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戦略的研究開発とその担い手

塩 沢 由 典
大阪市立大学経済学部教授
R&D交流フォーラム・コーディネータ

KPCニュース(関西生産性本部機関誌)
第28巻第10号(通巻339号)p.1「フロントグラス」
2001年10月1日



 20世紀の終わりに立ついま、技術革新の大きな波がまたやってきている。19世紀の終わりには、いわゆる第2次産業革命があった。それは、「化学工業」、「電力」、「自動車」の3者の混合したものだった。第二次大戦後には、低廉な原油を基礎に石油化学が伸張し、日本では「家庭電化」と「モータリゼーション」が起こった。現在、われわれの目の前に進みつつあるのは、「情報・通信」、「ナノ・テクノロジー」、「バイオ」の3者の並行的技術革新である。

 情報やバイオは、早くから騒がれ過ぎて、一時は幻滅感さえ広がっていたが、インターネットが登場し、システムの自律的進化が始まると、わずか数年で産業状況を大きく変えてしまった。株式時価総額のトップの多くは、いまやネット関連企業によって占められている。バイオでは、主要国共同の戦略的プロジェクトであるヒト・ゲノム計画に対し、セレラ・ジェノミックスという一ベンチャー企業が挑戦し、わずか3年でほぼ目的を達してしまった。情報とバイオが組合わされて、バイオ・インフォマティックスという分野が現れている。

 ナノ・テクノロジーは、まだこれからのものであるが、日本がアメリカに優位をもてる分野である。しっかり育ててもらいたい。情報やバイオも一時的な足踏み状態を経験したように、ナノ・テクノロジーも、一挙には、産業化・商業化にたどり付けないに違いない。しかし、それが将来の大きな技術の種になるとは間違いなく、いかに早く産業化・商業化のレベルにもって行くかが、今後の技術開発の要になる。そのためには、技術を囲い込み過ぎてはならない。相互にオープンに展開することにより、日本ないし関西という地域の競争優位を作りだすことも重要だ。こうした側面では、大学におけるオープンな研究とうまく連携を取っていくことも必要だ。

 19世紀末と20世紀末のいまとを比較するとき、一番大きな違いは、19世紀末には組織は巨大化への道を進んでおり、1万人を超える企業が続々と誕生していたのに対し、20世紀末の現在は、流れはむしろ逆を向いていることである。20世紀には、大会社が資金とマンパワーにものを言わせて技術を先導できたが、21世紀には技術に関する的確な展望をもった企業家がベンチャー・キャピタルからお金を集めて巨大組織を出し抜けるようになる。その代表的な事例がセレラ社のベンター博士である。現在、業界のトップ・クラスにあるというだけでは、けっして安心できない。

 ある分野の技術集積が一定の臨界に達すると、産業状況を急速に変えてしまう。そういう時代には、研究・開発はただ効率良く運営していればいいというものではない。どのような技術が今後伸び、産業構造がどう変わっていくか。そうした中で、どんな技術と商品が必要とされてくるか。こうした大局的視野に立ちながら、自社の研究・開発を進める必要がある。それができなければ、有力なベンチャーが現れて、自社を一挙に抜き去るということになる。研究・開発は、文字どおり企業の生命線に関係している。それは会社の明日が飛躍するか、没落するかを決めてしまう。

 とうぜんながら企業の戦略も、技術の動向や自社の強みとする技術範囲と無関係ではありえない。力を入れるべき開発分野は、もちろん、会社の戦略に適合していなければならない。会社の戦略は、逆に、自社の技術優位がどこにあるかにも規定されている。つまり、会社の戦略と自社技術とは、相互規定の関係にある。この関係をうまく「共進化」させることが、今後の企業経営の中核となる。

 企業戦略と技術開発とがこのような相互規定の関係にあるとき、両者をにらみながら、経営に当たる人間が必要になる。第5回「R&Dサマー・フォーラム」の第1分科会では、このような共進化の指揮者たるべき技術・戦略担当執行役員(Chief Technology and Strategy and Officer=CTSO)の概念が提起された。技術担当執行役員(Chief Technology Officer=CTO)の概念は、アメリカではすでにかなり確立している。多くの企業に、CTOがおかれているばかりでなくでなく、CTOたるに必要な知識を体系的に教える場としてMOT(技術経営修士)コースがいくつもの大学に設けられている。今回の提案は、そのCTOを一歩先に進めたものである。

日本でも、製造業では、各企業に技術担当重役がいる。実質的には、かれらがCTSOの役割を果たしている。しかし、その権限範囲は狭いし、戦略担当役員として、積極的に位置づけられているともいえない。より重要なことは、このような機能を定義しても、それを担う人材がいなければ、その概念が空洞化していまうことだ。アメリカでCTOの普及とMOTの輩出がほぼ連動したものであったのは、当然である。

 CTSOの担い手を育成するということは、いまだアメリカでも考えられていない。しかし、このような人材が偶然的にいつも供給されると考えるのは馬鹿げている。そのことは特に日本において強調される必要がある。日本では、経営層の育成は、多くの部署の経験を経て、高度の経営判断ができる人材を拾い出すという仕組みを中心としている。しかし、CTSOを担う人材育成が、このような仕組みにでうまく行くとはおもえない。

 技術担当役員には、たいてい、理系出身のものが就任する。CTSOも、基本的には理系の人材に頼る以外にない。しかし、理系の教育や技術者のキャリア・パスがCTSOの担い手供給に適したものとはいえない。日本の工学部・理学部の教育では、大学院を含めて、学生に経営の基礎を教えることはほとんどない。専門の基礎知識・基礎技術を教えるのに精一杯である。企業に入っても、かれらは長い間、「もの」と対話する立場にいる。研究・開発か、生産現場で経験を積む。その方面では、かれらは専門的な訓練と実地の経験をもっている。近接分野に対する技術動向にも、自然と詳しくなる。だが、優秀な技術者・研究者が優秀な経営者であるとはかぎらない。かれらは、優れた経営者たる能力を潜在的にはもっている。しかし、比較的短い時間の中で、見よう見まねと経験にたよって学ぶというのでは、得られる能力の水準を保証できない。企業を経営するためには、より大きな視点から、体系的な知識を身に付ける機会が必要である。このような機会を作りだすことが個別企業に難しいとすれば、企業を超えた人材育成の仕組みが必要となる。

略歴
1943年生まれ。1968年京都大学理学修士。83年、大阪市立大学経済学部助教授、89年教授。現在、進化経済学会副会長、社会・経済システム学会編集長、日本ベンチャー学会理事。関西文化学術研究都市推進機構の学術委員会委員のほか、関西生産性本部・経済社会委員会副委員長、関西社会経済システム研究所研究委員などを務め、関西経済への提言を行っている。著書に『複雑系経済学入門』、『複雑さの帰結』、『市場の秩序学』(1991年サントリー学芸賞)など。



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