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読売・論点

なぜ、いま社会人大学院か

大阪 2003年2月23日 14面

塩沢由典(しおざわ・よしのり)
大阪市立大学大学院教授  .



 社会人が大学院で学び直す機会が増えてきた。大阪市立大学も社会人向けに設計された新大学院「創造都市研究科」をこの4月から開設する。大阪都心には、さまざまな大学のサテライトが設けられ、主として夜間と土曜日に社会人が学んでいる。このような事情は、東京ではすでに数年前から出現している。

 大学が社会人を受け入れるのは少子化時代の生き残り策だという誤解がある。社会人大学院が新しいマーケットを創造する努力の一部であることは否めない。だが、社会人大学院をそのような事情からのみ理解すると大きな誤りを犯すことになる。

 大学教育を受けた社会人がその職業生活の半ばでもう一度、大学の門をたたくには十分な理由がある。世界共通には、社会の変化が速くなり、青年期に仕入れた知識では、職業生活を続ける上で十分でないという事情がある。

 しかし、日本ではもっと根本的なところで、再学習の必要がある。企業内でこれまで理想としてきたとは正反対の能力を持った人材が求められているからだ。そして、それを育成できるのは社会人大学院しかない。

 企業の人事担当者などと話してみると、この意義が十分に理解されていない。社内研修をアウトソースする程度の意識なのだ。

 これまで、職業上の知識の点検・棚卸は、日本では企業内研修や社外セミナーなどでまかなわれてきた。しかし、いま日本が直面している状況に対処するにはこのような研修によっては、十分な成果を上げることはできない。

 企業や自治体が必要とする人材が大きく変わらざるを得ないのは、日本社会が大きな転換に直面しているからである。

 振り返ってみると、日本は、明治維新以来120年間、ひたすら欧米社会を追い上げてきた。この追い上げに日本は見事なまでに成功した。しかし、1990年を前後して、日本は大きな転換点を迎えた。

 このころを境に、日本は世界のトップランナー(先頭走者)になり、さらには追い上げられる立場にたった。韓国・中国はもとよりインドまでもが、かつての日本を手本として日本を追い上げてきている。

 追い上げの時代には、すべてのものに先例があった。それをいち早く見つけて導入すれば、日本は前進できた。それがいわば日本の「ビジネス・モデル」だった。終身雇用・年功序列を中心とする日本的経営は、その時代にみごとに適応していた。

 このモデルが偉大な成功であったために、いま日本は「成功の罠」に陥っている。過去に成功した仕組みにしがみつき、トップランナーたるにふさわしい人事制度や組織運営を確立することができない。大胆な人材活用も困難である。

 かつては、情報通の調整型指導者が重宝された。いま、必要なのはそうした指導者ではない。常識を超えて新しい展望を示し、人びとをリードできる指導者である。  こういう人材は、企業研修では、育てにくい。組織の壁を越えた視野と変化を見通す洞察力とが必要だからである。しかし、このような人材を輩出する以外に日本企業は世界競争の中で生き残ることはできない。

 必要なのは、組織を相対化し、小さなことの中に大きな戦略を見つけ出すことのできる能力であり、自己の責任において判断をくだす意思の強さである。

 そういった人材を養成できるのは、企業組織を離れて独自の価値観と理論とをもつ大学院しかない。これが社会人大学院がいま必要とされる深い理由である。




専門は理論経済学。著書に「市場の秩序学」など。59歳。



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