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日本経済事情 第3回

2004.4.24  .

長期不況と日本経済

杉本孝・塩沢由典  .

授業の流れ

最初に杉本先生から、日本・韓国・中国・アメリカ合衆国・ドイツ・フランス・イギリスの7カ国の経済成長とインフレ率のグラフが示されました。

10年程度といえども、7カ国ともなると、なかなか分析は容易ではありません。杉本先生は、分析を進める手法として以下の点を強調されていました。

(1)全部を一度にみてもわからない。
=>比較対照数を小さくしてみる。

(2)スケール(目盛りの大きさ)を適切にとる。
<=目盛りを変えると印象が変わる。
<=比較の場合には、同一スケールで比較する。

このあと、学生のみなさんから、各自考えてきた意見を出してもらいしまた。
以下では、
討論1 長期不況の原因
討論2 長期化の理由
討論3 対策・教訓
について、それぞれページを設けて列挙します。


☆注意☆ 創造都市研究科学生と教員のみに開放されているWEB上での掲示板には実名を使っていますが、ここではローマ字イニシャルとしました。


[討論1] 長期不況の原因をどうみるか

・M 80年代に経済の能力以上のことをやった。
・I 冷戦構造の崩壊がデフレを招いた。  IT化への適応が遅れた。
・T 90年の金融規制(貸し出し制限)、91年の地価税によりバブルが崩壊した。
・J 国際化が進展、ルールが変化した。その変化への適応が遅れた。
・Y 空洞化が進んだ。そのため、アメリカ型経営が導入され、リストラが進み、雇用が縮小した。
・M2 間接金融から直接金融へと転換したが、投資のチェック機能が効かなかった。
・N 地球サミット後、サステナブルな成長へと環境が変化した。
・T2 政府の役割が機能しなかった。
・S  [すみません。記録漏れです。芝さん、投稿おねがいします。]
・K キャッチアップ型とことなる成長へと転換できなかった。
・I2 コストダウンが限界にきて、投資に見合う利益が得られなくなった。
・S2 市場が飽和した。
・S3 規制緩和が進まず、海外の投資を呼び込めなかった。
    そもそも90年代が不況であったかという疑問もある。
・T3 バブル崩壊の事実を認識せず、起業経営・国家財政の建て直しが遅れた。


[討論2] 長期化した理由をどう考えるか

・N 欧米と日本とで消費概念が変化した。より高い水準を求めるようになった。
・T 資産デフレ。不良再建処理が進まなかった。低金利政策、消費税引き上げ、貸し渋りと失敗が続いた。
・J  痛みを恐れて、問題を先送りにした。
・K2 バブル体質が抜けきれていない。
・M2 責任回避行動(自分が追及されなければよい)。企業経営者、政治家ともに。
・I 問題が景気循環ではなく、経済状況の根本的な変化だということに気が付かずにやってきた。まだ、答えはない。
・T3 アメリカに倣ってリストラをしたが、その後の目標が出てきていない。
・K 効率化戦略のみを続けた。新しい戦略を出せていない。
・M 市場原理にまかせず公共事業で救済しようとした。


[討論3] 長期不況の対策と教訓

・N 物質的なものを売ることから精神的なもの満たすビジネスに転換する。
・S2 IT革命がアメリカではスムーズに進んだが、日本ではうまくいかなかった。
・T 大企業もニッチへもつと進出すべきだ。
    第2創業を含め、速度が重要。
・S3 規制緩和による海外の投資を招致
・K2 人材ネットワークを大切に コミュニケーションを緊密にし、共生できるシステムを
・I2 経済成長率だけを考えずに、絶対値で考えてみたらどうか。
    日本は他の国とジョイントすべし
・M 知的財産分野での輸出強化



杉本先生のコメント

(これは、[長期化の理由]と[対策・教訓]の間に挟まれた、杉本先生のコメントです。)
☆長期不況の原因
1985年9月のプラザ合意により、円高・ドル安誘導が合意された。そのため86年には円高不況がおきた。これに対処するため、低金利誘導や金融機関の貸し出し急増がおき、景気を刺激してバブルがおきた。株価や地価が急上昇し、勤労者は一生かけても家を変えない状態に近づき、地価抑制政策に転換せざるをえず、その結果、バブル崩壊がおきた。

☆長期化の理由(1)
地価・株価が2分の1、3分の1に下落した。このため、家計・企業ともに巨額の借金が残った。
家計は、高い価格時の家のローン支払いに追われ、消費を切り詰めざるを得なかった。
企業は、巨額の負債と不良債権を抱え、その処理ができなかった。


☆長期化の理由(2)
日本は、パラダイム強化型のイノベーションが得意だが、パラダイム転換型のイノベーションに弱い。90年代の不況脱出には、パラダイム転換型のイノベーションが必要とされたが、それができなかった。


塩沢のコメント

(1)長期不況の原因
「長期不況の原因」という表現が両義的であったかもしれません。多くの方の「回答」は、「90年代の不況がなぜ長期化したのか。」にたいするものでした。つまり討論2で答えたほうがよいと思われるものがありました。Iさん、Yさん、Tさん、Kさん、T2さんなどの意見です。

わたしが「長期不況の原因」としてイメージしていたのは、先行するどういう状況が不況を惹き起こしたのかという質問でした。つまり「不況」に重点があったのですが、多くの方は「長期」に重みをおいて考えられたのでしょう。それとも、2番目の質問と類似の質問として、「長期不況の原因」を解釈されたのかもしれません。

それにしても、長期不況の原因として、先行するバブル経済に対する言及が見澤さんの発言を除いてまったくなく、バブルが崩壊したという指摘はあっても、バブル自体が不況の原因だという考えがほとんどの皆さんになかったのは意外でした。プラザ合意・円高不況、その対策としての金融緩和の話は、杉本先生のコメントではじめて出てきました。

株の格言に「山高ければ、谷深し」というものがあります。株と景気とは連動するものですから、景気が異常によければ、それが不況に転化したとき、不況が長く激しいものになるということもいえます。「長期不況の原因」にひとつの正しい答えがあるとは思っていませんが、わたしが一番大きな理由と考える要因を多くの方が見落とされたようなのは残念なことでした。


(2)不況が長期化した理由
大きな理由は二つあると私は考えています。
1.景気回復を待てば、不良債権問題は解決されると考えて、政府・金融機関・企業とも、問題を先送りしようとした。(90年代前半)
2.単純な景気回復政策が機能しないことがわかったかかわらず、金融緩和・低利融資・債務保証・景気刺激のための公共事業投資など、後ろ向きの政策が採用された。

これに対し、もっと抜本的な対策を早期に採るべきだったとわたしは考えています。80年代後半から90年代前半にかけて、世界の多くの国々で金融危機が起こりました。しかし、多くの国では2年から3年で金融危機を乗り切っています。日本でこれができなかったのは、国も大企業も凡庸な指導者がトップに立ち、「なあなあ・まあまあ」の考えで士分たちにゆだねられた指導力を発揮しなかったからです。

ただし、わたしは規制緩和をすばやくすればよかったと考えているわけではありません。とくに、「規制緩和をすれば景気がよくなる」という発想には強い疑問をもっています。たしかに、日本は肥大化した官僚制がはびこっており、規制緩和は必要です。しかし、これは景気循環を超えて日本経済を長期に持続的に強いものにするために必要なことであって、景気対策に使うべきものではないというのが、わたしの意見です。景気のためだけなら、規制を強化することにもビジネス・チャンスはあります。論理的には規制強化により景気をよくしようという政策も成り立ちます。


(3)対策と教訓
対策の前に、長期不況から学ぶべき教訓について言っておきましょう。第1は、不況を惹き起こさないための教訓です。

90年代の長期不況は、80年代後半の過剰なバブル経済が原因です。このことを肝に銘じてほしいのです。景気はよくしすぎると、かならずその後に悪影響がでます。これが景気調節と難しいところです。

バブル経済が原因だとしたら、なぜバブルが惹き起こされたのかについても、考えてみる必要がある。その遠因は、杉本先生の指摘されたプラザ合意・円高不況にある。80年代のの中ごろ、日本は世界経済の成長のエンジンであることを欧米、とくにアメリカ合衆国から強く要請された。その要求のひとつが円高である。それ以前、日本は車や多くの家電製品を世界に輸出し、失業を輸出していると非難されていた。日本車の叩き壊しなどいろいろなことが起こった。

これに対して、日本政府および日銀がとったのが「内需拡大」という路線だった。2回にわたる前川レポートはその代表的な見解といわれている。しかし、内需拡大は、かならずしも簡単なものではない(このあたりをほとんどのマクロ経済学者は見落としている)。消費が飽和状態にあるとき、内需を拡大するには、消費者が真に欲している新しい需要を開拓するか、公共投資を拡大するかしか、金融をインフレ・バブルに導くいかない。

 第1の解決策を除いては、副作用があれます。赤字を増やさずに公共事業を拡大するためには、大幅な増税をする以外にあれません。しかし、国民は総じて増税に反対いします。よほど国民に説得力のある首相か、長期安定政権でないとなかなか増税はできません。また、増税できたとしても、そのお金が有益に使われる保障がありません。その当時でも、公共投資と称して、使われない道や海岸の護岸にお金を使うのは無駄だという考えはありました。新社会資本の充実という掛け声もありました。しかし、そういう方面に財政支出の構造を変えることは、政府・自民党の内部構造を変えなければ実現できないことでした。

80年代後半は第3次中曽根内閣から竹下内閣のころでした。竹下さんは、消費税導入を決めましたが、わずか3パーセントの消費税で退陣を余儀なくされました。増税はできない。ひとびとはありきたりの消費には飽き飽きしていた。その点を打開するために、バブルを惹き起こすという政策が半ば意図的にとられました。銀行には低利の買出しを行うよう圧力がかけられました。ほとんどたれも寄り付かないような土地に投資を進めるため、リゾート法(総合保養地域整備法、1987年)などというとんでもない法律も作られました。一時期は、大阪湾にのぞむ各市が4市も5市も、テーマパークの建設計画をもっていました。

資産インフレが進むと、多くの人々の意識が変わり、効果なグッズが売れるようになり、高い住宅も売れるようになりしまた。土地価格は、年に何十パーセントも値上がりし、銀行は買値の全額を融資するといったことが横行していました。こうして内需拡大には成功したのですが、結局、そうしたインフレがインフレを呼ぶ構造(国レベルのマルチまがい商法)を長続きさせることはできません。80年代の資産インフレの暴走を制御しようとしたら、バブルが崩壊し、もともと価格に無理があったので、株や土地価格が大幅に下落し、財テクに走った企業は額面割れをした資産と巨額の借金をかかえるようになりました。

これは、「長期不況の原因」ないし「長期不況を必然とした先行条件」ですが、長期不況の教訓としては、過度の好景気は、一見、誰も傷つけず、すべての人が得をする経済状態の用に見えるが、実は将来に大きな禍根を残すことだということです。

「なんでもかんでも景気をよくしよう」という経営者や政治家、「景気をよくすることしか考えていない」経済学者にもは警戒しましょう。

教訓の第2は、「長期の不況からみえてきたものはなにか」ということです。この点については、みなさんよく見ていられるとおもいます。長期化した要因はいろいろありますが、一番大きなものは、やはり日本経済が抱えている構造問題です。これも、いろいろに表現できるでしょうが、わたしは「キャッチアップ経済からトップランナー経済への転換」といっています。この転換のために何が必要か。それは、これからみなで考えなければなりません。

杉本先生の言われている「パラダイム転換型イノベーションが弱い」ということも、結局同根の問題と思われます。





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