塩沢由典>個人>小論>朝日・論壇

朝日・論壇

衰えゆく資本主義と介入国家

東京 2001年1月20日25面 大阪 2001年1月

塩沢由典(しおざわ・よしのり)




 新しい世紀の経済がどのように動いていくか。これはだれしも関心のあるところであろう。今後進行すると思われる3つの傾向について説明し、それが何を意味するか私見を述べてみたい。

 第1に、従業員数人の個人企業ないし独立事業者の重みが増していくと思われる。ネットベンチャー・ブームはあっけなく潰れたが、情報化はなお着実に経済・社会に浸透していくにちがいない。情報技術がさらに展開すれば、社会の取引費用は大幅に低減する。その結果として、個人が独立した事業者としてやっていける可能性が広がる。このことを裏から見れば、企業組織を運営することのメリットが薄れ、大企業であることの弱み(意思決定の遅さ、官僚主義、事なかれ主義)が目立つようになる。

 これに反対の動きも見られる。金融や自動車、通信などでは、現在、国をも超えた合併運動が盛んである。それは、種々の様相での収穫逓増が働いているからである。収穫逓増と取引費用の低減の二つの絡みで、今後、企業の大規模化と小規模化・独立自営化とが同時に混合して進展していくとおもわれる。

 傾向の第2は、ベンチャー企業家の活躍である。かつては、資本の調達が企業活動の最大の制約条件であったが、日本のような資金過剰国では、資金提供者の方が、よい企業・よい経営者を求めて営業している。しっかりしたビジネス・プランと経営の才があれば、今では、資本の調達はさほど難しいことではない。

 ベンチャー企業家は、成功して資本家になるかも知れない。しかし、その本質は新しい事業の創造者であり、価値創造の先導者である。

 途上国では、なお当分、資本不足=労働過剰経済が続く。それでも国内での資本蓄積と国外からの資本移転に連れて、資本過剰経済へとモード転換する国が増えてこよう。

 第3の傾向として、NPO=非営利団体の活動がある。その活動はより活発化し、また社会生活のより多くの場面を覆うようになるだろう。

 NPOというと、環境や福祉のためのヴォランティア活動というイメージが強い。しかし、学校法人や医療法人、各種経済団体も広い意味でのNPOである。これらの団体は、それが生産するサービスの対価だけでは組織を維持できない。寄付や会費、公的資金などによって活動の一部を支えている。その活動原理は、市場における交換でも、国家による再分配でもなく、社会的連帯や相互扶助に基づく互酬にある。

 これら3つの動きは、連動して、資本主義と介入国家の基盤を次第に掘り崩していくとおもわれる。20世紀は、社会主義という実験をのぞけば、資本主義と介入国家とを2本の柱としていた。資本主義では、資本の調達が企業活動を成立させるもっとも重要な条件であった。介入国家では、福祉や教育や雇用維持政策を通して、国家があらゆる個人に手をだしていた。

 いま、この2本の柱がともに変質しつつある。市場経済がなくなるというのではない。市場経済のもとに、資本主義と介入国家の成立基盤が次第に失われていくのである。

 資本主義は、それを直接倒そうとした社会主義との競争には勝利したが、成功そのものの中にみずからの基盤を掘り崩しつつある。情報技術の展開は取引費用を急速に低減させ、組織そのものの優位を掘り崩す。資本の過剰は、資本保有者の特権を奪いつつある。資本は、事業創造能力という、より個人的な属性に頭を下げつつある。そのひとつの典型的な現れがベンチャーである。

 介入国家は、ケインズ政策の失敗により財政的に破綻し、国民に「おねだり主義」をはびこらせて道徳的にも腐敗した。国家という組織は、じつは極めてやっかいな存在である。大企業以上にこまわりが効かないし、意思決定が遅く、すべてにおいて非効率である。そのため、一部では、国家の機能を市場に取り戻そうという動きが見られる。

 規制緩和と民営化は、そうした動きの典型であろう。肥大した国家機能の一部が市場に移管されるのは当然であろう。しかし、市場がすべてを解決してくれる訳ではない。国家にも市場にもできないことを第3の原理に基づくNPOが担いはじめている。いまは小さな変化ではあるが、20年、30年先には資本主義と介入国家に代わる新しい社会の構成原理が目に見えてくるにちがいない。



ホーム  論説・小論一覧  ページ・トップ