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金融危機で問われる「学問の責任」
京都新聞 2008年12月19日 16面「フォーラム京」
塩沢由典(しおざわ・よしのり)
中央大学教授 .
原題「学問の責任」。新聞副題「リスク明示し、警告すべき」。小見出し:サブプライム問題、異常事態の連鎖。
学問にも責任ということがある。医学では、新しく開発した治療法に欠陥があれば、当然、責任が問われる。工学でも同じだ。
経済の世界でも、いま同じことが起きている。サブプライム問題に始まった金融危機は、リーマン・ブラザーズの倒産のあと表面化したCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)の連鎖により、未曾有の経済不況が訪れるかも知れないという事態へと展開した。
今回の事態には、はっきり責任を負うべき学問がある。金融工学である。工学という名前が付いているが、分野としては経済学である。スウェーデン銀行は、この金融工学に、少なくとも過去3回、ノーベル経済学賞を授与している。
金融工学のどこに責任があるのか。
まず、サブプライム問題。これは、過去に返済事故を起こして普通の融資を受けられない人に対し、融資を可能にしようとする枠組みで、それ自体は良い制度である。これが経済問題になったのは、サブプライム・ローンからトランシュという手法(仕組み債ともいう)を使って格付けAAAの債券を作りだし、大量に市場にばら撒いたからである。
CDSは、主として銀行などが第三者に対する債権について保証料を取って事故の場合の支払いを保証するものである。これが大量に契約された結果、一社が倒産すると、連鎖反応的に金融機関から金融機関へと支払義務が伝播した。このため、多くの国が銀行に対する強制的資本注入を余儀なくされている。
仕組み債やCDSなどの商品設計の基礎に金融工学がある。しかし、金融工学に決定的な弱点があるのは、専門家以外にはあまり知られていない。
金融工学の前提の一つに「独立の仮定が適用できる」というものがある。これは、確率論をうまく使うために必要なものであり、幾分かは緩めることができる。複数の出来事に相関があると考えてシミュレーションをするなどの方法である。しかし、それは通常時に観察される相関であって、経済全体が緊密に関連して状況が変化するような事態には対応できていない。
金融工学では、これをシステミック・リスクと呼ぶが、これについては基本的にお手上げであるとして考慮しない。これは、砂に首を突っ込んで安心するダチョウと同じ論理である。
独立の仮定が十分効いていれば、このような安心も許される。異常な事態が起こるのが、非常に稀になるからである。しかし、経済のすべては弱い相互作用で結ばれている。時にその相互作用が逸脱を拡大する方向に作用する。そのとき、異常に大きな変動が生じ、大問題となる。
このような異常事態が生じたため、サブプライム・ローンでは優良なトランシュまで紙屑となった。大量に投資していた銀行や機関投資家に焦げ付きが生じ、その煽りで何社かが倒産すると、CDSによって損失の連鎖反応が広がった。
CDSが想定するのも、倒産は各社独立であるという仮定である。もしそうであれば、保険の原理で大事には至らなかったはずである。しかし、返済不能が連鎖して一斉に起これば、どんな金融機関でも持たない。
それが分りつつ、当面儲かるというので欧米の銀行の多くは破綻の道を進んだ。それだけなら、自己責任でよいのだが、そのために世界中が大不況に巻き込まれた。
今回の問題の直接の責任者は、金融工学を盲信した金融機関であるが、その商品に潜む基本的な危険性を明らかにし、事前チェックを効かせなかった金融工学にも責任がある。
阪神大震災のあと、工学者たちは橋や建物の倒壊現場を調査して新しい耐震基準を勧告した。同じことを金融工学は考えるべきであろう。
2008.12.12記
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