塩沢由典(大阪市立大学・理論経済学)
「社会・経済システム」第19号、2000年11月10日、pp.55−67
目次社会・経済システム学会は、「社会的・経済的事象に関するシステム研究」(同創立趣意書)を目指して1982年に設立された。わたしは創立当時からの会員ではなく、なぜここで、単に「社会・経済システムの研究」でなく、「社会的・経済的事象に関するシステム研究」という表現をもちいたのか、その経緯を知らない。経済学の分野にあるものとして推測するに、経済システムないし社会システムというとき、市場経済や計画経済といったシステムないし体制の研究と混同される恐れがあったということであろう。それを退けるわけではないが(現に、比較経済体制研究は、この学会に参加する経済学者の主要な関心事のひとつである)、そのような研究に限定して理解されることを避けて、よりひろく「社会的・経済的事象に関する」研究を目指すという宣言であったのだろう。さらに、「システム研究」という部分にも、「事象に関するシステム研究」という以上、「システムを研究する」という意味よりも、「システムとして研究する」あるいはより正確には「システム理論をもって研究する」、「システム思考により研究する」という主張ないし意気込みが込められていたに違いない。以下では、このように解釈された「社会的・経済的事象」に関する「システム研究」について、主として経済学における回顧と反省を込めて考えてみたい(1)。
システム理論ないしシステム・アプローチは、すでに長い歴史をもっている。生物学者のベルタランフィが「システム理論」の構想を最初に発表したのは1945年のことであった。その直後には、システム理論の重要な構成要素となるサイバネティクス(ウィーナー、1948)や情報理論(シャノンとウィーヴァー、1949)も発表されている。その後、ベルタランフィを中心に、経済学者のボールディング、数理生物学者のラポポートなどにより、1954年、「一般システム研究会」が設立された。その機関誌General Systems は、1956年から刊行されている。このころまでには、システム理論・システム工学などの概念が確立すしたと見てよいであろう。その後も、丸山孫郎のセカンド・サイバネティックスやチェックランドのソフト・システム理論、自己組織化研究、散逸構造理論、力学系、ゲームの理論、複雑系といった話題を取り込みながらシステム理論は発展してきた(2)。
経済学の分野でみると、しかし、システム理論ないしシステム・アプローチが、経済現象の解明に際立った貢献をしたという印象は乏しい。たしかに、「システム」という言葉は、多様な文脈の中で使われるようになった。システム・アプローチが「システム」概念の普及運動であるとするなら、この運動は多大の成果を収めたといってよい。しかし、その実質はかなりさびしい。たとえば、山口重克編(1992)『市場システムの理論/市場と非市場』を取ってみよう。23人の著者と400ページの厚みをもつこの本で、システム理論が論じられているところはなく、「システム」という言葉自体も数人の著者が用いているにすぎない。システム理論の影響がわずかに感じられるのは山口重克論文の「ブラック・ボックスに入れる」という表現と高橋洋児論文の「フィード・バック」などの用語にすぎない。他に、フォード・システム、情報ネットワーク・システム、経済システムなどの語が散見されるが、これらをもってシステム理論の適用といういうわけにはいかない。もっとも、「市場システムの理論」という書名は、宇野派の重鎮の還暦記念論文集に付けられたものにすぎず、そもそも市場のシステム論的研究をするいう意義をもっていないのであろう。ここでは、「システム」という語は、むしろ理念型に近い意味をもつものとして言及されている。「システム」という語を題名に配しながら、システム理論にたいして明示的な言及なしで過ごせられるところに、経済学におけるシステム理論の貢献の弱さが象徴されている。
経済学の一部につよい影響を及ぼしたI.ウォーラーステインの場合は、どうであろうか。かれは、近世以降、世界大に広がった経済・政治関係について全体的な把握を試みるべく精力的な研究な発表した。その中心概念のひとつに「世界システム」がある。この意味では、ウォーラーステインは、(広義の)経済学にあたらしいシステム研究をもたらしたと言えるが、「反システム運動」といった表現がよく示すように、かれは研究の方法ないし理論として「システム」を捉えてはいない。「世界システム」は「世界帝国」に対比されるべきある種の対象として捉えられているのである。ウォラーステインの主として方法論的な論文ないし論評を集めた『脱=社会科学/一九世紀パラダイムの限界』も、本文400ページを超える大作だが、この中にもシステム理論に関する明示的な言及はない。プリゴジーンについては数カ所で言及されているが、散逸構造理論とその含意に関心を示しているのは一か所にすぎない(pp.48-52)。ここでも、いわゆるシステム理論は、言及することなしに過ごせるものとなっている。
1990年代の日本人経済学者の中でもっとも創造的であり、かつ世界的にもひろく影響を及ぼしたのは青木昌彦である。青木は、「システム」という語をその著書のいつくかに用いている(青木昌彦、1995;1996)。青木は、もともと比較経済体制論から出発したとも言え、初期の代表作である青木昌彦(1971)は、制御理論と同様の発想から理論が組み立てられている。サイバネティクスに代表される制御理論がシステム理論の中核をなすとすれば(3)、初期青木はシステム理論を武器に新領域開拓に挑んだということができる。そこには、市場の情報節約構造や組織の情報伝達構造への強い関心がある。後者は、後の考察にもしばしば顔を出す。しかし、日本の企業システムの経済分析に焦点を移してからの青木の理論展開の中心にあるのは、ゲームの理論である。情報への関心をシステム理論に入れるならば(4)、青木の考察の一部は、依然としてシステム理論的といえるであろう。情報構造への関心は、現在では、しかし、システム理論の独占するものではない。システム理論との関係・関心を青木は否定しはしないだろうが、後期の理論展開は、システム理論からのヒントというより、むしろ対象の要請したものないしは理論の自然な展開の結果であるというべきであろう。
システム理論に自覚的に取り組んで成功した経済学の書物として、鷲田豊明(1996)をあげることができるかもしれない。ここで鷲田は「相対的に自立的した全体性をもつ構造化された社会」のことを「社会システム」と呼んでいる。単なる「社会」と「社会システム」とを区別するという捉え方は特異であるが、この定義は、縄文時代にまで逆上り、考古学文献を渉猟した力作「日本社会システムの起源」(鷲田、1996、第5章)に生きている。環境を論ずるためには、社会・経済の設計にまで踏み込まざるをえないという事情が鷲田にシステム理論を要請したのかもしれない。しかし、鷲田は、むしろ例外に属する。わたしが知るかぎり、システム理論を明示的に議論することで、経済学に貢献した例は多くない。
このような事態は、経済学の隣接分野である経営学ないし組織論と比べるとより明確となる。社会・経済システム学会の主唱者のひとりである飯尾要には、初期の「サイバネティクス」を表題とするものを含めてシステム理論に関する多くの著書がある(飯尾要、1972;1986;1994)。これは、本論文では「経済学のシステム研究」から除外した比較経済体制論的な考察か、企業組織の分析を中心とするものである。その他、「社会システム」を冠する著書には、日本人によるものだけでも、公文俊平(1978)、新睦人・中野秀一郎(1981)、谷本寛治(1993)などがあり、「経営システム」を表題とするものも散見される。もとより、表題だけから内容とその重要性を類推するのは乱暴な話である。しかし、システム理論が経済理論にもたらしたものと経営学ないし組織論における貢献とを比べると、そこに大きな差異があることを認めざるをえない。
このような差異のひとつは、経済学の目指すところと経営学ないし組織論の目指すところの性格の違いがある。経営学ないしは組織論では、諸個人の関係が作りだすさまざまな構造がまず議論の出発点になる。システム理論は、この点では、はなはだ便利な用具である。村田晴夫(1990、p.216)が指摘するように、(すくなくとも)「1960年代までのシステム理論は、はっきりと構造指向的であった」。価格や生産数量を議論しようというとき、このような考察は、あまり役に立たない。経済学から見て、ベルタランフィの一般システム理論があまり魅力あるものに見えないのは、学問の目指すべき方向の違いにもよろう。ウィーナーのサイバネティクスは、ベルタランフィのシステム理論はことなる方向を示している。その限りで、サイバネティクスは、より経済学に適合的であったといえよう。コルナイの一連の著作は、社会主義経済のサイバネティク分析のみごとな一例と見ることができる。工学方面でもっとも成功したように、システム理論には、変化するシステムに関する考察を含んでいたが、社会科学の分野に応用されたとき、システム理論はそのような側面をうまく生かすことができなかった。経済学がシステム理論をうまく生かすことができなかったのは、後者の構造指向的な性格が大きく影響している。
システム理論は、経済学では明示的には大きな貢献をなしえなかった。その理由のひとつはすでに前節で考察したが、もうひとつ経済学内部の理由がある。それは経済学がすでにそれ固有の「システム理論」をもっていて、新たに外来のシステム理論を導入する必要がなかったということである。この隠された「システム理論」は、二重の構造をもち、ミクロ経済学とマクロ経済学の双方に関係している。社会科学においてシステム理論がもつ意味について経済学の経験を生かすとすれば、この隠されたシステム理論が経済学において描いた軌跡をたどることが必要と思われる。
ミクロ経済学は、その言葉から連想されるように、ミクロ主体の行動のみを分析対象としているのではない。ワルラスに始まる一般均衡理論は、現代的に整備されたものを含め、主体の行動理論と経済全体にわたる需給理論の二つから成り立っている。後者は、すべての財・サービスに関して需給が一致する(あるいは、超過供給の場合には、その財・サービスの価格が0となる)という条件を調べるものであり、所与の価格体系のもとでの交換可能性を必要条件として、経済システムが取るべき状態の確定が目指されている。経済がもし均衡状態にあるなら、正の価格をもつ財・サービスについては、経済全体の供給と需要とが一致していることがいえ、あとには具体的にどう配分するかという問題のみが残される。一般均衡という枠組みを認めるかぎり、システム理論は経済学に介入する余地をもたない。
一般均衡理論の構成には根本的な疑問があるが、その点にはここでは触れない(5)。主流の経済学においても、一般均衡理論は、その静学的な性格と一般論はあっても具体的な分析に適さない点などが批判されてきた。国民経済計算の普及とともに発展してきたマクロ経済学は、一部この批判に答えるものである。それは経済全体のシステム・ダイナミックスを与える。ケインズ経済学は、主として、このようなマクロ経済モデルによって表現されてきた。そう考えられていた訳ではないが、マクロ経済モデルは、経済学の「システム理論」として機能していた。
計量経済学は、このモデルを特定化する道具を与えた。マクロ計量経済モデルと呼ばれる。1950年代には、このマクロ計量経済モデルが実用化された。これによって経済状況の数量的な予測が可能となった。政策変数を変化させてシミュレーションすることにより、経済政策の効果を測ることもできた。政策目標を与えて最適な制御をすることをも可能かと思わせた。ケインズ政策にもっとも権威があり、マクロ計量経済モデルがその実現の理論的用具を与えていると信じられた時代であった。それは経済学にとって、いわば至福のときであった。
マクロ計量経済モデルは、しかし、その後、期待されたほどの発展を示さなかった。変数と方程式の規模は大きくなったが、予測の精度はあがらず、石油ショックなどの構造変化には対応できなかった。マクロ計量経済モデルは、現在では、民間の調査機関や経済企画庁のような政府機関によって作成され、その結果はさまざまに公表されている。経済予想の一手段として定着しているものの、それ以上の確実性はない。鈴木正俊(1995)によれば、政府と日本経済センター、国民経済研究協会の3者の次年度成長率予測をナイーブ予測と比較した結果では、1969〜73年度と1974〜83年度の二つ期間でナイーブ予測が一番よく、1984〜93年度ではナイーブ予測がもっとも悪いものの、調査全期間を通じてはナイーブ予測がもっとも良好な成績を示している(6)。ナイーブ予測とは、次年度の予測に今年度の実績をそのまま用いるという仮想的な予測方法である。上の分析は、このように「なにもしない予測」の方が、かえって成績がよいという皮肉な結果を示している。成長率は、経済予測の代表的指標である。そのような指標にたいしても、この程度の成果しか収められないとすれば、他の予測についても、その精度は押して知るべしであろう。
日本では、年末年始に掛けて、毎年約50もの経済見通しが発表される。精度は低くても要求があるかぎり、経済予想は発表され続ける。それは、なんの科学的根拠がなくとも、星占いや易占いがなくならないのと同様である。マクロ計量モデルは、そのひとつの重要な手法でありつづけているが、学問的な研究としては期待されたほどの地位を築けなかった。計量経済モデルの歴史において、隠されたシステム理論は、一貫して、予測モデルを推進する指針であった。経済は本質的に複雑系であり、予測には一定の限界がある。こうした認識は、計量モデルの限界に対する評価がほぼ定まった後に、初めてでてきた。
マクロ経済学は、予測に失敗しただけでなく、理論的にも挑戦を受けた。マクロ経済モデルは、基本的に現象論的に構成された。複数の集計量の間にある関係が成り立つとすれば、それは各経済主体の行為の結果成立するものではないのか。マクロ経済学は、事実と合致するとしても、基礎づけを欠く理論である。こうした理解に基づいて、1970年代以降、「マクロ経済学のミクロ的基礎づけ」が試みられるようになった。基本的に還元主義的かつ方法論的個人主義に基づくこの研究プログラムは強力で、1970年代半ば以降の主流の経済学を大幅に模様替えすることになった。竹田茂夫は、1970年代以降現れた新しいミクロ経済学を「マイクロエコノミクッス・マークU 」と名付けている(Takeda,1998;竹田茂夫2000)。具体的には、情報の不完全性とゲームの理論を主要な理論用具とするこの経済学は、合理的期待、情報の非対称性、インセンティブ両立性、プリンシパル・エージェント関係、モラルハザードといった主題を理論内部に取り込むことに成功している。特に合理的期待は、ひとびとがそのような期待のもとに行動するなら、ケインズ政策の無効が結論されるものであった。これらマイクロエコノミックス・マークUの興隆は、マクロ経済学のミクロ的基礎づけを待つまでもなく、マクロ経済学の定式化そのものを疑問とする方向に経済学を押し進めた。青木昌彦らの比較制度分析も、大きな流れとしては、マイクロエコノミックス・マークUに属する。1970年以降の経済学の中には、実物的景気循環理論や内生的経済成長理論など基本的にはマクロ経済学に止まるものもあるが、その議論の様相はミクロ経済学から強い影響を受けている。マクロ経済学のミクロ的基礎づけという研究プログラムは、そのものとして成功せず、むしろミクロ経済学によるマクロ経済学の侵食という事態を生み出した。
経済学においてマクロ理論がミクロ理論に侵食されていったのは、人間という行為主体を含む経済学としては当然のことであった。ミクロ経済学が行為主体としての人間の行動を明示的に分析するのに対し、マクロ経済学では諸変数はたんに現象論的に関係づけられるだけであった。マクロ経済学は隠されたシステム理論をもっていたが、そのシステム理論は人間社会を対象とする学問でありながら、人間の行為を観察・分析する原理とそれらを全体に結び付ける枠組みを欠いていた。そのため、まがりなりにもそれらをもつミクロ経済学の手法にしだいに侵食されざるをえない状況を作りだしたのである。社会科学におけるシステム理論も、マクロ経済学の隠されたシステム理論と同様の欠落を抱えている。そのことを承認するとき、マクロ経済学がたどった歴史は、社会科学におけるシステム理論についてもひとつの重大な示唆をあたえる。
断っておくが、わたしは現在主流のミクロ経済学の支持者ではない。ミクロ経済学は、均衡の枠組みの容認など、わたしには受容できない基本的な欠陥を内包している。動的システム理論からいえば、均衡という状況にのみ注意を集中すること自体が極めて特殊な前提である。ミクロ経済学のよってたつ方法論的個人主義にも、わたしは反対である。そのような立場からも、この30年の経済学を反省して、次のことをいわなければならない。マクロ経済学がミクロ経済学に侵食されていったのは、マクロ経済学が人間をその行為の次元で分析する理論をもたず、行為の連環を全体の過程に接続する枠組みを欠いていたためである。システム理論は、社会の研究理論として、マクロ経済学がもっていたと同じ欠落を抱えている。それは行為当事者の意思決定や行動に関する理論枠組みをもたず、また行為の連環を全体の過程に接続する分析手段をもっていない。そのようなものにとどまるかぎり、システム理論は方法論的個人主義の人間学を凌駕することはできない。社会科学におけるシステム理論に欠けているものは、人間の欲求や意思決定のからむ行為の次元を全体過程の分析理論に統合する枠組みである。
このような統合が容易であるとは思わない。これは、社会学では、ミクロ理論とマクロ理論の統合ないし接合の問題として、古くからの課題であるとともに、深刻な対立を背負うものでもあった。ミクロ理論とマクロ理論の二つは、デュルケームがマクロ社会学の視点を確立して以来、つねにぶつかってきた。富永健一によれば、「タルドとデュルケームのあいだに交わされた論争、またそれから半世紀後にシュッツとパーソンズとのあいだに交わされた論争は、行為者に関して生起していることの理論化と、社会システムに関して生起していることの理論化とが、主観説 対 客観説として、あるいは社会のミクロ理論 対 社会のマクロ理論として、くりかえしあいいれないものと考えられてきたことを物語」っている(富永、1986、p.163)。パーソンズは、行為理論と社会システム理論との統合を目指した。しかし、かれの構造−機能分析がかれの行為理論とどれだけ内的にむすびついていたかについては、疑問がある(同、p.164)。現在に至るまで、ミクロ理論とマクロ理論とは、基本的に相いれない二つの視点ないし潮流として発展してきた。このような現状に対し、その統合・接続を図るべきだという考えも表明されている(富永、1986;Alexander & others、1987)。しかし、それらは意図の表明に終わっており、統合された理論枠組みが提出されているわけではない。
理論のこのような現状は、経済学ばかりでなく、社会学や政治学などにおいても、合理的選択理論があらたな関心をひいていることにも反映している(Critical Review, 1995;レヴァイアサン、1996;木村邦博、2000)。その多くは、投票行動のように相互作用があまり強くない個人の行動の統計的性質に関するものであり、基本的にはミクロ理論の延長線上にあるものである。しかし、最近は、ゲームの理論をもちいて、相互作用を明示的に取り入れる研究もさかんに行われており、ミクロ経済学によるマクロ経済学の侵食と類似の現象が社会学・政治学の分野で再現される可能性が小さくない。システム理論が全体論的視点と構成を強調する理論であるとするならば、それは社会科学全般においてひとつの危機に直面しているともいえよう。
合理的選択理論の問題点は、個人の選好や確率判断を所与とし、個人はなんらかの最適化行動を行っているはずだという問題設定にある。このような問題設定に対し、さまざまな異論が提出されている。選好関係の社会的な形成、計算能力の限界、問題と状況の不明確さ、関連変数の恣意的抽出などである。このような問題点があるにしても、方法論的個人主義が立てた基本的設定=「人間はなんらかの判断にたって意思決定を行っている」ことを否定することはできない。システム論は、その出自を生物学や工学においており、このような問題状況における人間の理論をもたなかった。この点に、システム理論の大きな欠落がある。
物質連関や情報処理を中心とする大規模システムにおいては、システム理論は、ある程度、有効に機能しえた。システム工学は、システム理論がもっともうまく機能したひとつの例である。システム工学は、ヒューマン・インターフェースの研究を含むが、その主要な研究目標は、(情報系をふくむ)機械システムであった。それは人間たちの相互の調整に基づいて機能するものではなく、人間のいわば恣意的な行動にもかかわらず機能する体系として設計されていた。だが、社会・経済システムは、そのような機械的なシステムではない。それは人間行為が複雑に絡みあうネットワークとして存在し、主要なる調整作用も、ある種の制度を介して、人間の行為と行為とが作りだすものである。このようなシステムはどのように機能し、ひとびとの行為がそこにどのようにかかわっているのか。社会科学におけるシステム理論は、このような問いに答えうるものでなければならない。
システム理論を革新し、新しい力を吹き込むためには、合理的選択理論に代表される個人主義的方法理論を症例として研究し、その弱点・限界を明確にするとともに、これら理論が問題とする次元をシステム理論の内部に取り入れる以外にない。その際、ふたつのことが要請されよう。ひとつは、行為理論の形成にシステム理論の特徴を生かして、個人主義的方法論を超える観点を提出すること。もうひとつは、行為理論とシステム理論との間にうまい連携を作りだすことである。いくら精緻な行為理論を作りだしても、 それをシステム研究に生かすことができなければ、システム理論としての進歩はないことになる。
わたしの考える行為理論を簡単にスケッチしてみよう。
まず、人間の行為を分析するにあたっては、抽象度のことなるいくつもの層を分けて考える必要がある。第一は、所与の状況に対する反応として行為を捉える層がありうる。吉田民人の「CD変換」は、このような層における行為の構造をよく捉えている(吉田民人、1990)。ここでCは、Cognitive meaning であり、DはDirective meaning を意味する。ある特定の認知的な意味を感知するとき、ある意味をもつ行為指令が身体などに発せられ、働きかけがなされる。このようなCD変換がある順序で組み立てられるとき、行為はプログラムとなる。Cの認知は、受動的なものにかぎらない。あるあいまいな状況において、それがどのような状況であるか、積極的に定義するものでもありうる(状況の定義)。Dには、発話や記号の操作も含まれる。CとDとの関係は、ほとんど思考を介さない習慣的=反射的なものもあれば、両者の間に熟考が挟まれることもある。後者の場合、思考の過程において、C1,C2,・・・として、補足的に状況が定義され、またD1,D2、・・・として、情報収集を含む予備的な働きかけが行われることもある。
思考の多くは、言語記号を媒介としてなされる。より正確にいえば、思考は言語という形態をとる記号を操作することにより進められる。対話は発話の交換であり、その系列はしばしば意思決定過程の重要な構成部分である。もっとも複雑な場合には、世界に関する仮説形成が行われる。この仮説は、白紙の上になされるものではない。人類の長い経験を概念的に整理した「知識」を基礎として、新たに形成される。問題の認識Cからある計画Dが出てくるまでには、紆余曲折した検討過程がありうる。このようにCD変換は、いくらでも長い中間項をもちうる。
社会科学は、しかし、ある行為の生起を記述し理解することに止まることはできない。
人間が相互に働きかける行為、これを相互行為と呼ぶことにすれば、相互行為の連鎖が作りだすものこそ社会科学が解明すべきものである。その研究のためには、行為を一定の水準において抽象化し、それ以上の具体的内容をもつ思考過程を括弧に入れることが許されるし、許さなければならない。社会科学における分析は、人間の行為を意思決定の次元において捉えうるものでなければならないが、あらゆる意思決定を明示的に考察しなければないものではない。
人間の行動は、反射的・習慣的行動から熟慮された決定に基づく行動までの広がりをもっている。前者は、定型行動として定式化すれば、システムの過程分析に容易に取り入れることができる。熟慮された決定については、ことなる取り扱いが必要になろう。その意思決定過程を研究することは重要である。それがどのような性格のものであるのか理解することは、社会システムの調整がどのように行われているのかを知るためにも必要である。しかし、社運を賭けなければならないような重大な決定を分析のために単純化された状況設定において再現できると考えることは誤りであろう。一定水準の思考過程を括弧にいれることではじめて進められる分析がある。人間の行為をシステム理論の考察に取り入れるには、こうした観点が必要となる。
前節では、システム理論と行為理論とを統合する必要を主張した。それが実現するためには、意思決定過程をも含む人間の行為理論が必要であるが、すでに注意したように、その理論に基づく行為の定式によつてシステム分析が可能でなければならない。新古典派の経済理論が成功したのは、単にそれが合理的選択理論をもっていたからではない。その理論と対(つい)をなすものとして均衡理論というシステム理論をもっていたからである。しかし、われわれが均衡理論に止まることができないとしたら、どのような分析装置をもち得るであろうか。
システム理論の伝統の中に、このような革新を可能にする理論はないのであろうか。わたしには、「自律的エージェント」という問題設定がその候補になりうると思われる(出口弘1997a;1997b)。「自律的エージェント」の概念において重要なことは、それが自己および環境にかんする「内部モデル」をもつと考えられている点にある。自律的エージェントは、内部モデルをもち、それを参照にして意思決定を行い、行動する。新古典派のミクロ経済学では、経済主体のひとつである消費者は、みずからの効用関数をもち、与えられた価格体系のもとで効用の値を最大化するように行動する。ここには、「内部モデル」と呼びうるものがあるにしても、消費者が外部の環境にかんする仮説をもっているわけではない。経済学における隠された仮定は、購入する財・サービスの組み合わせがいったん決定されたあとは、それがどのように利用されようと、(決定論的あるいは確率論的に)その効用は確定している。これに対し、「内部モデル」というときには、環境を認識し、世界モデルを構築する作業が含意されている。簡単な定式の中に、複雑な思考過程を取り入れる可能性がそこに開かれている。
「内部モデルを形成するエージェント」という見方は、チェックランドのソフト・システム以降、ロボティクスなどと問題意識を共有するところから育ってきた。チェックランド(1985)は、人間を含むソフト・システムにおいては、問題と状況の双方が明確には定義されないところから出発せざるを得ないことを強調している。問題解決にあたる認識者の立場を自律エージェントと置き換えれば、かれのもつ内部モデルが一義的に確定しないことは、ソフト・システムのモデル化として当然の前提である。そうだとすれば、内部モデルを参照してなされる行為も一義的に定義されるものではなく、そこから形成される経済過程自体一義的に確定されない。重要なのは、そのようにして形成される経済過程を観察することにより、主体の内部モデルが変化・修正されることである。エージェントの行動と全体過程とは相互に規定する関係にある。このことは、自律的エージェントの問題において、方法論的個人主義が成り立たないことを意味する。
わたしは、個別の行為主体とシステムの総過程との間に上のような相互規定関係が成り立つとき、それをミクロ・マクロ・ループと呼んでいる(塩沢由典、1995他)。その詳しい解説は塩沢由典(2000)に書いたから、ここでは細部には入らない。内部モデルをもつ自律エージェントの行為を考察しようとするとき、経済の総過程とその主観的な内部モデルとの間のミクロ・マクロ・ループ関係を無視することはできない。このループ関係に注目するとき、方法論的個人主義も方法論的全体主義も一面的であることが分かる。
自律的エージェントという研究プログラムの含意を理解するために、具体的な例をひいてみよう。株式市場におけるテクニカル分析がよい例となる。テクニカル分析は、主として過去の価格の時系列に注目して、そこにある兆候を読み取って、売り買いの判断材料にする。これは、日本では、「罫線」といって江戸時代からなされてきた価格の予想法である。これはまた、主として価格の時系列図表に頼ることから、以前は「チャート分析」とも呼ばれていた。
このような方法が本当に有効であるかどうかについては、有力な反対意見がある。効率市場仮説は、株式や為替などの金融市場では、つねに無裁定状態(裁定行動により、利益を上げることができない状態)になっているという主張である。この仮説の「弱い主張」(weak version)は、過去の価格情報は、すべて現在の価格に織り込まれているというものである。もしこの仮説が正しいならば、過去の価格変動の様子を眺めて将来の価格の上昇・下落を推測することはできない。したがって、(強い主張はもちろん)弱い主張が正しければ、あらゆるテクニカル分析は無効ということになる。なぜなら、そのような分析により価格の動向が予測可能であるならば、そのことを市場はすでに織り込んで、価格はすでに変化してしまっているはずだからである。
効率市場仮説は、市場には確実な利益獲得機会は存在しないと考える。そうではなくて、たとえば、現物と先物という二つの市場の間の裁定により利益の獲得が可能であったとしよう。そのとき、裁定活動が活発に起こり、利益獲得機会は早急に消滅するであろう。市場には、このような傾向が常にある。しかし、確実には利潤をもたらさないとしても、ある行動がある確率で正の利潤をもたらすときはどうであろうか。たとえば、価格の変動パタンのなかに、まだ多くの人がその有効性を知っていない株価推移の判定方法があるとしよう。それにより一定の期間、継続的に利益を上げうる可能性を排除することはできない。これは秘密を握っている人が少数であることによる利益の獲得である。効率市場仮説は、このような利益獲得機会もないと考えるが、知識の普及速度が無限に大きくないかぎり、そのような知識をもつ少数の人間たちがかなり安定的に利益を上げ得ることは否定できない。
上とは反対に、多くのひとがある知識をもっているがために、その知識の有効性が実現されるという事態もある。これを予言の自己実現的な効果という。たとえば、「ゴールデン・クロス」に着目する投資法では、短期(たとえば、7日間)の移動平均と長期(たとえば、30日)の移動平均をグラフに描き、短期移動平均が下から上に長期移動平均を切るとき、「買い」信号とする。これは長期的に下降してきた株価が反転し、上昇の勢いが定着したしるしと見て、買いどきと判断するのであるが、もし多くの人がこのように信じて行動すれば、株価は上昇する。結果として、ゴールデン・クロスによる判断は正しかったことになる。
知識の普及速度が小さいために、一時的に効率市場仮説が成り立たないというのは、新古典派の理論枠組みにおいても、いわゆる「摩擦」や市場の「不完全性」で説明できる。しかし、予言の自己実現効果は、このような不完全性とは異質のものである。この市場には働いているのは逸脱増幅的機構である。このような場合、市場の傾向を読んで、短期に利益を上げることは可能であろう。これは市場に客観的に存在する性質といえないかもしれない。すくなくとも、あるひとびとがある仮説を信じていなければ、そのような過程は起こらない。したがって、ここでは、外界にたいしひとびとがどのような仮説をもっているかが市場価格という外部変数の変動を決定している。
これまで、経済学は、ひとびとが市場に関してもつ仮説が市場の価格変動そのものに影響をあたえるという関係を考慮に入れてこなかった。そのような状況は、さまざまな場面で見られたにもかかわらず、理論は客観的であるべきだというドグマ(客観性ドグマ)に縛られて、そのような機構の存在とその帰結とに目をつぶってきた。しかし、ミクロ・マクロ・ループに注目するとき、人間のもつ世界に関する仮説とその仮説のもとになされる行動の結果としての客観世界の運動との相互規定的な関係を無視することはできない。そのような機構ないし過程を考慮にいれなければ、株価や為替レートの確率的な性質すら理解できない(7)。
経済を個人の行為と全体の過程との相互規定的な関係と見て分析するためには、経済行為の担い手である人間を世界に関する仮説をもつ存在として扱わざるをえない。これは、人間という行為主体をふくむ相互作用システムを複雑系とみることにあたる。複雑系はさまざまに定義されているが、清水博(1988)は次の定義を与えている。
「分解して得た要素の性質を組合わせるだけでは、元の性質を推測することが原理的にできないもの」
「元の性質」とは、ここでシステム全体の性質を指す。なぜ要素の性質を組み合わせるだけでは全体の性質を「推測することが原理的にできない」のか。その理由を清水は、「機能的要素(ホロン)が、置かれている環境に応じてその性質を変える」ためである、「各ホロンはその内部に複雑さを内包している」と説明している。清水博の「ホロン」は、かならずしも意識的な存在を対象としていないが、経済活動をいとなむ人間を清水のいう「機能的要素(ホロン)」とするなら、人間はその内部(すなわち脳内)に外部世界(すなわち環境)にかんする仮説を構築し、外部世界を観察するとともに、その状況に応じて仮説を修正し、行動パタンを変える存在である。人間は外部世界を疑似的に写しとるという意味で「複雑さを内包」している。経済は、このような複雑な主体の作りだす過程であり、全体である。これを「多主体複雑系」と呼ぶことにしょう。経済は、多主体複雑系の典型と考えられる。
経済が多主体複雑系であることは、目新しい主張ではなく、多くの論者の感じ取ってきたところであろう。しかし、これまで、経済学はこのような多主体複雑系を分析する適切な手段を欠いていた。内部モデルをもつ自律的エージェントたちのつくる相互作用システムは、このような多主体複雑系を仮想的に分析しうる現在までのところ唯一といっていいモデルである。自律的エージェント・モデルの重要さは、この点にある。
もちろん、自律的エージェント・モデルは、ひとつの分析用具にすぎない。これにより、経済学のすべての問題が解決できると期待することはできない。しかし、この用具の出現は、経済学の課題と分析と言説とを変える強力な作用を及ぼすであろう。古くは望遠鏡や顕微鏡、より最近ではX線解析や核磁気共鳴解析(NMR)の出現が科学の研究方法を変え、問題領域を変えたように、自律的エージェント・モデルは経済学の分析方法を変えていくであろう。それは、経済学がそれまで取り扱うことのできなかった課題に取り組むことを可能にし、その結果として、経済学的言説を変えていくことになろう。ひとつの用具の出現にすべての課題の解決を期待することはできないが、有効に取り組めることには取り組まなければならない。
竹田茂夫(2000)は、1997年のアジア金融危機をめぐる主流の理論の言説体系を批判的に検討したあとで、「市場を「客観的な」立場から内部構造や作動方式を確定することができるシステム(メカニズム)としてではなく、行為と思惑の連関(行為連関)として考える」という立場にたつみずからの研究プログラムを提出している。それは、
(1)経済行為の解明のためのフィールド・ワーク
(2)メカニズムの理論と行為連関の解明
(3)制度的不確定性の具体的分析
の3点にまとめられる。詳細は竹田(2000)に譲るが、自律的エージェントたちのシミュレーション・モデルは、(1)と(2)とを接合することには一応成功している。問題は、(3)に関係した部分であろう。主体の内部モデルをいくら複雑化しても、人間と人間の相互作用から自然発生的に産まれてくる制度をどのように分析可能な対象とするかについては、まだ明確な方策は示されていない。この意味では、自律的エージェント・モデルには、すでに明白な限界がある。しかし、旧来の経済学の理論装置が、最大化条件の解明や微分・差分の方程式にほぼ限定さけれていたことに比較すれば、自律的エージェント・モデルは、新しい広大な領域を開示している。社会科学においても、分析用具の開発と理論研究とが相互に他を規定しつつ共進化することがようやく起こり初めているのである。
Alexander,G.C., B.Giesen, R.M?nch, N.J.Smelser(1987)The Micro-Macro
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Takeda, S.(1998) Strategy and Community: Critical Notes on the
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[補注]
(1)「経済体制」に関しては、本特集中、福田亘論文・津田直則論文が取り上げている。本論文てば、狭く解釈された「システム理論」のみを考える。
(2)その全体については、出口弘(1997a、1997b)がコンパクトながら包括的な展望をまとめている。
(3)飯尾要は、システム理論とサイバネティクスとを交換可能で同義の概念としている(1986、p.5およびp.11注(3))。
(4)吉田民人(1990)は、サイバネティクスを創始したウィーナーの思想に強く影響を受けて成立した。吉田のいう「ウィーナー的自然観」とは、世界を物質・エネルギーと情報とに2分して考える考え方をいう。実際、吉田の考察の中心は「情報」とその記号作用にある。システム理論とサイバネティクスとをほぼ同一視する考え方からいえば、吉田(1990)もシステム理論の一書ということになるが、これは伝統的な「システム理論」の範囲からは大きく外れている。
(5)興味のある読者は、塩沢由典(1997)第3章を参照せよ。
(6)三菱総合研究所の予測にかんする結果もあるが、第1期の数値を欠き、本文では言及していない。1974年から1993年度までを通した成績では、三菱総合研究所の予測がもっともよいが、鈴木正俊によれば、この結果は、「予想パフォーマンスがきわめて劣悪な高度成長期(1969〜73年度)を含んでいない」ためであり、じっさい1984〜93年度の10年間では、同研究所の予測は、ナイーブ予測を含む他の4つの予測より精度が劣っている。
(7)効率市場仮説を受け入れるとき、時々刻々の株価は、いかなる傾向ももたず、刻々飛び込んでくるニュースに反応していると考えるほかない。株価への影響の程度がさまざまな独立の要因の重なったものであるとすれば、株価収益率(たとえば、日々の株価の対数の前日との差)は正規分布になると考えられる。たしかに、株価収益率は、大ざっぱには正規分布に近いベル・カーブとなる。しかし、すこし精密に調べると、それは正規分布ではなく、「高い頂点、厚い裾野」という特性をもつことが知られている。たとえば、σを株価収益率の標準偏差とするとき、株価収益率がもし正規分布であるとするなら、5σという変動は1万年に1回ぐらいしか起こらないはずの出来事であるが、じっさいにはσ以上の変動をもつ日が数年に一回の割合でおこっている。このような現象は、価格変動そのものに逸脱増幅機構があると考えれば、説明が付く。