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「エコノミストの読書日記」7 連載92

経営者はなぜ失敗するか

塩沢由典(大阪市立大学創造都市研究科長)

 人間はだれでも失敗する。うっかりしていて、気が付いたらすでに約束の時間をすぎていた。階段を下りていて、もう踊り場と思い足を出したところ、もう一段残っていて、思わずよろけて怪我をした。掘り出しモノとおもい勢い込んで買ったが、実際に使ってみると以外に面倒で失敗だった。授業にはきちんと出ていたし、準備は十分と思っていたのに、予想外の問題が出て、単位が取れなかった。自分に向いているとおもい、ホテル業界に就職したが、接客ができずに転職しなければならなかった。自宅を立てたが、設計にあたっていろいろ注文を出してすぎて、却って使いにくい家になってしまった。などなど。

 失敗には軽いものから重大なものまでいろいろある。小さな失敗は愛嬌だが、橋や建物で失敗すると人命にかかわる。工学の知識のかなりの部分は、いかに失敗をなくすかの知恵の集積である。失敗は、設計から製造、使用・運転、廃棄にいたるあらゆるフェーズにおいておこる。失敗を少なくするためには、なぜ失敗がおこるのか研究することが重要だ。こんな趣旨のもとに2002年12月には「失敗学会」が設立されている。

 失敗のデータベースを作成するという作業も進んでいる。失敗学会会長の畑村洋太郎国学院大学教授を事業統括として、科学技術振興機構(JST)が「失敗知識データベース」( http://shippai.jst.go.jp/ )を作成し試験公開している。現在までに、機械、材料、化学物質・プラント、建設の4分野について、全部で800を越える事例が集められている。

 企業の経営においても、とうぜん、失敗は起こる。人間の営みである以上、失敗のない企業はありえない。小さな失敗は、毎日茶飯事であろう。失敗が小さなものばかりであればいいが、時には大きな失敗が起こる。企業が存続し得ない大きな失敗の例もある。

 雪印乳業は、2000年6月、大阪で食中毒事件を起こし、牛乳事業は、結局、廃止に追い込まれた。2002年には、子会社の雪印食品が食肉詐欺事件が発覚し、結局廃業に追い込まれた。トラックの脱輪事故に端を発して、三菱自動車が数多くのリコール隠しとヤミ改修を行ってきていたことが判明した。今年7月の国内販売は、前年同月比の半分以下となった。これらは、経営者・従業員が覚悟して行ったことではないだろう。こんなはずではなかったと思っているに違いない。その点で、これらは大きな失敗である。

 92年にバブルがはじけて以来、倒産するはずがないと思われていた大企業が数多く破綻した。北海道拓殖銀行、山一證券、長期信用銀行、マイカル、協栄生命保険、日本リースなどなど。協栄生命保険の債務総額は4兆5千億円を越える巨大なものである。こうした大型破綻は、アメリカ合衆国にもいろいろある。ワールド・コム、エンロン、Kマート、アデルフィア・コミュニケーションズ、ワング・ラボラトリーズ、イリジウム、ウェブ・バン、ゼネラル・マジック、などなど。

 十分用心しているはずなのに、このような大きな失敗はなぜ起こるのだろうか。だれでも考えることは、経営者に問題があるということだ。それは正しい。しかし、どういう問題だろうか。素人談義では、経営者が怠慢だったから、悪人だったから、頭が悪かったから、ということになりやすい。それは事実に反している。エンロンやワールド・コムのように、後に会計操作が発覚し場合でも、経営責任者や財務担当役員が始めから意図してやったことではない。かれらは会社を急成長させた功労者でもあった。並の経営者ではない。優れた能力をもつ経営者がなぜ失敗するのか。こういう観点から、経営における失敗を研究した2つの本がある。

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 シドニー・フィンケルシュタインの『名経営者が、なぜ失敗するのか?』は、総計48の失敗事例を取り上げている。6年間、197回に渡る聞き取り調査の成果である。個々の事例そのものは、読んでもらうしかないが、フィンケルシュタインは、これら失敗の事例を四つに類型化している。@新事業の失敗、Aイノベーションと変化への無為無策、BM&A(合併・買収)の矛盾、C戦略のミスの4つである。

 @の失敗のもっとも華々しい例は、モトローラ社のイリジウム計画である。これは77個の衛星を低軌道に打ち上げ、地球規模の携帯電話網を実現しようとしたものであったが、各国の地上携帯電話の普及が早く、供用開始1年後にも1万人の契約しか得られず、イリジウム運営会社は1年半たらずで破綻した。Aでも、モトローラが登場する。携帯電話がアナログからディジタルへ変わるとき、モトローラは技術を保有しながら、長く参入を拒んだ。ノキアやエリクソンがヨーロッパ市場とアメリカ市場を席巻できたのはそのおかげである。Bでは、ソニーによるコロンビア・ピクチャーズの買収がとりあげられている。ソニーは、映画制作にも事業を拡張し、コンテンツにおける総合力を発揮しようとしたのだが、引き抜いた経営者たちにいいように「たかられて」、結局、32億ドルの損失を出した。Cの代表的な事例は、雪印乳業である。フィンケルシュタインは、食中毒事件は偶発的なものではないと指摘する。しっかりした対策を講ずることなく、生産したその日に納品するD0配送体制に移行した構造的な問題があり、2000年にそれが露呈したにずきないという。

 なぜこのような失敗に陥ったか。事例の紹介のあと、詳細な原因の解明がある。さらに、失敗の兆候の発見方法まで説明がある。

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 クリステンセンの『イノベーションのジレンマ』は、新技術にどう対応すべきかという観点に絞って失敗を分析している。基礎に置くのは、コンピュータのハードディスクの駆動装置(ディスク・ドライブ)の歴史である。箱の中に隠れて目に見えないが、ディスク・ドライブは技術の世代交代が激しく、遺伝研究で使われる「ショウジョウバエ」的存在だという。記憶容量あたりの価格は、17年間に1000分の1以下にさがり、2回のヘッド技術の交代があり、大きさは14インチから、8インチ、5.25インチ、3.5インチ、2.5インチ、1.8インチまで変化した。メイン・フレーム、ミニコンピュータ、デスクトップPC、ノートPC、PDAとコンピュータの世代交代にあわせて、より小さなドライブに移行したのだ。

 この市場で特異なのは、より小さいドライブへの移行に成功できた企業がほとんどないということである。後知恵では、当然と思えるこの変化が、それぞれの時代の主たるメーカーには、ほとんど見えていないのだ。なぜか。クリステンセンは、これが破壊的技術だからだという。著者が破壊的イノベーションに対比するのは持続的イノベーションである。この技術変化においては、既存企業はほとんど失敗することがない。これまでの延長線上に商品の性能を引き上げていけばよいからだ。しかし、破壊的イノベーションでは、商品の当初の性能は従来品より低く、粗利益率が低く、市場が見えない。そのため、技術自体は既存の大企業で生まれるものの、それを生かすことができないのだという。既存の顧客の声に耳を傾け、その要望に応えようとすると持続的イノベーションしか実現できないというジレンマがある。

 イノべーションに関しては、フィンケルシュタインとクリステンセンは対照的な事例を見ている。前者では、果敢に試みて失敗した事例が分析され、後者ではなにもしなかったことによって会社を危機に陥れた事例が取り上げられている。

[取り上げた本]

(1)シドニー・フィンケルシュタイン『名経営者が、なぜ失敗するのか?』日経BP社、2004年6月、2200円。

(2)クイトン・クリステンセン『イノベーションのジレンマ/技術革新が巨大企業を滅ぼすとき』(増補改訂版)翔泳社、2001年7月、2000円。


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