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関西からの情報発信
第28回大阪市立大学市民講座、大阪市立大学総合学術情報センター、1999年10月26日。
大阪市立大学経済学部教授
塩沢由典
なぜ、情報発信か
「情報発信」ということばは、よく使われる標語です。「わたしの町も情報発信しなければならない。」とか、「こんどNHKのふるさと紹介に取り上げてもらったので、うちの町もだいぶ情報発信できた。」とか。なんだか、町や村の名前を知ってもらえれば、情報発信ができたかのような話が多いのです。もちろん、自分の町や村が有名になれば、土地に住んでいる人が嬉しいのは当然です。
これと同じレベルの問題を大阪や関西がもっていることも確かです。アジアでは、大阪は、比較的よく知られています。「オオサカ」、「テーバン」、「ターパン」。読み方は違いますが、まあ、多くのひとは知っています。しかし、「大阪」という名前が北アメリカやヨーロッパにいって、どれだけ知られているか。これはかなり寂しいのが現実ですね。たとえば、大阪とシンガポールとは、人口や経済力で、ほぼ似た存在ですが、残念ながら大阪よりシンガポールの方がはるかに有名です。国と都市とでは話が違うというのでしたら、世界の第2都市、たとえば、イタリアのミラノ、ロシアのサンクト・ペテルブルグ、中国の上海とくらべて、どうでしょうか。
大阪が国際集客都市となるためには、まず名前を知ってもらうこと、ついで行って見たいと思われることが必要です。その意味では、国際集客都市にはまだまだ課題が多いと言わなければなりません。
ご存じのように、大阪は2008年のオリンピックに立候補しています。もし、オリンピック誘致に成功すれば、大阪の知名度が飛躍的に高まることは確かです。その意味では、2008年のオリンピックは、またとない都市セールスの機会です。
しかし、今日、ここでお話しするのは、大阪や関西を有名にしたいという話ではありません。「有名なだけでは飯は食えない」という言い草がありますが、今日、お話ししたいのは、情報発信がいかに大きくわたしたちの懐具合に関係しているかという話です。
なにか「風が吹けば桶屋がもうかる」的な話に聞こえるかもしれませんが、じつは情報発信と経済には非常に直接的な関係があります。そのことを分かってもらうために、まず、分かりやすい例を3つお話しします。それから、次に関西の情報発信について、現状を説明します。現実は大変厳しいものですが、逆転の可能性がないわけではありません。21世紀の情報発信について、どう戦略を立てたら、最後にいくらか政策提言めいたことをお話し致します。
ファション・ビジネスの損
情報発信がわたしたちの懐具合にからんでくるという最初の話は、フッション・ビジネスについてです。大阪は、ご承知のように、繊維の町として知られています。かつては東洋のマンチェスターといわれ、近代の大阪を支えたのは繊維産業の発展でした。しかし、現在では、糸や布の生産は大阪の仕事ではありません。特殊な糸を除いて、多くはアジアからの輸入です。縫製(つまりミシン掛け)も、かなり海外に依存しています。それでも、大阪市の「繊維」と「衣服・その他繊維」の製造品出荷額はともに年間2千億円を越えています。
卸売業でみると、この数字はもっと大きく、「繊維品」が6兆7千億円、「衣服・身の回り品」は5兆3千億円となっています。これは大阪の卸売業年間販売額の16パーセントに当たりますから、産業として、まだまだ大きな重みをもっています。
ところで、こんなに売っているから大儲けしているかというと、ここから先は、推定ですが、わたしが思うには大阪はだいぶ儲けそこなっています。それは、大阪にモードを先導する力がないためです。
繊維製品でも、アパレルといわれるもの、つまり見られるために身に着けるものでは、まず第一に、流行かどうか、次にセンスがあると見られるかどうかで、売れ行きがだいぶ違います。感じがよければ、他に比べて30%、50%高くても、それを買ってしまいます。ところが、この流行を先導し、なにがセンスがよいかを決めるに大きな影響力を発揮しているものが、各種のメディアです。
アパレルでいえばファッション誌とテレビです。テレビに出てくるひとびとがなにを着ているかは、一般の人にとって、現在の流行とセンスのよさを見る大きな尺度になります。もうひとつ重要なのは、雑誌です。これは、女性向け・男性向け、若者向け・子供向け・OL向け・ミセス向けといろいろあります。そのなかでも、とくにフッション誌といわれるものがありますが、ファッションに関心の高いひとは、こうしたものをみて時代を読んでいるわけです。こういうファッション誌が多数でているのですが、残念ながら、大阪発の全国誌はひとつもありません。
関西向けの雑誌がいくつかはあります。まず、アメリカ村から出ている『カジカジ』という月刊誌があります。これは、アメ村に集まるような若者向けに、アメ村でどんな商品がどんなように着られているか、紹介する雑誌です。かなりこった雑誌で、今のカタログ文化のなかで育った世代でなければ、退屈してしまいますが、関西ではかなりカリスマ性のある雑誌です。
いわゆる女性ファション誌風のものでは『サヴィー』があります。これは、阪神間のややすました雰囲気をだしています。
それから、東京から進出した『関西ウォーカー』や参入した『関西一週間』という隔週の雑誌があります。これらはいわゆる情報誌ですが、アパレルの商品情報もかなり載っています。ファッション誌とはいえませんが、発行部数が20万、30万という巨大なものですか、影響力はかなりあります。
しかし、これらは関西の外にはほとんど売れていません。したがって、関西にある流行が生まれても、それを全国化していく働きをそれらの媒体はもっていません。全国に現在の流行となにがよいセンスかを伝えるのは、けっきょく、東京からでている雑誌と東京で作られるテレビ番組ということになります。
東京で出ている雑誌でも、関西・大阪が扱われないわけではありません。たとえば、『キューティー』といった中高生むけの雑誌では、アメ村は、原宿とならで日本の2大センターのひとつで、町の先端ファッションというと、雑誌もかなり取り上げています。東西対抗というと、どうしてもこういう対比になります。その意味では、アメ村はかなりの情報発信力をもっています。しかし、そうはいっても、問題があります。ひとつは、モデル、タレント、ヘア・デザイナーなど、プロの登場するページでは、やはり東京が圧倒的に多くなります。もうひとつは、20歳を越えて、仕事をもった女性の世代になりますと、アメ村にはもう求心力はありません。アメ村の代わりに茶屋町がでてくるかというと、そうでもない。大阪や阪神間のOLは、捕まえにくいのかもしれません。
もちろん、個性化された現在ですから、メディアといえども、それだけが流行を作り、ひとびとの感覚を方向付けるわけではありません。メディアは、けっきょく、街の流行を追いかけているのですが、街の人々は、自分の姿を鏡のようにメディアに映して考えています。したがって、メディアをもつ街ともたない街とでは、ある傾向がモードとして認識されるかどうか、流行に育つかどうかに大きな違いが生じます。メディアが取り上げるイメージによって、ひとびとは自分の認識を修正するとともに、強化もしていくのです。
メディアをもたない街は、新しいモードを作りだす力が弱くなってしまいます。東京には、そうした力があるのに、大阪は、繊維の街といいながら、そうしたモードを作り出す力、流行を発見し育てる力がないのです。
その結果、どういうことになるか。
まず第1に、意欲的なデザイナーやアパレル・メーカーが、東京にでて行ってしまいます。といっても、東京は土地が高いので、実際には、横浜にいきます。現在、横浜は、大阪以上にアパレル・メーカーとデザイナーの集まる街になっています。
第2は、大阪でデザインし、製作するにしても、それをうまく流行に載せにくいという事情が生まれます。東京という街で、新しい感覚を磨かないと、日本全体に売れる商品は作りにくいということになります。
第3には、大阪デザインのイメージが低下してしまいます。大阪から次々と新しいモード、ファッションが生まれ、それが全国で注目されるということですと、大阪でデザインされたものにたいする期待が高まります。注目度も上がります。大阪の動きを知っておかないと、流行から取り残される危険があるという雰囲気になるからです。しかし、現在は、大阪はモードを先導するのでなく、モードを追いかける立場にあります。そうすると、どうしても先端という訳には行きません。2番煎じでは、高級な印象は作りだせません。大阪物はどうしても一級下という感じになってしまいます。大阪デザインの商品のイメージが低下し、付加価値がつけにくいことになります。
それから、これは副作用としかいいようのないものですが、もうひとつ、これには東京の雑誌が作りだしたステロタイプが関係しています。東京の雑誌も、ときには大阪を取材して記事にするのですが、大阪にたいしてもつ記者のイメージが、まず「ど派手」といったものでしかありません。で、そんなイメージにぴったりくる場面と人物を写して、「これが大阪だ」とやってしまいます。
大阪の街つまりそこに歩く人々は、東京とはたしかに違うセンスをもっていますが、ただ「ど派手」というのでは誤解です。フランス的な東京に比べれば、大阪はイタリア的といったセンスの違いなのですが、そのよさを見抜く時間も余裕ありませんからステロタイプで済ませてしまうのです。
このような都市の違いについて、デザイナーたちは、非常に敏感です。これは、山本寛斎のような超一流のデザイナーの話ですが(寛斎ではありません)、自分のファッション・ショウをやるのにいくら出費してもいいかという値段があります。それによりますと、パリで2億、東京1億、札幌3千万、大阪6百万という感覚だそうです。馬鹿にされたものです。大阪でファッション・ショウをやっても、メディアも取り上げてくれない、関西のひとびとにも情報が届かないというのです。札幌の方が値が上なのは、北海道は日本でも特殊で服装も東京と同じには行かないからです。
こうした事情がありますので、大阪では、アパレルでうまみのある商売はできません。一般品・標準品を安価に作って売るしかないというのが、一般の傾向です。もし大阪に全国向けのファッション雑誌があったとすれば、2000億円のアパレルに5%の付加価値を上乗せすることも難しいことではありません。それだけでも、大阪は毎年100億円は損をしていることになります。それ以外にも、デザイナーの流出など目に見えない損失がありますから、たぶん全体としては数百億という損失になるでしょう。
これは大変なことですね。大阪人は、すぐソロバンを弾くといいますが、たかが雑誌がないだけで、毎年こんなに損をしているとしたら、よほど考えなおさなければなりません。
マーケティングの損
雑誌を刷っているのは印刷会社ですが、雑誌を作っているのは編集者ですね。テレビの番組を作っているのはプロデューサです。こういう人達が、東京と大阪にどのくらいいるのか。残念なが、あまりいい統計数字がありません。ただ、売上高の比較がありますので、紹介しましょう。それによると、大阪府の雑誌出荷額は全国のわずか1.9%しかありません。それにたいして東京都は全国の89.5%を占めています。じつに大阪の47倍です。編集者の数が売上高に比例することはないとしても、たぶん東京には大阪の30倍の編集者がいるのではないでしょうか。
この違いはなにを生みだすでしょうか。編集者やプロデューサがどんな役割をしているか見ることが大切です。雑誌の編集者やテレビ番組のプロデューサは、記事や番組を作っているのですが、そのためにいろいろなことをしたり、考えたりしています。
まず、テーマを考えなければなりません。いま、なにが話題になっているか。なにがひとびとの興味をひいているか。しかし、これは序の口です。もうすこしプロになると、次になにが話題になるか。これを考えています。そのためにひとびとの考え方・暮らし方・感じ方の変化をじっと追っています。
雑誌を作るには、つぎに人間を探さなければなりません。話題の主題になる人、話題を提供する人、記事を書く人、被写体になるひと、読者の代表。こういういろいろな人を見つけ、かれらに活躍の場を提供するのが編集者です。テレビのプロデューサもおなじ役割をしています。こちらのほうが有名人を作り上げるのは速いのですが、メディアの特性からいって数が限定されますし、話題も一般的でしかありません。これに対して、雑誌は読者がセグメント化されていますから、あるジャンル・あるカテゴリーでは、ずっと専門的だし、掘り下げてもいます。
こういう役割をするひとが東京と大阪で30倍の差があるとしたら、いったい何が起こるでしょうか。東京圏(東京・神奈川・千葉・埼玉の4都県)の人口が32百万人、大阪圏(大阪・京都・兵庫の3府県)が17百万人。東京圏は大阪圏の約2倍以下ですが、一人あたりの編集者の数に直せば、東京圏では大阪圏の15倍近い編集者がいることになります。
すると、まず人を見つけ、育てる働きがぜんぜん違ってきます。犬も歩けば棒ではありませんが、東京では編集者に当たるという具合です。ちょっとおもしろい話題や人間はすぐに拾い上げられます。大阪には、こういう機会が少なく、人材を見つけ、世の中に売っていくひとがいません。新聞やテレビでは、東京と大阪の差は、これほどきつくありませんが、よりたくさんの機会を提供しているのは、特性が別れていて、冒険のできる雑誌です。人を発見し、育て、売り出すというのは、都市の重要な機能ですが、東京に比べると、大阪はどうしてもこうした機能に開きがあります。
上では、編集者やプロデューサたち自身がなにをやっているかを見ましたが、逆にこの人達を利用する機会も当然に増えます。商売ということでいえば、編集者・プロデューサは、マーケティングの絶好のインフォーマント(情報提供者)です。
たくさんの人達に質問票を配ったり、面接したりするより、適切な編集者の話を聞くことで、ひとびとの隠された欲望や、隠された傾向を発見することができます。このことは、新商品のアイデアを考えたり、検討したりしたいときにとくに有効です。多くの人に質問票を配っても、そこに挙げてある質問にしか答えてくれません。あたらしい商品をこんな形で調査しても、被質問者にそのようなコンセプトはないわけですから、自分たちがその商品を待ち望んでいることを答えることもできません。しかし、編集者は、読者にさまざまな形で接し、読者がなにを望んでいるか、どんな話題に興味をしめすか、よく知っていますし、考えてもいます。そうでなければ、雑誌が成功することはありえないからです。
実例をひとつ紹介しましょう。これはおもちゃメーカーのトミーの取締役の柳澤茂樹さんの話です。トミーは、おもちゃメーカーとしては、男の子向けのおもちゃに強い所でした。ところが柳澤さんは、こどもがふたり娘だったという理由で、女の子向けのおもちゃ部門の責任者にされてしまいます。しぶしぶ引き受けた事業だったのですが、そこで柳澤さんは「私は漫画家スララ」というヒット商品を生み出しています。これはトミーでは最初の女の子向けヒット商品だったといわれています。商品そのものは、下絵をなぞる簡単なもので、いってみれば幼児むけのおもちゃですが、このヒントを柳澤さんは雑誌『なかよし』の編集長となかよしになることによって見つけだしています。女の子が将来なりたい職業のトップに漫画家があったことがヒントとなって、小学生向けの商品に仕立てあげて成功したのです。「スララ」の次に当てたのは、「シールメーカー・セラ」という商品ですが、これは雑誌編集者が次はシール・ブームがくるだろうと発言したのを受けて取り組んだものだそうです。
おもちゃは、それほど人に見せびらかすものではありませんが、流行は結構はげしく、当たり外れの大きな商品です。業界では、「千三つ」といって、千に3つもあたればよいそうですが、トミーは雑誌編集者の情報をもとに「百三つ」に近づけることができた。ヒット率を一桁挙げることができたといいます。こんなに効果のあるマーケティングは、なかなか他にあるものではないでしょう。
ところが、大阪では、こうした先を読み、情報を提供してくれる編集者が東京の30分の1しかいない。これは、だいぶ不利ですね。大阪にいては、マーケッティングで当てることもできない、ということになるのですから。
雑誌の編集者たち、テレビのプロデューサたちが考えていることが商品の開発に役立つような業種がどれだけあるのか、わたしにもよく分かりません。しかし、アパレルにかぎらず、旅行や音楽・行楽などの余暇産業や生き方・暮らし方を支える生活スタイル商品などで、雑誌編集者の見ているところ、考えているところがヒントになりそうな商品群はかなりあります。注意すべきことは、これらがいま成長している産業だということです。編集者を見近にもつことは、今後ますます重要になってくるでしょう。いくらかと推定することはできませんが、この面でも、大阪はだいぶ損をしています。
新産業創造の損
雑誌の編集者は、いつも次にくるものを考えています。テレビや新聞の方が、発行の間隔が短いし、先端的なことを追いかけていると誤解している方はいませんか。テレビや新聞は、多数の視聴者、多数の読者を相手にするものですから、ある話題・ある現象・ある人物がかなり多くのひとに注目されるようになって(あるいは、その可能性があると判断されて)、初めて取り上げられます。
雑誌にも、10万、20万という部数を数えるものは、テレビや新聞とほぼ同一とみてよいでしょう。しかし、雑誌には、たくさんの種類があります。本屋さんの店頭で売られているものでも、3千種類くらいあります。発行部数でトップの500に入るというのは、結構たいへんなことです。たとえば、学生向けの雑誌で、『法学セミナー』・『経済セミナー』といった雑誌がありますが、『法学セミナー』は500位に入りますが、『経済セミナー』は500位に入りません。しかし、案外いろいろなところで、わたしたちは500位に入らないような雑誌を目にしているのです。
ところで、このような雑誌は、部数が少ないだけ特化した読者をもっています。スポーツ関係では、野球・サッカー・ゴルフにとどまらず、バスケットボール・卓球・バレーボール・ラグビーなど、ちょっとした広がりのあるスポーツでは、みなそれぞれそのスポーツ専門の雑誌があります。
店頭に並ばない雑誌もあります。日経BP社の雑誌は、30種類もありますが、基本的には定期購読・郵送です。『日経ビジネス』などは例外的に店頭にもおいてありますが、それ以外は、定期購読です。こうしたもののなかには、たとえば『研究開発マネジメント』なんていうものもあります。エンジニア向けのものでは、学会の機関誌かと思うようなものもあります。
こういうものも含めると、定期刊行されている雑誌が8千種類はあるというのです。どのくらい細分化されているか、想像してもらえると思いますが、こうなるとどの分野にも、なにか新しい動きを探っている雑誌編集者がいることになります。新しい話題・現象・考えなどは、たいがいこうしたひとたちの網に引っ掛かって、まずは小部数のメディアに登場し、それが他の編集者の注目をひいて、別の雑誌・媒体に載るという形で、だんだん広がりをもつようになります。
さいきんは、よく「先端」ということがいわれます。先端の話題だとか、先端の技術だとか。この先端というのは、さきがとがった端という意味ですから、後にメジャーになって、多くのひとに注目され、話題に上るにしても、それが本当に先端であるのは、じつはそうなるまえの、日本でいえばせいぜい20人とか30人程度の人が「これはおもしろい」と思って、考えを温めているときなのです。編集者は、こういう状態のときに、すでにアンテナを張っています。本当に20人か30人の内は、少し様子を見ているでしょう。それがある広がりをもちそうだとか、紹介すればより広い範囲の関心を引き付けうると判断すれば、そのときには記事にします。場合にはよれば、特集のテーマにするかもしれません。そうすると、千人・2千人のひとが関心をもち、さらにそれが広がると何百万人の話題になります。
ところで、ここで問題にしたいのは、雑誌をもたず、編集者のいない大阪では、100人以下の人しか関心をもたないような時期の先端の話題には、よほどの幸運がなければ触れる機会がないということです。
これは、そのような話題が関西に少ないという意味ではありません。手前味噌な話をするなら、わたしは1985年から経済を複雑系として見ることを提唱してきました。1990年代の前半、関西はこの複雑系のある種の中心だったのです。神戸大学には池上高志、大阪大学には辻徹がいました。京都大学には、複雑系を準備したカオス研究では、山口昌哉・上田院亮・池田研介などといった壮々たるメンバーがそろっていました。複雑系は、あるきっかけで、日本では1996年に急にブームになり、いまではほとんどのひとが知っているか、すくなくとも耳にはさんでいる話題です。しかし、1990年には経済学でこの問題に取り組んでいたのは、たぶん3人ぐらいしかいません。物理学や数学などをふくめれば、日本で複雑系に関心をもっていたひとは100名ぐらいはいたかもしれません。これが一般のひとの目に触れるようになるのは『数理科学』とい雑誌が最初でしょう。1991年には「複雑系」の特集をやっています。ただ、この特集をみて、将来のブームを予想するというのは、普通のひとには無理ですね。ただ、こういう特集をくんだ編集者なら、ある程度の推測はついたと思います。この時期、雑誌や単行本で「カオス」がブームのときですから、次は「複雑系」という勘は働きうるからです。ただ、いつ機が熟すか予知することは難しいですね。複雑系の場合、けっきょく、ブームに火を点けたのは、1986年6月に翻訳されたミッチェル・ワールドロップの本が意外によく売れているというので、すぐ追いかけて11月に特集を組んだ『週刊ダイヤモンド』と月刊の『現代思想』でした。
複雑系のブームで分かることは、ブームの前に非常に長い助走期間があるということです。大阪が不利なのは、この助走期間の内の情報が手に入りにくいということです。関西には、複雑系の研究者はたくさんいて、セミナーなども開かれていたのですが、それはそういうことに関心をもつ限られたひとの間に止まっていました。そういう話も、編集者たちは、いつ記事にするか、どんな特集にするか、そうとしたらだれに頼むか、考えています。こういう人達と付き合いがあるかどうかで、あるテーマについて最初に接するのがいつになるかが5年も10年もずれてしまいます。
なぜこんな話をするかといいますと、新しい産業の種も、同じような構造になっていると考えられるからです。関西は、戦後から20年ぐらいは、新しい業態を次々と生み出す、大変活発な地域でした。ある調査によると、75の内の45、つまり60%までが関西発であったといいます。ところが、80年以降、どうも関西は、新しい産業を起こす方面でも、出遅れぎみなのです。関西国際広報センターが出している『関西の"ベンチャー"ビジネス』というパンフレットがあります。そのなかに「関西生まれの新商品」という年表があるのですが、60年代に12商品、70年代に9商品載っているのに、80年代はわずか4商品に落ちています。80年代以降、経済のソフト化で、モノとしての商品ではなく、各種のサービス業が伸びてきているのですが、こちらの方もどうも東京の動きの方が活発なようです。
このあたりの説明はいろいろあります。中央政府や大会社の本社があり、新しい事業がしやすいとか、大阪はモノしか評価せず、無形の情報やサービスにお金を出さないために、新しいサービス業が伸びないとか、いろいろいわれています。こうした要因が働いていることはたしかでしょうが、わたしはそこに雑誌の編集者やテレビのプロデューサ、シンクタンクの研究員など、時代の先を読みことを業としている人達の厚みの差を上げることもできると考えます。東京の方が、あたらしい商売の種を見つけやすい構造ができ上がってしまっているのではないでしょうか。
関西からの情報発信/現況
これについては、いろいろなデータを見ていだいたらよいのですが、簡単にまとめますと、次のようになります。
新聞(全国5大紙、どこで記事が書かれたか)
東京 76% 大阪 9.4%
大阪発の情報が5%を越える府県19(大阪府を含む)
テレビ(民放の全国ネット:放送時間の約55%)
東京発 81% 大阪 9%
大阪発の情報が10%を越える府県 6
同 5%を越える府県37
テレビ(NHK総合の全国中継、定時番組のみ)
東京 95% 大阪 2%
雑誌(定期刊行物、出荷額)
東京 89% 大阪 2%
海外マスメディアにおける発信量(新聞・雑誌・配信・映画などの件数、1991)
東京 85% 大阪 2%(京阪神3市 3%) 広島 8%
大ざっぱにいいますと、大阪は東京のテレビで9分の1、新聞で8分の1、雑誌で45分の1といったところになります。
関西と関東を比べると、人口で関東は関西の1.6倍、経済規模で1.9倍といった違いです。東京の半分程度の情報発信力をもっていてもいい筈なのですが、現実はきわめて寂しい状態です。
こうなってしまった原因のひとつに、関西の経済界としての戦略上の失敗があります。はネット化が進む時代に広告を東京局に集中するという大きな過ちを犯したからです。そうではなくて、関西企業は関西のキー局に広告を出し、関西のTV局がそのお金で番組を制作して、それを全国ネットに乗せるようにすれば、関西の経済規模からいって、ネット番組でも20%程度のシェアは確保できたはずです。
ところで、「どこから発信されようがいいではないか。おなじニュースなら、どこから流しても同じ価値をもっている筈ではないか。」、こういう考えをもっていらっしゃる方がいるかもしれません。本来はそうでなければならないのですが、じっさいには大違いです。地方から東京に配信された記事は「上り記事」といって、その日の編集担当デスクにとっては一段価値の低いものに思われてしまいます。自分や部下が苦労して取った情報は、どうしても扱いが大きくなるのでしょう。事件性の小さなものでは、この傾向はもっと強くなります。おもしろい、先端的な現象はすべて東京から始まるという思い込みが記者や編集者にあるのかもしれません。
情報発信の現状がこんな状態ですから、企業で新製品や新技術の新聞発表などをするときには、大阪ではなく、東京でやることになります。関西に本社のある会社でも、広報担当の主力は東京にあります。
こういう事情ですから、関西で事業をおこしても、なかなかニュースにはなりません。東京で注目されれば、すぐにその商品やサービスが全国に紹介されるのに、関西発ではよほど全国に広がるか、東京で当てるかしなければ、そういうことになりません。これは大阪や関西で事業を起こすときに大変不利になります。さきに新事業を起こす種になる情報が遅れるという話をしましたが、新事業を初めても、その商品を広めるにも不利な部分があるのです。
しかし、悪い事ばかりではありません。『毎日新聞』の経済部などでは、大会社を相手にしていては大阪本社の存在意義がなくなるというので、ベンチャーの動向紹介に力を入れると言っています。こうなると、東京にいって巨大な企業の間にかすんで今っているより、大阪にいて関西2200万を相手に十分商売を発展させてから、日本全体・世界全体に展開するということも考えられます。
新聞に関しては、『朝日』『毎日』『産経』ともに大阪が発祥の地で、5大紙とも大阪本社をおき、紙面構成もしているのですから、大阪の記者たちが頑張ってくれれば、大きな可能性があります。
情報発信の重要性については、経済界も地方政府も気がついています。BSという放送衛星放送でも、関西に1チャンネルという運動を起こしましたし、CSといわれる通信衛星放送では、現に関西に基地をおくチャンネルがいくつかあります。たとえば、726チャンネルは「京都チャンネル」で、あきあきするほど京都の紹介番組をながしています。外国人のための放送てば、FMCoCoLoがあります。時間帯を分けて14カ国語で放送されているそうですが、これも経済界の提唱で実現したものです。この種のものとしては、東京より早いのです。
さらに、他のどこにもない試みとして、関西情報発信機能強化推進協議会という長い名前の団体が関西の地方政府や、経済団体、企業などによって設立されています。あまり長い名前なので、「関西国際広報センター」と略称するのですが、それでもまだ長いですね。これは、関西のニュースを世界に流してもらうことを目的にして作られた、他には世界のまだどこにもないという公益団体です。KIPPOという英語と日本語のニューズ・レターを毎週作り、東京の外国メディアの支社・特派員や、アジアの一部報道機関などに配信しています。その他、東京や外国から記者を招待して、関西紹介のツアーをくんだり、取材協力したりしています。さらに、先に紹介したパンフレットを含む『関西アラカルト』といった紹介もの、さらには『関西便利帳』なども日英併記で出版しています。
東京に進出でもしないかぎり、なかなかニュースになりません。いろいろ頑張っているのですが、効果の方はどうでしょうか。イギリスの『ファイナンシャル・タイムズ』やフランスの『ローロール』紙などには、関西特集がされています。しかし、毎年という具合にはいっていません。
21世紀への提言
関西も、ただ手をこまねいているだけでないということを紹介させてもらったのですが、まだまだ課題が多いことも確かです。
アパレルだけで、毎年100億も損をしているとしたら、大阪の業界が協力してそれに見合うだけのお金を出せば、かなりのことができます。大阪の商人は、大きな算盤を弾いてほしいものです。
たとえば、全国向けの女性誌をだすのにどのくらいのお金がかかるか。コンセプトを作り、広告を集め、しかるべき宣伝をして、準備に相応の時間を掛けるとして、一誌3億円あれば、かなり話題性のある月刊誌ができます。もし、一年に100億円掛けるなら、30誌以上が発刊できるのですから、これは大事件となります。思い切ってこれぐらいのことをやってほしいものですが、それが無理としても毎年一誌ぐらいは発刊のために資金を出してもいいのではないでしょうか。これは最初の発刊の話で、軌道に乗れば独立採算で行けます。もしうまくいかなければ廃刊にしてもいいのです。雑誌は、毎年、200誌以上発刊されて、150誌以上廃刊になるという、多産・多死の世界ですから、一誌だけで成功という訳にはいきません。
わたしは大阪にエディターズ・ハウスを作ったらどうか、という提案をしています。簡単にいうと、100個分ぐらいのマンション1棟をたてて、60社ぐらいの出版社を社長さんの自宅付きで誘致しようという話です。上層階を社長たちの自宅、といっても賃貸マンションにし、下の階に編集事務所として45平方メートルも確保すれば、小さな出版社むけには十分です。一棟30億円もあればできて、それで出版社60社も誘致できるのですから、いい投資と思いませんか。家賃も少し安くして、その代わり5年たって、採算に乗るようになったら出ていってもらい、空き部屋には新しい会社を誘致します。
60社ぐらいというのは、新たにこれくらい出版の集積ができれば、配本システムも変わってくる可能性があるからです。いまは、関西で作って関西で売る本でも、書店で売るものはいったん東京の取り次ぎまで運び込んで、そこから逆送しています。運賃もかかるし、日数もかかるので、週刊誌はこれで無理となります。いま関西ででている週刊誌が『釣りサンデー』だけなのは、こうした背後の事情がからんでいます。
本の流通卸は、トーハン(東京書籍販売)・日本書籍販売が2大ガリバーで、そのあと大阪屋などがくるのですが、関西をエリアとする大阪屋でも、本の受け入れは東京一本なのです。これを変えられるだけのボリュームがほしいのです。
60社も来てくれるか、という疑問もありますが、それは大丈夫です。出版社の人間は、けっこう会社を変えますし、独立しようと考えているひとも多いのです。住職接近なら、週に一回東京に出掛けても、時間的な余裕はあまり変わりませんし、関西での著者開拓ができるのですから、悪い話ではありません。
大阪商工会議所がこの話に乗ってくれれば、大阪市はきっと腰をあげてくれると思います。
21世紀の課題としては、映像メディアの動きに注目しなければなりません。テレビ放送は、地上波もBSも、けっきょく、すべて東京に取られてしまったのですが、CSとケーブルテレビ(CATV)とは、100チャンネルも可能になるのですから、関西がその気になれば、20チャンネルぐらいねらってもおかしくありません。採算に乗るのか、コンテンツがあるのか、といった心配の声をときどき聞くのですが、そういう人達は、現在のテレビ放送と同じような番組を考えているのではないでしょうか。しかし、100チャンネルもあると、その大部分は、0.1%も視聴率がとれません。平均0.01%なんていうチャンネルもでてきます。それでも採算に乗るような番組制作が必要なので、東京で今やっているような方式では絶対に採算にのりません。
ペイ・パー・ヴュー(番組ごとの視聴料徴収方式)でいくのか、広告でいくのか。お金の集め方で同じ0.1%でも一本の番組にかけられるお金が違ってきます。しかし、比較しやすいように、広告を主要な収入源とする運営方式を考えて見ましょう。いま、現在の地上波放送が、10%の視聴率を目標にしているとしたら、0.1%を目標にするCS放送では、一本あたりの予算はこれまでの100分の1にしなければ採算にあいません。これは、ちょっとやそっとの費用削減ではけっして実現できません。
どうしたらそんなことができるのか。みなさんはヴィデオ・ジャーナリストという言葉をご存じですか。ヴィデオ撮影機を一台もち、一人で取材して、編集して、テレビ会社に売っている人達ですが、これからの番組は、こうしたウィデオジャーナリスト的な制作が必要になります。たとえば、ひとりで出掛けて、あるひとを2時間インタヴューして、編集して30分ものの番組を作ってしまいます。こうした番組制作を徹底すれば、100分の1という予算で採算のとれる放送になります。
現在の番組制作は、これとは反対の方向に走っています。ひとつの番組をつくるのに、制作スタッフだけで最低10人は使っています。わずか30秒のVTR撮影のために、インタヴュアー・カメラマン・アシスタントと最低3人が出掛けていきます。大人数でクルーを組んで制作する方式なのです。出演者についても、同じような考えで、ちょっとした人気番組では、カメラの前に5・6人は並べていますね。1時間番組でも、集計して2分か3分しかしゃべらないような解説者やタレントを配置して、高いギャラを払っている。視聴率を上げるには、これは安易ですが、安全な方法なのです。みな好みのタレントがいますから、たくさん並べておけば、ちょっとみてみようということになります。しかし、これだけお金を掛けても、中身がとくにおもしろくなったり、濃くなったりするわけではありません。あまり冒険ができなくなって、どの局の番組も同じようなことをやっているという状況があります。
予算を100分の1にして、10%もの視聴率を取る番組は作れません。しかし、そんな番組を作る必要はない。少数の人をターゲットにして、その人たちが堪能できる深い内容の番組ができればよいわけです。そのためには、番組制作だけでなく、放送局の運営から経営理念まで、全体として変える必要があります。
こうした大革新は、東京ではやりにくい。いままでの慣性があり、制作関係者も、お金をじゃぶじゃぶ使うことに慣れてしまっている。だから、大阪で新しく始める方がやりやすいのです。
テレビ局も、はじめは各地方ごとに放送認可になって、最初は独立していた。それが全部ネット化されてしまったのは、テレビにはお金がかかり過ぎたからです。ラジオがネット化しなかったのは、テレビにくらべればはるかに安い費用で1時間あたりの番組ができるからです。しかし、100チャンネル時代のテレビは、もういちど大変革を遂げなければなりません。それがチャンスになります。
21世紀には、もう一度、映像で関西が巻き返すということも不可能ではありません。むしろこうした時代には、東京より有利だともいえます。0.1%の視聴率が目標になる世界では、背後にある文化の蓄積が大きな力になります。その点、関西には、国宝などの文化財も多く、学問も文化も芸術も伝統があります。「家元訪問」なんていうシリーズだけで、関西では1000回分の番組ができます。10%の視聴率を取ろうとしたら、関西には「お笑い」しかない。しかし、0.1%の世界では、関西は東京に十分対抗できます。ただ、0.1%のチャンネルですから、関西で1チャンネルもてばよいということにはなりません。関西経済が日本の20%を占めるとしたら、100チャンネル時代には関西が20チャンネル分ぐらいはもってもよいし、それくらいの目標をもたなければいけないでしょう。
うした放送局がたくさん出現するようになれば、地上波のテレビ放送がこんどは危機におちいる可能性まであります。いまの時代に、10%もの人が見ている番組なんて、だんだん「ダサイ」ものになる可能性があります。そんなことも視野にいれながら、今後の関西の情報発信構造を考えてもらわねばなりません。CSやCATVの普及やディジタル化、マルチメディア化と、いま映像の世界は大変革期です。大いに挑戦してやろうという企業家が出てほしいものですし、地方政府や経済界、視聴者も、戦略的に考えて、その試みを支援してほしいと思います。
(原稿:1999.10、字句訂正2007.11)
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