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『ジェイン・ジェイコブズの世界』(藤原書店、2016年
6月)
ジェイン・ジェイコブズ生誕100年を記念して、『環』別冊の形で特集を組んでいただきました。わたしのほか、玉川英則・中村仁・細谷裕二・宮崎洋司・山本俊哉さんたちとの共同編集です。
ジェイコブズは、これまで都市計画は都市計画、経済は経済というように各分野ではそれぞれ議論がなされてきましたが、ジェイコブスの全体像を目指したものはほとんどありませんでした。今回の別冊では、都市計画・建築・経済学・倫理学・社会学など各分野の方々に執筆していただき、ジェイコブズの全体像と、日本におけるジェイコブズ地図(ジェイコブズに関心をもつ人たちの人脈図)が簡単ながら得られたのではないかと思われます。
もちろん、まだ環境学や日本社会論については、いろいろな事情で取り上げることができませんでした。そういう点の展開を含めて、この試みを基礎に新しい発展に繋がればさいわいと考えています。
わたし自身は、ジェイコブズの『経済の本質』(Tha Nature of Economy)を取り上げて議論させてもらいました。この本は、R.ソローの書評と、それを受けた山形浩生さんの解説でいわば酷評されたものです。わたしもさいしょ読んだときには、「経済の本質/自然/本性」という表題にしては、環境論・生態学の話が多すぎて、ほんとうは経済の本ではなく、環境論の本ではないかと誤読していました。今回、あらためて読んでみて、じつはジェイコブズはたいへん重要なことを言っていると気づき、この本一冊に絞ってなかながと議論させてもらいました。
(じつは、藤原書店から示された予定は40枚[16000字]だったのですが、編集会議の途中で、理系の先生方が40枚は長いとなんども言われていたので、長めの論文なんだなと勘違いして100枚[40000字]書いてしまいました。そのため、他の方々の論稿に比べてわたしの論文のみがとびぬけて長い物になってしまっています。)
この論文で主張したことは、簡単です。ジェイコブズは、経済は散逸構造であると主張したかったにちがいない、というものです。たった一行でいえることを延々と100枚も書いたのですから、すこし常軌を逸しているともいえますが、じつはこの一行が経済学(とくに新古典派経済学)の長い伝統に対する反省なので、この一行をいくらかでも説得的に主張するためには、けっきょく100枚必要だったと思っています。
では、経済学の長い伝統とはなにかというと、それは経済を均衡系(理系の用語では「平衡系」)と考え、分析するという方法です。これはワルラスやマーシャルによって明示的に唱えられるようになる前にも、すでに18世紀からある考えです。
そればかりか、Joel Kayeの近著(2014年5月)
A History of Balance, 1250-1375 / The Emergence of a New Model of Equilibrium and its Impact on Thought
によると、釣合/均衡/平衡の概念は、中世を通して一貫して「秩序あること、正義、健全さ」と結びついていて、自然と社会に関する諸著作に中心的位置を占めていたという。1280 and 1360のあいだに、スコラ的文化の中で変化したのは、この概念が大幅に拡大されるようになったことだという。この変化は、スコラ派経済思想、政治思想、医学思想、自然哲学の4つの学問分野に見られるらしい(以上は、同書の帯「解説」による)。
経済学で顕著なものの、釣合/均衡/平衡の概念は、中世には学問の各分野に深く浸透した考えだった。この点を受け入れると、近代科学は、むしろ平衡概念からの脱却の歴史だといえるかもしれない。たとえば、近代物理学は、初期の静力学的分析から動力学(解析力学)へと進化したし、熱力学も熱平衡から非平衡熱力学(非平衡統計力学)へと展開してきました。19世紀の終わりごろになって、経済学が均衡概念を明確化させたのは、むしろ科学の大きな流れに逆行するものだったのかもしれません。しかし、事実は、すでに述べたように、現在主流の経済学は、(たとえば、動学的確率的一般均衡モデルが示すように)均衡理論のいろいろな変種がいまだ最先端の方法と考えられています。
散逸構造という概念は、非平衡化学の中でプリゴージンによって構成された概念です。釣合/平衡/均衡に比べると、わずか半世紀あまりの歴史をもつにすぎません。散逸構造は、物理学や化学の教科書でも、あまりお目にかからない概念です。したがって、経済の本質が均衡系ではなく散逸構造だと主張するには、4万字を費やしても、なかなか簡単ではないのです。
さらにやっかいなのは、ジェイコブズ自身は『経済の本質』の中で「散逸構造」という言葉については、ひとことも触れていないことです。それにもかからず、ジェイコブズは経済が散逸構造であり、そう考えることが、経済というものの本質にかかわる理解の変更を迫るものだと気づいていたにちがいないというには、状況証拠の積み重ねしかありません。そうなると長々と論じたといっても、じつは最低限のことしか議論できていないのです。
こういう事情がありますが、内容の重要性を理解してもらい、じっくり読んでもらえればさいわいです。
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