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佐々木力による書評


『マルクスの遺産』

塩沢由典著(藤原書店・5800円)

BK-1 2002年5月23日 22:15
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マルクス主義の負の遺産を真摯に総括しようとする経済学者の論文集

書評者:佐々木力


衝撃のソ連邦の崩壊から約10年が経過した。現代日本は、その時の「右」振れから立ち直ってはいない。その証拠に今日の有事立法の動きには目立った反対はない。当のポスト・ソヴェトのロシアでは、少数の特権者は私有化によって裕福にはなったものの、ほとんど大多数はソ連邦時代よりははるかに絶望的な経済状態のもとでの生活を強いられている。 現代ロシアはある種の中世社会的状況にあるという観察は決して誇張ではない。

本書は数学徒から経済学者に転じ、マルクス経済学にも相当程度の共感を寄せた論客(著者自身の言葉では、マルクス主義の「伴走者」)による、マルクス主義思想を総括しようとする論集である。その総括の姿勢は掛け値なく真剣である。著者は、マルクス主義ということで、まず、そのアルチュセール的形態に魅力を感じたらしい。今日では、「社会主義計画経済」を否定的に総括し、そうかといって現在猖獗を極めている市場原理主義に両手を挙げて賛成するというのではなく、複雑系の数理モデルに救いを求めて、新しい経済学の方向を模索している。

その思索の真摯さを私は無条件以上に評価する。だが、著者のマルクス主義思想の理解の水準は決して高くはない。そのことは、最初に収録された藤田省三氏との対談に最も顕著に現れている。思想水準は対談相手の藤田氏の方が一枚も二枚も上だ。著者の社会的常識は凡庸な常識人としてのそれであり、学者らしくない。著者は、マルクス主義経済を「社会主義計画経済」とほとんど同一視する。が、ソ連邦でレーニンとトロツキイが1921年採用した新経済政策は、計画と市場の双方を民主主義的に統制しようとするモデルであった。「社会主義計画経済」とは、すなわち1928年以降のスターリン主義経済のことなのである。それゆえ、著者がマルクス主義としてスターリン主義を念頭に置き、もっぱら否定的に総括しているのも理由のないことではない。そして、スターリンの不倶戴天の敵トロツキイの思想の特徴づけも戯画以下である。著者のようなマルクス主義から、そしてマルクス主義理解からは潔く決別すべきである。本書のもつ意味は、日本の戦後マルクス主義の貧困さの一例としてであろう。

bk1ブックナビゲーター:佐々木力/東京大学教授 2002.05.24)

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