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ストレス・テストには5シグマ事態を考えよう
『旬刊経理情報』05年2月20号(第1075号)、第1頁
塩沢由典(大阪市立大学大学院教授)
経理・財務の担当者にとって危機管理は、重要任務である。痛い目に会わないためには、安全資産だけをもつというのもひとつの思想であろう。しかし、現在の複雑な経済の中では、安全資産だけをもつというのでは却って隠れたリスク(損失の危険)を負うことになりかねない。気候デリバティブなど、積極的なリスク回避が必要になっている。
金融資産のリスク管理については、さまざまな手法が開発されてきた。よく使われているのはVAR(バュリュー・アト・リスク、危険にさらされている価値額)である。ベアリング銀行やオレンジ郡の倒産は、VARの計測を行っておけば防げたものである。しかし、この方法に頼れない危険もある。「夢のヘッジファンド」といわれたLTCM(ロングターム・キャピタル・マネジメント)の倒産がそれにあたる。LTCMは、ノーベル経済学賞を二人も抱え、VARが想定する事態には十分対処していた。しかし、「通常は起こりえない」事態が生じて倒産にまで追い込まれたのである。
このような異常事態に備える分析として、ストレス・テストがある。万が一の事態として、さまざまなシナリオを分析するというのが主な手法である。しかし、シナリオ分析には、どのような事態を想定したらよいのか、定量的な指標がなく、分析者の主観に任されているのが実情である。そこで提唱したいのが「5シグマ事態」という概念である。
VARは、危険に晒されている価値額は95パーセントの確率でこの範囲にあるというものだ。それは、変動のほぼプラス・マイナス2シグマ以内の事象に対応する。これに対し、5シグマ事態は、標準偏差のプラス・マイナス5倍以上の事態がおこることを想定して、その異常に耐えられるがどうか分析しようという考えである。
変動を扱う標準理論は、正規分布を前提としている。もし現実が正規分布をなしているならば、5シグマを外れる事態は、175万分の1しか起こり得ない。一日単位で考えているなら、5千年に一回という事態である。しかし、株価の動きを見ていると、5シグマを超えるような変動がこの50年間に10回近く起こっている。つまり5年に一回は、5シグマを超えている。これはいわゆる「厚い裾野」という現象で、株価の変動が5シグマの外になる確率は正規分布の千倍にもなっているのである。考えなければならないのは、こうした数年に一回おこる異常事態である。
株価指数の1日の変動率は、シグマで測って1パーセント程度である。5シグマ事態は、一日に5パーセント変動する事態を考えるということである。この考えは、為替レートや金利、商品価格など広範に応用可能である。注意すべきは、異常事態では市場間の相関が高まっていることである。ひとつ事態を特定した上で、それがどのような因果連鎖を生むか考える必要がある。
略歴
1966年京都大学理学部数学科卒業。同大学理学部助手・経済研究所助手を経て、1983年大阪市立大学経済学部助教授、89年同教授。2003年4月より社会人むけ大学院創造都市研究科の初代研究科長。専門は、理論経済学・複雑系経済学。1985より複雑系の経済学を提唱、近年はエージェント・ベースのシミュレーションを中心として金融市場の研究に取り組んでいる。現在、進化経済学会会長、人工市場研究グループU−Mart代表、関西ベンチャー学会会長。
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