この報告は『Marxism & Radicalism Review』No.31に掲載された。
それ以外では、小路田泰直さんの「網野史学における国家への関心」です。これで網野さんのことがよく分かりましたし、最初に目指していたものが後半期にぼやけてしまったと言うあたりが、うまく指摘できていると思いました。それから鈴木謙介さんの「アナーキズムから社会-主義へ」というのも面白く読みました。あまり感心できなかったものとしては、斉藤日出治さんの「社会的個人と自己内省的個人」があります。斉藤さんとは個人的な交流もありますので、あまり批判的なことは言いたくないのですけれど、ただあのスタイルで考えていってどうなるのかとは考えます。つまりひとつのキーワードをひたすら検討するというスタイルで、どこまで深い考えが構築されえるのかという点に疑問があります。この場合は、「社会的個人」ですが、斉藤さんの先生である平田清明さんも「個体的所有」というマルクスの一語だけを取り出して延々と議論された。それでこの語と概念がよみがえったということは評価されねばなりませんし、それに賭けるファイトと意気込みには感心しますが、そこから何が出てくるのか考えないといけないと思います。
簡単にいうと、それでは夢想の世界を築くだけではないか。これが私の印象というか懸念です。現在、社会主義や資本主義に代わる何かを求めようとする人たちは、しばしばこれと同じスタイルの考え方をしているのではないか。分かりやすい例では「アソシアシオン」をマジックワードにしている人たち、松尾匡さん、柄谷行人さんなどがそうです。あれが社会科学的な思考と言えるのかどうか、わたしには疑問です。
『マルクスの遺産』の中でもふれたと思いますが、論文のひとつに「マルクス経済学の作風」というものがあります。宇野弘蔵と宇野学派を取り上げたものです。宇野弘蔵さんのことは好きですけし、宇野派の人たちにも近しい感情をもちますが、宇野派の考え方、宇野さんの捉え方にもいろいろ問題がある。一つの理論が形成・発展していくのでなく、ある時点で完成したものと捉えられている。これは、残念なところです。理論を形成されていくべきもの、進化・発展するものとして捉える考え方が必要だとおもいます。そうでないと、日本の現実の中から新しい社会科学の種が生まれ、育つことはありません。宇野さん自身は、そういうことを実現された方なのに惜しいとおもいます。理論を形成されていくものと考えたときには必ず作風というものが関係するだろうと思います。
まず今日呼んで頂いたきっかけになった『マルクスの遺産』についてお話しします。文庫本なんかのシリーズにあったものはともかくとして、2000年から2002年頃まで、町の本屋さんの店頭からマルクス関連の本がほとんどなくなってしまったときがあります。けっこう大きな本屋さんでも、見かけなくなった。マルクスを主題とした新しい本がほとんど出なくなって、人々もマルクスに関心を示さなかった。そういう時代だったのだとおもいます。当時そのことを分かった上で、この本を出そうと思っていたわけでもありませんが、一冊だけ孤立してポツンとあるような感じになりました。今はだいぶ違いますね。
1991年頃から十年間ぐらいは、マルクスに関係した人たちが自分の本としてマルクスについて議論することことを忌避していた時代だろうと思います。そういう時代にこういうものを出したことに意義があったと思います。しかし、中味については平凡なものです。2000年という時点において、つまり21世紀を直前にした時点でマルクスの総括をきちっとやりたいと思いましたが、結局それはできなかった。18章を書いた段階で大学院生に読んでもらったのですが、「この本に書かれていること、書いてこられたことと、研究開発のマネージメントとかベンチャーだとか先生のやっていることと何の関係があるのか。そのことに、どこにもふれていないのは不誠実だ」と言われました。で、最後の解説の部分、「現在の思想」というものを書きました。しかし、これはマルクスの総括というよりも、なぜ私の考えが変ってきたかということが主になりました。
思想の上での私の先生である鶴見さんがずっとやってきたのは、戦前の転向をどう考え直すかということです。戦中戦前の転向は警察権力に強制されたものですけれども、1990年から2000年にかけての転向は、そういう物理的な力ではありません。今まで当然存在し続けると思われていた20世紀の社会主義が、突然ほとんどのところで倒れてしまう。その中でどう考えたらいいのかと皆大きな戸惑いを感じ、ある人はもう考えることをやめてしまったのではないかと思う。しかし、こういうときにこそ、自分はどういうことを考えてきたかということをきちんと表に出すべきじゃないかと思います。それができただけでも良かったと、藤原書店には感謝しています。もちろん、そうしたのはわたし一人ではありません。今日、会場にいらっしゃる岩田昌征先生もそういうお仕事をされています。しかし、多くの人は「昔は昔」という感じで、今どう考えているのかについて議論されなかった。そうした風潮に一石を投じる意味で『マルクスの遺産』は意義があったとおもいます。書評の中で田中真人さんから「マルクス経済学の負の遺産を抱え込む総責任者のような筆致」と揶揄されてしまいましたが、ちょっと気負った気持ちがあったのはたしかです。ただ、内容としてはあまり成功はしていない。気持ちだけですね、評価できるのは。
マルクスについては「これこそが真の解釈だ」とか「通俗的な理解は間違っている」とか、いろんな解釈があふれていますが、わたしは「真のマルクス」があるという立場をとりません。ソ連で理解されていたものも、日本の戦後、共産党の人たちや新左翼の人たちのものも含めて、普通の人たちが理解した解釈こそが生のマルクスに近いのではないか。それをとっぱらった「真のマルクス」という考えはマルクスをかえってゆがめていると思います。マルクスにはいろんな意味での限界がある。でもそこから我々が何を学び、その先につなげていくのかということが重要ではないかと思います。先ほど大塚さんの話をしましたが、彼の柳田國男に対する態度のようなものが、マルクスについても必要です。マルクスのダメなところ、時代にのみこまれているところ、そういうものがいっぱいある。でもその中で自分が考えていくにあたってヒントになる人としてマルクスを取り上げる。それが必要だろうと思う。この本を出したときの私の気持ちはそういうものでした。
なぜ複雑系経済学・進化系経済学にたどりついたか、なぜいろいろなことをやっているのかは、この本の中にありますので読んで頂ければと思います。
稲葉さんがどういうことを言っているかというと、「はじめに」のところで彼の意図を説明しています。高須賀義博先生の『マルクス経済学の解体と再生』という本があります。1985年の出版です。私自身もこの本の「スラッフィアンとの対話」というところで高須賀先生に質問して答えてもらうという形で関わりましたが、実はあれは本当の対話ではありません。「対談でやるのは苦手だから、お前が全部質問書くんだったら、答えてもいい」ということで、いくつか予想される質問を書いて、その後で答えを書いてもらったというものです。ですから答えに対して反論しているわけでも、あの中で議論しているわけでもありません。ただ高須賀さんは当時「マルクス・ルネッサンス」ということを言われていた。日本のマルクス主義とマルクス経済学は、歴史も長いし、層も厚いし、理論的な蓄積もある。しかし、簡単に言えば袋小路に陥ってしまっている。ところが、1968年以降アメリカとヨーロッパでは、アカデミズムの中にマルクス主義が入り込んだことによってマルクス主義の再生が起った。このことにもっと真剣に受け止めるべきだ。高須賀先生は、こういう立場でした。
欧米のマルクス経済学に学ぶと同時に、たぶん高須賀先生は自分たちの作風も変えなきゃいけないということを言ったのだろうと思います。稲葉さんの言葉で言えば、日本のマルクス経済学への苛立ちというものが高須賀さんにはあった。稲葉さんも、松尾さん、吉原さんも『マルクス経済学の解体と再生』を読んで、ある種の転機になったと言っていますから、その意味では影響力のあったものです。私自身にとっては、それほど大きな衝撃を受けたものではなかったのですが、高須賀先生には、76年ぐらいから、わたしが京都大学の経済研究所で助手をしている時代から、何度も一橋に呼んで頂いたりして、いろんな話をさせてもらいました。マルクス・ルネッサンス、またはスラッファを含めて、経済学の主流の新古典派経済学とは違う何ものかをつくろうとする点では、仲間のような立場にいたかと思っています。ところが高須賀の問題意識を引継ぎ、「未完の「マルクス・ルネサンス」の継承をはかりたい」という稲葉さんが、その先にどういうことを言うかというと、そこがわたしとまったく反対なのです。
「今回はあくまで、高須賀の衣鉢を継ぐような仕事の細い糸をたぐり、なんとか『解体と再生』の問題意識を引き継ぎたいし、それが必要だよと、みなさんに訴えたい」(『マルクスの使いみち』「はじめに」稲葉振一郎p.12)
こういうことをきちんと今も考えるということは偉いものだと私も思いますが、そのすぐ後に、こう言っています。
「経済学に関していえば、「近経」=正統派、つまり新古典派経済学の土壌に乗っておくべきである。そのなかでできること、やるべきことは十分あるのだから、それをやりましょう」(同)
これが高須賀の立場と『マルクスの使いみち』の立場とのはっきり違ったところだと言っています。たんに違うだけでなく、これでは180度方向が違うのですが、これが稲葉さんにとって高須賀の問題意識を引き継ぐ道だというのです。
ところで、その後が、なぜか突然、私への批判になります。「複雑系経済学、進化系経済学・・・[が]新古典派経済学全体に対する、総体としてのオルタナティブになりうる、という希望はもう捨てましょう」(pp.13-4)と言われる。塩沢はまだこのようなものが可能であるかのごとき言説をふりまいているのはケシカランというのが裏の含意だと思います。それで結論的には、「人文系インテリに対して、〈なぜ、いまあえて、新古典派の土壌にとどまり、数理分析をコアに据えたマルクス主義なのか〉を納得いく形で説明する」(pp.19-20)これがこの本の意図であるし、やっていることだとあります。
ここまで言われると私自身が彼らの主張にどう応えるのかという問題があります。もちろん、いろいろ言いたいことはありますけれど、せっかくでた本の営業妨害になってもいけないので、この本が出たときにはだまっていました。しかし、もう一年以上経つし、きちんとコメントしておくべきしょう。
少し業界内部の議論になりますが、経済学というものをどう捉えるのかということが第一の問題になります。参考文献として松嶋敦茂さんの本(松嶋敦茂『現代経済学史1870〜1970/競合的パラダイムの展開』名古屋大学出版会)と大田一廣さんたちの本(大田一廣・高哲男・鈴木信雄・八木紀一郎編『経済思想史/社会認識の諸類型』名古屋大学出版会)の2冊をあげておきました。これを読んでいただければこれから私が申し上げることをおおよそ理解していただけると思います。簡単に紹介しますと、こういうことです。
19世紀の終わりぐらいから、経済学には二つの大きな考え方の流れがある。ひとつは主流の新古典派経済学にたどり着いた「均衡」という概念を中核にして理論を考えようとするもの。もうひとつが、マルクスが強調した「再生産/循環/過程」という概念に手がかりを得ようとするものです。循環というのは非常に考えは古くて、ケネーまで遡ります。過程という概念については、この概念を社会科学の中に取り入れたことは重要だったと、『資本論』のフランス語版第一巻にマルクス自身が注を付けています。均衡 vs. 再生産/循環/過程 という対立が百年を超えて続いている。
もうひとつの論点は、価格調節についてどうか考えるかです。価格を独立変数とする需要関数・供給関数が存在して、需要と供給が一致するところ価格と取引数量とが決まるという考え方です。これは古典派の時代にも厳然としてあって、マルクスにも一部そういう考えがあります。中学校でも教えられます。岩田昌征先生は「バッテン・イデオロギー」と呼びますけれども、需要曲線と供給曲線が交わったところで価格と取引数量が決まるという考え方です。それに対して、古典派には正常価格という概念が別にあった。マルクスは、これを「生産価格」と捉えなおしていますが、正常価格といったものがあるという考えをずっと引きずっています。これが現代では数量調節という概念にまでつながっていく。ケインズがどう考えていたかという中味にまで入るとうるさいですが、ケインズ自身はいろんな意味で数量制約のある経済、数量制約が重要な経済を考えていた。そのひとつの表われが非自発的失業の存在というものになるわけです。こういう流れがある。
こういう、経済の見方の対立があって、それが学説史的にいうと、古典派 vs. 新古典派という対立となる。この話をきちんとおうには、一冊の厚い本が必要です。松嶋敦茂さんの本は、それぼと厚くはないけれども、非常にうまく書かれていて、対立も、歴史の流れも鮮明です。そういう意味で、一番分かりやすいかもしれません。とにかく、経済学にはこういう二つの大きな流れがある。
そのことを踏まえたうえで聞いてほしいのですが、こうした状況にたいし、稲葉さん・松尾さん・吉原さんは、マルクス経済学はいろんなことをやってきたけれども、やはりやり方が不十分だった、道具のできがよくなかった、もっと新古典派の土俵のうえでやらないといけない、そうしなければマルクス経済学は発展しないと考えている。
わたしはこれには反対です。稲葉さんたちは、分析装置から経済の捉え方まで新古典派でやって、社会的イデオロギー部分にだけ、マルクスをもってこようとしている。新古典派の手法を使うことに反対だといって、経済学に数学を取り入れることについて反対しているわけではありません。問題は、彼らが数学的な経済学、分析的な経済学をやりたいと言っているうちに、方法論的にも、経済をどう把握するかの点でもズブズブになってしまって、結局新古典派の枠内でやればいいじゃないか。むしろ、新古典派でなぜわるいか、と開き直ったところがある。それは、わたしに言わせれば、経済学の大きな流れを見損ねたものでしかない。かれらのような考え方・態度のとり方では、圧倒的なパワーをもって存在している現代の主流派の磁場の中にのみ込まれているだけではないか。そうわたしは思います。そうではなくて、もう一度この経済学を逆転するにはどうしたらいいかということを考えなければならない。1970年代には、こういう話は多かったのです。新古典派の人たちまでパラダイム論を言っていました。最近はほとんどそういうことを言う人がいなくなってしまいましたが、私は今でもパラダイムの転換というのは必要だと思っています。
市川惇信という工学者がいます。『ブレークスルーのために/研究組織進化論』という薄い本をオーム社から出しています。この「進化論」という名前にひかれて読んでみましたが、ブレークスルーをどう生み出したらいいのかという点でいろいろ考えていて、私にはいろいろヒントになりました。ブレークスルーが生まれる条件をいろいろあげていますが、そのひとつの必要条件として「現在の体系の限界がみえること」と言っています。経済学でいえば、現在の新古典派経済学の限界がみえることと言っていいと思います。
稲葉さんたちにしたら、まだまだ新古典派経済学は発展しているということになるのでしょう。1970年代の前半に新古典派に対するすごい批判がわき出した。しかし「それからもう30年経って、新古典派は、すごく進歩・発展した。だから70年代の批判は無効になった」、こういう言い方をする人がいます。市川さんの念頭に経済学のことがあるわけではないのですが、市川さんはこれに対して、ちょうど次のように言っています。現在の体系の限界というのは、今ある限界のことではない。ブレークスルーというのは「体系が完全に行き詰ってから、飛躍的変異が起るとはかぎらない」。ブレークスルーを起すためには「体系が現状でもっている能力でなく、限界としてもつであろう能力」を知らなければいけない。こう言っています。
経済学に引き付ければ、新古典派はまだ理論的成長余力をもっているかもしれない。でも彼らがもっている大きな枠組み、均衡理論を方法の基礎におくという基本の構図から当然生じてくる限界があり、それはある程度、予想可能です。それをみた上で、この体系を更に進めようと思うのか、そうではなくて別のところへ進む努力をはじめるべきだと思うのか、そこが問われていると思います。私は別の努力をはじめるべきだと思うし、その大方の方向性はみえていると思っていますが、稲葉さんたちにはこの限界がみえていない。だから新古典派内に留まらざるをえない、あるいは喜んで止まろうとしている。そういうことではないかと思います。
吉原さんがウェブページで『マルクスの使いみち』について書いています。『Analytical Marxism』という本が出たときに、ある合評会で、わたしは吉原さんの「分配的正義の理論への数理経済学的アプローチ」を批判したことがあります。それは本当は、吉原さんの批判ではなく、かれが推奨していたレーマーの考えの問題点を指摘したものです。それに対して、吉原さんは、塩沢が中の論理を考えずに超越的な批判、「文脈から離れた批判をおこなった」という印象を受けたのでしょう。「あいつはまともに論文ひとつかけないやつだ」といった悪口を書いています。本の本文では言っていないか、削られたかしたのでしょうが、WEBにはこういう文章を載せていました。
こういう印象をもつのは、残念ながら吉原さん自身の勉強不足もあると思います。私の本に『近代経済学の反省』があります。その第6節に書いた「マルクスの搾取論」というものがあります。ひとつの節ですが、普通の章よりよほど長い70ページ近い論文です。1970年代にマルクスの基本定理が頻繁に議論されたが、これに対して根岸隆先生などが、なぜ割引率を0と仮定して議論するのか。同じ論理でも、割引率を考慮すれば、搾取はなくなる。こういうことに搾取論の人たちはどう考えるのか。こういう批判を出されていた。根岸先生は、ケインジアンですが、新古典派の論理がよく分かった人ですから、当然、こういうジャブが出でくる。マルクス派以外からのこうした批判を考えた上で、マルクスや後のマルクス経済学者たちがやったことを深く検討すると、搾取論というのは、剰余労働があるとか、不払い労働があるというだけでは完結しない。必ず「説得的定義」という問題がある。こういう提起をその論文の中でやったのです。この論文は、なくなられた廣松渉がけっこう高く評価してくれて、長い手紙をもらったこともあります。しかし、レーマーと吉原さんにはそういう観点が一切ない。分配の正義なんてものをもってきても、まあ結局、おなじ平面での議論をすこし横にずらしたにすぎない。それでは搾取論に対する批判にも反省にもならない。新古典派の枠組みの中で議論すれば、すこしは論理が分かりやすくなるけれども、はじめから自分の設定した土俵で都合のいい議論をしているだけじゃないか。まあ、大筋こういう批判をしたわけです。
吉原さんたちに考えてもらわないといけないのは、新古典派の分配論とはどういうものなのかということです。昔から分かっていることですが、新古典派の分配論というのは、限界生産力説に基づいています。資本・労働・土地というものがあったときに、限界生産性に基づいて労働・利潤・地代が決まるという構造になっています。それが何を意味するのかきちんと詰めていきますと、実は資本家支配・経営者支配の企業と、労働者自主管理を含めて労働者支配の企業は、どちらも同じ分配状態をもたらすのです。すくなくとも、新古典派の枠内で完全均衡が成り立っている場合ならそうなります。これはなにもわたしの発見ではありません。たとえばサミュエルソンがすでに1957年おなじことを言っている。「誰が誰を雇うか、資本が労働者を雇う、または労働者が資本を雇う、そのどちらも実は分配には無関係なのだ」新古典派の理論枠組みの中では、これは正しい議論です。しかし、実際に均衡というものがどのように達成されるのかという議論もなしに、こういう枠組みの中で議論する。それを次の社会の問題を考える基礎にしていいのか。私はちょっとおかしいだろうと思います。
そういう本があふれているので、同じ表題を掲げているわたしとしてはちょっとつらい。私自身が複雑系にたどり着いたのは、サンタフェとは関係がありません。『近代経済学の反省』等で考えていた、人間は本当に最適化行動ができるんだろうかというところからきています。それは無理ですよね。無理だとしたら、人間の経済行動はどう定式化したらよいか。それがまず問題になります。そらにそれを基礎として経済学をどう組み直したらいいのか。こういうことも考えなければなりません。それを考えているときに、これまでの経済学に決定的に欠けていた観点が「人間は複雑な環境の中に生きている」ということだと気がついた。それで複雑系の経済学という問題設定をしたわけです。
新古典派経済学の原型は、一般均衡と最適行動です。最適化以外の形で経済行動をどう定式化したらよいか。結局、5年以上悩んでいたとおもいます。最初私は定型行動と言っています。あとでは、ルーティンとか、プログラム行動とか、いろいろに表現しています。そういう右往左往して、ようやく後に進化経済学なんかで言われるものとほぼ同じところにたどり着いたわけです。
わたしが考えたのは、需要関数を定義するのに最適化行動を前提にするが、予算制約のもとで任意の価格に対して本当に最適化計算ができるのかということです。その計算の手間を調べてみると、最適化計算はじきに破綻していまうことが分かった。財の種類が100も超えないうち、どんな高速のコンピュータを使っても計算できない場合がある。としたら、例えば新古典派が想定するような効用の最大化はとうていできない。では、経済の中で人間はいったいどうしているのか。わたしはこの問題をまだ十分解決していませんが、マーケッティングなどで、本当は解決しなければならない問題でしょう。
個人の行動から市場という場面に考察を広げれば、主体の数が増えていったときに、この相互作用(インタラクション)が全体としてどうなるかという問題があります。新古典派の経済学は、基本的にはあらゆるところから一定の需要と供給をオファーして、どこかで調整されるということになっている。現実の世界でみれば証券市場みたいなものはそうかもしれませんが、ほとんどの市場はそうではありません。簡単に言えば、相対取引という形で交換が行われている。たとえば、AさんとBさんが交渉して取引するかどうか決める。こういう相対取引が世界規模でネットワークされているのが現実です。それがなぜうまく機能するのかということの考察が、一般均衡論には全く欠如している。これを何とか議論しなきゃいけないと思い、「交換の原理」といったものを考えていますが、まだまだ初歩的な段階です。
進化経済学については、複雑系の中では定型行動ということを考えましたが、個人が定型行動のレパートリーをもつと考え、個々の定型行動が進化すると考えると、進化経済学の一番単純な枠組みできます。ただ、こういう方向に考えるようになったのは、ある偶然の結果です。進化経済学会ができたときに私も参加したのですが、呼びかけ人段階で議論していたときの名前は「制度経済学」でした。しかし、瀬地山敏初代会長が、制度経済学より進化経済学の法がよい。進化だと、技術も対象に組み込める。こういう理由で、学会の名前が変わりました。最初は反発したのですが、制度経済学だとやはり狭いものになってしまうので、進化経済学という名前になって良かったと、いまは思っています。
学会ができて、もう十年になりますけれども、なんとかオルタナティブな経済学への概略が目にみえるようにしたいということで、わたしが呼びかけて『進化経済学ハンドブック』というものを編集・出版しました。副会長のときに計画がきまり、会長の間の三年以内に出したいという予定でした。結局、一年延びてしまいましたが、最初の概説は私が書きました。130ページくらいのものです。これは分担ではなく、ひとりが書くべきだという判断です。ただ、その内容については、編集委員会でなんども議論してもらいました。進化の対象に組織をいれるべきかどうかで何度も議論しました。わたしの始めの意見は、組織は複製されなくても変化するので進化ではないというものでしたが、いろいろ議論してみて、組織も進化すると考えた方が全体とうまく整理できると思うようになりました。
ハンドブックの特徴としては第二部に、事例をたくさん入れてあることです。コンビニエンスストアの進化、自動車の生産システム、サッカーのシステムの進化とか。すこし遊んでいる部分もありますが、進化という視点で社会のさまざまな現象が統一して理解できる。こういうことは示せたのではないかとおもいます。オルタナティブな経済学を提示するというところまではいきませんが、簡単な方向へのデッサンぐらいにはなったんじゃないかと思っています。
経済学に数学を持ち込むのはいけないと言ったことは一切ありません。昔そういうことを言った先生は結構います。例えば一橋大学にいらっしゃった関恒義なんかも、後に撤回されていますけれども言っていました。ただ私が言いたいのは、数学を使うことと新古典派の理論とは基本的には関係ない。反新古典派とかオルタナティブな経済学でも、使えるところでは数学を使ったらいい。ただ、新古典派の経済学がおかれている状況が、どこから生まれてくるのかというと、主たる道具として数学を選んだことががからんでいます。数学の限界というか、数学がもっている扱いにくさが、(主流の)経済学の現状をかなりの程度に決定している。新古典派経済学が最適化と均衡にこだわるのは、結局そういうものしか数学的に扱えないという事情があるからです。新古典派に入れあげている人達の多くは、結局、数学に振り回されている。使い切れていない。だから、限界も見通せない。
ただ、新古典派を批判するばかりでは、ことは解決しません。1970年代以来、新しい経済学が待ち望まれていながら、一向に全体像が見えてこないのには、原因があると考えなければなりません。新しい要求に応じた理論装置、分析手段を開発しないと、新しい経済学は生まれないかもしれない。そう考えて、コンピューター・シミュレーションを経済学の分析用具として開発するということを考えています。具体的には、U-MARTプロジェクトというものを手がけています。これは到底一人でできるものではないので、工学の人たちなんかと一緒にやっています。
私の極めて大雑把な印象は、19世紀の経済学は概念的思考によって議論を進めた。20世紀は数学という方法によって進めた。今、新古典派が問題になっているのは、数学的論理では処理しきれない現象があまりにも多いのに、全てを数学でやろうとするが故に限界にぶつかっているからでしょう。そうとしたら、新しい用具を開発しなきゃいけない。21世紀は、概念的な思考、数学的な思考に加えて、エージェント・ベースのシミュレーション(Agent-based simulation)のような新しい手法の開発が必要だと思っています。新古典派の数学的分析のみにかじりついている吉原さんたちよりは、よわどどわたしたちの方が先端的な冒険をやっていると思っています。
これを書いたときに、批判対象として念頭においていたのは、70年代に注目されていたエマニュエルの不等価交換論です。先進国で高い賃金をもらっている労働者は、途上国の低い賃金しかもらっていない労働者を搾取している、途上国と先進国の間に不等価交換があるという議論です。倫理観だけで考えると、こういう理論はすごく受け入れやすい。この理論はかなり受け入れられて、従属理論のひとつの根拠づけになりました。しかし、結果として言うと、従属理論というのは途上国のエリートの気休めにしかならなかったのではないかなと思います。日本の講座派は、日本は技術が遅れている、それをなんとかしなければならないという議論をしていた。結果としては、講座派の方が日本経済が先進国にキャッチアップするのに貢献したと思っています。
85年の論文が「国際価値論によせてT」となっていますから、とうぜん「国際価値論によせてU」を予定していたわけですが、これをなかなか出すことができなかった。TとUの違いは、Tでは、世界に2つの国がある場合を扱ったのにたいし、Uは世界に3つ以上の国がある場合に、どうなるかというものです。85年に考えていたのは、数学的にすこし難しいところがあるが、ただ一点乗り越えられれば、あとは何国あろうと同じように展開できるという見通しでした。ところが、その一点がなかなか難しくて、なんども挑戦しては敗退していて、結局、長い間あきらめていたのです。しかし、定年退職まであと2年、大学の役職も引いたということで、もう一度挑戦しなおして、それも一年近く掛かりましたが、ようやくなんとか乗り越えることができました。それで日本語と英語で論文を書いて、ひとつは大阪市立大学の『経済学雑誌』、もうひとつは進化経済学会のEvoluitonary and Institutional Economics Reviewに載せました。定年ぎりぎりでした。
(1)『マルクスの遺産』
今日の報告に「理論と思想の文体について」という変な表題を付けてしまいましたが、「思想の文体と理論の作風について」の方がいいように思っています。先ほど皆さんにお配りした丸山真男に関する本ですが、後ろに私の解説が載っています。戦後思想の文体論というものを勉強しようということで、私の先生である鶴見俊輔さん、年上の仲間だった北沢恒彦さんら五人で月に一度集まって、桑原武夫や竹内好だとか、いろんなものを読んできました。かなり後の方で丸山真男を取り上げました。この本にあるように、思想には文体があるという考え方がありうるし、ひとりの思想家を見るときに重要な観点ではないかと思います。
(2)『近代経済学の反省』
少し遡りまして、『近代経済学の反省』という本があります。1983年のものです。日本経済新聞社から出て二刷までいきましたが、二年くらいですぐ絶版にされてしまいました。この本では、新古典派経済学の中核にあたる枠組み、パラダイムである一般均衡論というものに対していろんなことを言っています。稲葉振一郎さんたちの書いた『マルクスの使いみち』の中でも議論されています。私自身がなぜそこにたどり着いたのかというと、あまり深い理由はなくて、フランスにいるときに数学から経済学に転向したのですが、そのときに最初に読んだのがスラッファとアルチュセールでした。このことが私にとってはとても幸運だったと思っています。アルチュセールからは認識論的障害という重要な概念、スラッファの本からは均衡論とは別の経済学を組み立てる一つの可能性があるということを受けとりました。この二人を合わせると、「均衡が経済学にとって認識論的障害になっている」という考えが出てきます。これがわたしの研究の一生のモチーフとなりました。
もちろん反均衡というのは、わたし一人の立場ではありません。わたしが経済学を本格的にやろうと思った1972年頃には、すでにコルナイという人が『反均衡』という本を書いていいます。私自身も右往左往しながら、同じような立場にたどり着いたということです。簡単にいうと、均衡という枠組みに基づかない経済学を構築することが目標ということになります。私ももう64才になります。もうそろそろ年貢の納めどきなので、なんとかまとめないといけない。これは私にとっての「主要な理論戦線」と考えています。遠回りしましたし、いろんなことをやっていますが、最終的には必ずここに帰りたいと思っています。経済学という理論体系の中には、新古典派の均衡論とそうではない経済学を築こうとする二つの勢力の闘いがあります。何とか私もその一方において貢献したいと思っています。
(3)『マルクスの使いみち』
去年たまたま本屋さんで『マルクスの使いみち』を見かけました。稲葉振一郎・松尾匡・吉原直毅の3人の鼎談で、構成されている。表題から、「また稲葉さん変な本を作ったな」と思て、パラパラと読んでみたら、何か私の名前がバンバン出てきている。それで一冊買ってよんでみました。3人の関係はなかなか複雑な構造ですが、稲葉さん自身は私のものを結構正確に理解してくれていると思います。松尾さんと吉原さんがところどころでコメントしていますけれど、それはほとんど的外れというか、すくなくともまともに対象を検討したうえでも発言ではありません。かつてお互いにやりあったことがある。そのときのイメージだけで話をしているのではないかと思っていました。
(4)複雑系経済学と進化系経済学
複雑系経済学と進化系経済学について少しふれます。1995・6年に複雑系ブームというのが起りました。今でもブームの後を受けて、サンタフェとか外国人の書いた本を読んで、「複雑系の○○学」とか「複雑系からみた日本の○○」といった本がいくつも出ています。残念ながら、その多くは複雑系というコトバだけがキーワードになっていて、ほとんど深い考察もないし、分析もない。しかし、そういう人たちの本に限って、日本で複雑系がどのように議論され、考えれられてきたかという歴史についてなにも触れていない。たぶん知らないのだろし、知ろうともしていないのだとおもいます。つまり、ただの流行の借り物でしかない。
(5)貿易論と国際価値論
次に貿易論と国際価値論についてお話しします。なぜ関心をもっているのか不思議がられることが多いですけれども、私自身は1985年に『国際貿易と技術選択/国際価値論によせてT』というものを書いています。内容はリカードの貿易論を原材料・資本がある場合にも、こうすれば展開できるということを示したものです。技術の違いがあるときに、どの範囲に二つの国の実質賃金が決まるかが分かります。その結果は、貿易のない場合と比べると、2国の労働者にとって実質賃金上昇になる。すくなくとも、失業していない労働者にとってはそうなるというものです。ただ、貿易開始は、ある産業の縮小をももたらす可能性があるので、失業ということを考えると、利害は反対になります。