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金融経済の新しい研究教育センターを作れ
某新聞の「経済教室」に2009年1月9日に投稿したものです。現在のまでのところ、なんの連絡・回答もありません。没になったようです。しかし、ここで訴えていることは、現在、考えるべきことと考えます。この文書は、2009年1月29日の中央大学企業研究所公開シンポジウム・金融学会関東部会共催で配布しました。
2009年1月31日
塩沢由典
(中央大学教授・京都大学客員教授)
大規模な経済不況が世界を覆っている。この大不況からいかに脱出し、健全な経済を再構築するかが、いま経済学に問われている課題である。そのためには、制度改革から経済学という学問そのものにいたるまで、考え方の大きな転換が必要である。
この課題に金融をどうするかという問題を外すわけにはいかない。今回の大不況が金融経済の破綻によって引き起こされたことには、だれにも異論がない。サブプライム問題が端緒となった金融危機は、リーマン・ブラザーズの倒産などによって拡大され、システムの機能停止に近いところまで進んだ。
昨年9月以降、各国政府は銀行への強制的資本注入などによって対処してきたが、金融破綻の影響は世界全体を覆い尽くす実体経済の大不況をももたらした。
日本に限れば、金融崩壊の損害は比較的少なかった。これは日本の金融界の判断が正しかったというよりも、90年代の長期不況のために金融経済化の波に乗り遅れたためといわれている。健全な経済の一部として日本の金融が機能したわけではない。
金融経済については、今回の危機が自由化の行き過ぎの結果であるとして、規制の再強化を求める声が強い。規制の必要な部面があるとしても、それに全面的に頼るのは、危険である。リスク・マネーなしには、健全な経済は育たない。有望なベンチャーへの投資は今後も必要である。規制一辺倒でなく、金融経済の担い手たちのより賢明な行動により金融経済を健全化させるという選択肢を考える必要がある。そこで問題となるのが金融工学である。
今回の金融危機の背後には、あきらかに金融工学がある。危機のきっかけとなったサブプライム・ローン、事態を深刻化させたCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)のどちらにも、金融工学が絡んでいる。
サブプライム・ローン自体は、過去の返済事故により融資対象外となった人びとへ融資の道を開くものである。政府資金その他で行なうなら、意義のある制度であった。金融工学は、この高リスク対象にたいし、トランシュに切り分ける手法(仕組み債)を使って、投資適格商品を作りだし、限度を越えて融資量を拡大させた。CDSは、金融機関などの保有債権に対する一種の保険である。返済事故が起こったとき、CDSの購入者は、販売者から債務者に代わって支払いを受ける。この価格設定に金融工学が使われ、妥当な価格が設定可能であるという思い込みがこの商品の取引数量を拡大させた。
金融工学は、1950年代に経済学の一部として誕生し、高度の数学理論を用いることで専門化し、ロケット・サイエンスに比肩しうるものとして、工学を名乗るようになった。金融工学は、1990年と1997年、すでに2回ノーベル経済学賞を受けている。金融立国の基礎は金融工学にあるとして、日本でも近年、金融工学の研究センターがいくつか設置された。
しかし、金融工学には、大きな問題がある。専門家はみな知っていることだが、その理解自体に高度な数学が必要なことと、専門家としては可能性の方に賭けたいという自然の性向から、問題が人びとの目から隠されてきた。その中には金融界のトップや金融政策の担当者までもが含まれる。この事態をまず変えなければならない。
現象的には、金融工学は、ほぼ10年ごとに、大きな失敗を露呈している。1989年のドレクセル・バーナム・ランバート(DBL)事件。屑債(ジャンク・ボンド)も大きな利潤機会であるとMBAで学んだマイケル・ミルケンが理論を実行してみての結果だった。1998年のロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)の破綻。このファンドの創立には(後の)ノーベル経済学賞受賞者二人が参加しており、確実なはずの裁定取引を基本方針としていた。そして2007年・8年の金融危機。仕組み債からCDSまで、あらゆる金融商品が膨張した結果、全面的金融危機を引き起こした。
事件の度ごとに金融工学が槍玉に挙げられたが、金融工学の理論的基礎に立ち入っての批判はほとどなかった。問題は、しかし、金融工学の個々の適用にあるのではない。学問自体の基礎が問われなければならない。
金融工学の基礎には多くの仮定があるが、共通した問題として次の3つがある。@独立の仮定、A正規分布の仮定、B価格受容者の仮定。これらは、理論内部の位置を異にし、本来同列のものではないが、多くの破綻の理論上共通の「原因」となっている。
今回の金融危機でいえば、優良なトランシュを切り出すという仕組み債の背後には、各貸付の事故は相互に独立であるという仮定があった。もちろん、これが乱暴な仮定であることは当事者たちもよく分かっていたから、相関係数を調整するといった修正を施しているが、住宅価格の一斉の下落といった共通要因の変化までは組み込んでいなかった。CDSも、もし債務事故が独立であるなら、保険の原理によって、システムの安定化に役立っていたはずである。DBLやLTCMにおいても、経済が順調に推移している限りでは、うまくいっていた。それが急に破綻に向かったのは、金融工学がシステミック・リスクないし市場リスクといって目をつぶっていた要因、つまり@の仮定の崩壊があった。
正規分布の仮定は、正常と異常との比率判断に関係している。株価指数がほぼ正規分布(正確には対数正規分布)にしたがって変動していることはよく知られている。それがファットテール(厚い裾野)をもつこともよく知られている。問題は、ファットテールを誤差とみるか、本質的なものとみるかにある。多くの金融工学は、これを誤差と扱ってきた。確率からいえば、1パーセント以下の事象であり、これを誤差とみるか、そうでないとするかは学問内部の神学論争とみなされやすい。しかし、これはほぼ10年に一度繰り返される、金融工学を起源とする金融事件を理解する鍵なのである。
株価指数が一日に数パーセントも動くことは、正規分布を仮定するなら、数万年に一度と考えてよい。それを無視するのは当然である。しかし、もしこれを切断されたレビ分布と見るなら、数年に一度起こるべきものとなる。生起確率としては、1万倍も異なる評価となる。経済は、数年に一度、通常は切り離されている逸脱増幅機構が働き、大きな経済変動を引き起こす。そうした内部機構を無視した結果がDBL事件であり、LTCM破綻であり、今回の金融危機なのである。
これも金融工学で分っていないことではない。しかし、独立と正規分布とは、確率論の基礎にある本質的な仮定である。これなしにはほとんどの理論を放棄しなければならない。そのため金融工学は問題が分っていても、学問の自己運動としては、それを放棄できない。そのため、次々と新しい金融商品が開発され、Bの仮定が成りたたないところまで規模拡大して破綻することを繰り返している。
では、どうしたらよいか。答えは、ひとつと思われる。それは金融工学を批判的に研究する研究教育センターを作ることである。そこでは、上の3つの仮定を含めた金融工学の徹底した反省と金融経済の新しい理論の構築、およびそうした知識をもった金融経済の担い手の養成がなされる。新しい理論構築の手がかりは、すでにいくつか得られている。経済物理学などの新しい知見であり、人間を含むエージェント・シミュレーションである。
被害が少なかったといわれる日本においても、各社数百億円規模の損失を出している。このような研究教育機関に年数億円つぎ込んでも、金融経済の崩壊と倒産の危険を考えれば安い投資である。設置形態としては、国の機関としてよりも、金融機関の共同出資による研究開発機能を核とする独立大学院が適当であろう。
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