output as a wholeと名付けたが、それを語る理論枠組みを持たなかった。その枠組みがなぜ半世紀以上現れなかったか、なぜそれが谷口・森岡の結果を待つ必要があったのか、その理由がわかった。

  • 2023.1.8 年末に買ったCANONのプリンタGM4030、PCとつなげようとしてみたら、Macに対応するDriverが存在せず、新しいPCから直接に印刷することは不可能なことがわかった。いくら特殊機種とはいえ、CANONさん、それはないだろう。

  • 2023.1.7 昨日買ってきた七草のセット、ひとつずつ調べる前に炊かれてしまった。

  • 2023.1.6 Kingはmicrofoundationsが原理的に不可能という立場。その理由として①downward causation、②fallacy of compositionの二つの存在をあげている。downward causationの証拠のひとつとして創発特性を上げるのだが、果たしてこの分類の立て方は適切だろうか。

  • 2023.1.5 J.E.KingのThe Microfoundations Delusionを読んでいる。前にイナゴ読み(grasshopper reading)をしたことはあるが、ほぼ通して読むのは初めて。元旦から5日間かけてようやくなんとか読み通した。表題が示すように、これはPost Keynesian経済学にmicrofoundationsを与えようとする我々の意図と正反対の立場の本だが、microfoudnationsをめぐる複雑で錯綜した立場の全体像をなんとか掴むことができた。

  • 2023.1.4 年賀状をいろいろいただいたが、整理している時間がない。なんとか松の内にやれればと思っている。

  • 2023.1.3 箱根駅伝は、往路・復路とも中央大学が2位。昨年は、久しぶりにシード権獲得と復活基調だったが、2位は予想外の大健闘。来年100回大会の優勝を目指す位置につくことができた。

  • 2023.1.2 今年は家に集まることをやめて渋谷のホテル・セルリアン内のレストランで会食。わたちしたち夫婦と長男、次男夫婦、長女と、今年長男と結婚予定の一人と計7人。

  • 2023.1.1 今年の年賀状を公開します。しばらくお待ちください。



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