市場には商品の需要と供給のバランスが一致する均衡価格へ調整する機能「神の見えざる手」が働いている、と高校のころに習った記憶がある。十八世紀の経済学者、アダム・スミスの有名なこの思想は以後、より精密な理論が積み重ねられ、今に至るまで、経済学の基礎理論とされている。
しかし塩沢さんは、「この理論をこてんぱんに変えてしまうところから複雑系経済学は始まります」と言う。「現実の市場は、もっと売りたい、もっと生産したいという人の思わくが大きく働いている。経済の大きな部分を支配する金融市場は、価格が上がると思うと実際に上がり、下がると思ったら下がるんです」
従来、経済学はこの市場理論と市場の現実のずれを埋めるために、いろんな仮説を付け加え、無理矢理納得させてきた。しかし、そろそろ限界、という。「経済の末端にいるのは人間なんです。市場は人間との相互作用で形成される。決まった均衡価格があるわけではなくて、人間の心理や行動の影響を受けて常に揺らいでいる。ですから、理論の積み重ねだけでは、説明できない」
だからといって、ほうっておくわけにはいかない。1997年7月に始まったタイの金融危機は、アジア中に飛び火し、ロシアの事実上のデフォルト(債務不履行)へつながった。いつ同じようなことが起き、アメリカやヨーロッパ、日本を金融危機に巻き込むか分からない、ではたまったものではない。
経済の破壊は、政治システムの破壊にもつながり、戦争や全体主義の再来にも繋がりかねない。予測できないなりに、対策を講じなければならない。そこで理論や計算式に変わる、複雑系経済学的な第三の手法として注目されているのが「コンピューター・シミュレーション」。
塩沢さんたちは、コンピューター上で現実そっくりの仮想の金融市場をつくり、市場の特性を調べる研究を現在すすめている。社会的事件、投機家の心理がどう影響するか。様々な条件を与えてコンピューターシミュレーションし、どういう確率でバブル期が生ずるか。ある種の取引きを制限すれば、市場の安定にどうかかわるか。同じ状況が再びきたとき、同じ現象が起こるか。
経済学だけでなく、工学、心理学といった分野もかかわる。塩沢さんとともに研究する同大学助教授の大橋文彦さんは本来行動心理学の研究をしていた。
「人間くさい熱い学問なんですよ」。
インタビューに応じてもらったのは大阪駅前第三ビル(マ階の大阪市大交流センター)。窓の外に、商都・大阪の街並みが広がる。理論や数字ではなく、実際の街で経済活動を支える人間を見据えた新しい経済学が始まろうとしている。
人間見据えた複雑系経済学塩沢由典
大阪市立大学経済学部教授
@本わ経済@
◇かがやき◇
◎先端・塩沢プロ
(しおざわ・よしのり)1943年長野県出身。京都大学理学部卒業。大阪市立大学経済学部助教授などを経て89年より現職。日本ベンチャー学会理
事。著書に『複雑系経済学入門』など。