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哲学カフェ ア・ラ・カルト

ここには、「実験哲学カフェ」以外の哲学カフェについて紹介します。

「哲学カフェ」といっても、カフェで実際に集まって話しあっているもの、文化講座の一部として開催されているもの、Weblogにそう名づけられたものなどいろいろあります。ここでは、哲学カフェと自称しているものはあまり分け隔てなく紹介しています。紹介漏れになっている哲学カフェをご存知の方は、
実験哲学カフェの掲示板の「他の町の哲学カフェ」
http://www.talkin-about.com/xoops/modules/newbb/viewtopic.php?topic_id=239&forum=15
に情報をお寄せください。
担当 塩沢由典


街中の哲学カフェ

実際にカフェなどで会合を開いているものを中心にしています。
京都哲学カフェ
京都ギリシアローマ美術館の学芸員(?)をされている、作家の川路妙さんが中心になって立ち上げたもので、京大名誉教授でNPO法人「京都エネカン」を主催される新宮秀夫先生や、京都造形芸術大学教授で地球環境学がご専門の原田憲一先生が一般市民を対象に講義されます。

第10回目 京都哲学カフェ 「幸福哲学」のすすめ 講演者 原田憲一 2005年4月26日18時より  場所 京都ギリシャローマ美術館

京都科学カフェ
佐賀大学名誉教授で、素粒子論がご専門の伊藤榮彦先生、熊本出身で京大、京都工繊大等で教鞭をとられ物性理論がご専門の武野正三先生、文部省を脱サラしてNPO法人「STUDY UNION」を主催される関浩成氏が中心になって設立したものです。

カフェフィロCafe Philo
大阪大学・倫理臨床哲学教室がこれまでやってきた「哲学カフェ」の運動を再定義して組織化したもの。2005年4月2日に正式に発足しました。将来はNPOを目指すとあります。当面は、神戸・コーヒーショップJUNで「哲学カフェ」を開催していく計画です。第1回は、2005年5月15日日曜日13:30から。そのほかにも、「書評カフェ」なども計画されています。お知らせページをご覧ください。

研究室を出て「外」に向かって活動していくための新組織づくりだった。新組織はNPO化を目指している。そのための、任意団体としての発足総会が昨日あった。普段は仕事のため時間がなく会議等に参加しにくい僕は、せめて「正会員」として協力させてもらおうと思っている。
組織の名称は、いろいろ議論があったものの、結局「カフェフィロ(Cafe Philo)」に決定。ワークショップ、研究・リサーチ、ネットワーク、メディアづくりの4本柱が事業内容だ。従来の「哲学カフェ」は4本柱のうちのひとつであるワークショップの中の一形態となる。たぶん哲学カフェはまだ社会的には全然浸透していないため、それほど混乱はないと思う。


ドーナツトーク日記 2005.4.18より

ややこし研(大阪・中津)
主宰の宗教社会学者の渡邊さんが中津で主催者の自ら喫茶店を経営されつつ行っている哲学カフェのような存在です。コンセプトは「世の中のややこしいことを社会学的に考察する」。様々なジャンルの人が参加されているようです。
http://blog.livedoor.jp/yayakoshiken/

朝日カルチャーセンター・哲学カフェ
大阪センター・人間を考える
ときどき、一日講座でやっています。
講師 大阪大学 中岡成文 4月24日(日) 10:30〜13:00
受講料 会員4,000 一般4,500
◆講座の内容◆
肩の力を抜いて、生と死、家族、私の存在など、哲学的なテーマについて話し合います。むずかしい言葉は必要ありません。人の話を素直に聞き、言いたいことを上手にまとめ、みんなで議論を実りあるものにするために、ある程度の技術を身につけましょう。

喫茶☆りんり
公開の哲学カフェではないかもしれません。医科大生の真砂さんのblogで見つけました。以下は、その紹介部分

「そんな中からさらに選りすぐりの濃いひとたちばかりが集う場所が学内にある。店の名は喫茶☆りんり。マスター(哲学・倫理の先生)が、自らの研究室そして血と汗と涙と私財を投入して創りあげた学内カフェである。実は真砂及び友人は、マイマグを置いていたりする。常連さんである。あたし達学生だけでなく、大学病院の看護師さんや、大学の研究棟の先生方もいらっしゃる。もともと、パリにおいて始まった、哲学的話題について語りながらティータイムを楽しむ「哲学カフェ」というものがあるらしいのだけれど、喫茶☆りんりは哲学分野だけでなく、倫理分野のお話もしましょう、というカフェである。
 立地条件が立地条件だけに、臨床における倫理に関するお話を、実際現場に出ていらっしゃる方から聞くこともできる。研究者の方々からは、学会の様子や、研究について、これからの大学自体の運営についてなどを聞くことができる。」


これって、本格的な哲学カフェですよね。

哲学カフェ・イン・枚方
枚方市で「哲学カフェ・イン・枚方」と言う集いを始めています。第一回は金沢創さんの著書をテーマにした「他者に心は存在するか」から論じました。次回四月は若い自民党、改革派の寝屋川市議広瀬啓介君による「真の地方財政改革はこれだ!」(仮題)です以降花園大学大阪医大講師の辻先生による山田無門著「禅の十牛図」を語る、です。
得津富男 2005.3.31 08:25

ソクラテスカフェ
富山のカルチャースクール「アゴラ」が開催している哲学カフェ。案内には
『汝 みずからを知れ』のソクラテスに始まる哲学を優しく捉えてみましょう。日常の生活に関わりのある親しみ易いテーマを自分の思いのまま自由に話し合うしなやかで面白い集いです。
とあります。


アート哲学カフェ
大阪・恵比須東のフェスティバルゲート4階の「cocoroom」で開催されたアートをテーマとする哲学カフェ。第1回は「ダンス with ダイアローグ」で2005年3月11日に開催されています。進行役は本間直樹(大阪大学教員、臨床哲学)さん。この会に出席された林田鉄さんにの記事によると「大阪大学臨床哲学・倫理学研究室が開催する公開講座の一種」だそうです。

古後奈緒子さんが「ダンスと哲学する/哲学カフェでからだに耳をすます」という感想を書かれています。

ソクラテス
別に哲学カフェが開かれているわけではありませんが、カフェで名前が「ソクラテス」となれば、捨てておくわけには行きません。M.ソテーやCh.フィリップスも自らの哲学空間を「ソクラテスのカフェ」「ソクラテス・カフェ」と名づけていますし。

Brown's CafeというWeb Siteがあって、京都・大阪・神戸の魅力的な喫茶店を訪ねてすばらしい紹介ページを上げています。「ソクラテス」はその中のひとつ、大阪・中之島の科学館の前にあります。家具やインテリアデザインで有名なGRAFの事務所があり、その4階がカフェとなっている。5階では森村泰昌がイベントをしたりする。ソクラテス・カフェでひとり哲学するのも、哲学カフェ?

リゾートカフェ 哲学の道
滋賀県滋賀郡志賀町荒川767−2のカフェ。「哲学の道」というのは、ブレンドコーヒーの名前のようです。どんな味でしょう。通信販売もしているとか。


WEB上の哲学カフェ

日曜日の哲学カフェ
ハンドル・ネーム「らくだの」rakudanoさんのブログ。そのカテゴリーのひとつに「哲学カフェ」があります。最近は、毎週日曜日に「夜と霧」の長い「朗読会」が続いています。このらくだのさん、イスラエルに住んでいられるようなのですが、日本語のうまいイスラエル人?と思うほど、イスラエルのことによく通じています。コメントの数もすごいですね。

哲学カフェ/秋田館
「人に、本に、珈琲に情熱を。美の国秋田から発信中。」がモットーのみちのくから発言集。大変なコーヒー通のようですが、「哲学・主張・言葉」というカテゴリーで最近は2行ほどの警句がおおいのですが、あれは引用でしょうか。それとも創作?

日大哲学カフェ
日本大学通信教育文理学部哲学科OB会の名前が「哲学カフェ」なのですね。誌上講座が公開されています。
この「哲学カフェ」の管理人の五福久雄さんがこの「哲学カフェ」を始められた想いを大阪哲学学校通信第30号(2004.10.30)に書かれています。五福さん、大阪にお住まいなのでしょうか。


その他の哲学カフェ

阪大・臨床哲学教室
哲学出前運動として、哲学カフェを運営しています。
場所はいろいろ。「コモンズフェスタ2003」における哲学カフェの紹介「ダンスと哲学する −哲学カフェでからだに耳をすます−」は古後奈緒さんの書かれたものです。
過去の記録もありますが、場所と日時だけでテーマがありません。

暮らしの哲学カフェ
ご存じ鷲田清一先生が『Toyro』(自然総研発行)という雑誌(池田銀行の広報誌的存在)に連載しているコラム。
花を贈る、風に弔う、空を飛ぶ夢、月はおぼろ、時のあわい、など魅力的なテーマで語られる暮らしの哲学。

「読者の誌上哲学カフェ」
季刊誌『ロゴスドン』は、毎号、「読者の誌上哲学カフェ」と題するペ−ジを設け、あるテ−マに対する読者の考え方、哲学などを紹介している。各回にテーマ設け、小論文を募集する。テ−マに対する回答を題名とし、それに至る経緯、考え方、主張、思想、哲学などを論述する。

日本ホスピス・在宅ケア研究会>「哲学カフェ」
2003年6月29日神戸ポートピアホテルで開かれた日本ホスピス・在宅ケア研究会において試みられた哲学カフェ。テーマは「わたしの死」でした。担当は、桑原英之・三浦隆宏(大阪大学大学院文学研究科)のお二人。この研究会の約束は、どんなえらい先生も「○○先生」と呼ばず「○○さん」ということだそうです。


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