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流行を発信するまち・地下街へ

塩沢由典


「流行を発信するまち・地下街へ」『ちかがい』第129号(大阪地下街株式会社・大阪地下街サービス振興株式会社)、2004年4月、3-6頁。



「急ぐ」空間から「過ごす」空間へ

 2年ぶりにカフェ・ド・フロールに座って道行くひとたちを眺めてみた。クリスタ長堀のファッション・タウンにあるこのカフェは、一部の席が道に向かって並べてある。道にまでせり出しているわけではないが、オープンカフェの雰囲気は本物だ。料理もきちんとフランス風だ。

 ほぼ同じ時間帯に座っていたのだが、2年前に比べると、道を歩く人の数は何倍かに増えていた。クリスタ長堀ができたばかりの閑散さを思い起こすと感慨が深かった。心斎橋まではひとがあふれているのに、なぜクリスタにはひとが降りてこないのだろう。こう思って、ソニー・タワーの横のエスカレータの入り口に立っていたこともある。当時に比べれば、かなりの賑わいが感ぜられる。

 退勤時に座っていたこともあるが、道行く人たちはみな忙しそうに歩いていて、通路脇に人がいて、のんびりワイン飲んでいることなど目に留まらないかのようだ。地下街の問題点の一つがここにあるように思う。

 地下街は、第1義には「通路」なのだ。駅から駅へ移動する。駅を降りて目当ての場所へと急ぐ。こんなとき、地下街は便利だ。とくに雨が降ったときには助かる。多くの地下街は、通過の道筋であって、用事でくるところではない。だから人は、急いでそこを通過しようとする。

 もし地下街が、食事をしたり、買い物したりして時間を過ごす場所になれば、同じ通行量であっても、お店に落ちるお金の額はずいぶんと違うだろう。それには、地下街がそこにいて楽しい空間、時間の過ごせる空間にならなければならない。なんとか、そんな工夫がないものだろうか。

優位性を生かす方法

 クリスタ長堀は、西からカジュアル・タウン、ファッション・タウン、バリエ・タウン、グルメ・タウンとゾーニングされている。よく考えられた結果なのだとは思うが、すこしきれいにゾーニングされすぎているかもしれない。

 ファッション・タウンには、食事のできる店はカフェ・ド・フロールしかない。たしかに高級なブティック街にお好み焼き屋はふさわしくないだろう。しかし、高級感のあるレストランやカフェは、もっとあってもよいのではないだろうか。

 買い物した客の立場に立って考えてみよう。今日は、ちょっと高かったけれども、よい買い物をした。こんなとき、ちかくのカフェに座って、幸せな気分を存分に味わってみたくはないだろうか。すでに着替え(履き替え)ているのであれば、成果を見せびらかしたくもなるだろう。オープン・テラスのカフェに座って道を眺めるというのは、そんな意味ももちうる。

 大阪は、地下街の発祥の地だ。次々と新しい地下街を作り、発展させていきた。地下街は、冬は暖かく、夏は涼しい。自動車も通らず、排気ガスも吸わない。その意味で、地下街はいくつもの優位さをもっている。その優位さを生かしきれていない。そんな気がする。

 小さなテナントの集合では、なかなか大きな企画は難しいかもしれない。しかし、テナントは少しずつ入れ替わっているのだから、しっかりした街の未来像を描いていれば、しだいに理想に近づけるだろう。

地下のスピガ通り

 長堀通りには、高級プレタ・ポルテの店が立ち並ぶようになった。これまで外国の有名ブランドは、おおむね大規模ホテル内に出店していた。そのため、日本には、一流ブランドの立ち並ぶ通りがなく、高級ブティックはあちこちに分散してしまっていた。これでは集積の効果がでず、高級商品全体としてのインパクトが小さかった。今後の長堀の動きには注目すべきだが、もちろん地下街がディオールやルイ・ヴィトンと張り合うわけではない。しかし、すぐ近くにそうした集積をもつことを意識したうまい展開はあるだろう。

 長堀通りは、超高級でやや大型のブティックのものとしよう。それに次ぐクラスの高級ブティックは、どうしたらいいだろうか。特定ブランドで統一する客はさておき、個性的なデザインの品を求めて買いまわる、お金に余裕のある女性は少なくない。しかし、長堀通りは、道幅が大きすぎて、歩いて買いまわる客には向かない。もっと狭くて自動車が通らないが、両脇には高級ブティックが立ち並んでいる通りがあってもいいはずだ。ミラノの「黄金の四角形」(Quadrilatero d'Oro、高級ブティックが集積している、モンテナポレオーニなど4つの通りに囲まれた区域)のなかで、石畳のスピガ通りには車が入らない。歩いてウインドウショッピングするには最適だ。そんな通りが大阪にあってもいい。

 そうした街の候補として、私は鰻谷通りに注目していたのだが、心斎橋筋からの流れ客目当ての飲食店がどんどん進出して、ブティックの街という雰囲気が崩れそうになっている。街の性格付けに失敗したというべきかもいれない。その代わり、長堀クリスタには、新しい可能性が開けたのがもしれない。うまく街の雰囲気作りに成功すれば、地下のスピガ通りになれるかもしれない。

 地下街は、ひとつの管理会社のもとにあるのだから、好ましくない出店傾向は防ぎやすい。どういう街の未来像に近づけるのも、他の商店街よりやりやすいのではないだろうか。もちろん、こうした設計は管理会社に任せるでなく、各地下街ごとに企画委員会などをつくり、つねに将来像を議論することが必要だろう。その街にふさわしいイメージ作り、雰囲気作りをしていかなければならない。みな自店の経営で忙しくて、なかなか街全体のことになど考えていられいということはよくわかる。しかし、街の使われ方を変えなければ、自店の内装や品揃えを変えるだけでは限界があるということも事実だ。

街の発信力

 すこし視点を変えてみよう。都市は、つねに新しい流行や文化、芸術、生活様式を生み出してきた。それが都市の活力であり、魅力だった。いま、大阪を見渡してみるに、街としてこのような発信力のある地域が少ない。これでよいのだろうか。

 例外はアメリカ村だ。ここは、全国のローティーンにとってはつねに注目すべきところだ。ティーンエージャー向けファッション誌にも、2〜3号に一回ぐらいの頻度で特集が組まれる。しかし、二十歳以上の世代にとって、大阪の情報発信力はきわめて限定されたものでしかない。たとえば、茶屋町は、一時期、ずいぶん注目された。しかし、関西の人間でなければ、茶屋町におもしろい動きがあるとなどということを知る機会はほとんどない。

 南船場には、外国の高級ブチックの周辺部というべき、広がりを見せ、デザイナーズ・ショップが散在している。心斎橋筋の人の流れが長堀通りを超えるようなった。南堀江(あるいは立花通り)は、もともとは家具の街にファッション系のブティックが進出したものだ。南船場は心斎橋の延長とも考えられるが、長堀通を超えて人が動くようになったののは最近のことである。立花通りはアメリカ村の延長ともいえるが、阪神高速環状線と難波筋にさえぎられていた。ここまで人の動きを引っ張ってきたのは大したものだ。しかし、南船場も南堀江も、まだ流行を作りだすまでの力はもっていない。

流行を作りだす

 将来の流行の予測は難しい。まして流行を作りだそうとしても、作りだせるものではない。もちろん、店長やデザイナーたちが仕掛けている面はある。カリスマ店長がいる店には、新しい商品や着こなしの提案がある。新しい流行を作りだそうと、デザイナーたちが手を組むこともある。しかし、消費者がよいと思わなければ、どんな商品も広まらない。たくさん店頭に並べれば、それを買う人の数は増えるが、すぐに力を失って広がらない。

 夏物であれ、冬物であれ、毎年、なにがはやるか事前の予想はつかない。かつては、繊維業界が仕掛けて、流行を作り出せた。個性化が進み、それぞれの消費者が自分の価値判断で動くようなった現在では、そのような操作は効かなくなった。予想に基づいて生産計画を立てることはきわめて危険なことである。そうなるとQR(Quick Response)で対応する以外にないのだろうか。もちろん、需要の変化に即応することは重要だが、街として努力すべきこともある。それは、自分の街が流行を作りだす場となることである。

 もしそういうことになれば、事前に知ることはできなくても、早い段階からその兆しを掴むことができる。早めに品揃えを変えていくことができるし、場合によれば、大流行する前に流行を先導していくこともできる。

 もっと重要なことは、流行を先導することのできる街、傾向を生み出すことのできる街には、大きな付加価値が生まれることである。新しい傾向を知りたいのは、供給側・販売側だけではない。消費者も、また、それを知りたがっている。したがって、あるところが新しい流行が生まれる街だと人々に意識されるならば、その街は多くの人を集めることができる。そうなれば、街全体としては、流行の商品の何倍もの売り上げを上げることができるだろう。街の発信力は、街の価値を作りだす重要な要素である。

 残念ながら、大阪は、こうした価値にあまり敏感でなかった。大阪は繊維の町と言われてきたが、いまや極言すれば素材の供給基地として機能しているにずきない。全国に発信するファッション誌を育てることもせず、テレビも全国ネットのキー局を獲得する努力もなかった。その結果、いまや有能なデザイナーたちは大阪を捨て横浜に進出している。アパレルの生産量で神奈川県が大阪府を抜いている事実は、ことの重大性を如実に示している。

 実は、素材の供給基地としての大阪もきわめて脆弱な状態にある。高級素材はともかく、多くの普及素材は中国で生産できるようなっており、価格競争力もある。日中の賃金格差が大きいかぎり、普及素材はもはや日本で生産しても競争できない。長期的には縮小せざるを得ない。しばらくは、中国からの輸入で優位性を維持できるかも知れないが、普及素材を扱っているかぎり、商社機能もしだいに細っていく。

 これからは、付加価値を生むのは、デザインであり、ブランドであり、流行である。これらで大阪が一目置かれる存在にならなければ、生産基地としての大阪が衰退するばかりでなく、大阪での商売自体が衰退する可能性が高い。

 この可能性を阻止するには、大阪のいくつもの街がそれぞれ流行の発信地、流行・傾向を生み出す街になる必要がある。

街は観察する場

 流行を作りだそうとしても作り出せないのに、流行を生み出す街を作りたいというのは矛盾した考えだろうか。そうではない。流行を生み出す街には、特有の構造があり、それを構築することができれば、大阪の街が流行の発信地となることは可能である。

 このことを考えるために、まず流行や傾向がどのように生み出されるか考えてみよう。

 街にはたくさんの人があつまる。その中には、これまでなかった新しい装いの人がいる。多くは、店で偶然見つけて気に入ったものを身に着けているのであろう。いろいろなアイテムをどう組み合わせるか。どんな雰囲気を狙うか。それぞれ工夫があるに違いない。それを相互に観察している。

 街に来る人々は、街を観察する場としている。他の人々がどんな服装をしているか。これからの流行はなんなのか。そこでは、さまざまな提案がなされ、観察され、批評され、よいと思うものが模倣される。その中で、増殖率が1より大きいものは、1人から2人、2人から4人と、指数関数的に増えていく。ある限界点(閾値 ルビ:いきち)を越えると、人々は、新しい流行に気づく。それは口コミで話題にされ、雑誌に取り上げられ、急に多くの人が意識するようになる。豹柄(1999)、ユニクロ・スタイル(2000)、柄タイツ(2001)、レイヤード・スタイル(2002、2003)、ざっくりニット(2002)といったものも、みなこのようなメカニズムで流行となったものだ。

 流行・傾向を生み出せる街となるためには、いくつかの要件がある。ひとつは、この街に集まる人々の意識のあり方にある。この街では、新しい流行・傾向が生まれるという意識があると、人はそういうものを自分で作りだそうとするし、そういう動きがないか観察するようになる。しかし、こうした意識を生み出すには、新しい流行・傾向が生まれた実績がないと難しい。これは必要な条件ではあるけれども、働きかけて作りだせるものではない。

 もうひとつの要件は、短い速く回転する情報回路の存在である。新しい傾向は、みなが見つけ出すものだ。ある傾向がよいものだと認識されるとしても、それが多くの人々に伝わり、流行として意識されるようになるまでにあまりに長い時間がかかると、それは現実の流行となる前に流行遅れとなってしまう。同じスタイルが2年続けて最新の流行であることは珍しい。レイヤード・スタイル(重ね着スタイル)は、2002年と3年と2年にわたって冬物の流行になった。しかし、これは例外的な現象である。1シーズン中に生まれて流行として認知されるにたる限界点を超えるためには、人から人へと伝わる速さをあげるか、一定期間に1人が影響を与える人数を上げるかしかない。

メディアの役割

 ここで雑誌などメディアの役割が出てくる。編集者がある傾向に気づいたとする。これをテーマに特集が組まれれば、雑誌を読んだ人の頭には、これが新しい傾向・流行だと認識し、人に伝えるようになる。成功すれば、一挙に閾値を越えるかもしれない。

 アメリカ村が流行の発信地であり続けているひとつの要因は、この街のファッション紹介を中心テーマとしている『Cazi Cazi』という雑誌があるためである。アメ村に限定してはいないが、『カスタマ』という雑誌もある。こういう雑誌があり、このアイテム、このコーディネーションがいいとなると、その支持者が一挙に拡大する。

 雑誌の効用は、これにとどまらない。残念ながら現在のメディア状況では、全国に流れるファッション誌は、ほとんど東京で編集され、配送されている。東京の編集者が大阪の新しい傾向を知ろうとすると、1日・2日の取材では難しい。大阪密着の雑誌があり、その動きを紹介していると、取材の方針も立てやすいし、特集のテーマの組立ても容易になる。

 テレビやウェブページでの紹介も重要だ。在阪のテレビ局が大阪のいろいろな街を定点観測して、それをテレビに流すようになると、大阪の流行創出力はぐっとあがるだろう。ウェブページは、それぞれの街の努力で可能なことであり、ぜひ考えてもらいたい。

 東京では、財団法人無日本ファッション協会が主宰して「Tokyo Street Style」というホームページがある。渋谷、原宿、銀座、表参道、代官山の5地点に毎週カメラマンが出向き、これはと思うスタイルを撮影して掲示している。

 この5地点が流行の発信地と考えられているためであろうが、こうしいう仕掛けがあることが反対にこれらを流行発信の地として人々に意識させる効果もある。

 地下街では、雨の日も、自由に装って歩くことができる。そうした利点を生かし、自分の地下街を流行発信の街にする工夫してみてはどうだろうか。



[著者紹介]

大阪市立大学大学院
創造都市研究科長

関西ベンチャー学会会長、大阪産業創造館ビジネスプラン鑑定団審査委員長などを務めるほか、関西の活性化に向けたさまざまな提言活動を行っている。専門は理論経済学。1985年から複雑系の経済学を提唱。

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都市は新しい流行や文化、芸術、生活様式を生み出すふるさと。
それが都市の活力です。
ホワイティ梅田に隣接する大阪駅前第2ビルに開設された
大阪市立大学大学院「創造都市研究科」の塩沢由典教授に、
地下街も含めた大阪というまちが今後流行発信地となりうる
可能性についてご執筆いただきました。




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