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カフェ気分で

哲学は、しかめつらをして部厚い本をよむことではありません。ひとりで読書しても、カフェで物思いにふけっても、また運河沿いを散歩して哲学はできます。哲学カフェは、哲学を大学から救い出す運動だという人がいます。哲学カフェ気分は、そうした運動を実行していることになります。

ここには哲学カフェにヒントを得て、まったく違う活動をされている方・活動を紹介します。
ガット・カフェ
バロック奏者の鈴木秀美さんが主宰されているマスターコンサート兼おしゃべりの会。
『ガット・カフェ』は、年4〜5回程度のペースで行っているマスタークラスです。<中略>1年目はガット・カフェというタイトルではなく、単に「鈴木秀美のマスタークラス・シリーズ」でした。6番までがひと通り終わったとき、せっかく馴染んできた会を辞めてしまうのは惜しい、もっといろいろ他の話題も取り上げて欲しいという声が(ちらほら)聞こえ、毎回別のテーマを取り上げて行なうシリーズにしようという考えが浮かびました。

「カフェ」という呼称はいわば2番煎じで、マルク・ソーテという人がパリのカフェで行なっていた哲学の講義のことを知り、音楽学校のような専門的機関の中でだけ行なわれているレッスンや議論を街中に引き出したい、「カリキュラム」に縛られるのではなく自由に使う時間にしたい、単に「弾く人」と「聴く人」に分かれたマスタークラスではなく、随時人が質問したり意見をいったりすることも出来る時間にしたい、などという想いから、彼の主宰する「ソクラテスのカフェ」にあやかって「カフェ」としたのでした。<後略>


ここには自分流に哲学カフェ気分を味わっていられる方々を紹介します。

時々、哲学者のふりをする。
2005-03-20 13:31:14 hornblower
テーマ:読書する馬鹿しない馬鹿(短縮してあります。全文は、原Pageをご覧ください。)
だから、ぼくの書棚には哲学関係の本が何冊かあり、週末なんかには、時折手に取ったりして、哲学者のふりをしたりする訳です。

今はさっき食べた大福餅3つで胸焼けしてるから、かる〜く、「ソクラテスのカフェ」な気分だな。帯の言葉が、洒落てますね。「ティータイムに哲学を」

そこでぼくは、お〜いお茶(伊藤園)を飲みながら、バスチーユ広場にある〈カフェ・デ・ファール〉にいるつもりになって、本書を読み始めたのです。

「日常の言葉でやさしく語る、新しい哲学の登場。」となってるんですが、あまりやさしくないです。フランス人っていうのは、小学生までが哲学的な議論を楽しんでいる人種で、そういう国の人が書いた作品を日本にそのまま移行しても無理が出る。

改行も少ないし、今風のイメージはない。本としての方向性や目的はよく分かるのですがね、装丁がやさしい感じがするだけに、つられて買ってなんだやっぱり哲学って難しいじゃないか、そんなことにならなければいいんですが。

でも、こんな本をさり気なく机の上に置いとくと結構オシャレですからね。インテリア本としては、100点満点です。

Chie NakataniさんのMy Essay
哲学カフェ(短縮してあります。全文は原Pageをご覧ください。)
6月3日の朝日新聞の夕刊の海外文化という記事で「哲学カフェが盛況」という小さいコラムニュースがありました。フィロスという市民団体があるそうです。

Cafes Philo というのは、Philosophy Cafesだそうで、日本語で言うなら「哲学カフェ」だそうだ。現在パリに160くらいあるそうで、その他の国では70くらい。日本、米国、カナダ、イングランド、南アメリカ、ベルギーあたりにもあるということです。

日本にもフィロスの流れをくむ「哲学カフェ」があるそうですが、Tokyo Museum Cafe Poan Boshim Kang 2nd sunday of month Japan. Ike Buro. というのがリストにあがっていました。Ike Buro とは東京、池袋かも。

「哲学カフェ」って、要するに、お茶飲みながら、哲学しましょという場所だそうだ。
このページにも書いてありましたが、基本的に哲学カフェは、コーヒー代だけで、誰でも参加でき、社会的な地位がどうとか言うことは問わず、自由に発言できる場所、だそうだ。 日本語の「哲学」という言葉はわかりにくい。哲学とはいったい何なのよと、思わずそう言ってしまうことは多いだろうけれど、「哲学」という何やら難しそうな日本語にごまかされちゃいけないよね。「てつがく」ってシンプルに「考える」ことなんだよね。ほら、誰だっけ、「人間は考える葦である」って、そんなふうに言った哲学者がいた。

森羅万象、どんなことについてでも「考えること」それは人間だからこそできることなのだろうなとやっぱり思うのです。

この記事を読みながら、ふと、佐野洋子さんの「てつがくのライオン」という詩を思い出して、本を探した。

あった、あった。さっそく「てつがくのライオン」を読み、次の「夕陽のなかを走るライオン」を読んだ。せっかくだから、あとで本1冊全部読もう。

日々、衝撃的な事件が起こります。正直びっくりするような事件ばかりかもしれません。なぜこんなことが!そんなニュースを聞くたびに、社会全体が「人」を育てる空気に満ちているか、と考えます。人と人が気持ちを、心をかよわせることができる社会であるかと考えたりもします。

そうですね、今日は私もらいおんに習って「てつがく」してみようか。2004/06/03




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