塩沢由典公式HP

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コロナ禍で巣ごもり生活、6年近く更新停止となっていた「公式HP」を再開することにしました。2020年7月10日。
短信・雑録を2021年11月から始めました。


まずは、 著書紹介 をご覧ください。新刊の書評・反響などを紹介しています。

さいきん書いた論文などに関する情報は、こちら をご覧ください。論文の意義や反響などについても載せていきます。

2020年までのサイトに御用のあるかたは、こちら をご覧ください。

  • 短信・雑感

    2024年

    2024年11月
  • 2024.11.3 Normal cost pricingの適切な日本語訳がないか探していたら、ぐうぜん高野学氏「原価計算基準における価格計算」に関する二論文に出会った。考え見れば、価格設定と原価計算とはもっと深く結びついていていいはずなのにそうでないのは、新古典派経済学の理論枠組みにのりにくいからであろう。

  • 2024.11.2 信用創造量の上限について一案を思いついた。これで内生的貨幣供給論に新しい視点/論点を付け加えられるかもしれない。

  • 2024.11.1 ケインズ学会での報告に関連して、accommodationistの説明のうち、信用創造量に上限があるのではないかと考えるようになった。



    2024年10月
  • 2024.10.31 ケインズ学会での報告内容をようやく絞りこむことができた。表題から連想されること全部を話していたのでは、通りいっぺんの講演に終わってしまうだろう。すでに論文のあるものは、主題の紹介にとどめ、何か一つ掘り下げたかったのたが、けっきょく金融経済研究会で話したことを、もう少し構造かさせてていうことになった。

  • 2024.10.30 RealWorldEconomics BlogのLars Syllの寄稿には少し異論がある。Syllの批判の趣旨はわかるのだが、そのすべてを"貸付資金説"(loanable funds theory)と片付けて良いのだろうか。Syllは日頃Leijonhufvudを持ち上げているのに、Leijonhufvudが1981年の著書 Information an Coordination (日訳『ケインズ経済学を超えて』)の第7章 The Wicksell Connection: Variationon a ThemeでKeynesのLiquidity preference theoryを批判して、RobertsonのLoanable funds theoryを支持していることを知らないのだろうか。この点を指摘したのがここ。Syllの寄稿にはGary Holthamが最初に投稿している。HicksのIS-LMに触れて、こう指摘している。それ(IS-LM)が色々と問題があるにしても、結果(outcome)を導くのは、実物市場(real markets)と資産市場(asset markets)の双方だという洞察を伴っていた。マネタリストはIS部面(real part)を忘れてしまったし、第二次大戦後のケインジアンたちはLM部面(money demand)を無視できると考えてしまった。この批判はなかなかおもしろいと賛意を表明。

  • 2024.10.29 事情があって、ガラ携からSmartPhoneに帰る必要があり、妻と一緒に手続きに。ほぼ午後前日かかってしまった。

  • 2024.10.28 金融経済研究会Tokyo Kreisの研究会。コロナ以降WEB会議形式となり、今日は私が初めての報告。ケインズ学会での報告内容を固めるための予行演習として誓わせてもらった。
    気づいてみたら、RealWorldEconomicsReview Blogでの私のコメントが公開されていた。消えてしまったと思われたが、moderationを待っていたということらしい。Keleckianを自認することひとは、ぜひ読んでほしい。

  • 2024.10.25 RealWorldEconomicsReview Blogの"Falling shares of labour income"にひとつの疑問を投稿したが、操作をまちがえたのか、消えてしまった。もういちど英語で書くほどの元気もないし、諦めることにした。C. P. ChandrasekharとJayati Ghoshは、世界のLabour shareが低下しているというのだが、それはそれほど憂慮すべきことなのだろうか。Figure 1でわかるように、2008-10年の金融危機と2020-21のコロナ危機には、総所得に対する労働シェア(自営業者の取得を労働所得に含む)が突出している。このとき、働くものの状況(雇用や収入)がよくなったと言えないとしたら、Labour shareが上昇している(下落している)ことは、どういう意味をもつのだろうか。Kalecki派の経済学者の多くはwage share / profit shareに強い関心を示すが、それは一体どういう意味を持つのだろうか。

  • 2024.10.20 八木孝昌が死んだと、加藤勝美さんが電話で知らせてくれた。わたしにとっては、大阪市大生協の八木さんだが、晩年は「解析的方法による万葉歌の研究」(2010)や「新・五代友厚伝 近代日本の道筋を開いた富国の使徒」(2020)を残した。googleに「熟田津に 八木」と入れてみたら、岸和田健老大学の講演の記録がたくさんの写真ででてきた。加藤さんの話によると、八木さんは散歩にでていて頭を打ったらしい。

  • 2024.10.19 安田常雄が死んだ。新聞の死亡欄は、あまり見ないのだが、妻が西田敏行の死因が「虚血性心疾患」という記事を読んでいたのでふと見ると、安田常雄の死亡記事。国立歴史民俗博物館に移ったことを知らなかつたので、歴博名誉教授とあって、別人か、よかったといっしゅん思った。先まで読んでいくと鹿児島大助教授とでてきて、「思想家の科学会研究会」会長を務めたとあり、まちがいなく私の知っている安田常雄だつた。安田とは、ノイラートの関係で、メールを通していろいろ話し合ったが、そのときはちょうど鹿児島大(1980-86)の頃だった。東大経済で院まで出ていることなど、まったく知らなかった。亡くなったのは9月12日という。かれも虚血性心疾患だった。

  • 2024.10.13 金木犀の香りがした。今年の第一号。

  • 2024.10.11 岡敏弘氏の9.22の報告に対する「追加的考察」とそれに対する岡氏のresponseへの「補足」をようやく書き上げ、発信。

  • 2024.10.8 今日午後6時から日高暢子さんのお通夜。出席できないので、小さなお花を贈らせてもらった。

  • 2024.10.7 今日未明、日高暢子さんが亡くなられたとのこと。1970年代・80年代、たいへんお世話になった。

  • 2024.10.1 人生80回目の誕生日。つまり、満81歳。ここまで生きるとはあり考えてこなかったが、あっとうまであったような気もする。



    2024年9月
  • 2024.9.24 ようやく涼しくなった。猛烈な猛暑日よ、さようなら。

  • 2024.9.23 金融経済研究会Tokyo Kreis.報告は、星野智樹氏。DTD(Originate to distribute)型金融における信用創造と金融仲介。多くの議論が出たが、ある中心概念(「信用創造」あるい は「貨幣」)の定義と再定義の問題に行き着く気がする。通常は、既存の定義に基づいて考えなければならないが、経済学では対象が時代とともに変化し、新しい事象・新しい装置が現れて、旧概念が想定しなかった形で類似の機能を担いはじめる。その時、その機能のを担う事物を旧概念に含めるのか、新概念を構築するのか、という分岐点にたつ。この点を自覚して議論しないと、新しい事態が見えてこない。

  • 2024.9.22 国際価値論研究会(第30回例会)。報告者:萩原泰治、岡敏弘、塩沢由典。久しぶりの会食でビールを2杯のんだら、家にだとりつくのに精一杯だった。

  • 2024.9.20 大谷翔平、50-50を超えて、一試合で51-51へ。良いニュースがない近頃、数少ない良いニュースに感謝。

  • 2024.9.12 明治の国際学会の二日目。Richard van den Bergの講演La machine économique / Reproduction, Capital and Machines in Quesnay, Turgot and Isnardを聞きにいく。英語ではあまりよくわからないが、論文を事前に読むことかできたので、問題の大きさに刺激された。機械問題というと、私などはRicardoのPrinciples第3版第31章「機会について」を思い出すが、van den Berg教授によると、QuesnayやTurgotの時代(つまり重農主義の時代)にすでに機械の導入による失業という問題が議論されていたことになる。この観点に立つと、経済学は分析手法は進化したかもしれないが、250年間、ほぼ同じ問題を抱え続けてきたことになる。もうひとつ言えば、同様の構造がこくさみかにもある。つまり、貿易の利益はとうぜんにあるが、機械と同様に、貿易による失業や産業衰退がある。後者は現実問題であるにもかかわらず、貿易論(の少なくとも理論)ではあまり問題にされていないことに問題がある、というべきかもしれない。

  • 2024.9.11 明治大学の恒例のInternational Conference on Economic Theory and Policyで報告。論題はPrice versus Demand Competition / Comparing SMT and FIE.このSMTはShiozawa, Morioka, and Taniguchi (2019) Microfoundations of Evolutionary Economics、FIEはOppocher and Steedman (2015) Full Industry Equilibriumを指す。OppocherたちのFull Industry Equilibriumが経済学の歴史上どういう意味を持つか、本当の所はよくわからない。応募したときは、SMTについて、需要の理論がない、競争がないとなどとOppocherがMetroeconomica誌上で批評していたのに反論するだけで良いと思っていたが、色々調べてみると、Full Industry Equilibriumの欠点も見えてきた。非主流派のPost Keynesian economicsの中の、さらにSraffianの内部の意見の違いであり、狭い井戸の中の争いであることは確かだが、見えてきたものもある。まずは、FIEが産業を分析単位としているのに対し、SMTは商品(製品)を単位としている。この結果、FIEでは、類似製品の平均(?)を分析する必要がある。もし同一産業内で価格差があるとすれば、それに対応した需要の違いを分析できるが、Oppocherたちの主目標は、そうした競争ではなく、各産業の利潤率の違いが平均化される過程に興味があるようだ。これは、long-period analysisの伝統的な考えであり、Ricardoに忠実な考え方だ。しかし、私に言わせれば、産業間の利潤率の平均化・均等化は、現実にはほとんど観察されない事象であり、現実の経済を分析しようとする指向性の弱いものにすぎない。これに対し、SMTが商品を単位としていることは、価格設定を行った上でも、販売量をより大きくしようと努力している状況を技術するものともいえ、競争はFIEより、SMTの方がより現実的に捉えている。こうした違いは、今後、おりに触れて強調していく必要があるだろう。

  • 2024.9.10 ここ一週間ほど無理がかさなっていたのが、学会は休んで、一日中うとうと。

  • 2024.9.9 The end of Walrasian paradigmを報告。

  • 2024.9.8 Allissonさんからcommentが届く。比較的正確な紹介の後、commentひとつと質問ひとつ。プリゼン用PPTの最後にsheets2枚にまとめる。Timponelli論文へのコメントとしては、森嶋さんのWalras理解に絞ってコメントすることにした。

  • 2024.9.7 事前にお願いしていたCommentsがまだ届かない。Allissonさんに催促。コメンテイタを頼まれた、Luca Timponelli (University of Lausanne)の論文Walras' theory of the progressive stateを一生懸命読む。Walrasがprogressive stateととして何を考えていたのか・構想していたのかは興味深いが、全体として何を言いたいのか、さっぱりわからない。

  • 2024.9.2 Walras学会用論文を藤本容啓氏に読んでもらい、討論。



    2024年8月
  • 2024.8.31 関根友彦先生の『私が学んできた経済学―新古典派理論から宇野理論へ』の書評(『季刊 経済理論』向け)を仕上げる。6月いっぱいと依頼されていたのが、2ヶ月伸びてしまった。

  • 2024.8.20 国際ワルラス学会の原稿をようやく仕上げる。The end of Walrasian paradigm?。今年はWalrasのElément de d'économie politique puresの初版(第一分冊)発行150周年という記念好きべき年だが、論文の内容は、一般均衡というパラダイムが、Walras以降の150年で理論の賞味期限を迎えたというもの。

  • 2024.8.8 安木新一郎さんの『貨幣が語るジョチ・ウルス』をCambridge大のKubilay Atikさんが書評してくれたというで送ってきた(GOLDEN HORDE REVIEW. 2024, 12(1))。日本語の本について、英語で書評が出るとこと自体が珍しいのに、読んでみると大変な褒めよう。Golden Hordeというのは、今のクリミヤあたりを拠点とした汗国の一つで、今のウクライナの"ルーツ"のひとつ。ただ、13世紀以降というのに、まだこの時代は、ウクライナあたりでは、まだ歴史記録がほとんどなく、考古学的考察が必要なのだという。昔、教科書では「キプチャク・ハン国」(金張汗国)と書かれていたが、現在では使われていないという(ja.Wikipedia「ジョチ・ウルス」)。
    そういう知識もなく『貨幣が語るジョチ・ウルス』を読んでいたが、書評によると、これが世界的な研究なのだという。英語に翻訳して、共有の知的財産にすべきだとまで書いてあつな。まずは、安木さんの快挙に乾杯。

  • 2024.8.2 この2・3日調子が悪いと思っていたが、熱が出て、医者に行くと、コロナに違いないという。ただ、もう検査は推奨しておらず、対策も風邪と同じ対症療法のみという。5日分の抗生物質をもらってきた。

  • 2024.8.1 公一さんの初盆に参加予定だったが、コロナで取りやめ。



    2024年7月
  • 2014.7.20 妻がコロナに。

  • 2014.7.19 ケインズ学会で予定確定。報告者に、吉川洋さん。

  • 2014.7.18 東京は今日、梅雨明け宣言。ケインズ学会のでの報告登録。

  • 2014.7.16 歯医者さんで恒例のメンテナンス。

  • 2014.7.14 Jean-Baptiste SayのTraité d’économie politiqu (1803)の有名な販路章が
    Les entrepreneurs des diverses branches d'industrie ont coutume de dire que la difficulté n'est pas de produire, mais de vendre; qu'on produirait toujours assez de marchandises, si l'on pouvait facilement en trouver le débit.
    という文章ではじまっていた。これはSraffa (1926) 以前のSraffa原理ではないか。なんとが読んだはずなのに、なぜ今まで気が付かなかつたのだろう。探せば、他にもある証言なのだろうか。

  • 2014.7.13 ようやくWalras学会用の論文を書きはじめる。大したことができてなくても、やはり一仕事するとあとは2日ぐらいは本調子にならない。

  • 2024.7.9 貿易論の関良樹先生の招待により、立教大学で講義。



    2024年6月
  • 2024.6.29 立教大学で進化経済学会「現代日本の経済制度部会」の研究会。森岡真史さんの報告は、やはり充実したものもだったが、質疑は、残念ながら、SMTの新しい枠組みに基づく議論というよりは、旧来型の経済学の常識にもとずくものが多かった。ルカによる福音書のマルタとマリアを思いおこしてしまった。

  • 2024.6.27 HOPE (History of Political Economy)からレフェリーの依頼があり、編集長がKevin Hooverというので感激して引き受けてしまった。(Samuelsonのいう)Ricardoの「魔法の4つの数字」(英語では Four magic numbersだが、魔法は4つの数字の組み合わせにあるので、正確にはこういうべきだろう)に関する初歩的な誤解=無理解にもとづくもの。投稿者がIPE (International Political Economy)の専門家であるせいもあるが、魔法の4つの数字の「代数的」な理解が欠けていることにも原因があろう。仕方ないので、無理に忙しくなるのは承知で、簡単な解説を書くことにした。

  • 2024.6.26 梅雨で鬱陶しいので、この数日、あまり散歩にも出かけなかった。今日久しぶりに1時間ほど歩いてもみると、体が重い。やはり歩くのも、日ごろの鍛錬なのだ。

  • 2024.6.25 ReserachGateでTony AspormourgosのWhat Is Supply-and-Demand? The Marshallian Cross Versus Classical Economics. Review of Political Economy 31(1), 26-41を請求していたら、PDFが送られてきた。趣旨は、古典派と新古典派の考え方の違いについてだが、中にAdam SmithはDemand and Supplyという表現を使っていない、という注意があった。それでWealth of Nationsを検索にかけてみると、supplying the demandといった表現が多い。つまりsupplyはほとんど動詞として使われていて、供給量を意味する名詞としてのsupplyはほとんどない。SMTの基本のイメージは、企業が需要に反応して供給するというものだが、その原初的なイメージはすでに『諸国民の富』にあったというわけだ。

  • 2024.6.24 明治大学で毎年催される国際会議に今年も応募。応募題目はPrice versus Demand Competition / Comparing SMT and FIE。副題のSMTは、我々の本Shiozawa, Morioka, and Taniguchi (2019) Microfoundations of Evolutionary Economics, Springer, Tokyoを指すが、 FIEはOpocher and Steedman (2015) Full Industry Equilibrium: A theory of the indutstrial long run, Cambridge University Press, Cambridge.なぜFIEのような本が出たのか不思議だったが、色々調べてみると、Opocherに引きずられただけでなく、Steedmanも意外に本気だったようだ。しかし、FIEのように、新古典派の需要・供給均衡を認めて、その供給曲線/供給関数の形態に普通に認められるものではない異状例があることを指摘してどんな意義があるだろう。SMTによれば、価格の関数として需要や供給を考えること自体が問題なのだ。SMTでカバーできない状況として、原始要素(primary factors)が2種類以上ある場合があるが、それも賃金に一定の比率をもつとすればSMTの場合に帰着する。

  • 2024.6.21 今日は、夏至で、関東が梅雨入り。わずかの雨の合間に散歩に出かけたが、濡れて帰ってきた。しかし、家にたどり着くことろには、また晴れ間が。
    OpocherとSteedmanのFull Industry Equilibriumを覗いている。これがSteedmanが書いたと思うと、疑問になることがいっぱい。例えば、FIEの分析の一つとしてHOS理論を挙げている。SteedmanはHOSのような貿易理論を是認しているのだろうか。

  • 2024.6.15 知らなかったが、Roberts Solowが昨年末(2023年12月21日)に99歳で亡くなったという。長年、Solowの集計的生産関数とそれに基づくresidual (いわゆるSolow残差) 概念を批判してきたFelipeとMcCombieが「追悼」の意(?)も込めてThe Aggregate Production Function and Solow's "Three Denials"を発表している。2013年の本にない情報が含まれているわけではないが、1本の論文に集計的生産関数に関する三つの問題点取り上げ、それぞれ簡潔に紹介しているところが良い。Solow residualは、total factor productivityと名付けられて、(新)古典的成長理論(Solow流)として開発経済学の中核概念になっているほか、Residualの短期の変動に注目したPrescottとKydlandによって、実物景気循環論Real Business-Cycle Theoryに仕上げられ、New Classical Macroeconomics、つまりいわゆる主流派マクロの中核となっている。Hodrick-Prescott filterのような工夫は評価するが、Solow residualの短期変動がすべて技術ショックの結果であるといった解釈はまったく買えない。

    6月9日にfirst draftがようやく完成した論文の§2と§3は、(1)集計的生産関数概念は不要である、(2)Solow residualについては、より精密な解釈が可能である、を二つの骨子としている。主流派理論の非現実性をあげつらっている時代は早く終わりにして、異端派が現在の主流に代わる新しい理論と分析を提案する時代がきている。

  • 2024.6.13 散歩していると、真紅の花をつけた樹の横に梯子をかけて何か手入れしている人がいた。花の名前を聞くと、海紅豆(カイコウズ)と教えてくれた。聞くだけではなかなか花の名前が頭に入らなかったが、漢字の一字一字まで丁寧に教えてくれて、ようやくわかった。アメリカデイゴともいい、沖縄で有名なデイゴの花の近縁別種らしい。今は、あらゆる花が咲いて綺麗だ。ところどころに咲いているユリが綺麗だし、ある家ではハマユウ(らしきもの)が咲いていた。

  • 2024.6.12 今年4匹目と5匹目のアゲハの幼虫が羽化した。一日部屋においてやり、そのあと話してやると元気に飛んでいった。本当は、巡回して帰ってきてくれるといいのだが、どうもそういうわけにはいかないらしい。

  • 2024.6.9
    5月22日以来更新が切れてしまい、一部の方にはご心配いただきました。元気にやっていたのですが、新しい論文(本来1月末には仕上げるべきもの)が伸び伸びになってしまい、WEBの更新やメールの発信もやらずに、論文執筆に専念しておりました。なんと言っても、年のせいか、なかなか期待したようには進みません。それでもなんとかようやく第一草稿ができ上がりました。

    以下に、論文表題と目次を掲載しておきます。

    New Frontiers of Post Keynesian economics

    Contents

    第一草稿ですが、ご希望の方にはPDFをお送りします。ご意見をお聞かせくだされば、幸いです。メールy@shiozawa.netまでご請求ください。

  • 2024.6.8 論文はまだ仕上がらないが、映画『倭文(しづり) 旅するカジの木』を見に行く。


    2024年5月
  • 2024.5.22 三匹目のアゲハの蛹が今朝羽化した。最初、足がもつれあって様子が変と思ったが、少し突いてもつれをとってやると、正常になった。あれだけ複雑な体を蛹の中に畳み込んでいるのだから、羽化するのも大変なはずだ。半日ほど室内で休ませて、夕方、大空に話してやった。

  • 2024.5.20 二匹のアゲハは、無事巣立っていった。雨降りではかわいそうと思っていたが、十分晴れてよかった。6月近づいて、もう紫陽花が蕾を大きくしている。

  • 2024.5.19 けさ、あげはの幼虫が二匹、羽化した。まだ、うまく飛べないが、ぶじうまれた(羽化した)ようだ。

  • 2024.5.18 独占研究会。駒沢大学での初めての研究会だったが、参加者が少なく残念。報告者はよい問題提起をされたと思うが、参加者の方にきちんと対応しようという意欲が見られなかつたのは、現在の異端派経済学の実情の一端を示すものであろう。ちなみに問題提起の文面を正確に写しとっておくと、以下のものであった。
      マルクス経済学では、新古典派の「解雇規制・賃上げ雇用悪影響論」にどのように理論的に対峙するか?
    マルクスに居直るとか、新古典派を非難する発言はいくつもあったが、自分ならこういう理論と事実とを積み上げて、こう反論するという発言は私の理解する限りなかった。理論において対決するという姿勢を失ってしまったのだろうか。

  • 2024.5.17 Real Business Cycle理論を展開した論文、批判的に検討した論文など、WEB上で読めるものをかなりランダムに読んできて、ある程度の感覚は掴めたが、固定価格経済(constant-price economy)の範囲と技術変化の現象とをうまく仕分けするのが難しい。

  • 2024.5.15 Prescott地震によるReal Business Cycle theoryに関する論文をんでいたら、次の章句があつた。
    Friedman and Schwartz (1963) argued in a comprehensive empirical study that monetary shocks are the major cause of business cycle fluctuations. They observed that sharp declines in the money stock occurred prior to severe economic downturns.

    The apparent inconsistencies of economic fluctuations with economic theory that abstracted from money led to widespread acceptance of the Friedan-Schwartz view even though a theoretical foundation was lacking. Real business cycle theory finds that a major fraction of US postwar business cycle fluctuations is accounted for by persistent shock to total factor productivity (see Kydland and Prescott (1991)). If money is not a major contributing factor to business cycle fluctuations, why is money highly correlated with output? Freeman and Kydland (1998) provides a possible answer to using a transaction based theory of money.
    (Edward C. Prescott 1998 Business Cycle Research: Methods and Problems)
    私とPrescottとでは、正反対の立場かに立つというべきだが、この感変えには同意できる。

  • 2024.5.14 金融経済研究会。今日は塚田さんの報告。「物価は貨幣的現象か」

  • 2024.5.11 9日に「ひょっとすれば」と書いた"Solow residual"は、やはり手強く、昨日は1日中、ああだこうだと考えて先に進まなかった。今日は、諦めて会計恒等式そのものを微分してみたら、案外簡単な式が得られた。これはハット操作(成長率をとる操作)の代数学で、式の変形そのものにはなんの内在的な意味もないのだが、それでも問題の見通しがだいぶよくなった。数学の効果とは、そんなものだ。Lars Syllはこのあたりのことがわからず、経済学の研究に数学を使うことに反対しつづけている。

  • 2024.5.10 前に見つけて飼っていたアゲハの幼虫が3匹とも蛹になりつつある。ブラシの木が花盛り。

  • 2024.5.9 Solow residualについてBurnside, Eichenbaum and Rebelo (1996)などを読んでいる。ひょっとすれば、Cobb-Douglasによらない"Solow residual"の考察ができるかもしれない。

  • 2024.5.8 薬が切れたので、病院へ。昨日一日開けたのだけれど、やはり連休明けのせいかこなり混んでいた。午後に薬局に行くと、ほとんど1日終わってしまつた。おまけに、午後はユガタカからかなりの大雨。

  • 2024.5.5 5月もすでに子供の日。Real-World Economics Review Blogの記事で、HANKについて知ることができたのは幸いだったが、そこにghholthamがLars Syllに質問を書いていた。どうせまともに答えないだろうと思ったが、さらに追加して答えづらくしてしまった。いつも批判ばかりで、新しい理論を作ろうという気もなく、本人だげならともかく、もっと若い人たちにもその可能性を閉ざすような論説を繰り返していることに腹を立てているためだ。多少大人気のない気もするが、まずはここを読んでみてください。
    赤い花をつけているマロニエの木をもう2本発見した。蘆花公園の南側道路を歩いていたら、赤い花がみえた。よく見るとブラシの木だった。


    2024年4月

  • 2024.4.30 一昨日のPeter Skottの論文の序文から一部を投稿しておいたら、ようやく今日、みられるようになった。Skottの本は、後で目次と各章の要旨を読んでみたら、Structuralistと言っても、まだまだと思った。それでも、こういう新しい試みをそれぞれの異端派が行う以外に、経済学を革新していく道はないだろう。

  • 2024.4.29 近くの大きな屋敷林をもつ家の庭に一本のマロニエ(トチノキ)があり花を咲かせていた。それで思い出して、駅前のスーパ近くの公園にあるマロニエの木を見に行った。ここも花をつけていたが、2本のうちの1本は少しいきよいがよくなかった。ベランダに妻が栽培しているみかんの木にキアゲハが三つたまこを産んで行った。もうそういう季節かと思い、散歩中に探してみたら、3匹の幼虫を見つけた。ただ、一匹はとる途中で枝を落としてしまい、見つからなかつた。

  • 2024.4.28 たまたまPeter Skottの論文"Challenges for Post-Keynesian macroeconomics: a behavioural and structuralist perspective"(Petersen and OLsen 2019 Progressive Post Keynesian Economics, Chapter 2)に出会い読んでみるとなかなか良い。本論の方は、議論の多いところでゆっくり考えなければならないが、この章のIntroductionにはほぼ全面的に賛成だ。Skottの良いところは(1)明確な異端派でありながら、主流のmacroのことをよく知っていること、(2)ある主張が現実の経済とどう関係するか明確なイメージがあることだ。去年出版された本Structuralist and Behavioral Macroeconomicsがあると知り、目次も見ずに衝動買いしてしまった。

  • 2024.4.26 論文の構想はほとんどできたが、実際に書くとなると、まだまだ調べてむ詠まなければならないことがあり、なかなか進まない。それでもなんとか連休中には終えたいものだ。

  • 2024.4.25 今年はなぜかツツジの白い花がみんな元気で、色々なところにめだっている。

  • 2024.4.23 1月中に書き上げるべき論文にいまだ苦吟している。内容も表題も変えなければならないようだ。

  • 2024.4.22 ResearchGateに載せた異端派5冊の書評に1日1テーマでコメントを書いている。今日は、"Post Keynesian constant price macroeconomics"。これは、実はほとんどHeinsの本の第4章のもじり。なかなか他に見ることのない斬新な主題だが、内容がとぼしい。「数量調節の豊かであるべき世界」がいまだ貧しいということの象徴的事実か。

  • 2024.4.21 4月19日にResearchGateが我々の本(Shiozawa, Oka, and Tabuchi 2017 A New construction of Ricardian theory of international values)の読者が300人になったと知らせてきた。本を一冊丸々読んだ読者が300人なら大したものだが、これは通りがかりにAbstractを読んだだけの人も含まれている。2017年から7年も経っててるのに、この知らせは嬉しいというより悲しい。本の紹介ページのcommentに、異端派の人たちは、どうして機敏でも敏感でもないのだせろうとこぼしたら、Hubert Eschaithが私信でメキシコなどて長年はたらいた経験からいうと、"They [Post Keynesiansなる人たち] have little appetite for developing a proper theoretical corpus, especially if it builds on micro-foundations"なのだから、お前は働きかける標的をまちがえている。そうではなく、"try to invite the neo-classic economists to the debate"というのだ。この忠告はほとんど正しい。悲しいことだが、真実だろう。

  • 2024.4.19 「数量調節の豊かな世界」と言う主題を発見したが、その中に盛り込む内容で苦戦している。もちろん、これまでの経済学のほとんどは部分的には入るはずだが、「数量調節の豊かな世界」を代表すべき内容がまだ発見できていない。

  • 2024.4.18 簡単なことだが、ある会社のある製品に対する需要は、一般にどんな時間特性をっているのだろうか。週、月、季節性をもつだろうが、それらを抜き去る時、何か法則と言えるようなものがあるのだろうか。価格に対する反応といった研究は山ほどあるのに、なぜかこうした研究がほとんどないような気がする。ここ何日間か、WEB上で探しているが見つからない。何か別のキーワードがあるのか。

  • 2024.4.17 近くの植木屋さんま畑では、ことしもシャクナゲが大きな花をつけている。京都から今年も届いたタケノコで、今日はタケノコご飯を炊いた。

  • 2024.4.16 大阪市立大学で同僚だった正木八郎氏が亡くなられた。79歳。私より一年若い。肺炎で高槻病院に入院されていたが、4月4日になくなり、葬儀も4月8日に済ませられたとのこと。

  • 2024.4.15 植村さんに「数量調節の経済世界」について説明、いろいろ疑問を出してもらう。3時に始めて後半は雑談。9時近くまで。

  • 2024.4.14 倉橋・高木両氏と遅ればせのお花見。新宿御苑に行ったが、入場前からすでに長い列ができていてびっくり。しかし、内部は広く、ゆったりと見物もでき、お花見もできた。ソメイヨシノはほとんど葉桜になっていたが、「一葉」がちょうど見頃で、見事だった。そのほかには、「関山」。珍しいものでは「欝金」。

  • 2024.4.13 近くの都営住宅の建て替えが進んでいる。その一角に、ユリノキが9本あり、芽を吹いている。これらは切られることなく、残されることを期待したい。

  • 2024.4.12 高橋医院の周りのツツジが今年も綺麗に咲いている。ツツジの花の色がこれほど色々だとは毎年驚かされる。久しぶりに散髪。

  • 2024.4.10 先週はそんなことがなかったのに、ケヤキが一斉に芽を吹いて、甲州街道が急に彩り豊かになった。今日は、久しぶりに久我山まで散歩。

  • 2024.4.9 数量調整の世界について考えていたら、変なパラドックスを見つけてしまった。一日考えてみたが、うまい説明がわからない。

  • 2024.4.8 Ostromははや第1章でブレーキ。読んでも意味が通じない箇所がかなりある。

  • 2024.4.7 長男夫婦が桜見物に来訪。マンションのサクラのほか、近くの介護付きケアハウスの一本たちのサクラ、近くの民家の角に見つけた「横浜緋桜」(新種だろうか)、他に小さな植木屋さんが入り口横にそだてているちょっと変わったサクラを見てもらう。名前がつていないのだが、花がかたまりになって咲いている珍しいもの。

  • 2024.4.6 マンション入り口のサクラも、ほぼ全開。近くの通りのサクラもほぼ先揃っている。ただ、街路のものは家や道のかげんか太い枝が切られたものが多く、やはり少しいびつな感じ。昔から、桜切るばか、梅切らぬばか、というが本当にそうだ。

  • 2024.4.4 東京もサクラの開花宣言。

  • 2024.4.3 家の東側のコブシもほぼ満開となった。ただ、残念なのは、花が咲いた後、花びらが茶色くなって残ること。雨に濡れたせいかもしれないが、せっかくの白い花が一部茶色に変色したように見えてしまう。

  • 2024.4.1 伸ばし伸ばしになっていたElinor Ostromの翻訳の校閲作業を始める。第一章は、前に手を入れたことがあるためか、比較的わかりやすく訳せている。この調子で次章以降も進めば良いが。


    2024年3月
  • 2024.3.31 昨日は高槻に泊まり、安満遺跡公園と高槻城公園を散歩。安満遺跡公園は、日本の最初期の稲作耕地のあとがあったところだとか。午後は、大阪・西梅田で数量調整研究会。と言っても、森岡・谷口両氏と私の3人だけ。食満さんとOstrom翻訳の件で相談。

  • 2024.3.30 第28回国際価値論研究会。同志社大学で。私も、「数量調節の経済世界と世界経済」という表題で報告。ここ数ヶ月考えてきた、経済成長と投資・貯蓄差額の関係についてが主題。国際経済学の主題もということで、貿易収支についても考えてみたら、I−Sと同様の関係が得られで少しびつくり。どうやら数式のまちがいではなさそうだが、かなり普遍的にえらる式だけに、制約条件とすることはできても、あまり成長メカニズムを説明するものではないかも。

  • 2024.3.29 70歳を超えてから、花粉症がひどくなり、この1月から鼻水製造機のような状態になってしまった。なるべく外出を控えている。この3月は天候不順で、花の開花予想も大幅にはずれ、すでに開花しているはずの桜もまだ開花宣言が出ない。しかし、久しぶりに散歩すると、すでにタンポポやナノハナを初め、多くの花が開花している。

  • 2024.4.8 昨夜は東京都内にもめずらしく雪が降り、朝起きたら結構な雪景色だった。

    Holthamへの返事が公開されたが、引用部分が地の文と区別できなくなってしまっていた。仕方ないので、部分的な訂正の投稿をし、続編も投稿する。

    Lars Syllの投稿The problem with economics — too much maths, too little history(February 27, 2024)に gary Holthamがなかなか良い論評(March 2, 2024)をあげている。Syllの投稿は、例の数学排撃論を含むもので、コメントする気にもならなかったが、HolthamのコメントはH.A. Simonに関するもの。Holtham応援も含め、Syllに対する具体的な反論の機会にもなるので、一文を投稿した。

  • 2024.3.7 Ettore Galleへの返答にGary Holthamがコメントしてくれた。この水準の議論はRWER Blogではなかなかおめにかかれない。ゆっくり返答しようと思って書いていたら、長くなり途中で退場。To be continuedと書くべきところもまちがえてしまった。

  • 2024.3.6 私の書評に対するEttore Galleのコメントに返答を書いた。特に新しい主張ではないが、備忘録としてここにも載せておく。

  • 2024.3.1 日当たり具合によるのだろうが、もうコブシの花が咲きそうになっている木を見つけた。桜も見ごろの家を見つけた。河津桜だろう。

    ResearchGateにHeterodox Developmentという質問を載せた人物がいる。これだけだと質問とは言えないが、異端派経済学の経済発展理論とはどんなものかといった質問だろう。2月20日に投稿されて、すぐに一回回答を投稿(2月21日)して、そのあと質問者のTofigh Hosseinzadehから私あての質問/疑問が寄せられていたので、今日、回答する。2ページ目の第3投稿と第4投稿。ある程度うまく書けたと思うが、さて質問者からはどんな反応ができるだろうか。



    2024年2月

  • 2024.2.29 閏年の2月もついに終わってしまった。1月20日からの一ヶ月は体調も問題もあり、無理もできなかったが、体調が回復しても、論文執筆はほとんど進まなかった。ClowerからNon-Walrasian General Equilibrium (いわゆるrationingを中核に考えたグループ)がなぜ衰微してしまったかについては、淡い光は見えてきたが、なかなか「だから」というところまではいかなかった。3月に入っても、今の論文を書き続けるしか仕方ないだろう。
    GalloとGoésの書評に対する書評者の一人Galloの反応が投稿された。(投稿してから、公開まで2日かかっている。)

  • 2024.2.28 AlmudiとFatas-VillafrancaのグループのJEE2020年の論文Pricing routines and industrial dynamicsにコメントを投稿したら、Fatas-VillafrancaとAlmudiが別々にコメントを投書してきた。二人とも、好意的。本当に協力関係が進展して行けば良いのだが。

  • 2024.2.27 GalloとGoésの書評に、やや宣伝の入った付録を投稿する。

  • 2024.2.24 私の論文Some supplementary explanations on Microfoundations (EIER 20:329-365) にResearchGateでコメントを求めていたらHubert Garbisch (WIIW)からメールがきた。忙しくて論文を読んでコメントする時間は取れないが、Roland Schettat のBehavioral Economics of John Maynard Keynesの考えに賛成だとして、 第1章のPDFがつけられていた。Da Silvaの議論とは異なるが、ケインズの経済学は2/3はミクロ経済学で、それらはケインズが経験から汲み取ったものだが、それらは行動経済学で基礎付けられるという趣旨のもの。Da Silvaとのダブル・パンチ。とにかく本を注文して読んでみることにした。

  • 2024.2.23 ResearchGateでSergio Da Silvaの論文 Does Macroeconomics Needs Microeconomic Foundations? という論文を偶然見つけた。行動経済学ですでに新古典派に変わるmicroeconomicsができているから、別にmicrofoundationsはいらないという論調。おやおやというので、反論を書く。

  • 2024.2.22 ResearchGateでEttore GalloとMaria Cristina Barbieri Góesによる書評を見つけた。Echkard HeinのMacroeconomics afer Kalecki and Keynes (2023)を中心とするものだが、ほか4冊の本(Blecker and Setterfield (2019)とMarc Lavoieの教科書(?)の初版と第2版およびHeinの2014年の本)にも言及している。Kalecki派およびMarianの「教科書」の現状としては貴重なものだ。主眼の原稿が進まないのに余分なことに手を出して、書評(書評の書評でもある?)にまとめ、Real-World Economics Blogの私の書評(KomlosのFoundations of Real-World Economics)にコメントの一つとして投稿した。6000語を超えて、Komlosの書評の2倍以上の分量になってしまった。Kalckianの(マクロ)経済学については色々言いたいことがあるが、細かいところを除けばこんなところか。

  • 2024.2.20 ミモザの木が満開だった。

  • 2024.2.16 この二日ほど春を思わせる暖かさ。梅の花も、満開というべきか。ただ、桜ほどの華やかさがない。Lars Syllの乱暴な投稿、3日は無視していたが、何も言わないのも癪と投稿。

  • 2024.2.13 相変わらずRWER Blogへのコメント。Ping ChenがRWER #106にBiophysical limit and metabolic growth: New understanding of modern division of labor and sustainable economiesを発表していて、RWER Blogにはその第4節 Economic Complexity vs. Neoclassical Simplicity がほとんどそのまま載っている。なぜかこの間、Complexity (複雑さ/複雑系)について関心が高いのは良いことだが、複雑系が科学の話題に入るようになった1980年代からすでに40年以上経つつというのに、複雑さに関する議論の深まりはあまりないというべきかもしれない。Alan Kirmanのような人たちばかりでないと言って仕舞えばしれまでだが、すこし地優位が必要ではないだろうか。そんな気持ちで、Pin Chen, Lars Syll, Asad Zamanへのいささかの苦言を込めてコントを書いた。

  • 2024.2.11 Lars SyllのRWER Blogへの投稿Mainstream economics — an explanatory disasterにghholthamが「均衡」という枠組みについてなかなか良いコメントをしている(February 9, 2024 at 2:36 am)。均衡を考え、人々がそれを前提に行動すると考えるのだが、それは順序を逆転させた思考だという。これは、Alain Kirmanが均衡論について述べている考えと軌を一にしたものなので、Kirmanからの長い引用を投稿する。

  • 2024.2.9 Asad ZamanのLessons from monetary history: The quality-quantity pendulum にコメントを投稿。理論と歴史とを対立させて、歴史に学べという単純な議論に対する異論。それほど新しいことがわかるわけでもないのに、時間だけは大幅にかかる。あまりやりたくないが、始めた以上、続けなければなるまい。
    追記: 上記のコメントにZamanが反応してきたので、追加のコメントを加えた。どういう風の吹き回しか、Zamanは前項ではあれだけ歴史に学ぶことを強調していたのに、次回のNominal Versus Real Modelsでは、一転して(?)Agent-based modelsであたかも複雑さ、不確実性、貨幣の非中立性が捉えられるかの議論をしている。Computer simulationが科学的研究の第三の方法になるかもしれないとは、私も古くから指摘してきたことで、その可能性については大いに認めるが、現状ではZamanの主張は、誤りでなければ誇大広告であろう。(2024.2.10)
    ZamaのABMsについての主張に対し、U-MARTを15年近くやってきた経験から、いささかの懸念/疑問を提起する。さらに、最近のMaria Alexandra Madiの抜粋紹介に関係して、複雑さへの関心との関係でLars Syllの すこし古い投稿での主張とZamanのABMsに関する楽観的な主張との「矛盾」を指摘する。(2024.2.11)

  • 2024.2.8 Luca Zambarelliという人がResearchGateに Technical Change in Alternative Theories of Growthという論文予稿を載せている。異端派成長理論の比較・紹介だというのだが、Kaldorの1961年の論文 Capital Accumulation and Economic Growthの定型的事実に沿った「balanced growth」のみを扱っている。それしか扱えなかったというなら仕方がないが、それは2019年以降の異端派理論の状況を反映するものではない。自画自賛なることをあえて辞さず、反論のコメントを書いた。Commentsの最初の投稿をみてほしい。

  • 2024.2.6 RWER Blogで、Asad Zamanが Basics of Monetary Economies という表題で貨幣経済に関する新しい「教科書」を書くと宣言し、その原稿を掲載するのでコメントを募っている。Zamanはアメリカで教育を受けたが、自覚としては反主流派である。イスラムの立場に立ったかなり癖の強い主張をするのであまり高く評価していない(イスラムの立場からの経済学そのものに反対なわけではないが、学説史としてどの程度の客観性があるのか疑問だ)。しかし、RWER Blogのにおいてはよい討論の機会になるかもしれないので、できる限り付き合うとことにした。第1回寄稿(February 1, 2024)に対する私のコメントがこれ。RWER Blogは、しばらく経つと辿りにくくなるので、投稿のたびにこの日録に掲示することにする。
    あえてコメントを続けようと思う原因のひとつに、RWER Blogに投稿する投稿者の水準が低すぎることがある。前にも書いたかもしれないが、Geoffrey Hodgsonが Is There A Future for Heterodox Economics? (2019)が品質管理の問題(Problem of quality control pp.151-153)として取り上げていた問題がRWER Blogには如実に現れている。実名を出して悪いが、私と一緒にコメントしているenergyasnumeraireは、環境問題を考えるには、貨幣以外のニュメレールが必要だと主張している。しかし、彼が経済学の初歩的知識を持っているとはとても思えない。にもかかわらず、物理的ニュメレールの導入によりすべてが解決するかに思い込んでいる。こうした人たちには反省してもらわなければならないのだが、さてどうしたら良いのか。まともな議論が通ずる相手ではないので、本人が気づくようもって いく以外にないのだが、それがきわめてむずかしい。

  • 2024.2.5 今年の国際ワルラス学会が明治大学で開かれる。最初は出ないつもりだったが、よく考えると良い機会かもしれないと応募することにした。タイトルにも苦労したが、思い切ってThe end of Walrasian paradigm? とした。プログラム委員会の反応はどういうものになろうか。今年参加されるかどうかわからないが、Alan Kirmanもプログラム委員のひとりのようだ。彼に聞いてもらえるだけで十分だろう。

  • 2024.2.3 先月20日からまる二週間。症状はほとんど治ったが、なぜかなかなかやる気が出てこない。

    2024年1月

  • 2024.1.31 一月もついに終わり。予定していた論文はこの10日間、まったく進まず。

  • 2024.1.30 インプラント修理で学芸大へ。帰りは、目黒駅まで歩く程度の元気は取り戻せたようだ。

  • 2024.1.29 なんとか調子が戻ってきた。金融経済研究会のWEB会議に参加。

  • 2024.1.28 論文作成には到底取り掛かれないが、なんとか気晴らしに、HartwigのD and Z in Rope - Will the Real Keynes Please Stand Up?という論文(ResearchGate掲載)にコメントを書く。これはすこし表題を変えてROPE(The Review of Political Economy) 23(4), 613-618に載っている。

  • 2024.1.26 ついに我慢できず、かかりつけの高橋内科医院で抗生剤5日分をもらってくる。風邪だと効かないが、副次的な炎症には効くとのこと。

  • 2024.1.23 定例の歯のクリーニングに行くので精一杯。

  • 2024.1.22 20日からひどかった鼻水がますますひどくなり、どうも本格的に風邪をひきたようだ。

  • 2024.1.21 昨夜のマッコリがたたったのか、一日中、ぼんやり寝てばかり。まあ、良い休日になったと考えることにしよう。
  • 2024.1.20 高木さん・倉橋さんと3人で研究会。MyLord9階のHudsonで、混んでいて騒がし かったが、高木さんががんばってくれた。テーマは、日本の「近世」。夜は、代々木の「ほぼ新宿」をうろついて、韓国風焼肉店に入った。

  • 2024.1.18 右下のインプラントが不具合となり、元の歯医者に行ったら、新しいものに換えないと治らないと言われた。大金の出費になりそう。

  • 2024.1.17 阪神・淡路大震災から29年。今回の能登大地震での被災地救援に、あのときの経験が幾らかでも生きているのはありがたい。ヴォランティアへ自主的に登録する人たちがかなりいるようだが、阪神大地震のときには、多くの人に取って初めて聞く言葉だった。

  • 2024.1.13 Steve KeenのRWER #106への寄稿Putting energy back into economicsコメントを掲載。約5ぺーじ、2000語。この種の投稿としては長編になったが、議論の内容からしてしかたない。KeenにはDebunking Economics以来、尊敬している。しし、ロシアからの天然ガスの輸入途絶を題材に、集計的生産関数を構築しようとする意図には賛成できない。例え結果として主張されているものがLeontiefタイプの「生産関数」であれ、こうした概念自体に問題がある。それがうまく読者に伝われば良いのだが。

    午後になり、雨上がりと思い散歩に出かけたが、途中で小雨模様となり、冷たい横風も吹いて、凍えるようだった。能登では雪が積もっているとか。被災地の大変さが心に沁みる。

  • 2024.1.10 中岡哲郎先生のお葬式に夫婦で京都まで往復。京王線蘆花公園駅を朝5時59分の電車にのり、帰宅したのは午後8時半近く。お葬式は、完全無宗教で、中岡先生の考えに沿ったとはいえ、よくここまで徹底できたと感心。色々な方にお会いすることはできたが、話をする機会がなく別れた人が多かった。

  • 2024.1.9 能登の大地震と津波の概要がようやく掴めてきた。大津波警報が出たにも関わらず、津波の被害が数日伝えられず、また空振りにおわったのかと心配していた(あまり空振りが続くと、無警報自体への信頼度が落ちてしまう)。最近わかってきたことは、津波は確かに能登沿岸部を襲い、船や乗用車などが流されていたのだが、津波を被ったためか、それとも通信線の破断のためか、津波観察装置の多くが機能せず、津波被害の第一報が遅れた、という事態だ。

  • 2024.1.8 Real-World Economics Review Blogの書評の関連で、Lars Syllの投稿Economics—enslaved by the wrong theory (November 24, 2019)にコメントしたことがある。David Sloan Wilsonを引用して、新古典派経済学を全体として取り替える必要があるという主張に(わたしとしては珍しく)賛同して、取り替えるべき経済学像はすでに大枠用意されていると趣旨のものだった(November 25, 2019 at 2:02投稿)。4本の柱の最初に自分たちの本を挙げて、これがその概要だと主張した大胆な(言ってみれば自分勝手な)ものだったが、当然のように何の反響もなかった。しかし、あれからすでに丸4年経っている。

    現状がどうなっているか報告する意味で、SMTへの反響、マクロ経済学、進化経済学、経済史のそれぞれについて2004年のコメントを挙げておいた。関心のある方に参考にしてもらえればありがたい。2019年の投稿は、このReplyのすぐ上にある。

  • 2024.1.7 10日に京都へ往復する事情ができたため、切符を買いに新宿へ。ついでに、20日の勉強会の会場探しに、代々木駅界隈まで。意外に面白いところがありそうだ。

  • 2024.1.6 正月気分も抜けて、RWER Blogの私の書評にコメントを二つ載せる。一つはこちらA supplementary book for Komlos (2023)。Komlos (2023)の倫理重視について、David Sloan Wilsonの観点を加えれば、もっと「科学的」(理論的?)な議論ができるのではないかというのが趣旨。

  • 2024.1.5 能登の大地震は、いまだ交通途絶で孤立した地域がある。ようやく被害の概要が見えてきた。死者は確認されたもので約100人、いまだ連絡が取れない人が200以上いる。

  • 2024.1.4 箱根駅伝は、前評判がよく期待していたが、蓋を開けてみると、往路・復路とも13位。解説を読むと、年末の合宿で選手の数人が風邪を引き、本調子が出ないまま出場したのだという。かつてシード校から転落したときも、寒いのに保温対策が十分でなかったという。出る前に不振が決まっていたとは情けない。

  • 2024.1.3 子供達3家族とホテルで会食。昨年、傘寿と喜寿のお祝いをしてくれたことに対するん例の意味も。ただし、次男は風邪を引いて欠席。今日、年賀状代わりのE-mailを各氏に送る。約100名。

  • 2024.1.2 能登半島の地震では、電力・通信・交通が途絶。被害状況もよくわからない。今日も散歩から帰ってTVを付けると日航機と海上保安庁の輸送機とが滑走路上で衝突、炎上。日航機が火を吹いて燃え上がるのが放映されたが、脱出状況は見えず心配したが、乗客・乗員379人全員が無事脱出とのこと、奇跡的というほかない。

  • 2024.1.1 娘の愛犬のIsaacを連れて粕谷神社に初詣。帰ってきてTVをつけるとまもなく、能登で震度7、マグニチュード7.6の地震。大津波警報も出た。

    2023年12月
  • 2023.12.31 娘が愛犬と来訪。一緒に紅白歌合戦を観る。Caudal mechanismの関係でDavid Sloan Wilsonの『社会はどう進化するのか』を読み直している。

  • 2023.12.29 この一週間以上、RWER Blogへの投稿のほかは、causal mechanism論について色々のへ論文を読んでいる。論文執筆の方はまったく進んでいない。Googleから一週間のレポートというものが来たので読んでみたら、WEBにつながって読んでいる時間が67%、絶対時間が一日平均8時間12分とあり、ギャフン。おかげで、mechanicalな(因果的)説明とmechanismicな説明との違いが分かってきた。経済学には、どちらというより両方が必要なのだろう。

  • 2023.12.26 Komlos書評へのコメントは、きわめてまばら。クリスマスと重なって欧米の人たちにはなかなか時間が取れないのだろう。書評という形式なので、コメントにも書評された本の知識が必要と思うのかもしれない。その必要はないという提案を書いたのだが、あまり効き目がない。

  • 2023.12.24 クリスマス・イブだが静子が忙しくて、何もせず。

  • 2023.12.23 Real-World Economics Review#106がでて、RWER Blogに紹介されている。How can we construct an economics consistent with the biophysical limits to economic growth?という難しいテーマの特集で、近く紙の本になるらしい。編者の一人のJamie MorganがAgainst the clock: Economics 101 and the concept of timeという論文を書いている。これについて、先の書評へのコメントを書く。

  • 2023.12.22 Causal mechanismについていろいろ文献があり、全体像を見渡すのが大変そう。

  • 2023.12.20 藤本さんと二人で、菅野朋則さんの構想を聞く。本当は為替レートの高頻度理論に繋がれば良いのだが、そこまではなかなか難しそう。しかし、すごい若手が現れたものだ。夜は藤本さんと二人で、本郷近くの焼肉店へ。昔、このあたりに住んでいて懐かしいのだとか。

  • 2023.12.19 ながいあいだひとつしかコメントがつかず心配したが、Dave Marseyが3つのコメントを付けてくれて、ようやく形がついてきた。Dave Marseyは、中心がKeynesのTreatise on Probabilityなので、なかなか答えづらいが、答えられるところはなるべく丁寧にコメントしておいた。

  • 2023.12.17 元氣がきて、ネット関連の接続をやってくれる。Komlosの書評には、ひとつコメントがついた。
    SMT(2019)の方法論的な特徴を表す言葉にCausal mechanismがあるだろう。ところが、この考え方は、経済学で注目されていないだけで、社会科学を含む科学哲学方面では、この20年ほど新たに注目されている考え方のようだ。今日は、Petri Ylikoskiの論文をいくつか読んでいたが、Stanford Encyclopedia of PhilosophyにMechanisms in Scienceと言う項目でthe new mechanical philisophy(あるいは短くthe new mechanism)と言う考え方が今世紀になって盛になってきていると 解説されていた。

  • 2023.12.16 独占研究会。小幡道昭氏報告。国分寺にいくのに、新宿まわりが時間的には一番早いようだ。

  • 2023.12.14 Komlosの書評が掲載された。今の所、なんのコメントもないが、これからどんな反応が出るだろう。

  • 2023.12.13 Komlos (2022)のRWER Blog向けの原稿を完成させ、Edward Fullbrookに送る。この2〜3日、Fullbrook編のOntology and Economics/Tawny Lawson and His Criticsを広い読みしていた。Critical Realism in Economicsの問題や可能性を知るには、こちらの方がよくわかる面がある。実例が豊富だからであろう。

  • 2023.12.11 金融経済研究会。3時に始まって、8時まで。議論が活発だったとは言えないが、脱線につぐ脱線で話がもりあがったことは確か。

  • 2023.12.10 経済学者の研究方向に影響するものに、理論自体の正誤・妥当性や方法論の前に、理論に対する態度のようなものがあるかもしれない。

  • 2023.12.9 黒瀬氏論文に対する反論を書き始めた。

  • 2023.12.8 ようやく黒瀬氏の「批評」に応える作業に入れそうだ。

  • 2023.12.7 Garry Holthamに推薦されたKatarina Juseliusの自伝的論文Searching for a Theory That Fits the Data: A Personal Research Odysseyを読む。自伝的研究史なので、cointegrationの初歩的な概念しか知らない私にも、だいたい理解できた。

  • 2023.12.6 Komlos書評の概要がようやくできた。大満足とはいえないが、interactiveなものにするには、自分自身の書評に不満があっても良いだろう。掲載されてどんな反応ができるか、どう発展するか。

  • 2023.12.5 Komlosの本にはいろいろ不満はあるし、言いたいこともある。しかし、2000語か3000語の中に自分の言いたいことをまとめるのは至難の技だ。もう何日も、ほとんど進歩ないまま、日にちが過ぎていく。

  • 2023.12.1 Komlosの本の書評をようやく書き始める。長くできない中で、言いたいことをまとめるのはひどく難しい。しかし、2000語は超えないようにしたい。


    2023年11月
  • 2023.11.30 今年の短月もきょうで終わり。Komlosの本の書評のために、Bowles and Carlin (2020) What Students Learn in Economics 101: Time for Change. Journal of Economic Literature 58(1):, 176-214を読む。昨日読んでいた、Komlosの Half a Paradigm Shift in the Journal of Economic Literature is Quite a Game Changer for Econon 101 (draft) はこれに対する対論。これにMankiewのPrinciples of Economics を加えると、Econ 101 (経済学入門)の3極構造ができるのだという。もちろん、売れ行きからいえばMankiewが圧倒的に多いのだろうが、BowlesやCarlinたちの本がWEB上のopen sourceであることや、Komlosの本がすでに3版を数えていることからも、けっこうがんばっているらしい。これは嬉しいことだが、主流派に代わりうる経済学というと、COREも、Komlosもとうてい革命的とはいえない。もちろん、経済学の根底的な革新が教科書から始まるわけではないから、これは当然といえば当然なのだが。さて、わたしの書評はどうまとめたら良いか。

  • 2023.11.29 11月も明日一日というのに、やるべきことに手がつかないまま、日にちだけが過ぎていく。

  • 2023.11.28 今日は久しぶりに暖かく、(井の頭線)高井戸駅まで遠征。こちらも何ヶ月ぶりかに散髪。

  • 2023.11.27 金融経済研究会。北原徹氏の「債務貨幣ろん」。この研究会は、私が中央大学を定年退職した後、勉強会を兼ねて立ち上げたものだが、コロナ禍で対面の研究会ができなくなり、一部の有志がZOOMを使って継続してきたもの。私は、今日、初めて参加。今回がオンライン第26回目という。

  • 2023.11.23 Komlosのいう「人間の顔をして資本主義」は、いろいろな政治思想と結びつきそうだ。社会民社主義もひその一つだが、新大統領誕生で注目されているArgentinaのPeronismとはどんな関係を持つだろうか。そんなことが気になってきた。

  • 2023.11.22 炭谷英一氏と大坂洋氏とに教えてもらって、消費者教育の概要を勉強。

  • 2023.11.21 Komlosの本をざっと読んでいる。新古典派の「政策的含意」に関する批判は鋭い。トランプのような大統領を生み出さないようするのは、経済学教育の役割だというのも理解できる。しかし、彼の批判は消費者教育として必要なものであって、経済学そのものの変革にはなっていないのではないか。先に「政策含意」に「」をつけたのも、Komlosのいうように新古典派経済学に必然的に備わるものかというと、多少の割引が必要だろう。たしかに、経済学入門(Economics 101)の内容には、経済学部で経済学を学ぶ以外の消費者教育あるいは市民教育の側面もあるだろう。しかし、それでは経済学の根本的改革(建てなおし)というわけにはいかない。この感覚がただしいかどうか、消費者教育の概要と現状とを知る必要がある。

  • 2023.11.20 Real-World Economics Blogに異端派が相互に批判を交わしながら、考えの違いを超えてインフォームし合えるような場が必要で、そのもっとも簡単な方法が書評のシリーズを組織することだと書いていたら、Blogの編集者のEdward Fulbrookが取り上げてくれた。手始めに、Kolmosの本の書評をおまえが書けということになった。

    ツワブキの花が咲いて冬らしくなってきた。イチョウの葉はまだ青い。

  • 2023.11.19 夕方、KomlosのFoundations of Real-World Economicsが着いた。民主的社会を維持するために経済学はいかにあるべきかなど、考えなければならない論点がいくつもあるが、肝心の経済理論本体(あるいは核)についてはほとんど考えられていない。その代表が限界費用曲線の使用だろう。市場は完全競争ではないと強調しつつも、ほとんどの市場は寡占的であるとして済ませているようだ。

  • 2023.11.18 John KomlosのFoundations of Real-World EconomicsをAmzon.jpで注文。明日届くようだ。

  • 2023.11.17 Real-World Economicsを実現しているかもしれない本2冊について少し調べてみた。Lars Syllの「批判」よりまともに色々考えているが、さてこれを皆で検討するとなれば何が起こるだろうか。多分、それぞれが考えている(異端派の)「経済学」のイメージが大きく違うことが明らかになるだろう。

  • 2023.11.16 Chesterが示唆する課題について、私なりの解決策を提案してみた。

  • 2023.11.15 David Chesterがまともなマクロ理論ができたと主張しているのは自分だけと書いている。異端派の理論が正しいと認定され、多くの人に受け入れられるようになる経路は、とういうものだろうか。

  • 2023.11.14 研究会の疲れが今日も。

  • 2023.11.13 昨日から急な寒波。日本海側では10cm、20cmの積雪のところも。今日は一日、何も考えずにぼんやり過ごす。

  • 2023.11.12 国際価値論研究会第28回研究会。専修大学神田校舎で。私の報告は「日本の「失われた30年」/国際貿易論の立場から」。趣旨には多くか賛同してれたが、だれか追いかけて実証的に検証してくれる人はいないだろうか。

  • 2023.11.11 妻の叔母の宣誓50周年のお祝いというので、永福町近くのマリア会に行く。途中、道をまちがえてミサに遅れる。研究会の第一報告は取りやめと連絡を出し、第二報告のプリゼン資料作りにと取り掛かる。

  • 2023.11.10 第一報告は取りやめとせざるを得ないかもしれない。重要な主題であり、ヒントがありながら、けっきょく何もまとめられなかったというのは初めてだ。

  • 2023.11.9 くるしまぎれにTieben(2012)を読んでいる。いい本だとは思うが、けっきょく均衡という枠組みは必要としている。これでは、本当のbreak throughは生まれないだろう。

  • 2023.11.8 国際価値論研究会の一本目は、均衡論とab ovoの仮定に対立すべきものとして< 過去から引き継いだ構造について書く予定だったが、なかなかまとまらな。

  • 2023.11.7 ネブラスカ大(リンカーン校)名誉教授のGary D. Lynneが唱えているMetaeconomicsについてコメントを書く。メタという以上、れが経済学ではないことは認めているのだろうが、me個人の利害からweの利害という新しい視点を付け加えれば、経済学ないし経済思想が大きく変わるというのだが、本当だろうか。もしそういう可能性があるとしても、それを等効用曲線の話にしてしまうのは矮小化と言うべきものだろう。

  • 2013.11.6 国際価値論研究会の一本目の報告がなかなか進まない。うまくまとまれば、けっこう新しい提案になるはずなのだが。

  • 2013.11.5 Bert TiebenのThe Concept of Equilibrium in Different Economic Traditions / A historical investigation (2012)が届いた。日本に一冊、古本であったらしい。と言っても、中には書き込みは何もなく、まったく新品同様。600ページを超える大冊に買った人が読むのを諦めたのだろうか。

  • 2023.11.4 国際価値論研究会の今度の二つの報告のもう一つの「経路依存」のために、2年前の論文を読み返している。

  • 2023.11.3 国際価値論研究会の今度の二つの報告のうちの一つ、「日本の「失われた30年」/ 国際貿易論の視点から」の概要をまとめる。ちょうど一年前にほぼ同趣旨の報告をしているのだが、ぞれだけ深まったのか。

  • 2023.11.2 黒瀬論文を読み終え、どう「反論」すべきか考える。

  • 2023.11.1 EIERへの投稿Some supplementary explanations on Microfoundationsが公開された。まだページ番号なし。これはSMT(2019)についての遅ればせの特集。といっても、私や森岡・谷口氏の単独の投稿を除くと、実質的には植村さんと黒瀬さんの投稿のみ。黒瀬さんの論文を読み始める。


    2023年10月
  • 2023年10月31日 歯医者の後、仙川で植村博恭氏と食事。今後打ち上げるべき研究会にについていろいろ話しあう。

  • 2023年10月30日 桜上水まで散歩。

  • 2023年10月29日 一日中、家にいたので、5時近くに軽く散歩。

  • 2023年10月28日 マンションの防災訓練。安全札の回収にあたっただけでも、いくつかの問題点に気づいた。

  • 2023年10月27日 久しぶりに仙川まで散歩。あちこちの垣根のサザンカが綺麗に咲いている。

  • 2023年10月26日 第7回目のコロナ・ワクチン接種。妻は腕が痛くなるなどと言っているが、私はほとんど副反応というようなものは感じない。あえて左腕を変な形に動かそうとすると、少し痛みがあるかもといった程度だ。

  • 2023年10月25日 ようやくe-proofingが終わり、校正結果を編集部に提出することができた。

  • 2023年10月24日 Springerのe-proofingの続き。数式のLaTeXは比較的慣れているが、本文の校正(文言修正)がなかなかうまくいかない。数式や文献の参照も、まだよくわからない。

  • 2023年10月23日 本文中の参照文献と文献表との照合のためだけに、1日終わってしまった。

  • 2023年10月22日 蘆花公園で「第11回蘆花祭り」があった。この公園にもこんなに人が集まることがあるんだと思うほどの賑わいで、ちょうどお昼時に行ったせいか、どの露店も長蛇の列だった。日本女子体育大学のダンス研究会のデモを見ただけで帰る。高遠小彼岸桜が狂い咲している。今年の夏の猛暑のせいだろうか。

  • 2023年10月20日 久しぶりに仙川まで散歩。秋たけなわで、金木犀も咲いているが、今年の金木犀は匂いが弱いのだとか。確かに、そんな気がする。

  • 2023年10月19日 G. Fontana and B. Gerrardの"The future of Post Keynesian economics," BNL Quarterly Review 59(236): 49-80を読んでいる。Post Keynesian economicsの歴史がJ. E. King (2002)とはとは違った角度から見えてくる。Fontanaたちが最近はPKに関心を失っているように見えるのは残念なことだ。

  • 2023年10月18日 Some suplementary comments on Microfoundationsの校正を始めた。なかなか根気が続かないが、早く仕上げなければ。

  • 2023年10月17日 Real-World Economics Blogへの昨日の投稿にJesper Jespersenが反論してきた。ゆっくり一日考えて、嫌味な反論を書いた。Jespersenは、自分の本が引用されるいることに気づかなかったのだろうか。

  • 2023年10月16日 少し調子が戻ってきた。Jesper JespersenのMacroeeonomic Metholodogy / A Post-Keynesian Perpectiveのあちこちを覗いている。これはさいしょ買ったとき、Keynesの第3章を、Keynesのそのままにaggregate supply and aggregate demand curbesの交点で説明しているので、2009年の現在でも、(Keynesに忠実かもしれないが)こんな陳腐な解説をしている悪い見本と見ていたのだが、ところどころでなかなか良いことを言っている。例えば、Introductionの結論部(p.14)には、こういう主張がある。
    Within macroeconomic reasoning, two completely separate methodologies have been developed: one for neoclassical theory based on equilibrium models, and another for the post-Keynesian theory based upon causal relationships and path dependent analysis, where uncertainty, a lack of information, institution and supply and demand factors under constant change create a sustained and (partially) unpredictable dynamic structure.

    この対立を明確に述べている方法論の本は珍しい。これをきちんと推し進めれば、Post Keynesianの経済学の枠組みは、もっと大きく変わってくるはずだが、第6章 Equilibrium and pathe dependece from a perspective of uncertainty では、Keynesのequilibrium概念をstadstillとして解釈して妥協している。こうした妥協が、結局、彼のtwo completely separate methodologiesを中途半端なものにしているのだろう。それでもLars SyllのThe ultimate methodological issue in economicsよりははるかに良い。同稿に対する私のコメントをもみよ。

  • 2023年10月15日 子供達が私の傘寿と妻の喜寿のお祝いをしてくれた。恵比寿のウエスティンで。もとの元気を取り戻すのに、半月かかってしまった。

  • 2023年10月10日 体調は回復してきたが、気力が持たない。

  • 2023年10月8日 ようやく咳が収まってきた。避難訓練の予行演習の立ち会い。

  • 2023年10月3日 PCR検査をしてみたが、陰性。

  • 2023年10月1日 満80歳。二日ほど前から鼻水が多いと思っていたら、熱(37°8′)と咳が出て、完全に寝込んでしまった。


    2023年9月
  • 2023.9.30 独占研究会。

  • 2023.9.28 藤本容啓さんと個人的研究会。新宿プリンスホテルにて。

  • 2023.9.27 RWER BlogにSteve KeenがRisk versus Uncertaintyという抜粋を載せている。これがぞの程度、Keenの意向によるものなのか。もともと考えていたことなので、元気付けにコメントを投稿する。

  • 2023.9.26 精神的脱力状態というべきか。書くべき手紙がなかなか書けない。

  • 2023.9.25 植村博恭氏と共に、多田悠紀さんの話を聞く。

  • 2023.9.24 技術が変化する場合に何が起こるかは、やはりなかなか一筋縄とは行かない。

  • 2023.9.23 Robertsonの恒等式関連で、また色々、考えている。

  • 2023.9.21 藤本容啓氏の「国際価値論」について、二人で研究会。A4 59ページの力作。

  • 2023.9.20 EIERの原稿や報告準備などで疲れたせいか、日・月・火と寝てばかり。今日になってようやく普通に動き出す。

  • 2023.9.16 Heinz Kurz先生の東京最終日。100円ショップなどは珍しいのではないかと、銀座のマロニエゲートのダイソーに案内する。ニューヨークには類似の店があると言っていたが、品数の多さにはやはりお驚いたようだ。そのあと、帝国劇場横の一保堂茶舗内の嘉木(かぼく)で薄茶を飲む。山手線を越えて道案内に「帝国劇場」を聞いたのだが、帝国ホテル近くの劇場と間違えてか、宝塚劇場に案内されていまい、思わぬ大回りをしてしまった。

  • 2023.9.15 午前中は、PPTの見直し。講演は、何とかうまくいき、少なくとも何人かの人には感銘を与えることができたようだ。東京湾クルーズにも参加し、帰宅は11時半。

  • 2023.9.14 会議には、午後から出席。

  • 2023.9.13 15日の基調講演の準備のため、パーティを早めに切り上げて帰宅。早めに寝て、早朝に起き、PPTの原稿を作る。

  • 2023.9.12 パジネッティ追悼セミナーで報告。夕食は、みなでタイ料理のお店に。

  • 2023.9.11 今日はDavid Ricardoが亡くなってから、丁度、200年。この200年の経済学の進歩を大きいと考えるかどうか。明日の講演(「Pasinettiに何を学ぶか」)のプリゼンテーション資料を何とかだいたい仕上げる。

  • 2023.9.10 Evolutionary and Institutional Economics Reviewの特集の改訂投稿をようやく済ませる。8月中と言っていたのが、結局、10日も遅れてしまった。

  • 2023.9.5 ようやくInternational Conference on Theory and Policyの原稿 Ricardo, Sraffa, Pasinetti, and Beyondを書き上げる。どう議論するかで、だいぶ手こずってしまった。


    2023年8月
  • 2023.8.25 市場経済における数量調節の意味について考えるために、けっきょく二日間、あちこちの論文に目をはしらせるのでおわってしまった。自分自身の中でも、その意義が本当にはよくわかっていないのかもしれない。

  • 2023.8.23 価格については何とか書いたが、次の数量調節経済でまた頓挫。

  • 2023.8.22 Sraffa (1926)の後、どう繋げるかで悩み、けっきょく二日かけてFrederic Lee の Post Keynesian Price Theory (1998)を読んでいた。他では得られない貴重な情報まんさいなのだが、やはり「価格理論」であるという限界を越えられていない。すでに亡くなってる著者にこんな不満を述べても意味がないのだから、本当は、Lee (1998)以降の四半世紀に、これを乗り越える著作が現れていなことに不満を感じなければいけないのだ。

  • 2023.8.20 昨日・今日とSraffa (1926) The laws of returns under competitive conditions を再読していた。意外に新しい意味が見えてきた気がする。

  • 2023.8.17 『コペルニクス革命』は、もしそれがケインズ革命にも教えるものがあるとすれば、ケインズやその直弟子たちの文章を「解釈」するだけからは、何も得られないことを教えているる。新しい理論革命があって、はじめて彼らの直観の意義がわかってくるのだ。

  • 2023.8.16 台風が日本海に抜けたが、静岡付近の急な大雨で東海道新幹線が一時ストップ。福岡まで影響が出たという。Kuhnの『コペルニクス革命』を再読、Pasinettiの科学革命観を考える。

  • 2023.8.15 旧盆の真っ只中というのに、近畿地方を台風が直撃。名古屋・岡山間が計画運休。

  • 2023.8.14 SraffaとKahn & Robinsonたち、あるいは二人とKeynesとの関係など、謎ばかり。かなり強引な仮説形成が要請されよう。決定版を書こうなどと思わないことだろう。

  • 2023.8.13 細部は決まらないが、まずは書き始めてというので、Pasinetti Session用の論文を書き始めた。

  • 2023.8.12 Pasinetti sessionでの報告の中身がようやく見えてきた。

  • 2023.8.11 草取りはかなりの労働だったし2階住まいで何度も階段を上がりおりしていたが、やはりそれでは不十分らしく、少し脚が弱った感じだ。

  • 2023.8.10 8月2日からに9日まで、長野県の大町に。書庫にしている家の草取りが主な仕事だが、今年は大町といえども、昼は真夏日で昼寝をして時間を過ごすしかなかった。


    2023年7月
  • 2023.7.31 なんとか今月中にと思ってやってきたが、まだ1/3強。日暮れて道遠し。

  • 2023.7.30 Some Supplementary Explanationsを読んでいる。多少不満もあるが、なかなか書き直すだけの気力が出ない。

  • 2023.7.29 鶴田光彦先生の「偲ぶ会」。アルカディア市ヶ谷で14時より。久しぶりに会う顔が多かった。中央大学を退職して、もうじき10年になるのだから当然だ。

  • 2023.7.28 散髪と歯医者(メンテナンス)。開花期がながいサルスベリだが、今が最盛期だろうか。樹によっては、見事に咲いている。

  • 2023.7.27 Rosaria Rita Canaleが2003年に書いたMicrofoundations of macroeconomics. Post-Keynesian contributions on the theory of the firmを読んだ。ほとんど同名のLavoieの新著の書評を請求した際、発見したもの。企業の理論としては、ほぼ妥当なことを書いているが、数量面の調整がどうなるかについての関心がない。また個別企業の行動が経済全体としての何をもたらすかの関心もなさそうだ。

  • 2023.7.26 HagemannとSyrquinとBaranziniに彼らの論文・本に関する感想を付けてメールを送る。RGを使わない人もおり、どのくらい読んでくれるかは疑問だが。

  • 2023.7.25 昨日・今日と二日間かけて科学研究費の申請書の1の部分を書き直す。4つの班に別れてとなると、全体としての統一感を出すのがなかなかむずかしい。Luigi Paninetti: An Intellectual Biographyをようやく読み終わる。最初は、部分的に広い上げるつもりだっていますが、結局、全部読んでしまった。

  • 2023.7.24 そろそろ本格的にSupplementary Explanationsの見直しに取り掛からなければならないのだが、レフェリーリポートの一つを読めただけでおわる。

  • 2023.7.23 Moshe Syrquinの論文Kuznets and Pasinetti on the study of structural transformation: Never the Twain shall meet? (2010)を読む。経済史の立場からPasinettiのvertical integrationを読んでも、当然、不満は残るだろう。問題は、Pasinettiを超えて我々が提起しようとしている理論枠組みにどんな印象を持つかだ。

  • 2023.7.22 昨日のHagemannの図は、我々が今企画しているParallel History in Economicsの一例になるだろう。そう思って、Hagemannの論文を付けて、田淵・八木両氏にメールを送る。

  • 2023.7.21 Luigi Paninetti: An Intellectual Biographyに紹介があって(p.261)、Harald Hagemannの論文 ‘Luigi Pasinetti’s structural economic dynamics and the employment consequences of new technologies’ を読んでいる。この9.1図(p.207)が示唆的だ。Vertical approachとHorizontal approachの二つの流れを図示した上で、HicksもPasinettiも、この両者を統合すべく二つの間を行き来しているというのだ。この対立図式から欠け落ちているものが大切なのだろう。

  • 2023.7.20 オストラムの本の翻訳を出せないと出版社からいってきたと食満さんから連絡があった。色々言っても、受け入れざるを得ないだろう。問題は、次にどう動くかだ。

  • 2023.7.19 Mauro BaranziniにRG上で論文送付を頼んでいたら、いきなりgmailで依頼していた論文をおくってきた。お礼の返事をしたら、なぜかBaraziniがAmalia Miranteと共著のLuisi Pasinettiに関する本一冊のPDFを送ってくれた。伝記と論争史を組み合わせたようなもので、なかなかおもしろそうだ。

  • 2023.7.18 Pasinettiのstructural change and economic growthといあテーマについて色々読んでいる。

  • 2023.7.17 熊本・福岡、石川につづき、今度は秋田で大水。駅前を含む中心街が水没するというとんでもない事態に。

  • 2023.7.16 第6回目のコロナのワクチン接種。医者に副反応はと聞かれたので、2回目の接種を除いて全然問題がなく、効いていないんじゃなかと心配になるくらい、と答えたらファイザーに比べてモデルナは、ずっと副反応の出方が少ないと言っていた。これは公式な統計に基づくものなのだろうか。

  • 2023.7.15 明治の国際会議への報告論題(英文の方)をRicardo, Sraffa, Pasinetti, and Behondと決め、その要旨を書いた(350 words)。大胆な主張になるが、そろそろ正面切って主張していくことが必要だろう。

  • 2023.7.14 Pasinetti自身の2010年以降の著作や、彼について書いた論文をいろいろ探し読む。Ricardo -> Sraffa の延長上で貿易論を考えようとする論文のいくつか出ていることに気づいたが、なぜかSteedman (ed.) Fundamental Issues in Trade Theory 1979以降の展開がほとんど感じられない。我々の国際価値論についても、存在に気づいてもいないようだ。

  • 2023.7.13 9月の明治の国際シンポジウムの要旨提出期限が近づいたので、関連資料を読みはじめる。報告主題も、当初のものからRicardo, Sraffa, Pasinetti, and Beyondにしようかと考えている。

  • 2023.7.12 もうそろそろ立ち直るべきだが、なかなか気力が戻らない。
  • 2023.7.11 講義の準備に力を入れすぎたせいか、歯医者にいった以外は、一日ダラダラ。

  • 2023.7.10 立教の講義が無事終了。教室の外に同数以上の聴講者がいるというが、教室の反応を見る限りは、一応は興味をもって聞いてもらえたようだ。

  • 2023.7.9 ようやく午後4時、講義資料を送ることができた。すぐに返事をもらったところを見ると、関さんもやきもきしていたのかもしれない。資料は全部で51シート。見出し的なシートもあるが、ちょっと枚数を詰めすぎたかもしれない。

  • 2023.7.8 なんと今日中に講義資料をまとめようとしたが、なかなか。

  • 2023.7.7 7月1日に続き7月5日にも、Lars Syllの記事に投稿。Jesper JespersenがLars Syllの本(The Poverty of Fictional Storytelling in Mainstream Economics)についての書評をReal-World Economics Reviewの#104に書いている。たぶん、Syllの提案で、雑誌編集部から頼まれたのだろう。ほとんど盟友関係の二人だから、きつい批判的なことは書いていないが、最後に近い部分で(読み方によっては)なかなか厳しいことを書いている。以下は、その要旨。

    ロンドンやコペンハーゲンの書店を覗いてみると、異論派(dissenting economists、現在の経済学に異論をもつ経済学者たち)の本に溢れている。例えば、ハジュン・チャン、ヤニス・ヴァルファキス、ロバート・スキデルスキー、マリアナ・マッツカート、ステファニー・ケルトン、ケイト・ローウォスなどなど。これらよりもっと売れていると思われるようなものも、「経済学の何が問題か」に話題と絞っている。それでも書棚では、主流派の著作が圧倒的である。これはいったいどういうことだろうか。

    この指摘から考えられることは、Lars Syll流の批判が繰り返されても、主流派経済学に対抗できるだけの理論がなければ、けっきょく(現在の)主流派の経済学を駆逐することはできないということだろう。まさに、it takes a theory to beat a theory である。

  • 2023.7.6 7月1日に、例のReal-World Economics Review BlogのLars Syllの記事にコメント。Syllと私とでは、経済学を進めるべき方向や手法において、ほとんど反対の立場にあるのだから、彼のいちいちの立論に疑問を呈しても意味はないのだが、今回もJohn Stuart Millの言説を引いて"mathematical-deductivist straitjacket"を批判していることに、古典派だからといって、Millの主張がつねに正しいとは限らないことを指摘しておいた。数学的演繹的方法は、たしかに一面では拘束衣なのだが、科学は自由に想像力を展開しさえすれば良いというものでない。自分たちの思考がいかに誤りの多いものかという点に反省がなければ、数学的演繹的方法の意義を本当に分かったとは言えないだろう。

  • 2023.7.5 関良基さんの講義では、要素価格均等化定理までがすでにおわっているという。Heckscher-Ohlinの理論の中で、これが一番「おかしい」と感じてもらえるものなので、これはありがたい。ただ、当然ながら、貿易論の講義として、成長理論は扱っていないという。いま考えている、「アジアの中の日本」という枠組みでは、成長論と貿易論の双方が必要だが、現状の成長理論の批判から新しい成長理論まで一コマの講義の中に織り込むのはなかなか大変。

  • 2023.7.4 10日の講義の件で、関良基さんとメールのやり取り。Review of Keynesian Studiesを見ると、先月はStephanie Keltonの本の書評を抜いて、また私のThe principle of effective demand: a new formulationReview of Keynesian Studiesのmost viewed articlesのトップに返り咲いている。Keltonの書評との人気の差は、ごくわずかのようだ。

  • 2023.7.3 大阪で、谷口和久氏・森岡真史氏と今後の研究方向について打ち合わせ。11時に初め、途中、場所を大阪公立大学文化交流センターへ移して午後6時近くまで。

  • 2023.7.2 国際価値論研究会のため、今日は京都へ。

  • 2023.7.1 立教での貿易論講義の主旨を考える。


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