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ノヴォシビルスクの印象

塩沢由典




1.ノボシビルスク市

 人口170万人。シベリア鉄道の中間拠点として建設され、現在、西シベリアの中心にあり、シベリアの実質的な首都と位置付けられている。実際、シベリア合意の事務局も、ノヴォシビルスク市におかれている。シベリアの人口は、2400万人。
過去3年間における外国投資は、1億85百万USドル。1998年の内訳は、ア合衆国46%、キプロス35%、ブルガリア10%、ドイツ3%である。なお、1994年にドイツの総領事館が開設されている。日本関係では、東北大学の北西アジア研究所の連絡センターがある。
 1957年、シベリアに科学都市を建設することになり、ノボシビルスクが選ばれた。現在のノボシビルスクは、この科学都市を中核として発展している。

2.ロシア科学アカデミー・シベリア支部

 ロシア科学アカデミー・シベリア支部は、モスクワ、サンクト・ペテルブルグとならぶロシアの研究拠点であり、多くの研究所と研究要員を抱えている。旧ソ連では、科学研究は科学アカデミーに集中され、大学はもっぱら教育機関として機能していた(双方に籍をもつ研究者はたくさんいた)。このため、科学アカデミーは、多数の研究機関をもち(1995年に総数429機関)、巨大な研究コンプレックスを形成していた。
シベリア支部は、モスクワとレニングラードを除く、最初の地方支部であり、1970年まで、現在の極東支部も傘下に収めていた。現在では、88機関がシベリア支部の管轄に入っている。ウラル支部37機関、極東支部33機関という数とくらべても、シベリア支部がウラル以東最大の研究拠点であることが分かる。
 シベリア支部の研究所の大部分は、ノヴォシビルスク市アカデムゴロドクに所在している(市の中心から約30キロはなれ、車で約1時間かかる)。同都市は、ソボレフなど著名アカデミー会員の提言を受けて、1957年の閣僚会議で建設が決定され、突貫工事により64年までには都市の全容がほぼ概成した。世界最初の大規模な科学研究都市として、筑波科学研究都市・関西文化学術研究都市のモデルとなった
研究員数は、年とともに変化している。ピークの1990年には、研究員総数は1万2千人に達したが、その後のロシア経済の危機などを反映して現在では約9千名である。このうち、博士号(PhD)保持者が現在約450名(ピーク時は600名)であり、うち教授・科学博士号保持者が150名もいる。
現在シベリア支部所属の88機関のうち、アカデムゴロドクに30機関、ノヴォシビルスク州内に全部で40機関があり、その外にイルクーツク、トムスク、ヤクーツク、クラスノヤルスク、その他の都市に分散している。

3.ノヴォシビルスクへの交通

 直線距離では、シンガポールより近い。しかし、直行便がないため、時間的には極めて不便である。今回は、成田−モスクワーノヴオシビルスクというルートをとった。これは、飛行距離からいうと50%増しぐらいになる。また、接続時間が悪いため、行きは6時間、帰りは10時間近くの待ち時間がでた。旅行時間30時間程度。肉体的にも非常にきつかった。旅費は、航空運賃が20万円弱。
航路としては、
関西空港−北京−ノヴェシビルスク
あるいは
関西空港−北京∨上海−ウルムチ−ノヴォシビルスク
という路線もありうる。接続の便および費用不明。
 ウルムチ−ノヴォシビルスク間は、毎日便がある。

4.ノヴォシビルスク全般の印象

 今回の出張(1999年8月)の目的は、シベリア支部の研究活動の実情と西シベリアの経済状況を調査するとともに、ノヴォシビルスクと関西の経済協力の可能性を探ることにあった。多くの研究所を訪問し、見学を含めて多くの要人に会うことができ、シベリア支部の現状、海外との研究協力、関西を含む日本との交流の現状等について実情を知ることができた。詳細については、別紙参照。
 西シベリア経済の状況は思ったより良好で、市場経済化の成果が確実に現れていると思われる多くの事実に接することができた。ロシアについて、日本では暗いニュースのみが報道されているが、マクロ数字の悪さにもかかわらず、全般的印象は比較的よく、町を歩いているひとびとの衣服なども、中国に比べるとかなり豊かな印象をうける。

5.ノヴォシビルスクの宿泊、買い物

 ホテルは、インツーリストのノボシビルスク・ホテルで、料金は外国人は標準1万5千円という。われわれはセリベリストフさんの紹介で4500円程度で泊まれた。その程度のホテルとおもえば、サービスはよい。
最近は、レストランもでき、ファースト・フードの店も幾つかある。また、ビールなどの食料はスーパー・マーケット、コンゴニエンス・ストアでなに不自由なく買える。




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