インターネット講座2005「創造都市の創造と市民社会の新たな展開」4
各回紹介

町おこし・地域おこしの考え方/「新しい政策」概念

塩沢由典
1. 新しい政策概念
2. 地域のインキュベーション能力
3. 新しい政策概念
4. 政策を担う個人

第3回の講義の掲載も一ヶ月近く遅れたのに、第4回は実質的に夏休みに入ってしまい、またまた大幅の遅れ、おわびします。


1.経済政策の大きな流れ

 21世紀の町おこし・地域おこしを考えるためには、「政策」というものの考え方そのものを変えなければならないとわたしは考えています。

 政策というと、わたしたちはふつう、国や地方政府の政策を考えます。政党が政策として掲げるものも、それは議会での討論を通して国や地方政府の政策としていくという意味で、そういう考えを政党の目標としてまとめたものです。しかし、政策は、国や地方政府の政策のみでよいでしょうか。

 こうした反省は、さまざまなところから起こっています。代表的な例として「経済政策」を取り上げましょう。経済政策は、時代により、大きくその性格を変えてきました。

 19世紀には、「自由主義」が経済政策の基本でした。これは政治的自由と無関係ではありませんが、その話には立ち入りません。この時代のイギリスの経済政策が自由主義と特徴づけられるのは、その時代に先立って、多くの国では国内取引や外国貿易についてさまざまな規制があったからです。輸出品目・輸入品目ごとに長い禁止リストがありました。貿易可能なものでも、ひじょうに高い輸出関税、輸入関税がかけられました。国内にもさまざまな取引規制がありました。それらの規制を緩和し、国内関税を廃止し、外国関税をも引き下げる努力が19世紀を通して長く続きました。

 こうした自由主義政策に対して、ドイツなどの新興工業国家は「幼稚産業保護」を名分として貿易の規制を維持しようとしました。このため、19世紀といっても、国によってことなる経済政策が目指されたのですが、18世紀以前との対比でいえば、19世紀は総じて経済政策は自由主義を基調とするものでした。

 ところが20世紀に入ると、経済政策の考え方が大きく変わってきました。19世紀にも定期的な景気循環があったのですが、景気循環に政府が責任を持ち、景気の平準化のために政府が経済を管理しなければならないとまでは考えられていませんでした。その当時、景気循環は、いわば自然現象のように考えられていたといってよいでしょう。第一次世界大戦とロシアにおける社会主義体制の成立、資本主義経済のその後の低迷が続き、とくに1929年のアメリカで始まった金融恐慌は世界的な長期大不況となって、各国の経済を疲弊させました。こうした中で、政府が景気に責任を持たなければならないという考えが次第に醸成されてきました。責任をもつといっても、景気に介入する手段をもたなければなにもできないのですが、財政支出や金融(金利や通貨供給量)、為替レートなどを適当に制御すれば、極端な不況を防ぐことができ、さらに景気を平準化して景気変動の悪い影響を除去することができるという考えが広がりました。

 このような考えの代表となったのがケインズ政策です。ケインズだけがこのような考えを抱いたのではありません。この時代には、ケインズとは独立に類似の考えに到達した人たちがたくさんいました。たとえばオランダのティンバーゲンがそのひとりです。ティンバーゲンは、政府が国民経済を管理する上で必要なマクロ経済変数がどのように関連し合っているかを研究し、政府が管理できる諸変数を制御することにより全体にどのような影響が生まれるのかを推測する、数学モデル(マクロ経済モデル)を作成しました。第2次大戦後1960年代までは、ケインズ政策の全盛期でした。

 しかし、20世紀も4分の3が過ぎたころ、それまでの経済政策とは異なる考えが広がるようになりました。その契機となったのには、ここでもイギリスでした。イギリスは19世紀には世界の工場と呼ばれ、最盛期には世界の工業生産の実に40パーセントをも占める経済大国でしたが、19世紀末には一人当たりの所得でアメリカ合衆国に抜かれてしまいます。合衆国がアメリカン・ドリームの可能な国あったのに対し、イギリスは次第にいわゆる「イギリス病」に苦しむことになりました。その期間は長かったのですが、1979年サッチャーさんが首相になると、イギリス経済再生のために、手厚すぎた社会保障を削減し、労働組合の力を削ぎ、経済の隅々にまで張り巡らされていた規制を廃止・緩和するとともに、国家の機関としてきた多くの行政サービスを民営化する方向に政策の舵を大きく切り替えました。

 経済の再活性化のために規制緩和と民営化を行う、より広くは行政的管理に代えて市場メカニズムを利用するという考えは、その後、多くの国で試みられるようになりました。中国の改革・開放、合衆国のレーガノミックス、ソ連のペレストロイカ、インドのマンモハン・シン財務大臣(のち首相)による経済改革など、経済体制や歴史、文化を超えた大きな動きになりました。1990年代以降の日本で叫ばれている規制緩和や改革も、この流れの中にあります(1)。

 ケインズ政策と1980年代以降の経済政策の考え方の大きな違いは、マクロ経済政策からミクロな経済政策への転換です。ここで「ミクロ」というのは、ミクロ経済学という意味ではなく、個人や個別企業が活発な経済活動を行うことのできる条件作りという意味です。この背後にあるのが、財政支出額や利子率や貨幣供給量を制御することだけでは、望まれる経済成果は得られないという認識です。日本でも、1990年代の長期不況ではケインズ政策的な考え方に基づき、なんども補正予算を含む景気浮揚策を取りましたが、実効性をもちませんでした。金融機関や企業の財務状況を改善し、新事業創出の条件を整えるという、経済の基本を変える、つまり体質改善をはかる以外に景気回復の短絡路はない。こういう考えを多くの人がもつようになりました。

 とくに1990年代なかば以降、創業やベンチャーを盛んにするさまざまな試みが国の政策として進められるようになりました。創業やベンチャーを盛んにするには、制度的なもの、組織的なもの、精神的なものなどさまざまなレベルがあります。いくつかの経済変数を調整していればよいマクロ経済政策に比べて、相当に手間がかかり、即効性もありません。しかし、健康をよくする劇薬がないように、経済の体質をよくするにはこうした地道な努力をする以外にない。これが長期不況から得られた教訓といってよいでしょう。

 創業やベンチャーを盛んにするには、国の制度が変わるだけでは十分ではありません。各地域の実情に根ざしたネットワークつくりや支援が必要になります。やるべきことはさまざまですが、そのひとつにインキュベーションという考えがあります。


2.地域のインキュベーション能力

 「インキュベーション」とか「インキュベータ」という言葉があちこちで使われています。これは英語の"incubate"という動詞からきています。incubateは、親鳥が「卵を抱く、抱いて雛を孵す」という意味です。漢語に当てはめれば「インキュベーション」「インキュベータ」は「孵卵」「孵卵機関」ということになるでしょう。「孵卵」の代わりに「育雛」というときもあります。

 インキュベータは、1970年代の就業支援、中小企業支援、工業団地育成などの支援活動の中から自然発生したもので、1980代前半に基本型が形作られました。これは共有の場所を提供し、ビシネス上の助言を与え、資金獲得の支援もするというものです。1990年代中ごろには、これは発展して、部門別に分化するようにもなりました。芸術インキュベータ、技術革新型企業インキュベータ、エンパワメントのためのインキュベータなどが生まれています。

 こうした動きは、北米に始まり、ヨーロッパにも普及していきましたが、自国の経済発展を促す重要な活動を担うものとして現在では途上国にもひろく普及しています。正確な統計があるわけではありませんが、2004年ごろには途上国のインキュベータの総数は先進国の総数を超えたといわれています(Dinyar Larkaka博士の講演資料2003.11.7より)。

 この中で注目するべきは「エンパワメントのためのインキュベータ」でしょう。これは女性やマイノリティ、ホームレス、障害者などの経済的自立を助けるためのインキュベータです。かつての「授産所」の概念に近いもののですが、継続的に経済的援助を与えるのではなく、できる限り本人の自立・自営を目指すところに、大きな思考の転換があります。アメリカ合衆国などではエンパワメントのためのインキュベータが法制化されていますが、日本ではこの方面の取組は遅れています。

 エンパワメントのためであるかどうかを問わず、これらのインキュベータは、最初は公的資金で運営されるものが大部分でした。しかし、近年では持続可能なインキュベーションが課題となり、投資資金からのキャピタルゲインなどで、公的支援からの自立を図る組織も出てきています。

 以上は、施設・組織など、具体的な活動主体をもつものでしたが、ここで私が提案したいのは、地域のインキュベーション能力を高めるという課題です。創業を助けるものは、施設としてのインキュベータだけではありません。近くに試作工場がある、小規模に試せる市場がある、新企業からの調達に積極的な企業・公共機関がある、創業のヒントが得やすい、小企業で働こうとする若者が多い、担保なしに事業に投資してくれる冒険的な資金提供者がいる、ひとびとがチャレンジ精神に富んでいる、など実に多数の要素があります。ある地域で経済を活性化し、地域の生活を豊かなものにしようとするとき、多くの地域では、このような条件のいくつかが障碍になっている事例が多数あります。うまく機能するインキュベータは大切ですが、インキュベータがありさえすれば、地域の創業率が上昇するというものではないのです。

 地域のインキュベーション能力として一番分かりやすいのは、都市の集積です。大きな都市には、ほとんどの産業を内部に抱え込んでいます。こんな試作をしたいというとき、それを引き受けてくれる人がいます。こんな材料をほしいと思えば、それを売ってくれる取扱商や生産者がいます。説明書を印刷したり、パッケージを作ってくれる企業もあります。新しい事業を個人で始めようとするとき、こういう仕事をやってくれる人が近くにいることは、それが得られない状態と比べれば、大変ありがたい条件です。売り出すにあたって、お店がたくさんあること、まとまった買手がいること、使用した感想をすぐ聞けることなども、孤立した村や小さな都市に比べると有利な条件です。これらは都市がある程度の規模をもっているから可能なことです。

 大きな都市は、新しいものを商品化しやすい環境を作りだすことにより、産業を育てる力、インキュベートする力をもっています。ジェイン・ジェイコブズは、都市のもつこうした力に注目して、経済発展の単位は国家ではなく、都市こそが経済を発展させる基本的な機構であると指摘しました(2)。それまで、経済発展の単位は国民国家であることが当然視されていただけに、ジェイコブズの指摘は一部の経済学者にとっては大きな衝撃でした。この考えによって、ジェイコブズは創造都市論の先駆者となりました。

 地域のインキュベーション能力は、都市としての集積があれば十分というものではありません。それはいわば必要条件です。より大きなインキュベーション能力をもつためには、なおいろいろなことがあります。たとえば、科学技術の知識水準もそのひとつです。科学技術の知識といっても、現在では、あまりに膨大なものになって、どの個人を取ってもある特定の領域に詳しいというにすぎません。ある特定の領域には、だれも専門家がいないという状況では、ある商品の開発においてその領域の技術が必要な場合に行き詰ってしまいます。もちろん、その技術がはっきり特定できる場合は、外国にまで探しにいくことができますが、もうすこし前の開発段階で、ある技術の可能性を知りたいといった場合に、やはりその領域について詳しい人がいるということは、開発の見通しをつける上で重要なことです。

 もちろん、すぐ分かるように、たとえ専門家がいても、それぞれ別の企業の別の研究所に所属し、知識を交換できないとすれば、このような協力は不可能です。企業の壁を超えて、研究者同士が相互に協力する気風と条件があるかどうかが、その都市地域のインキュベーション能力の高さを決める要因になります。このような状況は、新しい法律を制定することで作りだそうとしてもなかなかできるものではありません。しかし、気風や行動様式を変えることによって、それは可能になるかもしれません。中央政府・地方政府の施策として難しいことでも、地域のインキュベーション能力を高めるためにわれわれにできることがあるということです。

 以上の議論をまとめると、次の二つのことがいえます。第一は、地域のインキュベーション能力を高めるといった課題を考えるとき、政府がその施策で行えることには限界があるということです。第2は、そのような課題であっても、地域の人々が協力することにより、目指すべき目標に近づくことのできる多くの可能性があるということです。政府といえども万能でないことを考えれば、上の二つは当然のことです。しかし、これまでの政策概念の中には、この当然のことが深く組み込まれていませんでした。ここには、「政策」というものの概念を変える必要が強く示唆されています。

 次節では、その問題について考えます。


3.あたらしい政策概念

 地域のインキュベーション能力を例題として上で考えたことは、町おこし・地域おこしといった地域の課題を考えようとするとき、つねに観察される構図です。つまり、ここには、行政機関が施策を通じてできることには限界があるが、他方、地域の協力による事態の改善には、有効な手が打たれず、取組みも意識的でないという構図です。ここからいろいろな手詰まりが起きています。

 町おこし・地域おこしを考えようとするとき、このような構図を解消し、手詰まりを打開しなければなりません。その突破口のひとつとして、わたしが提唱したいのは、「政策」というものの概念を変えるということです。

 この講義の最初に書いたように、政策というと、わたしたちはふつう、中央政府や地方政府の政策を考えます。政策推進の主体も、中央・地方の政府ということになります。しかし、町おこし・地域おこしにおいて、行政が主役になれません。このことはひろく理解されていますが、政策を構想する・政策を実施するとなると、その主体はなぜか中央政府・地方政府ということになっています。ここに大きな矛盾があります。この矛盾を解決するのにいろいろなことが考えられますが、「政策」の概念を変えるというのがその第一歩になります。

 わたしの考える新しい定義は、次のものです。社会の構成員が共同で取り組むことにより社会共通の利益を生み出す可能性があるとき、その実現のためになされる共通の努力と協力の方向を政策という。この定義に、政府の行う政策が含まれることは確かです。しかし、この定義では、政府が主体とならない(あるいはなれない)よりひろい範囲での取組みも、社会共通の利益ために取り組まれるものであれば政策と呼ぶことになります。旧来の政策概念を、政府が主体となれないものにまで拡大しようというのです。政府や公的機関の支出という形では実効性がなくても、地域に住む人々が共通の課題を意識して協力すれば解決できることはいくつもあります。これらをこれからは、ひろく政策と呼ぼうという提案です。

 このように「政策」概念を拡大することの意義は、いろいろあります。まず第一に、新しい定義によって、政策は政府が行うものという固定観念を打ち破ることができます。もし新しい概念が受け入れられれば、政府の施策以外にも政策はたくさんあることになります。「政策」を考えようとするとき、これまでは政府が取組みうるものに範囲が限定されていたのが、より広い可能性の中から選択できることになります。

 第二に、これまで個人としてあるいはNPOなどとして町おこし・地域おこしで活躍してきた個人・団体が目指してきたものをも「政策」と呼べることになります。町おこし・地域おこしでは、かならずといっていいほど、その活動を主導する人(一人あるいは二三人のチーム)がいますが、その目指すところがえてして趣味的なものに受け取られていました。これが「政策」ということになれば、公共目的の行為であることがより端的に示されます。

 定義だの概念だのとうるさい議論のように思われるかもしれません。しかし、われわれ自身の想像力は、いろいろな概念がどう用意されるかにかなりの程度依存しています。新しい町おこし・地域おこしには、新しい考え方・新しい発想が必要です。そのために新しい概念が必要なのです。

 すこし大げさな話をしますと、ことは国家と市場という二元論・二項対立に対し、そのどちらにも属さない第3の領域を見つけだそう、創出しようという大問題に関係しているということです。たしかに、20世紀には、ほとんどは国家と市場という対立項でことが済んでいました。市場に問題があると国家がその是正に乗り出し、国家に問題があると市場化により問題を解決する。この大きな枠組みとゆり戻しの中で、政治思想・経済思想は動いてきました。

 たとえば、ケインズ政策は、市場に恐慌・不況という問題が起こったのに対し、国家が財政支出などの手段により景気を制御するというものでした。規制緩和は、国家の規制が強すぎると経済の活力が失われるという事態に対する是正措置でした。民営化は、国家の手で運営されるさまざまなサービスの非効率さを市場メカニズムを利用することによってより効率的なものにしようという試みでした。20世紀の経済思想は大きく変化しましたが、国家と市場という二元論の中で揺れ動いていただけだともいえます。簡単にいえば、国家主義者と市場主義者の思想の対立といってよいでしょう。しかし、国家と市場の二項対立ではうまく解けない問題領域もだんだんに見えてきました。NPO、NGOなどの活躍も注目されるようになり、第三の領域とか、新しい公共といった国家でも市場でもない領域の可能性への注目が集まっています。

 現在の日本では、行政のあり方の見直しが進み、その中で従来、行政が直接やってきた仕事を営利・非営利の企業・団体に担わせようという動きが見られます。指定管理者制度なども、その一環です。こうした中で、NPOなどが行政の下請け機関化する傾向も見られます。これは、NPOの本来のあり方ではないのですが、金を出す上位に立ちやすい傾向を否定することはできません。新しい政策概念が必要なのは、「政策は行政が立案・遂行すべきもの」という従来型の思考習慣から、行政内部の人間も、その外にいる人間も抜け出す必要があるからです。そのために、「政策」は国家ないしはその機関が行うものだけでないということを自分たちの意識として確認しておくことが重要なのです。


4.新しい政策の担い手たち

 政策概念が拡大されると、自分たちで独自の政策をつくりだして活躍しているさまざまな個人・団体が見えてきます。かれらが活躍することが地域に新しい時代の産業の芽を作りだしています。地域のインキュベーション能力の重要部分をかれらが担っています。

 事例はたくさんありすぎで、すべてを紹介することも、詳しい紹介も不可能です。いくつか皆さんも、耳にしたことのある事例を取りあげて、簡単に紹介しましょう。

 湯布院は、いまは有名な保養温泉地です。しかし、ここも一時はダム湖の底に沈みかねない危機にありました。それを跳ね返し、美しい自然と静かなたたずまいを保ちながら、なんとか温泉町として発展することはできないかとさまざまな努力した結果として現在があります。湯布院では、ダム建設に反対した青年団長が町長となり5期19年務めています。その意味では、行政の役割も無視できませんが、湯布院の町つくりで欠かせないのが志手康二・溝口薫平・中谷健太郎の若手旅館経営者でした。三人は、別府のように歓楽街化することなく、ゴルフ場に頼ることなく湯布院の生きる道を示すことに成功し、周囲のひとびとを巻き込んで、今日の湯布院を作り上げるのに貢献しました。

 関西では、長浜の黒壁スクエアが有名です。長浜は、豊臣秀吉が始めて城を構えた町として有名ですが、明治以降は「発展から取り残された」といったほうがはやいものでした。1980年代のおわりに、旧国立第百三十銀行長浜支店の建物が転売され、取り壊されるかもしれないという問題がおこりました。由緒ある建物保存のため、長浜市と民間の共同事業としての株式会社が設立されました。専務取締役に就任した笹原司朗は、建物を維持するには、そこにお客様を集めなければならないと考えました。いろいろ考えた上、かれは黒壁を舞台にしたガラス細工の展示即売場を考案しました。それが成功し、数年のうちに長浜は年400万人を超える観光客をひきつけるようになりました。建物としての黒壁を救ったばかりでなく、古い町並みを生かした新しい観光地を作りだしてしましたのです。現在では、40以上の建物を連ね、町の一角が全体としてガラス製品の展示会場となっています。ガラス作家になろうとする若者が出てきていまし、芸大進学のため学習塾までが生まれています。

 札幌のYOSAKOIソーラン祭りは、とても大規模なものです。2003年の第12回YOSAKOIソーラン祭りには、330チーム、4万4千人が参加し、観客動員数は200万人を超えました。現在ではこのようにな大規模なものですが、最初は長谷川岳という一大学生が数人の仲間とはじめたものです。はじめたきっかけやその後の発展の経緯については、長谷川さんの本に詳しく紹介されています(3)。YOSAKOIソーラン祭りは、札幌の一大イベントになったにとどまりません。こうした祭りができるのだということに感激した若者たちが各地で同じような祭りを作りだし、現在では200箇所以上で同様の取り組みがなされています。よさこい人口は全国に40万人いるそうです。こうした大きな動きがひとりの学生の考えから始まったことは個人の力がいかに大きなものか考えさせられます。

 仙台の定禅寺ストリートジャズフェスティバルは、札幌のYOSAKOIソーラン祭りの一年前、1991年の秋に始まりました。これも最初は25グループという小さなものでしたが、2004年の第12回フェスティバルには、参加グループ629バンド、参加者数約4000人、観客数56万人という巨大なものになっています。ひとつのフェスティバルに参加するグループ数としては日本最大、たぶん世界でも例を見ないといわれます。定禅寺通りは、大阪の御堂筋にあたるような、杜の都仙台を代表するけやき並木の美しい大通りです。このような祭りが行政や警察の協力なしにできないことは当然ですが、これも米竹隆・榊原光裕といった数人の個人が協力してつくりだしていったものです(4)。

 大阪の事例をあえて引きませんでした。大阪にも、アメリカ村から始まり、平野、堀江、空堀などいろいろな事例があります。音楽フェスティバルも、たとえば天満音楽祭は今年第6回を迎えます。

 それぞれにいわば主役・脇役がいて、一種の共鳴状態ができあがり、特色ある街づくりやイベント作りがなされています。町が発展するときには、どこにもこういう人たちが活躍しています。かれらは、だれにいわれたわけでもなく、自分たちの町を楽しくしたい・おもしろいものにしたい・生きられる場にしたいという気持ちから動きはじめています。町おこし・地域おこしという政策を立て、実行しているのはかれらです。かれらこそ政策の担い手というべきでしょう。新しい政策概念は、かれらの活動を正当に位置づけるためのものです。

 大阪については、もっと具体的な話をしなければなりません。しかし、多くの話を取り上げても散漫になってしまいます。次回は、私自身が提唱している「扇町創造村」構想について書かせてもらいます。

(1)この動きについて詳しく知りたい方は、ヤーギンとスタニスロー『市場対国家―世界を作り変える歴史的攻防』上・下(日経ビジネス人文庫、2001年)を読んでみてください。
(2)ジェイン・ジェイコブズ『都市の経済学』1986年。原著はCities and the Wealth of Nations,1984. 残念ながら日訳は絶版です。
(3)坪井善明・長谷川岳『YOSAKOIソーラン祭り―街づくりNPOの経営学』岩波アクティブ新書、2002年。
(4)菊地昭典『ヒトを呼ぶ市民の祭運営術―定禅寺ストリートジャズフェスティバルのまちづくり』学陽書房、2004年。



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