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『複雑系経済学入門』への言及
田之畑高広によるコメント
定期的に更新されるページのようなので、キャッシュをとりました。(塩沢)
グラムシを読む会便り 今年度第5回
アソシエーションと協同組合
今回「アソシエーションと協同組合について」の考えをまとめてみた。僕自身は生協の職員でいろんな本の知識をつなぎ合わせただけで、独自の発見はないが、東京グラムシ会でアソシエーションについての議論のきっかけになればいいと思う(以下、文中敬称略)。
ここ近年の「アソシエーション」論議のきっかけを作ったのは、田畑稔『マルクスとアソシエーション』(新泉社・1994年)である。アソシエーションという言葉は、現在、左翼が来るべき社会を展望する際の一種のキーワードとなっているが、やはり注目されたのは最近になってであろう。
邦訳『マルクス=エンゲルス全集』ではAssoziationとその類語が概念としての一体性が破壊されるほど無茶苦茶に多様な20以上もの言葉で訳出されている。このことについては、1966年という早い時期に『資本論の誤訳』(青友社)で廣西元信が先駆的な指摘を行っている。
近年、新MEGAの出版によって新しいマルクス像が垣間見られつつあるように思われる。『マルクス・カテゴリー事典』(青木書店・1998年)はその1つの礎石だろうが、新MEGA版『資本論』等の研究によって今後さらに進んでいくことだろう。
20世紀の社会主義
「協同組合について」はネップ経験後のレーニンが協同組合を高く評価していたことがうかがわれる論文である。しかしながらネップでの経験を総括したレーニンが社会主義の建て直しへと移行するはずが、レヴィン『レーニン最後の闘争』によれば、そこに官僚制の批判はあっても協同組合の視点はなかった。
またトロツキーは、第一次五ヶ年計画の結果を概観して「一般に中央集権的指導体制は巨大な成果を収めることがありうるが、反対に誤謬に陥った時のリスクも倍加し、計り知れなくなる。労働者の生活の質は改善されておらず、また労働現場は荒廃し、量的ノルマの達成に専念するばかりで、質に配慮しようとしない。農業集団化の強行は致命的結果を生み出している」として、過渡期の経済政策を成功に導く条件と方法の3つの主要な柱(1、特殊な国営諸機関、すなわち中央と現場における諸計画委員会の位階制度。2、市場を規制する制度としての商業。3、経済建設をめざして、大衆に生き生きとした刺激物を与える制度としてのソヴェト民主主義)をあげている(佐々木力『マルクス主義科学論』より)。これは当時のスターリン批判としては非常に優れているが、どうも問題はもっと複雑なように思える。
グラムシの工場評議会についてはどうだろうか。上村忠男は「評議会幻想」(「現代思想」97年7月号)の中で次のように述べている。
「当時のわたしはグラムシの構想した「工場評議会」を細胞とする「生産者の自治」社会のヴィジョンに心底魅了されていた。・・・しかし幻想はやがてほどなくしてわたしのうちから消え失せていった。」
そして、ハンナ・アーレント『革命について』最終章を引用してパリコミューン、ソヴィエト、レーテ、評議会の自由な空間を高く評価する一方で「・・・労働者たちの評議会が工場の経営を資本家に代わってひきうけようとしたばあいは、それらはいずれもみじめな失敗におわらざるを得なかった」ことに注意をうながしている。そして「彼らの犯した致命的な過ちは「公的なことがらへの参加」と「公共の利益にかかわる物の管理または経営」とを明確に区別していなかった点にある」と指摘する。
獄中のグラムシの社会主義像が工場評議会を基盤にしたものとは言い切れないが、評議会運動の限界を指摘した的確な批判であるように思える。
計画経済については複雑系経済学からの批判がある。例えばアルチュセールの構造主義とスラッファの経済学の影響を受けて経済学者になった塩沢由典は『複雑系経済学入門』(生産性出版・1997年)の2章「計画経済の失敗が教えるもの」の中で、スターリン時代の最終期1950年代前半を
・重要な経済活動の国家による独占。主な例外は農業のみ。
・ヒエラルヒー秩序による諸組織の統合と上部機関による利害調整。
・指令と報告による企業内管理形態の国家大への拡張。
・計画と統制のための複雑な計算体系。
とまとめている。様々な実例を引いて計画経済は意図して変化を作り出すことはできても、起こってしまった変化に対応ができない、と指摘している。この考えのもとにあるのはミーゼス「社会主義共同体における経済計算」(1920年)における、
・生産財が社会によって一元的に所有され、市場が形成されない。
・そのため生産財の適正な価格も形成されない。
・そこでは生産の効率を測るべき基準がない。
・したがって社会主義経済の効率的な運営は不可能である。
という指摘である。社会主義経済計画論争をきちんと批判できないと今後の社会主義の展望は望めない。
一党独裁下での自主管理社会主義の実験であったユーゴスラヴィアについては岩田昌征が『ユーゴスラヴィア』(NTT出版・1994年)で様々な問題点をあげている。
1985年に行われた「自主管理体制に関する世論調査」によると「先進地域において一般に自主管理思想の受容度が低く、最先進地域においては党員のほうが非党員よりも非自主管理を肯定する率がやや高い。極端に異なる先進地域と後進地域を結び付けてきた共通理念=自主管理社会主義的連帯性の衰弱を示し、今日に至る政治的・民族的激動を予示している。」岩田は「自主管理的労働は、現実の経済社会生活のなかから必要にせまられ、条件に応じて局所的、部分的に自生自立し、生命力にしたがって一歩一歩拡がる」と、従来の自主管理社会主義に関する思いは薄れ、むしろ否定的にまとめているように思われる。
協同組合の現状
これまで協同組合というと改良主義のイメージが強く、軽視されてきたという気がするが、スペインのモンドラゴン生活協同組合は非常に成功した例である。
バスク地方でカトリック司祭ホセ・マリアが1943年に技術学校を創設し、ストーブと石油調理コンロの生産を1956年に労働の自主管理方式で始めたことから出発したこの協同組合では、労働者は雇われるのでなく、一人160万ペセタ(1ペセタは日本の約1円)を出資して、共同経営に参加し、働いて商品を作り、輸出や販売によって得た利益の配分を受け取る。利益の10%は教育費へ、20%は内部資金として留保し、残り70%は出資額に応じて配分され、賃金ではない。バスク地方80万人のうち2万8千人が組合員である。生産事業は工作機械部門、農業部門、消費組合があり、総売り上げ2100億円くらいの、スペインで7位の事業規模である。資金はスペイン全土に支店を持つ労働人民金庫が、他の銀行より1%預金利子が高いため多額の預金を吸収して出資している。教育事業にも力を入れ、学生は工場で働くことで授業料や生活費が保さされる一方、労働と教育を結合させている。ロボットやマイクロエレクトロニクス等の研究部門も有しているし、また住宅供給や、家事労働から女性を解放する給食6000食やパート労働などを保障している。バスク語とバスク民族文化を堅持している。スペインのモンドラゴン協同組合にないのは軍隊だけと言われるくらいの地域共同で、「資本が労働を支配するのではなく、労働が資本を支配する」という原則が生きている。
かつてアルチュセーリアンだったP・ハーストは『アソシエイティブ・デモクラシー』(未訳)の中でマルクス主義者ではなくオーエン、ホリヨーク、プルードン、メイトランド、フィッギス、コール、ラスキなどに注目しているようだ。これらの人々はあまり真剣に研究されてこなかったし、改良主義の名でむしろ批判されてきた。例えばD・H・コール『協同組合運動の一世紀』(家の光協会・1975年)等の重要な本が絶版であるというのは日本での社会運動の現状を反映しているのではないだろうか。
近年世界の協同組合の目標といえば、1980年モスクワで行われたレイドロウ報告であるが、「世界の飢えを満たす」「生産的労働の創出」「保全者社会の促進」「協同組合地域社会の建設」の4つを協同組合の優先課題に求めており、これの達成がいままでの目的だった。イタリアでは協同組合数約8万、総売上520億ユーロ、労働者は60万人、GNPの6%がある。「人民の家」等様々な試みが見られる。日本は世界的にも協同組合の形態が普及しているが、それがうまく機能しているとは言い難い。生協組合員数は2100万人、事業高は3兆円といわれているが、日本でのシェアは小売市場の2.7%、イギリスが3.6%、ドイツが4.8%、ノルウェーは11%、スウェーデンは16.8%でいわゆる先進国のなかではけっして高いとはいえない。
アソシエーションの可能性
さてグラムシとアソシエーションについてだが、例えば「近代国家は、諸社会集団の機械的ブロックを指導的・支配的集団の活動的ヘゲモニーに従属させ、そうすることでいかなる自治をも廃絶するが、それらは政党や組合や文化協会といった別の形で再生している。現代の独裁はこれらの新たな形の自治を法律に基づいて廃絶し、それらを国家活動に組み入れようと懸命に努力している。全国民生活が支配集団の手のなかに法的に集中化されると、それは「全体主義的」になる。」
(「ノート25 1934年 歴史の周辺で」 東京グラムシ会『獄中ノート』研究会刊)と述べている。
また松田博は「<グラムシとアソシエーション>に関する覚書」(「季報・唯物論研究」第61号)の中で「解明、説得、相互教育の共同したアソシエーティヴな活動によってのみ、建設の具体的行動が生まれる」とグラムシはのべています。また「単性生殖」的思考からは思想の創造的発展は望めないとも言っています。」と述べている。
W・F・ハウクによれば「グラムシは諸アソシエーションの問題を、下層性とヘゲモニーの間の歴史的緊張関係へと、市民社会と狭義の国家との関係へと、移植する。知識人抜きにはヘゲモニーがないように、アソシエーションもまたないのだ。この考えはマルクスを大きく超え出て、マルクスの思考の空白部へと達している」(「マルクス主義とアソシエーション」(「季報・唯物論研究」第68号))。
グラムシとアソシエーションの思想はジェルラターナ校訂版『獄中ノート』の普及によって、今後さらに研究が進み、まとまった研究書も出ることだろう。
最近は柄谷行人が『可能なるコミュニズム』(太田出版・2000年)や『NAMの原理』(同上)で協同組合論を展開して若い人たちに注目されている(これらの本ではグラムシの評価はけっして高いとはいえないが)。これをきっかけにこれまでの社会主義の失敗をきちんと踏まえ、アソシエーションや協同組合についての可能性ある幅広い議論が行われることを願っている。
【参考文献】
「季報唯物論研究」第61号「特集・アソシエーションの理論と実践」(1997/7)
「季報唯物論研究」第68号「特集・アソシエーションの理論と実践」(1999/5)
(報告者・田之畑高広)
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