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山形・池田論争へのコメント

編集注
2007年2月にblog間で、後に「山形・池田論争」と呼ばれるものがありました。わたしは2年以上たった2009年4月にこの論争について知りました。論争当事者のblogにコメントを投稿しようとしたのですが、字数制限があって、投稿できません。コメント蘭には、ここに掲示してあることを書き込むことにして、コメント本文は、以下に掲げておます。
なお、この論争は「生産性論争」とも名付けられ、
烏蛇の論争追跡帳に詳しい追跡があります。



2年も前のポストに、いまごろコメントをすること、お許しください。

賃金水準は、なにが決めるか。国ごとの賃金格差は大きなものです。4月になって国際貿易論を始めるに当たって、いまどういう議論がされているか、WEB上で調べていたら、「山形・池田論争」というものにぶつかりました。

2009年度の第1回目の講義では、こういう議論がWEB上であったということをまずは紹介して、考える手ががりにしてもらえればと思っています。その意味で、「山形・池田論争」に謝謝!です。

経済学のかなり根本的な論点が、blog間の論争になったということで、日本のblogの水準も大分上がってきたという印象をもちました。こういう論争は、もっとあってもいいと思います。そういう中から経済学の新しい知見が生まれるようになれば、日本の(日本語による)経済学もようやく本格的といえるでしょう。

論争を蒸し返すつもりはありませんが、ことのついでに、わたしのなりの感想をすこし書いておきます。

国際貿易論にとって「山形・池田論争」がどういうように関連しているかについては、最後の補足注を参照してください。

国別の賃金格差を説明するものとしては、山形浩生さんの説明で大体よいとわたしは思っています。詳しいことは、貿易理論論半期分の講義の内容ですし、とうてい展開できません。(昨年度[2008年度]の国際貿易論の概要は、 国際貿易論2008年度に掲示してありますが、添数などの処理がないので読みにくいことお断りしておきます。)

池田信夫さんの説明は、価格体系が存在して、その上で限界生産性が個人の仕事の成果として、かなり正確に計測できる場合はよいのでしょうが、それ以外の場合は「限界生産性」という概念自体がかなり曖昧あるいは定義困難なものだと考えます。

小飼弾さんの、新説「賃金水準は、生産性で決まるんじゃない。社会の消費性で決まるんだ。」というのは、賃金水準の決定法則としてはなく、生産性の定義としては、重要なところを突いているとおもいます。

小飼さんのblogへのコメントの中でosakaecoさんが、わたしの古い論文「スラッファと不況の理論」(1978)に言及してくれています。この中でわたしは「生産性」という言葉は使っていないとおもいますが、この論文の批判の対象は「限界原理」でした。

不況になれば、社会の需要が減少し、ここの企業に振り向けられる需要も一般には減少ます。そうなると操業率が下がらざるをえず、労働を雇用労働人数で計れば、労働生産性は減少します(経営者が労働時間を完全に伸縮させることができるならば、労働生産性は変わりませんが、少なくとも一人当たりの1月あたり産出額/付加価値額は減少します)。

この意味で、生産性を左右する非常に大きな要因が需要です。小飼さんのいう「消費」は、定義を見ると「貯蓄も消費に含めている。お金の行き先を決める行為は、すべて消費ということにしている。」ということですから、普通の意味の需要/有効需要です。そうすると、子飼さんの主張は 「不況期に生産性を決める最重要な要因は、有効需要の大きさである」 ということを言っていることになりくます。わたしの立場からは大変正しい、重要な主張です。

なお、ついでに言っておけば(熱心な支持者たちからの反論必死ですが)Prescotらの実物景気循環論(Real Business Cycle Theory)で、不況期(のとくにその初期)に生産性が落ちるのは当然のことです。これを実物景気循環論は、生産性の変動という技術ショックによって景気循環が起こるといいますが、少なくともこの関係についていえば、因果関係は逆でしょう。

補足注:

国際貿易論は、ふつう貿易パタンとか貿易収支を研究する分野と考えられていますが、この理論のもっと重要な役割は、なぜ国によって実質所得水準≒賃金賃金水準に大きな差がでるかを説明/解明することだと、わたしは考えます。

この意味で国際貿易論を分けますと、基本的には @リカード・スラッファ型貿易理論 と Aヘクシャー・オリーン・サミュエルソン型貿易理論(HOS理論) の二つしかありません。

1970年代以降、山形さんの先生でもあるKrugmanなどが、貿易理論に収穫逓増を持ち込んで、産業内貿易の理論を作った(新貿易論)。1990年代以降は、アウト・ソーシングや中間財貿易の理論が発展してきた(新新貿易理論)。という状況がありますが、新貿易論も新新貿易論も、部分理論で、各国の賃金水準がどう決まるかを理解するような枠組みにはなっていません。

大学では、ふつう、@のリカード理論にちょっと触れて、そのあとAのHOS理論がより近代的な理論として紹介されています。なぜ、リカードでは不十分かというと、そこでは労働投入しか想定されていないからです。しかし、現在では、わたしの論文が示すように、任意の国の数、任意の財の数、同一財に関する複数の技術とその選択を許す場合に、リカード型理論(正確にはリカード・スラッファ型理論)が開発されています。

Shizoawa, Y. 2007 "A New Construction of Ricardian Trade Theory?A Many-country, Many-commodity Case with Intermediate Goods and Choice of Production Techniques?" Evolutionary and Instituionary Economics Review 3(2): 141-187.

二つのうち、どちらがより現実に近いかというと、この判定はなかなか難しい事情がありますが、クルーグマン&オブズフェルト『国際経済』T国際貿易(第3版) p.106に言及されているように「純粋なヘクシャー=オリーン・モデルについてはいまのころ経験的に強い反証が存在」します。

しかし、重要なのは、二つの理論の分配ないし実質賃金水準の決定に関する結論部分です。

@は、各国は異なる技術水準をもち、(一部、需要構成に左右されるものの)基本的には技術格差が各国の賃金率の差を形成する、と考えます。もちろん、2国の技術体系が近似してくれば、両国の賃金率は接近します。

Aは、標準理論では、各国の技術水準は同じ(各国の生産関数は同じ)と考え、貿易は各国における生産要素の存在比率の差から生ずる。この差異があまり大きくない状況では、各国の生産要素の価格(簡単にいうと、資本利子率と賃金率)とは、[貿易前には大きな差異があるが]貿易を通して均等化される、と結論が従います。生産関数が国ごとに異なる理論は論理的には考えられ、均衡の存在などはいえるでしょうが、ほとんど分析は不可能になります。

1990年ごろの一時期、ベトナムと日本とでは、ドル換算の名目所得水準で約70倍の差がありました。このような差をAHOS理論は、到底、説明するものではありません。わたしは理論的には、経験的証拠の点でも、政策含意において、現実的にも、@のリカード・スラッファ型貿易理論の方が勝っていると思っています。




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