20世紀後半は、物価面から見ると、インフレーションの時代といってよい。1960年代・70年代に学生時代をすごした世代にとっては、インフレは空気のような現象だった。狂乱物価ほどでなくても、ものの値段はほとんど毎年上るのが普通であった。
ところが、日本では、この10年ほど、ほとんど物価が上らなくなっている。値下がりするものも珍しくない。消費者物価指数は、1999年以来4年以上も連続して下落している。 日本以外の国を見ても、消費者物価指数の上昇率は、1970年代以前に比べると、大幅に低下している。主要7カ国の平均でも、70年代前半は物価は年8.4パーセント、後半は年9.3パーセント、80年代の前半は年6.1パーセントの上昇だった。ところが,1990年代後半となると、年率1.7パーセントの上昇しか見られなくなっている(後出、橋本著、35ページ、表T−2による)。 昨年の消費者物価指数では日本・中国・台湾の3カ国・地域で年平均上昇率がマイナスになっている。 こうした状態をなんと呼ぶのか。インフレーションが収まってきている状態という意味で「ディス・インフレーション」という言葉がある。物価が低下することを指すより直接的な表現は、デフレーション(略してデフレ)である。内閣府やIMFは、これを「物価下落が2年以上継続している状態」と定義している。この定義に基づけば、日本がデフレであることは間違いない。しかし、それは年率1パーセント前後の下落が4年間続いているという意味でしかない。 デフレには、もっと強い意味もある。たとえば、改組前の経済企画庁は、1999年の物価リポートでデフレを「物価下落を伴った景気後退」と定義づけていた。日本銀行は、「物価の全般的かつ持続的な下落」と定義してきた。 さらに強い表現では、「デフレ・スパイラル」という概念がある。これは、景気の後退が価格の下落を招き、それが景気後退を深刻化させる、累積的な相互作用過程を意味している。「デフレ・スパイラルを阻止せよ」というのは正しい主張であろうが、いま日本がデフレ・スパイラルに陥っているかといえば、少なくとも現状では否であろう。 最近の本屋さんの店頭にはデフレに関する本がたくさん出ている。ただ、多くは、現在がデフレであると前提した上で、「デフレからいかに脱却するか」を説いたものである。その代表的なものは「インフレ・ターゲット政策」の実施を求めるものだ。いま、日本経済はデフレで苦しんでいる、だから、いますぐ痛みを和らげる処方箋が必要だ、というのであろう。これは、経済学者に歯科医のように謙虚で有能な人間であれと説いたケインズの忠告に従うものであろうか。 有用な人間であろうとするところは、その通りかもしれない。しかし、謙虚だろうか。 経済学は、インフレについては、観察し、分析し、考察してきた。しかし、すくなくとも20世紀後半の経済学は、デフレについてほとんど考えてこなかった。20世紀後半のの大部分の時期において、デフレなど思いもよらぬことだった。だから、多くの経済学者は、なぜインフレが起こり、どうしたらそれを抑制できるか研究してきたが、デフレについては研究してこなかった。 物価の下落が問題になるのは、日本など少数の国・地域のごく最近のことなのだから、研究してこなかったことは仕方がない。問題は、デフレについても、それを転換する方法についても、ほとんどなにも分かっていない現状で、安易に対症療法的政策提言がなされていることだ。 インフレ・ターゲット政策を唱える経済学者たちが頼りにしているのは、基本的には貨幣数量方程式(MV=PY)を下敷きにした理論であろう。流通速度も貨幣乗数も大きく変化している状態で、どの程度、この方程式が頼れるのであろうか。 こんなことを考えながら本屋さんを覗いていると、小菅伸彦の『日本はデフレでない』(ダイヤモンド社、2003年)が目に止まった。著者は、もと経済企画庁の物価調査課長で、1992年・93年には『物価レポート』の取りまとめに当っている。小菅氏によると、日本で物価下落が続いていることは確かであるが、それはデフレという言葉が示唆することと違って、価格の正常な調整過程の一局面に過ぎない。そこに不況が重なっているが、デフレが原因で景気が悪いのではない。規制が緩和され、競争によりようやく内外価格差が縮小し始めているだけだという。 わたしも、小菅氏の主張に近い感覚をもっている。物価が安定しているときにも、消費者物価指数の上昇率がつねに0パーセントだなどということは考えられない。価格の上る商品もあり、下がる商品もあって、結果として物価指数がプラスマイナス2パーセント程度変動しても、価格は安定していると見るべきに違いない。 この意味で、あまりデフレ、デフレと囃し立てたくない。しかし、「デフレがなぜ起こるのか」、「現在のディス・インフレをもたらしているものは何なのか」考えることは重要であろう。少なくとも、1950年代から70年代までと現在とは、いったい何が変わったのだろうか。 残念ながら、この問いに答えてくれる本は、あまり多くない。上に触れたように、「デフレからいかに脱却するか」という政策提言は多いものの、世界的なディスインフレをもたらしている要因やメカニズムについての分析は少ない。その中で、橋本寿朗の遺著『デフレをどう読むか』(岩波書店、2002年3月)は、日本における「価格革命」の深層を探ろうとした力策である。世界的な傾向としてのディスインフレを追跡したあと、主要国の中で日本のみが労働分配率を上昇させていることに注目し、価格の低落と賃金の固定性とによる利潤圧縮こそが、長期の不況をもたらしているメカニズムであると断じている。 水野和夫の『100年デフレ』(日本経済新聞社、2003年2月)は、さらに踏み込んで、17世紀以来3度目にあたる経済圏の急速な拡大が現在のデフレを招いていると論じている。つまり、中国や旧ソ連・東欧の西側経済への統合が現在の世界的なデフレをもたらしているというのである。中世ヨーロッパの歴史まで紐解く長期の視野は大変なものだし、「バラッサ・サミュエルソン理論」などを背景とする実証的な検討にも敬意を表したい。 一点だけ不満があるとすれば、市場の急拡大の効果を供給能力の拡大にのみ見ていることだ。需要も、当然、拡大するので、停滞する総需要に対する総供給の拡大という対比からデフレを説明しようという試みは成功していないと思われる。ここはリカードの比較生産費説にまで立ち戻って考えるべきではないだろうか。 (大阪市立大学大学院創造都市研究科長)