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複雑系経済学から「市場」を考える

大阪市立大学大学院創造都市研究科長・教授
塩 沢 由 典 

財団法人産業経理協会・経理部長会、東京銀行会館銀行倶楽部、2003年12月17日。
掲載:『経理部長会月例報告』2004年1月、産業経理協会、1-17頁。
この講演の要旨は
こちら

1. 複雑系は一過性の流行現象ではない
2. 第三モードの科学研究法確立に向けたU−Mart
3. 進化経済学の基礎理論が複雑系経済学
4. 計画経済への信頼と市場経済への不信任
5. 1974年から台頭した国家不信認と市場信認の傾向
6. IMFが途上国や移行国に強制したことは何か
7. 逸脱増幅機構に歯止めを掛ける制度設計の必要性
8. 予測可能な科学というイデオロギーの誤り
9. 複雑な問題に簡単な答えを求める悪癖
10. 陽の当たる経済学の形成が学問の退廃を促す
11. 21世紀市場経済をとりまく二種類の危険
12. 時代を切り開く頭脳をつくれ
13. 大阪市立大学大学院創造都市研究科とは
講師紹介


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1.複雑系は一過性の流行現象ではない

私は3年ほど前から、社会人のために設計された大阪市立大学大学院創造都市研究科の設立・運営活動に従事し、現在初代の研究科長を務めているため、本業の経済学は休業状態になっています。なぜ研究活動を休止してまでこの仕事に専念しているかといえば、1990年を前後して、先頭走者を追い上げる時代が終焉を迎えたという認識が基本にあり、新たな時代に適応していくために日本の社会の気風を変える必要を感じているからです。そのためには教育のあり方を変革し、常識を超えた新たなる展望のもと人々をリードできる指導者を育成する必要があります。創造都市研究科は小さな会社みたいなもので、私はその会社のCEOということになりますが、企業におけるのとは異なり、大学の先生方で構成される研究科では、CEOのいうことになかなか耳を傾けてくれないため、多くの点で運営に苦慮しているところですが、ここ2〜3年は経営の現場で学ばせてもらおうと腹を決めているところです。

さて、本日の演題は「複雑系経済学から市場を考える」となっていますが、複雑系については1996〜97年頃に一種のブームになりましたので、皆さんも少しは記憶に残っているかも知れません。いまではそのブームも去り、複雑系をキー・ワードにして発言している人はあまり多くはありませんが、複雑系という考え方は決して一過性の流行現象ではなく、非常に長い学問の歴史の中から必然的に生まれてきたものであること、さらにそれが学問研究の大きな転換を意味するものとしてあることを強調しておきたいと思います。

複雑系科学は、1948年にW.ウィーヴァーというロックフェラー財団の科学部長が『アメリカン・サイエンティスト』という雑誌に掲載した「科学と複雑さ」という論文の中で「20世紀後半の科学はどうあるべきか」ということを考察した時から始まります。ただそれが全面開花するまでには30年強の年月を要し、ようやく1980年代頃から数学や自然科学や工学、経済学や認知科学といった諸分野において複雑系を中核に据えた具体的成果が挙がりつつあります。日本においても北海道大学が複雑系研究のひとつのメッカとなっており、北大数学科では複雑系研究が盛んに行われており、また北大大学院工学研究科では4つの分野を持つ「複雑系工学」という講座が設置され、早くも公認の学問として位置づけられています。

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2.第三モードの科学研究法確立に向けたU−Mart

 複雑系科学は18世紀のニュートン以来の要素還元論的な研究法に対する深刻な反省に基づいています。適切な概念形成と厳格な定義に基づく推論という古典ギリシャにまで遡ることができる理論(第一モード)という方法と、実験(第二モード)による観察という近代科学が生み出した方法、すなわち理論と実験の対話的展開によってニュートン力学は20世紀の前半までは大きな成果を挙げることができました。そして今でも科学の発展は、基本的にそのパラダイムに則っています。しかし、観察事象の全てを要素還元し、それら要素の動きを確定すること、すなわち数学による解析が可能であることが前提になっているために、大きな限界に直面しています。観察される事象は、単純であっても多種類の行動がかみ合わされると、古典的方法での解析は不可能であるからです。したがって、従来の古典的な見方では捉えきれなかった現象の諸側面に統一的視点によって光を当てるための新しい方法が要請されているのです。こうしたなかで、コンピュータ・シミュレーションは、これまでの理論と実験という方法では適切に切り込むことのできなかった問題領域に新たな踏み込む可能性を与えており、この近代科学の成立以後の最も大きな革新の機会、その可能性を十分に汲み上げ、いわば第三モードの科学研究法を確立する必要に迫られています。

近年では、コンピュータの能力が飛躍的に向上しているため、社会現象のような複雑な対象を計算実験によって解明する可能性も現実化しつつあります。特にマルティ・エージェント・システムを用いて市場メカニズムを再考する人工市場の研究には、これまで市場メカニズムの解明を試みてきた経済学者のみならず、工学や認知心理学の立場からの参加もあります。私が代表を務めるU−Mart研究会は、情報工学、経済学、社会情報学、心理学の専門家を含む10を超える大学・研究機関、30名を超える研究者によって組織され、定期的な研究活動を行っています。

「U−Mart」は、毎日新聞社が発表している株価指数J30仮想先物市場です。コンピュータの力を借りて、株価指数による先物市場を自分達で作り上げ、それを実験的に運営してみるという試みです。これは証券会社のやっている仮想取引とは異なります。証券会社の仮想取引では、どういう売買をしようと価格には跳ね返りません。U−Martの先物価格は市場への参加者の行動によつて変化します。

この試みによって、たとえば次のことが観察できます。
@需要曲線(買い注文曲線)・供給曲線(売り注文曲線)を描くことはできるが、それらは安定したものではなく、つねに変動し、その結果として価格も不安定であり、ときに大きく変動すること。
A人々の売買行動は、経験により変化すること。
B市場の変動とエージェントの行動との間に、ミクロ・マクロ・ループが存在すること。すなわち、全体の状況が個別主体の取るべき行動に影響を与えるとともに、個別主体の行動が全体の状況に影響を与えること。
C突発情報だけが価格の変動を引き起こしているのでなく、価格は市場に内的な論理によっても変動すること。
U−Martはコンピュータを使った市場で、決済やセキュリティを除けば、現実の市場とほとんど替わるところがありません。生きた人間も参加できます。コンピュータ内のプログラムによって指定された売買をさせることもできます。これを機械エージェントといいます。U−Martは人間エージェントと機械エージェントが対等の立場で参加できる珍しいシミュレーション市場です。

コンピュータの助けを借りて適切な環境を作り、ゲームを行うことから得られる結果などを検討・分析することによって、数学的な解析には馴染まない複雑な相互作用のある現象に関する確実な知識を獲得していくことができるものと思われます。

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3.進化経済学の基礎理論が複雑系経済学

 経済学は、この100年以上の間、理論分析の手法としては一般均衡理論に基づく数学的なモデルが主流となってきました。これは、最適条件を求めるといったような目的に対しては強力な方法であったのですが、視野・合理性・働きかけの3つの側面において限界をもつ人間主体の行動を記述し、それらの相互作用により形成される経済過程を分析するにはあまり適切な道具であるとはいえません。それにもかかわらず、理論経済学は、その中心的な手法を数学においてきたために、経済理論そのものに意図せざる歪みを持ち込んでしまいました。新古典派経済学は制度化されることによって確固たる地位を築き上げ、現在ではグローバリズムや規制緩和を推進する「市場原理主義」という一種のイデオロギーとしても強力に機能しています。問題はそれに対抗する側、異議申立てを行う側が、その代替理論を打ち出すことができないことにあります。

こうした状況の中で、近年注目を集めているのが進化経済学です。私はいま日本全国の400人以上の研究者が集まる進化経済学会の会長をしていますが、端的に言えば、複雑系経済学は進化経済学の基礎理論に当たるということになります。19世紀の終わりにアメリカのヴェブレンが発表した「経済学はなぜ進化科学でないか」という論文を起源とし、その後ハイエクやシュンペーターなどの考え方などが合流するなかで経済を進化の視点から捉え直そうという系譜が形成されてきました。それを進化経済学といいます。

進化経済学では、経済を構成する制度、組織さらには経済行動そのものも進化するものとして捉え直すことになるため、新古典派とは大きく異なる市場経済像が描かれることになります。市場の成立を当然視する新古典派経済学には、市場が逸脱してしまうメカニズムを探ろうという問題意識が見られません。それに対して、複雑系経済学は経済の仕組みの中には逸脱増幅作用あるいは逸脱増幅機構が内蔵されていると見て、慎重な制度設計を強調します。新古典派経済学と進化経済学とは、市場に関して対照的な見方をしています。

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4.計画経済への信頼と市場経済への不信任

 21世紀を迎えた今日、私たちは大企業の存在に慣れきってしまい、それがわずか1世紀か1世紀半あまりの存在であることに注意が向きません。たとえば、日本には現在、従業員1万人を超える企業が100以上あります。しかし、19世紀の日本には、そのような企業はほとんどありませんでした。日本だけではありません。アメリカにおいても19世紀の前半においては、最も工業化が進展していた北東部10州の調査でも、資本金10万ドル以上の製造会社105社の内、従業員が250人以上の工場は32社しかありませんでした。すなわち、資本の大きい大会社でも、当時は大部分が250人未満の、いまでいう中小企業であったわけです。

ところが19世紀の後半に吸収・合併の大ブームが起こります。その中で、アメリカやイギリス、ドイツにおいて大企業が誕生してきました。アメリカの鉄道会社の発展とともに会計制度も確立して行きます。テーラーの科学的管理法など経営に関する知見が会社に取り入れられていくのも19世紀の終わりから20世紀初頭にかけての時期です。その後、第二次大戦を経た1950年代のアメリカでは、GDPの40%を大企業が占めるようになります。大企業の誕生はまさに20世紀における経済の特殊性を浮き彫りにしています。

20世紀の経済を特徴付けるものとして、もうひとつ計画経済が挙げられます。計画経済はロシア革命のあった1917〜18年以降70年間続いた共産主義体制の一つの目標になりました。マルクス自身は計画経済という言葉を使ってはいませんが、基本的にはそういうものを想定していました。これを実行に移したのはスターリンです。資本主義陣営が1930年代の大恐慌に陥っている時期に、ソ連は五カ年計画に基づいて着々と経済建設を進めているかに見えました。第二次大戦後においては、ソ連の衛星圏になった東欧をはじめとして、中国や旧植民地の多くが計画に基づく経済建設を進めることになり、一時は人類の3分の1を数える人々が計画経済の下で暮らしていました。しかし、1989年の東欧の民主化、1991年の連邦崩壊に至るソ連の一連の改革、1992年の中国共産党による社会主義市場経済路線の採択などにより、計画経済を標榜する国家は地球上からほとんど姿を消すに至り、人類のこの壮大な実験は失敗に終りました。

とはいえ、この間、計画経済による平等で豊かな社会の建設という目標が現実味を帯びて人々に写っていたこと、ロシア革命からアフリカ社会主義に至るまで、計画経済あるいは社会主義建設に向けた動きが大きな流れとなっていたことは否定できません。この流れの根底には、組織の信頼という時代思潮が挙げられます。それを裏付けるものとして、一方に巨大事業会社の成功、他方に国家という組織対する信頼が作用していました。

その反面、20世紀の前半には、市場に対する不信認が広まっていました。スターリンが第一次五カ年計画を進めている頃、ニューヨーク株式市場の大暴落に端を発する大恐慌によって、資本主義経済は大打撃を蒙っていました。1929〜32年にかけてアメリカ合衆国の名目GNPは44%も縮小し、その影響は世界中に広まっていました。こうした時期に登場し、市場経済の限界を認め、政府による経済の制御を主張するケインズ経済学が説得力を持ったのは当然でした。ケインズには、国家という組織とそれを指導する知的エリートへの信頼があります。20世紀の第3四半世紀にケインズ経済学が力を持ったのも、時代思潮から無縁ではありませんでした。

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5.1974年から台頭した国家不信認と市場信認の傾向

 ところが20世紀最後の四半世紀、1974年頃から流れが大きく転換します。当時イギリスは「病める大国」あるいは「イギリス病」などと言われ、経済が長期的停滞に陥っていましたが、その原因を国有企業の非能率、社会保障のための財政の拡大、労働組合のストライキの頻発などに求めるサッチャー首相の登場によって、思潮反転ののろしが上ります。

国有企業の民営化や金融の自由化が進み、あわせて社会保障制度の見直し、財政支出の削減が断行されました。ニュージーランドは小国です。その利点を生かして手早い改革を断行しました。中国ではケ小平が改革開放路線を、ソ連ではゴルバチョフが市場経済への移行を提唱するなど社会主義陣営からも同じような動きが出てきました。この20年間近く経済成長率が大変高いインドでは、マンモハン・シンという財務大臣が1980年代に経済改革を推し進めました。ラテンアメリカの場合には、自発的に改革を進めたというよりも、IMFに強制された側面が強いのですが、多くの国で自由化や規制緩和が進みました。さらに1990年代には、ソ連・東欧が市場経済へ移行しました。これはまだ記憶に新しいところです。イギリスのサッチャリズムやアメリカのレーガノミックスに代表される規制緩和と民営化の波が世界のほとんどの国を襲いました。

以上見てきたとおり、20世紀は第3四半世紀までは「組織への信頼と市場の不信認」という時代でしたが、第4四半世紀には「国家に対する不信認と市場に対する厚い信認」という逆転が起こりました。これに軌を一にしてケインズ経済学の権威が失墜し、それに替わって経済政策の思想としてはフリードマンに代表されるマネタリズムやサプライサイド経済学が脚光を浴びるようになりました。その背後においては新古典派経済学が発言力を増加させることになります。事実、多くの国ではこれらの経済思潮の説得力を強化するような諸問題、すなわち国家の施策の非効率、膨張する財政赤字等が強く観察されるようになっていました。こうして市場に対する厚い信任のもと、顧客志向、効率化、民営化を旗印にする改革が支配的になりました。

中曽根さんから小泉さんに続く改革は、世界のこうした流れの後追いなのです。日本はこれまで、国家や巨大事業会社といった組織を首尾よく運営するという点では優等生でしたが、最後の四半世紀に起こった大きな潮流に対する対応では出遅れています。

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6.IMFが途上国や移行国に強制したことは何か

IMFは、最初は国際的決済などを行う機関として設立されたものですが、20世紀の後半、特に最後の四半世紀には途上国や市場経済への移行国に対して、お金を貸してやるからその代わりに経済改革をしろという形での介入を強めました。その結果として起こったことのひとつがタイの経済危機です。

IMFが資本移動を自由化せよと指示したために国境を越える資金移動が自由になり、アメリカなどの銀行が短期資金をタイに注ぎ込みました。タイの銀行は、それを工場などへの貸付原資としました。最初は、良かったのです。しかし、輸出が思うとおりに伸びず、タイ・バーツが弱まると、自由化はあだになりました。一番ひどいときには、国家財政を超える資金が2時間以内に引き上げられるといったことが起こりました。これではどうにもなりません。その後、韓国、フィリピン、インドネシアでも通貨危機が発生します。通貨危機の伝染です。これらの国では、あとの再建についてもIMFに頼らざるをえなかったため、福祉政策が極限まで切り詰められ、大きな社会問題が引き起こされることになります。

途上国だけではなく、計画経済から市場経済へ移行しつつある国、旧ソ連や東欧諸国でも同様でした。IMFは早急な市場経済化を押し付けました。ポーランドは比較的成功した方ですが、ロシアでは1997〜98年にインフレが1,000%を超えるという大変な経済危機に陥ってします。いまでは何とか巡航経路に乗りつつあるようですが、その過程で世界の金持ちランキングに登場する何人かのロシア人が誕生します。十数年の間になぜ極端な富豪が生まれたのでしょうか。本来ならば租税という形で吸収され再分配されるべきものが、形式的合法性の装いのもと、一部に富が偏在してしまったからです。

IMFが途上国、移行国に対して押し付けた急激な自由化は、いわゆるワシントン・コンセンサス、すなわち自由で効率的な市場を作り出しさえすれば全てがうまく行くと考える新古典派経済学のイデオロギーに基づくものです。しかし、市場経済は取引・契約や所有に関する制度的枠組みが社会のなかに定着することなくしては機能することができず、一編の法律を持ってきて自由化しさえすればよいと考えるのは、あまりにも性急な考え方です。いまは、市場経済の弱点ないしは欠点があまりにも過少評価されていると言わなければなりません。

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7.逸脱増幅機構に歯止めを掛ける制度設計の必要性

こうして市場経済に内在する問題点を適確に指摘する真の経済理論・経済学が必要とされているのですが、この課題に応えるべく複雑系経済学あるいは進化経済学の研究が進められています。先に述べたように、市場経済が成り立つためには取引・契約や所有に関する制度的枠組みが必要です。それとともに、自由な市場取引が極端な経済変動を引き起こさないような適切な規制が必要となります。

為替市場、株式市場、土地市場では、そこに内在する逸脱増幅機構に注意を払わなければなりません。たとえば、為替レートは外為市場における売買によって決定されるものですが、適正水準がどこにあるのかは市場参加者の誰にも分かりません。レートの上昇局面においては、その動きに釣られて多く人が買いに回ります。すると上昇がさらに強調されます。こうして相場の判断が値動きに依存して一人歩きする状況に至ることがあります。こうした場合、価格はその適正水準からの逸脱を増幅させます。しかし、この過程は無限に続くわけではありません。行き過ぎるとやがて急激な調整局面を迎えます。相場の下落局面においても同様です。

先にも言及したタイの経済危機においても、下落傾向にあるタイ・バーツに対して空売りを含めた売り注文が殺到したため、バーツの下落はより一層激しくなりました。逆に高騰時には、買い注文が殺到し、相場はますます高騰します。このような傾向は、株式市場や土地市場にも見られます。逸脱増幅機構が働き出すと、それは一種のパニックを呼び、すべての市場参加者が売り方(あるいは買い方)に回り、わずかな時間の内に、数十パーセントもの価格変動を引き起こします。日本の土地バブルも同じ過程を辿りました。80年代から急速に価格が上昇し、皇居の土地でカリフォルニア州が一つ買えるとか、東京都の土地と引き換えにアメリカ合衆国が二つ買えるなどと言われたものです。このようなことが続くわけがありません。この10年以上、日本経済は苦境に立たされていますが、その原因はバブルの崩壊にあるのではなく、バブルを起こしてしまったことにあります。特にバブル崩壊以降における失業率の上昇に象徴されるように、調整のコストを個人に負担させていることは大きな問題です。市場経済を有効に機能させるためには、いかにしてバブルの発生を防ぎ、逸脱増幅機構が働き出さないように歯止めを掛けるのかという観点からの慎重な制度設計がなされる必要があります。

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8.予測可能な科学というイデオロギーの誤り

 市場経済はこのように多くの弱点を抱えているにもかかわらず、新古典派経済学に支えられた市場原理主義が世界中を席巻しています。新古典派経済学はその方法論において、物理学の成功を擬似的に真似しようとしたものです。この方向を意識的かつ典型的に推進したのがサムエルソンです。彼は学生時代に物理学を勉強し、その後、専攻を経済学に移しました。残念ながら彼が経済学の方法論として範を求めた物理学は、「単純な問題」を扱う古典物理学でした。新古典派経済学は単純で数学モデルが立てられるような問題に向かって精緻化されていきました。これが一定の成果をもたらしたかに見えたために、数学的に表現できない問題は理論ではないという雰囲気が広まりました。その結果、制度や技術、人間の習慣的行動といった経済の重要要素が経済理論の外に追いやられることになりました。

ニュートン力学が大きな成功を収めたのは、月の運動や海王星、冥王星の存在を予測することができたからです。自然科学の研究者の多くは、いまでも科学の予測可能性を信じていますが、果して複雑な経済を対象にする経済学が予測可能な科学になりうるのかという根本的問題があります。マネタリズムの旗手フリードマンは、経済学は予測可能な科学にならなければならないということを1956年の著書で主張していますが、多くの経済学者はフリードマンとおなじことを考えています。

複雑系経済学では、予測可能な定式が可能であるとは限らないこと、すなわち予測には限界があるという前提で理論構成を図っています。オームロッドという人の『バタフライ・エコノミクス』(2000年・早川書房刊)という本があります。私が監訳者となっています。これには「複雑系で読み解く社会と経済の動き」というサブタイトルが付けられていますが、犯罪、景気、成長率などの予測には一定の限界があり、ある程度以上の正確な予測は不可能であることが説かれています。意外にも、この問題を常識的にではなく理論的に説明しようとした人は非常に少ないのです。まだ証明は完全ではないと思いますが、非常に面白いところに目をつけて、大胆に切り込んだものであるということができます。オームロッドは景気予測を行う研究所の所長を務めていました。経済予測を職業にしていた人が、長年自分が行ってきたことの限界を知って、むしろなぜそういう限界があるのかについて考えを進めたのです。

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9.複雑な問題に簡単な答えを求める悪癖

 これに反して、主流派の経済学は複雑な問題に真剣に取り組むことなく、一刀両断ともいうべき簡単な答えを求めます。数年前、日本でもインフレ・ターゲット論という考えが論壇を賑わしました。政府・日銀が2%のインフレを引き起こせば日本経済の問題はほとんど解決するという主張です。これはクルーグマンというアメリカの経済学者のアイディアを真に受けた安易な解決策で、コストとリスクを考慮に入れない乱暴な議論であると言わなければなりません。

アメリカで一時期流行っていたサプライサイド経済学も同断です。この供給側の経済学は、経済を活性化させるにあたり供給側の条件の重要性を説くものです。なかでもラッファー教授の「減税をすれば経済活動が活性化して政府の税収が増加する」という主張がレーガン大統領の減税政策の根拠になったことは非常に有名です。ラッファー教授は、この考えをレストランで食事をしているときに、紙ナプキンに描いて説明したといいます。それが「ラッファー曲線」でした。税率がゼロならば税収は当然ゼロ、所得のすべてを税金に取られるならば、誰も働こうとしなくなるために所得がゼロとなり税収もゼロになる。その中間では凸型の曲線となる。こういうきわめて簡単なものでしたが、政策的な含意によって力を得ました。何の根拠もないのですが、現在の税率が最大税収点よりも高いということを前提にすれば、財政上の難問が解決します。税率を下げさえすれば勤労意欲が高まって景気が回復するとともに、政府の税収も上がるというのです。これもある政策ですべての問題が解決するという安易な考えです。

さらに複雑な問題に簡単な答えを求める悪癖という点で問題なのが、途上国、移行国に対するIMFのやり方です。日本の戦後経済の歩みを想い起こしても、いくつもの段階を経て自由化に臨んだのですが、最近のIMFの手法はこれとは異なり、短期間に一挙に貿易、資本の自由化をコンディショナリティーの名の下に押し付けるものです。1955年の段階で日本経済にこのような条件を押し付けられていたらどのようになっていたでしょうか。こうしたIMFの手法に対して口を極めて批判しているのが、情報の経済学でノーベル賞を受賞したJ.E.スティグリッツです。かれはクリントン政権時代、世界銀行の副総裁をしています。翻訳も出ている『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』では、自身が世銀副総裁の立場として接した体験に基づき、IMFが途上国、移行国に対してどのような要求を突きつけたのかが具体的に記述されています。

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10.陽の当たる経済学の形成が学問の退廃を促す

 主流派経済学の退廃は、「職業としての経済学」が成立していることにその要因を求めることがでます。若い経済学者が既存の経済学の方法論、諸前提に問題を感じたとしても、それを深追いするのは得策ではありません。それよりも既成の経済学を早く飲み込んで、博士論文を書き上げるのが就職のためには早くて確実な方法です。そのためは、既成の理論的枠組みの中で、現実との緊張関係の有無とは関わりなく、数学的に表現できる問題に答えを出すことが一番です。『エコノメトリカ』という国際的に評価されている雑誌があります。この『エコノメトリカ』に論文を掲載することが経済学者のとして大きな名誉とされていますが、その大部分は数学論文と見誤りかねないものです。

そもそも数ページの論文の中に重大な問題が盛り込めるはずなどありません。しかも、この数ページの論文の末尾には政策含意、すなわち、論文の主題がいかなる点で経済政策として有効であるかということが書かれるのが普通です。そういうものがないと査読審査で落とされてしまいます。前提が正しいか否か、理論の枠組みが妥当なものであるかどうかの検証もなく、政策含意などを出されたら経済学をしらない人間にはいい迷惑です。

経済学のこのような現状を指摘した譬え話に「街灯の下の酔っ払い」というものがあります。大きな公園の街灯の下で、酔っ払いが何かを探している。通りがかりの人が見かけて、どうしたのかと尋ねると、鍵を落としたという。しばらく一緒に探すが見付からない。「本当にここで落としたのか」と尋ねると、酔っ払いは平然として、落としたのはあっちだが、そこは暗くてなにも見えないので、光が当っている街灯の下を探している、というものです。この譬え話のように、光の当たらないところに重要な問題が隠れていることが分かっているにもかかわらず、街灯の下の理論化・数学化できるところだけを対象化しているのが多くの経済学者の実態です。

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11.21世紀市場経済をとりまく二種類の危険

21世紀の経済社会を考える際には、二つの大きな危険性に注意を払う必要があります。

一つは経済崩壊の危険性です。いろいろな形がありえますが、たとえばアメリカのいまの消費や株価は非常に脆弱な基盤の上に成り立っています。日本などからの資金がドルを支えているという構造があります。日本はアメリカの財務省証券をたくさん購入して、アメリカ経済を支えているのですが、何時までドルの価値が維持されるか分かりません。1980年頃から、日本は何度も大きな政治的圧力を受けて「円高ドル安」に切り換えられてきました。そのたびにアメリカに流れていた資金の価値が目減りしています。それにもかかわらず、現在でもほとんど同じことが繰り返されています。皆さんは経理の責任者ですが、外貨資金を管理するにはアメリカ一辺倒では危険です。今後はアジア、アメリカ、ヨーロッパを等分に視野に入れる必要があります。

第2は社会崩壊の危険性です。私は1986年にイギリスで暮らしていましたが、当時のテレビやラジオで毎日のように報道されていたのがchild abuseという言葉でした。これが十数年たったいまの日本で問題になっている児童虐待です。80年代の日本で児童虐待が皆無であったわけではありません。あってもマスコミが取り上げなかったから人々の意識に上らなかったという可能性があります。しかし、日本でも児童虐待が増加傾向にあることには間違いなでしょう。アメリカでは養育放棄が300万件もあると報じられており、年少者の残虐な犯罪なども増加傾向にあります。

こうした経済の崩壊と社会の崩壊の危険性というものを抱えながら、21世紀初頭の現在があることを認識しておく必要があります。ただ、危険があるから防衛的に行動する以外に術はないと観念してしまうのでは、国際社会において名誉ある地位を得ることはできません。そこで、どのように安定的な制度を設計することができるかが重要になります。規制緩和や構造改革が必要であることは言うまでもありませんが、これを現在行われているように短期の不況対策として捉えることは誤りです。景気循環を通して維持できる制度、景気の良い時も悪い時も維持できる制度の構築が求められなければなりません。同時に経済だけでなくて、社会をも維持できる制度という観点を取り入れる必要があります。

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12.時代を切り開く頭脳をつくれ

 日本は明治維新以来、アメリカやヨーロッパという明確な目標にキャッチアップすることで、前進することができました。しかし、1980年代以降、幸か不幸か日本は世界のトップランナーに仲間入りしました。今はアジアの諸国から激しい経済的追い上げを受けています。このような状況にあるにもかかわらず、社会の気風が従来のままに留まっていることが日本経済の最大の問題点です。

進化経済学は制度の改革ということを非常に重視しているのですが、制度の改革だけではなく、制度を形作る人間そのものを変える必要があります。西沢潤一先生は「頭の早い秀才と頭の強い秀才とを区別しなければならない」と主張されています。日本人は秀才というと、「頭の早い秀才」しか考えません。それが日本の構造的な欠陥になっています。「頭の早い秀才」とは、記憶力がよくて物分かりが早い人です。受験秀才は、だいたい頭が早い人です。しかし、これから必要となるのは、「頭の強い秀才」です。既成の枠組みに囚われずに、ある意味では奇抜なアイディアを考え出すような人です。頭の強い秀才の典型はアインシュタインです。この人は決して受験秀才ではありませんでした。チューリッヒ工科大学の受験に失敗したり、大学に残れず特許局に勤めたりしています。しかし、かれは光の等速性をもとに物理学の基礎を検討し、物理学を大きく変えました。日本での最近の例では、徳島大学から日亜化学工業に進み、発光ダイオードを発明した中村修二先生を挙げることができます。これからの海図なき航海の時代には、お御輿経営とか大衆動員ではうまくは行きません。トップに立つ人は社会の動きを広く見渡し、進むべき方向性を間違えないことが重要になります。

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13.大阪市立大学大学院創造都市研究科とは

 すでにキャッチアップの時代は終焉を迎え、前例はありません。時代を切り開く人材が必要となっているのです。追い上げの時代には、すべてのものに先例があったため、それをいち早く見つけて導入することが日本のビジネス・モデルとして定着してしまいました。このモデルが偉大な成功を収めたがゆえに、いまの日本は「成功の罠」に陥っています。過去に成功した仕組みにしがみつき、時代を切り開くにふさわしい人事制度や組織運営が確立できずに推移しているのです。

かつては、情報通の調整型指導者、頭の早い秀才が重用されました。いま必要とされているのは、常識を超えて新しい展望を示し、人々をリードできる指導者、頭の強い秀才です。このような人材を育成する場として、社会人大学院が注目されます。少子化時代を迎えて18歳人口が激減し、大学への入学対象者が減少したがゆえに、大学は社会人大学院に取り組まざるを得なくなったという誤解が一般にあります。そういう大学もあるでしょうが、大阪市立大学の創造都市研究科は、そういうものではありません。時代が要請する組織を越えた視点をもつ人材を育成するために設立されたものです。

創造都市研究科という名称ですので、しばしば都市計画をやる大学院と誤解されることもあります。21世紀の経済では、第一次でも第二次でなく、また第三次産業でもなく、第四次産業の重みがましてきます。第五次産業という人もいます。そういう産業をいかにして育て上げて行くのかが重要な課題になります。新たな産業についての研究を行うだけではなく、その担い手を送り出すことが大きな課題です。夜間の週日二日と土曜日に通っていただければ、2年間で修了できます。昨年度は360余名の応募のうち、166名の方が入学しました。皆さんの部下で優秀な方、才能を伸ばさせたいと思っている方がいましたら、是非とも大阪に転勤させて下さい。大阪勤務の2年間に創造都市研究科で十分に勉強をしていただければ、東京に戻ってから存分に活躍していただけると考えます。

(文責在産業経理協会)
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講師紹介

塩 沢 由 典 しおざわ よしのり
大阪市立大学大学院創造都市研究科長・同教授
専門は理論経済学。1985年から「複雑系経済学」を提唱し、制度進化や経済の発展過程の研究に複雑系の視点を導入する。社会的活動として、関西における新産業創造、学研都市の振興、関西からの情報発信、研究・開発マネジメントなどにつき、さまざまな調査提言活動を行っている。2003年4月に設置された創造都市研究科は、社会人のために設計された大学院であり、都市ビジネス・都市政策の2専攻は、大阪駅前第2ビルですべての科目が履修できる。この世界初の「創造都市」を冠する大学院研究科の設計に当り、初代研究科長を務める。

略 歴 1943年10月1日 長野県生
1966年 3月  京都大学理学部数学科卒業・理学士
1968年 3月  京都大学大学院理学研究科修了・理学修士
1968年 4月  京都大学理学部数学科助手(1973年6月まで)
1971年 7月  ニース大学数学UER第3課程・DEA取得
1971年10月  パリ第9大学決定の数学在学(1974年6月まで)
1975年 4月  京都大学経済研究所研修員(1976年3月まで)
1976年 7月  京都大学経済研究所助手(1983年3月まで)
1983年 4月  大阪市立大学経済学部助教授(1989年3月まで)
1986年 9月  英国ケンブリッジ大学客員研究員(1987年6月まで)
1989年 4月  大阪市立大学経済学部教授(2003年3月まで)
1992年 8月  中国吉林大学経済管理学院特別招聘教授(同年9月まで)
1993年 4月  社会・経済システム学会・理事(現在に至る)
1996年 4月  研究・技術計画学会・評議員(2000年3月まで)
2000年 4月  進化経済学会・副会長(2003年3月まで)
2000年 4月  日本学術会議経済政策研究連絡委員会委員(現在に至る)
2001年 2月  関西ベンチャー学会・会長(現在に至る)
2002年 4月  日本ベンチャー学会・副会長(現在に至る)
関西生産性本部・経営開発委員会副委員長(現在に至る)
          関西学研都市推進機構学術委員会副委員長(現在に至る)
2003年 4月  大阪市立大学大学院創造都市研究科長(現在に至る)
2003年 4月  進化経済学会会長(現在に至る)
この他、北陸先端科学技術大学院大学知識科学研究科客員教授、京都大学経済学部、岡山大学経済学部、神戸大学大学院経済学研究科、京都大学大学院経済学研究科、富山大学経済学部、滋賀大学経済学部、名古屋大学経済学部、山口大学経済学部、北海道大学大学院経済学研究科、和歌山大学大学院経済学研究科、名古屋大学大学院経済学研究科・多元数学研究科、九州大学大学院経済学研究科の非常勤講師等を歴任。

主な著書
単著
『数理経済学の基礎』朝倉書店、1981年(中国語版、1985年)
『近代経済学の反省』日本経済新聞社、1983年
『市場の秩序学』筑摩書房、1990年(筑摩書房・ちくま文芸文庫版、1998年)
1991年サントリー学芸賞受賞
『市場経済的発展機制』(紀玉山編訳)吉林大学出版社、1994年
『複雑さの帰結』NTT出版、1997年
『複雑系経済学入門』生産性出版、1997年(韓国語版、1999年)
『マルクスの遺産』藤原書店、2002年
編著
『大学講義 ベンチャービジネス論』阿吽社、1991年
『方法としての進化』(共編)シュプリンガー・フェアラーク東京、2000年
監修
『R&Dと人材育成』(「R&D」交流フォーラム編)学際図書出版、1999年
『バタフライ・エコノミクス−複雑系で読み解く社会と経済の動き』
(ポール・オームロッド著、北沢格訳)早川書房、2000年
論文
 多数にわたるため省略
以上の詳細については塩沢由典ホームページ 
          http://www.shiozawa.net
                        をご参照下さい。
       (2003年12月17日 産業経理協会 経理部長会)



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