著書、学術論文等の名称 | 単著、 共著の別 | 発行又は 発表の年月 | 発行所、発表雑誌等又は発表学会等の名称 | 概 要 | |
( | |||||
<全体について主要な役割 | |||||
1 | 『数理経済学の基礎』 | 単著 | 昭和56年10月 | 朝倉書店 iv+208頁。 | 均衡概念をつかわずに経済を循環過程と捉える立場から商品の諸循環を解析。 数学的には高等学校程度の知識を仮定、 基礎から数学的に展開した。 必要な数学定理をわずか二つに集約し、すべてをそこからの系として導いた。簡潔な展開により、線形経済学への入門と理論の展望とができる。マルクス経済学系の大学院生の数理経済学への入門書として定評を受ける。1985年、 中国でも翻訳出版された。 |
中国語翻訳 『数理経済学基礎』張強等訳 | 昭和60年10月 | (中国・杭州)浙江人民出版社 216頁] | |||
2 | 『近代経済学の反省』 | 単著 | 昭和58年11月 | 日本経済新聞社 ix+414頁。 |
近代経済学の基礎となる「均衡」概念を中心に方法論的反省を加える。第1部では理論的枠組みの検討、第2部では分配論的言説の説得論的分析を行い、第3部では過程と循環の枠組みによる経済学展開の可能性を探った。序説「学の精神分析のために」で、経済学の理論的展開をとりまく磁場を客観化し、第6節「マルクスの搾取理論」では、労働価値論の術語系が説得的定義の言語体系であることを論証した。 |
3 | 『市場の秩序学/反均衡から複雑系へ』 | 単著 | 平成2年9月 | 筑摩書房 iii+333+viii頁。 | 市場経済を複雑系と捉えることから経済学の新たな出発点を探る。第1部では、自己形成する秩序としての経済システムの特性を論じ、第2部では定常過程の経済学者としてのスラッファを研究、第3部では計算量の観点から従来の経済学における主体行動論を点検、第4部で複雑系としての経済分析を構想する。平成3年度サントリー学芸賞政治経済部門を受賞。この本の副題「反均衡から複雑系へ」は、日本語の本の表題に「複雑系」が登場した最初のものといわれる。 |
『市場の秩序学』文庫化 | 平成10年4月 | ちくま学芸文庫(筑摩書房) 増補:解説「『市場の秩序学』その後」 396+viii頁 | |||
4 | 『大学講義 ベンチャービジネス論』塩沢由典編 | 共著 | 平成3年3月 | 阿吽社 ii+291頁。 | 編者(塩沢)が企画・主宰した大阪市立大学経済学部の第1回企画講座「経済発展と企業家精神(ベンチャービジネス論)」を1冊の本にまとめたもの。創業の経営者の講義にたいしそれぞれ2頁程度の編者のコメント「ちょっと一言」を付す。第1講「企業家精神をみる目」(pp.2-12)と補講「ハードル競争とモグラたたき−−入門以前 企業経営論」(pp.253-286)は編者の執筆。第10講シンポジウム「ニュウビジネス時代の企業家精神」の司会をも務める。 |
(共著者)小嶋淳司、大川功、高原慶一郎、倉光弘己、川上哲郎、ほか7名。 |
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5 | 『市場経済的発展機制』紀玉山編訳 | 単著 | 平成6年4月 | (中国・長春)吉林大学出版 256頁。 | 1992年9月の吉林大学における塩沢の講義録(第1章〜第12章)を中心とし、付録として塩沢由典の日本語関係論文4本および編訳者紀玉山の論文1本と解説を採録している。講義録部分は中国語でのみ発表されている。市場経済の発展メカニズムを複雑系経済学の立場から解説した。定常過程における循環視点、経済過程の自律性、人間行動と知識の関係、数量的調節過程、技術選択と価格、経済発展に占める技術進歩の重要性などを取り上げている。 |
(中国語「市場経済の発展メカニズム」) | |||||
6 | 『複雑さの帰結/複雑系経済学試論』 | 単著 | 平成9年6月 | NTT出版 iii+314頁。
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合理性の限界は記号処理に手間が掛かりすぎる問題である。人間の経済行動は最大化行動ではなく、多くの場合、習慣=プログラム化された定型行動として捉えられると主張する。人間は、このような定型行動のレパートリーをもち、経験に学びつつ、その中から適切なもののを選出していく。この結果としての、行動の変化が行動の進化である。経済学にとっての複雑さが@社会システムそのものの複雑さ、A行動の条件としての複雑さ、B世界認識における複雑さの3つの側面から考察しなければならないことを指摘し、経済学の課題として行動と知識の密接な関係を明らかにした。 |
7 | 『複雑系経済学入門』 | 単著 | 平成9年9月 | 生産性出版 xix+442頁。 | 経済学には、なぜ複雑系の視点が必要か(第1部)から始まり、新しい科学知としての複雑系の歴史(第2部)を解説し、合理性の限界という視点が経済学をどう変えるか(第3部)、そのような視点から経済を見直すとどうみえるか(第4部)を解説した、複雑系経済学の世界でも最初とおもわれる総合的解説書。相対取引に注目し、経済が自己組織系としての機能し、進化する存在であることを説いている。ソウル大学を始め、多くの大学で教科書として採用された。 |
韓国語翻訳 『Wae pokjapkye kyonjaehak inka』イン・チェソンと技術と進化の経済学研究会訳 | 平成11年3月 | (韓国・ソウル)Purengil Co. 423頁。 | |||
8 | 『R&Dと人材育成』塩沢由典監修・関西生産性本部「R&D」交流フォーラム編 | 共著 | 平成11年12月 | 学際図書出版 vii+340頁。 | 監修者が提案し、1993年以来、コーディネータを務める、関西生産性本部の「R&D」交流フォーラムの諸成果の内、研究者のキャリア形成を中心に、研究開発の今後(第1部)、ケース・スタディ(第2部)、研究開発の企画担当者たちによる座談会(第3部)をまとめている。監修者は「まえがき」と第3部「座談会」の司会を担当している。この座談会では、研究所長や研究開発の企画担当者たちが直面している永遠の課題を監修者が分類・整理し、そのそれぞれについて担当者としての知恵を語ってもらった。 |
9 | 『方法として進化』進化経済学会・塩沢由典編 | 共著 | 平成12年6月 | シュプリンガー・フェアラーク東京 vii+279頁。 | 進化経済学会の3回の年大会の報告から塩沢が選択・編集した報告を基礎に新たに書き下ろしてもらった8本の論文と塩沢による解説論文からなる。塩沢は序章「方法としての進化・解説」(pp.1-26)と第1章「進化経済学の課題」(pp.29-51)を担当している。第1部では経済研究の方法としての「進化的視点」の可能性や留意点が、第2部では進化経済学の遺産としての制度・ハイエク・定常性が取り上げられ、第3では進化経済学としては珍しい話題である金融市場の進化論的研究が取り上げられている。編著ではあるが、全体としてまとまった主張をもった一冊に仕上がっている。 |
10 | 『生産性運動の昨日・今日・明日』塩沢由典監修 財団法人関西生産性本部編 | 共著 | 平成13年4月 | 生産性出版 v+233頁。 | 大阪市立大学経済学部創立50年の企画講座「生産性運動と経済発展」を基礎に編集したもの。生産性運動は、戦後の日本経済の発展に大きな貢献をしたが、その全体像を俯瞰した著作は多くない。本書は、生産性運動の今日的広がりを理解してもらうのに手ごろな一冊として評価されている。塩沢は第1章「生産性運動の意義と課題」pp.17-34、第3部シンポジウム「これからの生産性運動の展開」pp.191-225のパネリスト、および「あとがき」pp.230-232を担当している。他の執筆者は、森井清二・辻本健二・島本康夫・前川朋久・大泉正征・豊田武彦・吉岡慎一・間宮繁雄・佐藤和夫・平井紀夫・前田修・吉村明・海老塚明である。 |
11 | 『マルクスの遺産/アルチュセールから複雑系まで』 | 単著 | 平成14年3月 | 藤原書店 446頁。 |
1975年以降、マルクスとマルクス主義、社会主義と社会思想について書いてきた17本の論文に対談およびインタビュー各1本を選び、各章に現在時点に立っての解題を付けたもの。最終19章には、本書に取り上げた考えと現在の思想との関係について略説した。マルクスは負の遺産であるが、それを引き継ぎ発展させるところからしか、真の経済学と思想とは生まれないというのが、本書の基本的立場である。 |
<単行本の一章を分担執筆 | |||||
1 | タイ自動車工業にみる日本の部品企業展開」 | 単著 | 昭和57年3月 | 宮崎義一編 『多国籍企業の研究』 筑摩書房 pp.172-241。 | タイにはいまだ本格的な自動車工業は育っていないが、その重要さに鑑み、タイ政府は、1960年代以降、国産化推進のためにさまざまな法制と施策とを取っている。本論文はこのような政府の政策に対応する、日本の自動車メーカーの現地組み立て・生産への転換と、その前提となる部品企業産業の現状、および日本の部品企業のタイ進出の経緯について調査し、日本企業の多国籍化の一パタンを分析した。 |
2 | 「社会の技術的能力−−静的概念と動的概念」 | 単著 | 平成2年11月 | 中岡哲郎編『技術形成の国際比較』筑摩書房 pp.333-361。 | 途上国への技術移転は経済援助の大きな項目のひとつであるが、さまざまな面からその困難が指摘されている。本論文は、ひとつの社会がもつ技術の受容能力・開発能力の諸要因とその相互関係を分析する。編者の中岡教授はかねてから「技術形成の社会的能力」という概念を提唱されてきたが、本論文では一定の技術水準を支える「静的能力」と所与の技術力のうえに新たな進歩を可能にする「動的能力」との区別を導入した。 |
3 | 「時間、認識、パタン−−渡辺慧の軌跡」 | 単著 | 平成2年12月 | 渡辺慧『フランスの社会主義の進化/渡辺慧初期論文集』思想の科学社、解説。 227-272頁。 | 物理学・時間論・認知科学・社会思想の多方面に活躍した渡辺慧の論文集への解説。渡辺慧の全体像を描出すべく架空の鼎談方式をもちいた。 |
4 | 「合理化と計画化−−危機の時代の社会科学」 | 単著 | 平成5年2月 | 『20世紀社会科学のパラダイム』岩波講座『社会科学の方法U』岩波書店、137-183頁。 | 両大戦間の経済思想として重要な「合理化」と「計画」の二つの思想がどのような時代背景のもとに生まれ、育ってきたか、その問題点はなにかを、L.アーウィックとO.ノイラートに焦点を当てて考察した。特に論理実証主義の宣言を書き上げた社会学者ノイラートの社会思想とバイエルン共和国の計画局長であった事実とがどのように連結するかについて解明を試みた。 |
5 | 「J. v.ノイマン 経済学を変えた二つの論文」 | 単著 | 平成6年4月 | 『現代経済学の巨人たち1』日本経済新聞社、238-249頁。 | 多彩な数学者・量子力学の体系化・電子計算機の基本設計者・原爆と大陸間弾道弾の推進者であるとともに、経済学にも大きな足跡をのこしたJ. v.ノイマンの生涯と業績を紹介した。『日本経済新聞』連載(平成4年)の再録。 |
文庫化『現代経済学の巨人たち/20世紀のひと・時代・思想』日経ビジネス文庫、284-297頁。 | |||||
6 | 「企業内の自由と個人主義」 | 単著 | 平成6年7月 | 内橋克人・奥村宏・佐高信編『企業活動の監視』(日本会社原論5)岩波書店、39-58頁。 | 企業内では、自由と個人主義とが制約されている。しかし、研究開発などを例にとると、今後独創的な研究を育てていくためには、自由で闊達な気風が必要である。日本企業に巣くう平等主義と画一主義を打破し、自由と個人主義を企業内に生かすべきことを論じた。 |
7 | 「大学は二十一世紀に生き残れるか」 | 単著 | 平成7年2月 | 磯村隆文・大川勉編『新しい日本型大学』阿吽社、2-29頁。 | 大学は、長い間、社会の知的中心として機能してきた。中世以来の歴史を振り返れば、その役割が低下したこともあるが、19世紀の大学改革に見られるように、時代の変化に対応して自己改革を行ってきた。20世紀末の現在、大学は、あたらな危機を迎えている。インターネットの普及や研究・開発投資に占める大学比率の低下によって、知識の創造・流通・蓄積の仕組みが大きく変わりつつある。このような中にあって、大学が社会の知的中心でありつづけるためにはなにが必要か考察した。とくに、社会科学方面では、社会人大学院を新しい知の創出装置とすべきことが提案されている。 |
8 | 「働く場の変容と再設計/情報化は在宅勤務を可能にするか」 | 単著 | 平成7年12月 | 『仕事と遊びの社会学』(講座現代社会学20)岩波書店、97-114頁。 | インターネットの普及は、ひとびとの仕事のあり方をも大きく変える可能性がある。ここでは、在宅勤務などがデザイナー・翻訳者・企画担当者など一部の職種では進行するものの、研究開発部門や生産部門、営業部門では従来の勤務形態を大きく変化させることが困難であることを指摘し、情報化によって働く場の変容は起こるものの、言われているほどの速度では進行し得ないことを示した。 |
9 | 「延期−投機原理とシステム内行動」 | 単著 | 平成8年6月 | 石原武政・石井淳蔵編『製販統合/変わる日本の商システム』日本経済新聞社、267-302頁。 | 流通機構の各節点において、個別品目の在庫量をどの程度にすべきかの計算が可能である。それぞれの節点における需要のゆらぎの特性と在庫量調整・在庫費用のあり方により、最適数量が決まるが、それは流通経路全体とかなずしも整合するものではない。そこに、より整合性の高い流通形態が生まれる原動力がある |
10 | 「複雑系と進化」 | 単著 | 平成10年9月 | 進化経済学会編『進化経済学とは何か』有斐閣、第8章、99-119頁。 | 進化と最適化の問題は、進化経済学および複雑系経済学の重要課題である。論文では、1940年代から50年代にかけて行われた限界主義論争とそれに付随して生じた一議論(たとえ、工場長など数量決定者が自己の限界費用を認識していなくても、競争的選択が働く結果、限界原理が優越するようになるという主張)に対し、選択により不断の進化が起こるにしても、それにより最適な行動が選択されることにならないこと、非現実的と見える仮定から正しい結論が導かれることが理論の高い説明力を表すというM.フリードマンの科学哲学的主張に対し、それが理論の体系に対する論理上の誤解を含んでいることを示した。 |
11 | 「資本主義の複雑さと経済学の理論」 | 単著 | 平成11年2月 | 横川信治・野口真・伊藤誠編『進化する資本主義』日本評論社、79-97頁。経済セミナー』No.519、1998年4月号、42-48頁、の再録。 | 資本主義経済は、その成立以来、大きく変化してきた。その歴史を記述しようとするとき、適当な時代区分を設けて整理せざるをえない。ここから、歴史を輪切りにして段階ごとに時代の特徴を捉えるという記述スタイルが生じてきた。しかし、これは整理のために有効であっても、資本主義経済の展開機構を解明する点では偏った見方といわなければならない。生活に使われる商品群が徐々にしか変わらないように、経済の諸制度は、常に複数のものが並列的・競争的に存在していると見るのが妥当である。このような見方は、柳田國男が指摘する「つらら型」の歴史観に通底するものがある。 |
英訳 Econmic Theory and the complexity of capitalism | 平成13年7月 | G.H.Hodgson, M.Itoh and N. Yokokawa (Eds.) Captialism in Evolution, Edgar Elgar, Cheltenham, U.K., 2001, pp.36-47。 | |||
12 | 「開発政策のパラダイム転換と持続的発展」 | 単著 | 平成12年2月 | 芦田文夫・高木彰・岩田勝雄編『進化・複雑・制度の経済学』新評論、37-49頁。 | 開発政策は、1970年の前後で大きく変わってきた。初期の構造主義から新古典派復興を経て開発経済学は新古典派が主流になってきた。その変化の背景には、社会主義の停滞や世界銀行やIMFの政策もある。しかし、1990年代には、東アジア・東南アジアの諸国はある種の転換点に到達し、アジア金融危機をも経験した。開発経済学には新しいパラダイム転換が要請されている。「市場か国家か」という2分法では持続的発展を可能にする社会・経済を創造することはできない。NPOなど第3の担い手の役割が増大するだろうと指摘する。 |
13 | 「計算機科学と学問的思考」 | 単著 | 平成12年10月 | 山崎正和・西垣通編『文化としてのIT革命』晶文社、54-65頁。 | 計算機(コンピュータ)の発達は、学問研究の方法までも変えつつある。計算化学が大きな成功を遂げたように、自然科学や工学の方面では、計算機は学問研究の様相を変えつつある。同様なことは社会科学においても生じている。複雑な相互作用の体系を対象とする経済学は、従来、文学的方法と数学的方法しか持たなかったが、マルティ・エージェント・モデルの発達により第3の分析手段を持つようになった。W.ウィーヴァーが指摘した「組織された複雑さの問題」に取り組む適切な手段を社会科学は初めて手にしたといえる。U−Mart計画は、具体的には株価指数の先物市場をヴァーチャルに出現させるに過ぎないが、社会化学の方法という観点からは、第3の科学研究法の構築を目指すものでもある。 |
14 | 「市場の思想・計画の思想」 | 単著 | 平成13年1月 | 樺山紘一他編『20世紀の定義3 欲望の解放』岩波書店、53-75頁。 | 20世紀において「計画」は、資本主義国・社会主義国を問わず、ひどびとを捉えた経済思想であり、実現目標だった。論文では、「計画」について経済学者たちがどう考えてきたか、原文を引用・紹介するとともに、計画の可能性にかんする熾烈な論争の中から「市場」にかんする深い理解が生じてきたことをも示した。 |
15 | U-Mart: A Test Bed for Interdisciplinary Reserch into Agent-Based Artificial Markets | 共著 | September 2001 | Japan Association for Evolutionary Economics and Y.Aruka(Eds.), Evolutionary Controversies in Economics, Springer-Verlag Tokyo,pp.179-190. | 申請者が代表を務める「U−Mart計画」の目的、意義、研究計画の現状についての総合報告。U−Martは、コンピュータを用いて株価指数の先物市場をヴァーチャルに創造し、その市場の性質を研究することにより、激しい変動を繰り返す金融市場について研究しようとするもので、工学者と経済学者の共同で研究が進められている。他のマルチエージェント・モデルなどとの差異は、人間がコンピュータ・プログラムと同じ立場で参加できること、指数先物という参照点を持つことで、現実に接点を持っていることなどにある。 |
[塩沢の分担]全体計画の企画と統括 | |||||
共著者 Sato H., KoyamaY., Kurumatani K., Shiozawa Y., and Deguchi H. | |||||
(学術論文) | |||||
1 | 「負の労働を投下することは不可能であるか」 | 単著 | 昭和52年4月 | 一橋大学『経済研究』第28巻第2号、180-185頁。 | 線形の生産技術系をひとつ決めるとき、 それが結合生産を持たないならば、 技術系が生産的ならば体化された投下労働量はつねに正となる。 しかし、 結合生産がある場合には、 かならずしもこの命題は成立せず、 その場合の投下労働量をどう解釈するかの問題が生ずる。本論文は、 耐久資本財から派生する結合生産の場合に、 生産中断により労働が節約される場合として負の投下労働量が理解されることを示した。 |
2 | 「広義の生産の範囲での投下労働量」 | 単著 | 昭和53年8月 | 理論・計量経済学会『季刊理論経済学』第29巻第2号、172-178頁。 | 論文(1)と同一の場合に、 二つの非負の生産の差として広義の生産を考えると、 高齢の耐久資本財に体化される投下労働量がうまく定義されることを示した。 |
3 | 「動学理論の構造と矛盾(1)〜(4)」 | 単著 | 昭和54年7月1日〜10月1日 | 『経済セミナー』第294号 68-75頁、第295号 74-82頁、第296号 52-60頁、第297号 104-112頁。 | 景気循環にともなう実質賃金率の変動についてはケインズの考えを動学化したとされる置塩信雄のモデルが有名である。 ところが、 このモデルには時間の中での決定関係に考察不十分なところがあり、 その過誤が均衡論の枠組みによって隠されていた。 本論文は、 過程分析における決定関係の重要性から説き起こし、 置塩体系の理論的矛盾を解明し、 結論として実質賃金率の変動にかんし何が言えるかを議論した。 |
4 | 「生活の再生産と経済学」 | 単著 | 昭和55年3月 | 『思想の科学』第6次第116号(通巻324号)、97-106頁。 | 20世紀の後半に入って顕在化してきた「エネルギー危機」と「環境の危機」とは、生産の領域における技術の変化とともに、人間の生活とその再生産の様式にかんする反省を強要している。本論文では、マルクスと大熊信行とを手掛かりとして、われわれの生活を@生命の再生産、A物的財の再生産、B生活様式の再生産、C文化・知識・社会倫理の再生産の4つの相に分析し、それらの再生産条件について考察した。 |
5 | 「経済学4つの基本問題」 | 単著 | 昭和57年5月 | 『経済セミナー』 第328号、72-80頁。 | マーシャル以来の収穫法則をめぐる議論を総括し、真に展開すべき収穫逓増企業を分析するためには、経済学が四つの未着手領域[ @不分割性、A市場、B貨幣、C投資]における新しい理論の枠組みを形成する必要があることを主張した。『経済セミナー』の次号329号pp.54-67では、本論文の提起をうけて、林敏彦・猪木武徳・塩沢由典による討論会「現代経済学の主要問題」がなされている。 |
6 | 「カーン・ケインズ過程の微細構造」 | 単著 | 昭和58年9月 | 大阪市立大学『経済学雑誌』第84巻第3号、48-64頁。 | 有効需要がどのように波及するかについては多くの研究があるが、 本論文は、各企業が各期の自社製品への需要を信号として需要予測する場合に、 どのように生産水準の調整が進むかを分析したもの。既知の情報でも他企業の需要は把握できないとして、情報の流れを厳密にあつかつたものとしては最初の試みである。その後、この研究は谷口和久(1991)、森岡真史(1992)などとして発展している。 |
7 | 「上乗せ価格を帰結する複占論争」 | 単著 | 昭和59年3月 | 大阪市立大学『経済学雑誌』第84巻第6号、12-24頁。 | 寡占的企業が原価に一定率のマージンを上乗せして価格設定し、
定価販売していることはよく知られているが、 競争的条件下にその行動を理由づけたものは見られない。
本論文は、購買者が価格比を基準として製品供給先を選別する行動を取るとき、 ホテリング的競争の結果、 上乗せ価格が出現することを示し、
かつ数学的にはその逆も成立することを証明した。 |
8 | 「量子論理上のケインズ確率論」 | 共著 | 昭和60年1月 | 大阪市立大学『経済学雑誌』第85巻第5号、1-38頁。 | ケインズはそのフェローシップ論文となった『確率論』で、確率の頻度説解釈に反対し、確率は命題間の推論の確かさによるとの立場から、命題推論の公理体系を提案している。本論文は、その公理体系が量子論理の自己共役作用素モデルによってほとんど実現されること、分配法則はモジュラー法則により置き換えられる必要があること、などを示した。 |
共著者(塩沢由典・中村八束) | |||||
9 | 「国際貿易と技術選択−−国際価値論によせてT」 | 単著 | 昭和60年3月 | 大阪市立大学『経済学雑誌』第85巻第6号、44-61頁。 | 貿易論におけるリカードウの比較生産費説は、 ヘクシャー&オリーンの系統の発展以外に、古典派の伝統に基づくスラッファ派からの貢献があるが、その理論はマクロな立場からの効率論議に終わっており、個別企業の技術選択の観点がかけている。本論文は、その欠陥を補う立場から、技術の選択理論が国際貿易論に適用できること、貿易利益の議論を雇用量など数量面でも行う必要があること、を示した。 |
10 | 「計画経済における価格形成と技術選択」 | 単著 | 昭和61年3月 | 大阪市立大学『経済学雑誌』第86巻第6号1-44頁。 | 中央集権的計画経済においては、 価格は、
需給の調節のためでなく、独立採算による企業の業績評価の基準として機能している。 しかし、
この評価は、価格体系に大きく依存するため、どのような価格体系を形成すべきかが重要となる。本論文では、資本制約のもとに最大の経済成長率を達成しようとするとき、生産価格を基礎として技術変化を考慮した体系が好ましいことを示す。 |
11 | 「無制限労働供給下の発展と食料問題」 | 単著 | 昭和61年11月 | 大阪市立大学『経済学雑誌』第87巻第4号54-74頁。 | 途上国の経済発展を無制限労働供給下の資本蓄積問題と捉えたアーサー・W・ルイスの議論は有名であり、多くの開発理論家に引用されているが、その理論的基礎が十分検討されているとはいいがたい。本論文は、農業部門から工業部門へ労働力が流出するに従い一人当たりの食料生産量が上がることから帰結される理論の修正の必要を指摘したもの。 |
12 | 「機械化と労働雇用−−リカードウ、ヒックス、フォン・ノイマン」 | 単著 | 昭和62年1月 | 京都大学経済論叢』第139巻第1号、109-129頁。 | 省力型機械の導入が労働雇用を減少させるか否かは、 リカードウの議論以降、 経済学でも繰り返し論じ直されている。 しかし、 その議論はすべて、ひとつの機械が一定の労働投入によって新たな機械を作り出すという自己増殖型生産の仮定に基づいている。本論文は、フォン・ノイマン型の多産業・多製品という一般の場合に、リカードウ以来の議論がどこまで可能か分析したもの。 |
13 | "The Primacy of Stationarity: a Case against General Equilibrium Theory" | 単著 | 平成1年1月 | Osaka City University Economic Review,Vol.24, No.1. pp.85-110。 | 経済学の主流の枠組みである一般均衡論では、 経済主体が所与の資源を与件として価格に反応し、 超過需要を市場に伝達することになっているが、主体に要求される計算量を考えれば、このような行動は不可能である。本論文は合理性の限界のもとにある人間の経済行動の基底に仮定されている定常性を取り出し、今後の理論的枠組みにおいては経済の状況を「ゆらぎのある定常過程」と捉えることが重要であると論ずる。 |
14 | 「ゆらぎ・あそび・ゆとり−−複雑系の三つの視点」 | 単著 | 平成1年10月 | 社会・経済システム学会『社会・経済システム』第7号、41-48頁。 | 経済という複雑な系は、 ゆらぎのある定常性、 あそびのある結合、
ゆとりのある主体の生存条件という三つの視点から捉えられる。
人間の能力は、視野・合理性・働きかけの三面においてそれぞれ限られているが、そのような能力の人間にも経済がある程度予測可能であり、そこでの行動が意味あるものでありうるのは、限定的にも系の運動が循環的であり、結合のあそびにより小さな部分系を独立させることができるからである。 |
15 | "Significance of Circularity in Sraffa" | 単著 | 平成2年1月 | Osaka City University Economic Review,Vol.25, No.1. pp.47-58 | スラッファの主著における "replacement"条件を、事態の再生産を可能にする条件の追及とみる立場から、この条件を分析の基礎に置いたスラッファ経済学の方法上の現代性を指摘する。トロント(カナダ)における History of Economics Society の学会で報告された論文の収録。 |
16 | 「韓国のベンチャー・キャピタルとベンチャー・ビジネス」 | 単著 | 平成3年12月 | 大阪市立大学証券研究センター『証券研究年報』第6号、41-79頁。 | 新しい事業・新しい産業が次々に生まれてくることは、一国の経済の活性を保つための重要な条件である。新しい企業の設立・成長はそのひとつの源泉であり、ベンチャー・キャピタルはそのような企業への資金提供者としておおきな役割を果たしている。本論文は、日本に遅れて出発した韓国のベンチャー・キャピタルの現状分析として日本最初のもの。ここでも韓国の追い上げは急速である。 |
17 | ”What Can We Learn from Maketization?" | 単著 | 平成2年7月 | Osaka City University Economic Review, Vol.25, No.2,pp.21-50。 | 社会主義諸国における市場経済化(計画経済から市場経済への移行)という新しい事態から経済学は、なにを学べるか。また、以降に成功するためには、経済学はなにを意味しうるか。このような問題について、経済学者の協力を呼びかけた。 |
18 | 「学士課程教育−−経済学の場合」 | 単著 | 平成2年11月 | 『一般教育学会誌』第12巻第2号(通巻22号)、15-19頁。 | 一般教育学会での招待講演をまとめたもの。将来政策担当者となる人以外にとって経済学の学部教育はいかなる意義を持ちうるか。市民の教養として経済学のためには、いかなる授業内容が必要かを論じた。 |
19 | 「市場経済化と経済学の課題」 | 単著 | 平成3年5月 | 『経済セミナー』通巻436号、6-11頁。 | ソ連・東欧での市場経済化と同時代に生きるものとして、この大きな実験から経済理論はなにを学ぶべきか考察した。 |
20 | 連載「20世紀と経済学」 | 単著 | 平成4年4月〜平成5年11月 | 『経済セミナー』第1回第447号、1992年4月〜第19回(最終回)通巻466号、1993年11月。 |
20世紀という時代から経済学は、どのように規定されているのだろうか。巨大企業化、計画経済の試み、途上国の経済発展の3つのトピックによって、20世紀とその時代の経済学との有機的な関連を描きだそうとした。 |
21 | 「実物による制御あるいは実物域の記号作用」 | 単著 | 平成4年10月 | 『社会・経済システム』第11号、14-19頁 | コルナイの「経済システムの二元論的記述」をヒントに経済システムの調整機構の特徴を探った。システムの制御というと、情報による制御に注目が集まる。しかし、経済のような複雑なシステムでは、売れ行きや在庫など、実物の移動・増減による制御・調節が重要である。貨幣も、この目でみると、実物による制御という側面をもっている。 |
22 | 「システムを作り変える−−なにが可能でなにが不可能か」 | 単著 | 平成4年10月 | 『社会・経済システム』第11号、25-30頁 | R.ニーバーの祈りにヒントを得て、システムを作りかえるに当たっての留意点を考察した。何を変えることができ、何は変えることができないか。社会科学は、これを識別する知恵を与えるものでなければならない。 |
23 | 「関西の知名度はなぜ低いのか」 | 単著 | 平成4年8月 | 『イグザミナー』(上)、通巻59号、1992年8月;(下)、通巻60号、28-32頁 | 国際的に見た場合、関西の知名度は高くない。人口や経済規模では、台湾やシンガポールをしのぎ、カナダに匹敵する地域であるが、世界に対する情報発信では関西は大きく遅れている。論文では、文化大使、エディターズ・ハウス、若手芸術家村、感覚工学部の4つについて、それぞれ具体的な提言を行った。 |
24 | 「組織における世界像分業」 | 単著 | 平成5年11月 | 『経済学雑誌』第93巻第3・4号、14-31頁 | 組織を作るとき、そこに作業の分業が起こることは常識である。論文では、各人がもつ「世界像」においても職務上必然的に分業がおきており、担当領域だけでなく、視野や精度においても差異がある。組織のおける分権やコミュニケーションは、このような世界像における分業を前提として考えなければならいことを指摘する。 |
25 | 「中国における不足の経済論争」 | 単著 | 平成5年9月 | 『月刊フォーラム』第4巻第9号(通巻38号)、33-41頁 | 市場経済化の進む中国における理論経済学の動向、とくに不足の経済と経済の効率性を巡る議論を紹介し、マルクス経済学がこのような課題に問題提起も解決策も生み出せていない現状を指摘した。 |
26 | 「高度多重メディア時代と地方の可能性」 | 単著 | 平成6年3月 | 『徳山大学総研レビュー』(徳山大学総合経済研究所)第5号、16-28頁 | チャンネル特性という観点から多様なメディアを概観した後、新しいメディアの登場に伴う情報の一極集中の問題とCATVを地方の創造的なメディアに育てるための方策について述べた。 |
27 | 「市場・組織・ネットワーク/ネットワークは第3の秩序か」 | 単著 | 平成6年7月 | 『経済学雑誌』第95巻第1・2号、1-27頁 | 市場と組織に代わる第3の秩序としてネットワークに注目する議論がある。論文では、ネットワークへの期待は一部、市場と組織の働きに対する誤解から生じていること、近代社会においては酬の原理は交換と再配分の原理を補完するものと見るべきことを指摘する。 |
28 | 「市場概念の大転換と経済学」 | 単著 | 平成6年10月 | 『社会・経済システム』第13号、20-26頁 | マルクス経済学はなぜ計画経済の失敗を予知することができなかったのか。経済体制を所有制の差異においてみた史的唯物論そのものに欠けるものがあったからである。市場経済化は所有制の重要さを示しつつあるが、所有制がすべてを解決するものではない。 |
29 | 「システム二元論の誤謬」 | 単著 | 平成7年5月 | 『比較経済体制研究』第2号、6-23頁 | 経済システム論はしばしば実物領域と情報域とに分けて考察されてきた。しかし、財はその存在量がそれ自体として情報的作用をもっている。特に特異なのは貨幣である。貨幣はバーチャルな世界では情報としてのみで存在しうるが、その数量を恣意的に変化させることができないという物質性をもっている。情報と実物への2分法には警戒が必要である。 |
30 | 「ミクロ経済学を第二水準で理解する」 | 単著 | 平成7年6月 | 『経済セミナー』、第485号、(1995年6月号)、6-11頁 | 学生向けに書かれた。ミクロ経済学を真に理解するには、二つの水準でそうすることが必要である。ひとつは教科書の説明が分かること、もうひとつはなぜそのような説明がなされるのか、理論の内的論理を理解することである。 |
31 | 「21世紀の経済学」 | 単著 | 平成7年10月 | 『経済研究年報』(大阪経済法科大学)第14号、57-73頁 | 村上泰亮と並木信義の2著および1970年代おける経済学の反省と20世紀の経験とを勘案して21世紀の経済学として見えてくるものとして制度経済学があることを指摘した。 |
32 | 「関西文化学術研究都市 第2ステージの課題」 | 単著 | 平成7年12月 | 『経済と労働』(東京都労働経済局)'95・経済特集T、28-36頁 | 関西文化学術研究都市は、10年の建設によって都市として概成したが、科学都市としてはまだ機能が十分に発揮できていない。筑波研究学園都市と違い、民間主導のプロジェクトでもあり、研究機能の集積のメリットが出にくい構造になっている。そうした条件を踏まえて、第2ステージに要請される2つの課題について考察した。 |
33 | 「制度の経済学をいかに進めるかI、U」 | 単著 | 平成8年3月 | 『経済学雑誌』第96巻第3・4号、1-12頁、1995年11月20日;第96号第5・6号、46-65頁 | 経済学の中心課題のひとつが制度に移ってきている。論文では、制度の経済学を推進する前提として、「制度」という概念の整理を試みた。その用途はさまざまであるが、定型行動、秩序形成者、機関の3つが代表的な用法として上げられる。 |
34 | 「学際的研究の条件は何か」 | 単著 | 平成9年2月 | 『経済セミナー』第505号(1997年2月号)、6-9頁 | 複雑系の考え方は数学・物理学・認知科学・計算機科学・経済学などの学際的な思潮として展開してきた。運動の一端を担ったものとして、学際的な研究の条件として、対象の固有の問題への肉薄と、他の学問分野からの刺激とを両立させることが重要であると論じた。 |
35 | 「複雑系としての経済と経済学」(解説) | 単著 | 平成9年2月 | 『日本ファジィ学会誌』第9巻第1号、21-29頁。 | 複雑系としての経済には、どのような現象や特性があり、それらに接近する方法としてどのような分析がなされているか概観したのち、経済学で考えられるべき研究の進め方について私見を述べた。 |
36 | 「ECによる経済の効率化を阻むもの」 | 単著 | 平成9年10月 | 『OA』第18巻第4-1号(第82号)27-28頁。 | OA学会年次大会での招待講演の要旨。ソ連の計画経済におけるコンピュータ利用、日米におけるMRPの経験を踏まえ、システム間の接合に注意し、電子化とともに業務改革を推進する必要を論じた。 |
37 | 「複雑系とシステム理論」 | 単著 | 平成9年12月 | 『経済セミナー』第515号(1997年12月号)、44-49頁。 | 1996年から97年にかけて「複雑系」がブームになった。安易な導入の問題点を点検したあと、複雑さの問題が社会科学の古くからの課題であったこと、社会主義経済計算論争・限定合理性・収穫逓増といった多様な方面で複雑さの問題がクローズアップされていることに注意し、認識と知識の領域の問題に取り組む必要を強調した。 |
38 | 「『帰結』批評への応答」(シンポジウム:複雑性・合理性・定常性をめぐって) | 単著 | 平成10年3月 | 『経済学雑誌』第98巻第5・6号63-121頁。 | 「政治経済学を考える会」編の紙上シンポジウム「シンポジウム:複雑性・合理性・定常性をめぐって/政治経済学の新たな試み」(同、1-128頁)の一部。申請者の著書『複雑さの帰結』への批評に対する回答という形式をとった。批評者は、J.Cartelier、金子勝、石塚良次、張博珍、松井名津、大島真理夫、脇村孝平、中村健吾、海老塚明の9人。「応答」では、ざまざな疑問を主題別に分類し、多くが誤解に基づくとして、そのような誤解の生じた原因を探り、誤解を解くべくより詳細な説明を加えた。 |
39 | 「判断の論理とわれわれの知識」 | 単著 | 平成10年5月 | 『比較経済体制研究』第5号、39-61頁。 | 行為と結果の間に不確実性のある場合に、人間はどう判断し、行動しているのであろうか。こうした問題にアプローチする方法に、確率計算により期待値を最大化するなどの方法がある。より一般的には決定関数の考え方がある。このような方法の難点は、原因と結果との間に多くの確率値を推定する必要があることである。この方法では推定すべきことが多すぎて、数学的には厳密に見えても、多くの恣意が入り込んでしまう。それよりも、単純にある定型行動がどのような成果を平均的にもたらすかを評価し、よりよい行動があれば、それに乗り換えるという方策の方が確実であり、これが定型行動の進化を決めている実際的過程であることを論じた。 |
40 | 「反経済学への期待と要請」 | 単著 | 平成11年2月 | 『大航海』第26号、71-85頁。 | 経済学に対する社会からの信認の低下がある。その原因として、単純すぎるモデルに基づく政策提言という学界の慣習があり、困難ではあるが重要な課題に取り組むことの欠如がある。新しい経済学が取り組むべき課題として、東アジアの経済危機を取り上げ、金融危機と技術の高度化について対応策を論じた。 |
41 | "Economics and accounting: a comparison between philosophical backgrounds of the two disciplines in view of complexity theory" | 単著 | 平成11年3月 | Accounting, Auditing and Accountability Journal, Vol.12, No.1, 1999, pp.19-38. | 第2回APIRA(Asian Pacific Interdisciplinary Research in Accounting)国際会議における全体会議講演(招待)の収録。経済学と会計学とを分かつ大きな亀裂が合理性の扱いにあること、経済学がみていない複雑さへの対処の手法として会計があることを示し、複雑さの観点から経済学と会計学の基礎を再検討する考えを提起した。 |
42 | 「社会科学の方法としてのプラグマティックス理論」 | 単著 | 平成11年3月 | 『組織科学』(組織学会編集、白桃書房発行)第32巻第3号、38-46頁。 |
経済行動の多くはプログラムされた行動と見なせる。経済はそれらの相互干渉が作りだす総過程であるが、知識の獲得という形で行動自体が総過程自体から影響を受ける。このミクロ・マクロ・ループに注目することの重要性と、その分析方法としてのマルチ・エージェント・モデルの可能性を指摘した。 |
43 | 「収穫逓増と産業の局地的集積/産業集積の経済理論に向けて」 | 単著 | 平成11年3月 | 『産業学会研究年報』第14号(1998年)、1-16頁。 | 集積により生産費が低減するとき、商圏の大きさと関係して、集積が進行する。この過程には一般に最低の集積限度である閾値と集積の飽和点とが存在する。この基本的機序を数学的に解明し、技術変化にともなう飽和点などの移動を分析した。最後に、マーシャル的な産業集積の現実性について考察し、政策的課題への留意点を述べた。 |
44 | 「当事者視点の導入は、経済学をどこに導くか/植村高久『制度と資本』の大構想をめぐって」 | 単著 | 平成11年4月 | 『経済学論集』(東京大学)第65巻第1号、71-93頁。 | 植村高久著『制度と資本』への書評論文。植村は、貨幣の成立に関するメンガーの説明を受けて経済学の「メンガー的転換」と当事者視点の導入とを提唱する。マルクス経済学内部の提案として画期的であるが、それが方法論的個人主義に陥らないために考えるべきことを、物象化・端緒・生成・制度・意思決定・多層的調整の各主題にわたって論じた。 |
45 | 「自律分散複雑系としての市場経済」(解説) | 単著 | 平成11年10月 | 『計測と制御』第38巻第10号、658-662頁。 | 自律分散系の創発現象に関する特集のため、その一典型である市場経済について解説した。行動主体、システム特性、調整メカニズム、自己組織化の各層にわたり市場経済の特性を述べ、経済秩序の創発について今後の展望を示した。 |
46 | 「マルクスから複雑系まで」 | 単著 | 平成11年11月 | 『神奈川大学評論』第34号、88-100頁。 | 学生時代のマルクス、経済学者に転向したのちのアルチュセールとスラッファとの出会い、新古典派経済学への疑問と格闘、行動への問いかけという経緯をへて「複雑さ」という課題に出会うまでのわたし自身の思想的遍歴を正直に綴ったもの。最後に、複雑系の立場からの計画経済と市場経済にたいする総括的評価を添えた。 |
47 | 「マルクスとマルクス主義に欠けていたもの」 | 単著 | 平成12年3月 | 『情況』第2期第11巻第2号(第2期通巻104号)、132-140頁。 | マルクスとマルクス主義は、資本主義のダイナミズムについて正確な認識をもっていたが、イノベーションを可能にするメカニズムについて十分想像力を働かせていない。そのため、安易に巨大組織による経済運営に走ってしまい、結局、社会と経済の硬直化を招いた。 |
48 | 「複雑系経済学と関西経済の課題/第U部 関西経済の課題」 | 単著 | 平成12年3月 | 『奔潮』(大阪府企画室編集・政策科学研究会発行)第25号、8-21頁。 |
1950年代までの関西は、新しい業態を次々と生み出す活力溢れた経済圏であった。現在は、東京圏に大きく水をあけられ、ベンチャーの起業率などもけっして高いとはいえない。さまざまな関西再生策が提案されているが、知的中心性という観点から問題を捉えなおしている識者はいない。この論文では、知的中心性とそれを可能にする域内情報流通構造を持つことがいかに大切かを指摘し、今後の技術革新の中では、テレビの多チャンネル化の中で、安価で有益なソフトを生産するノウハウを蓄積することで新しい可能性が開けることを指摘した。 |
49 | 「経済学の最先端 複雑系経済学/金融工学との比較から」 | 単著 | 平成12年4月 | 『エコノミスト』臨時増刊4月10日号(第78巻第14号通巻3444号)、120-2頁。 | 金融工学の前提には、金融市場の価格変動が傾向を除けば正規分布になるという仮定がある。しかし、この仮定は正しくなく「厚い裾野」をもっている。これは数年に一度、正規分布仮説ではほとんど起こりえない変動が出現し、それにより金融市場は混乱し、多くのディーラーが破産するなどの事態が生ずる。LTCMの事実上の破綻もこうした文脈の中で捉えられる。他方、複雑系経済学は、金融市場を数学的に解析することの困難さを認め、バーチャル市場をつくり出して実験するなど、まったく新しいアプローチを始めていることを紹介した。 |
50 | 「ミクロ・マクロ・ループについて」 | 単著 | 平成12年10月 | 『経済学論叢』(京都大学)第164巻第5号(1999年11月刊予定)、2000年10月(実際の出版時)、1-73頁. | 経済が個々の主体の行為の結果であることは明らかである。しかし、そのことは方法論的原子論が正しいことを意味しない。視野・合理性・働きかけの3つの限界のもとにある人間は、実質的に最適な行為を発見・選択することはできず、現在の行動は、経験のなかで比較されて進化論的に採択された結果にすぎない。それらは一般に定型行動と捉えることができるが、それらは経済の総過程の中で選ばれたものであり、経済の総過程がいかにあるかによって、行動自体が変わってくる。経済の総過程と個々の主体の行動との間には、いわばミクロ・マクロ・ループと呼ぶべき相互連関が存在する。経済学は、このミクロ・マクロ・ループの変化過程を分析しなければならない。 |
51 | 「経済学にとっての人工市場」 | 単著 | 平成12年11月 | 『人工知能学会誌』第15巻第6号、951-957頁。 |
人工知能の分野に「人工市場」という主題が生まれてきている。論文は、人工市場という新しい研究方法が、経済学200年の歴史の中にもつ意義を主として工学者向けに解説したもの。経済学は、大きくは、19世紀には文学的方法、20世紀には数学的方法を主要な分析用具として発達してきたが、その双方に固有の限界がある。人工市場は、それらとはことなる第3の方法を切り開くものである。ただ、新しい方法の常として、現在はまだなにが信頼できる知識なのかを確定する方法論すら持っていない。近代科学の中で実験という方法が確立するまで長い時間と試行錯誤が必要だったように、人工市場を含むコンピュータ実験という方法には、なお長い模索が必要であろう。 |
52 | 「システム・アプローチに欠けたもの/経済学における反省」 | 単著 | 平成12年11月 | 『社会・経済システム』第19号、55-67頁。 |
社会・経済システム学会は、社会・経済をシステムとして見る、システムとして分析することを理念として発足した。現在では、「システム」は日常用語になっているが、システム的な見方・分析は、社会科学にどのような成果をもたらしたのであろうか。経済学の現状を振り返ってみると、その影響は微々たるものである。システム論は、なぜ経済学を革新する理論にはなりえなかったのか。論文では、経済学は、均衡というシステム論を持っていたこと、それに代替するインパクトをシステム論が持ち得なかったことを指摘し、今後の方向としてミクロ・マクロ・ループに着目すべきことを提案した。 |
53 | 問題提起「システム論になにが欠けていたか」 | 単著 | 平成13年11月 | 『社会・経済システム 』第20号、71-74頁。 | 『社会・経済システム 』の編集長として、「システム論を問い直す」特集に対する序として書いたもの。社会・経済システム学会創立20年を記念して、システム論をもういちど根底から問い直そうと呼びかけた。 |
54 | 「経済・経営における戦略/進化と最適化」(解説) | 単著 | 平成13年11月 | 『精密工学会誌』(特集 モノづくりのための最適化戦略)第67巻11号(通巻803号)、1749-1752頁。 | 経済・経営方面で「最適化戦略」をどう捉えているかに関する解説論文。ミンツバーグの見解を紹介しながら、経営学では、まず「戦略」とはなにかについて、多種多様な理解が存在していること、その多くは計画・プログラムとしての戦略であるが、そのような戦略は机上の最適化に終わっていることが多いこと、真に優れた戦略は、現場の小さな事象に新しい意味を発見し、それを大きな事業にまで育てていく過程から生まれることを指摘した。 |
55 | "Local Initiative for Nurturing Venture Businesses and the Role of Academic Societies," | 単著 | March 30th 2002 | Osaka City University Economic Review, vol.37 no.2, pp.59-67. | ベンチャー育成は、すでに韓国や中国を含む、多くの国々のもっとも重要な政策課題となっている。しかし、ベンチャー起業は、金融政策や財政政策のように、政府の行動や施策を改変するだけで可能になるものではない。ベンチャーの叢生する経済・社会を作るには、社会の気風までも変えなければならない。このような側面では、学会のようなNPO機関も大きな役割を果たすことができる。このような文脈の中で、関西ベンチャー学会を設立した経緯や意図、現在の活動状態などを紹介した。 |
(その他) | |||||
<国際会議> | |||||
1 | ”Significance of Circularity in Sraffa” | 単独 | 昭和63年6月 | History of Economic Society at the University of Toronto, Canada. June 20, 1988. | 経済学史学会における研究報告。スラッファ理論における「循環」視点の重要性を指摘した。 |
2 | "The Evolutionary Economics: its Tasks and Cathegories" | 単独 | 平成10年3月 | 進化経済学会・国際シンポジウム、東京大学・駒場、1998年3月28日。 | 進化経済学会の国際シンポジウムにおけるパネル報告。他の報告者は、J.R.Stanfield、 J.Q.Adams、G.Hodgeson。 |
3 | "Economics and Accounting: A Comparison between Philosophical Backgrounds of the Two Disciplines in View of the Complexity Theory" | 単独 | 平成10年8月 | The inaugural lecture at the
2nd Asia Pacific Inter-disciplinary Research Association Conference、at Osaka City University Media Center, August 4, 1998. |
APIRA第2回大会における開幕基調報告。経済学と会計学において事態の複雑さの捉え方に違いがあることを指摘し、経済学はむしろ会計学の見方を参考にすべきことを論じた。 |
4 | "The Nature of Our Knowledge in the Complex World" | 単独 | 平成10年9月 | A Talk for the International
Symposium, Informatics-The Future of Information Society,Kansai University,
Takatsuki Campus, September 8, 1998. |
関西大学総合情報学部主催の国際シンポジウムにおける報告。複雑な世界における知識のあり方とそれらが有用となるための諸条件について論じた。他の報告者は、H.W.Gottinger、N.D.Cookほか。 |
5 | "Thechnological Capability of a Society : Static and Dynamic Concepts" | 単独 | 平成11年12月 | A Joint Seminar of the Japan Association for Evolutionary Economics and the Technology and Evolutionary Economics Research Group (Korea), The Economics Faculty Seminar Room at Seoul National University, Seoul, December 6, 1999. | ソウル大学で開かれたジョイント・セミナー(第1回進化経済学と技術進歩に関する日韓シンポジウム)での報告。社会の技術能力とされるものに、「動的」「静的」の2概念があり、韓国とメキシコを区別するものは韓国の高い動的能力であると指摘した。 |
6 | "Local Initiative for Nurturing Venture Businesses and the Role of Academic Societies" | 単独 | 平成13年6月 | International Symposium in
Venture unde IT Revolution , Chonnam University (Korea), June 1st,
2001. |
IT革命下のベンチャーに関する日韓中国際シンポジウムにおける報告。ベンチャーを輩出させる気風を作りだすことが重要であり、その面では学会のような非利益団体も重要な政策主体となりうることを指摘した。 |
<翻訳書> | |||||
1 | L.アルチュセール『科学者のための哲学講義』 | 共訳 | 昭和52年2月 | 福村出版 214頁。 | フランスの哲学者アルチュセールの1967年パリ・高等師範学校(エコル・ノルマル・シュペリオール)における理系学生のための講義の翻訳。アルチュセールは、ここで科学者のもつ自然発生哲学にひとびとの注意を向け、それがしばしば支配的なイデオロギーに影響されやすいものであることと指摘している。付録に塩沢による解説「アルチュセールにおける科学論の意味」pp.197-212などを付す。 |
共訳(西川長夫・阪上孝・塩沢由典) | |||||
2 | 塩沢由典監修/ポール・オームロッド著『バタフライ・エコノミックス』北沢格訳 | 共訳 | 平成13年9月 | 早川書房、311頁。 | マクロ経済の時系列データから、経済には予測を困難とする構造が内包されている。経済学は、予測を高めようとするより、経済の持続的な繁栄を可能にする制度的な整備に力を入れるべきだ。著者はこう主張する。マクロ経済方面での複雑系経済学の最新の成果の一つ。塩沢は、北沢の翻訳における学術用語の点検、内容面では説明の論理性が確保されているかを点検、読みやすさとともに厳密さを追求した翻訳となった。巻末に塩沢の「解説」pp.303-311を付す。 |
<論説> | |||||
1 | 「記憶の習慣」 | 単著 | 平成7年6月 | 『思想』第852号、1−2頁。 | 記憶にかんするフランスの社会学者アルプバックスを引きながら、歴史意識を形成する共同記憶の重要性を指摘した。 |
2 | 「進化経済学とは何か」(原題:「進化経済学の課題」) | 単著 | 平成9年5月 | 『毎日新聞』1997年5月8日夕刊。 | 進化経済学会の発足に際し、進化経済学の目指しているところを解説した。 |
3 | 「記憶喪失の経済と経済学の責任」 | 単著 | 平成10年5月 | 『This is 読売』68−77頁 | バブルを引き起こした事情と政策決定者への責任を明らかにすることなく、ただ景気回復の議論に走っては、別の場面で同じ種類の失敗を繰り返す。バブル経済を支えた経済学者たちの責任も問われざるをえない。 |
4 | 「衰えゆく資本主義と介入国家」 | 単著 | 平成13年1月 | 『朝日新聞』2001年1月20日刊、25面。 | 資本主義は発展しすぎて、いまや経済活動を制約するのは資本の不足ではなくなっている。資本主義を資本が最重要な制約である経済と定義すれば、20世紀を象徴した介入国家とともに、今後、資本主義は衰亡していくであろう。 |
5 | 「地域の頭脳として困難な問題を解決する」 | 単著 | 平成14年5月 | 『大学ランキング』朝日新聞社刊、124−126頁 | 公立大学の役割は、地域の課題に取り組む中から、普遍的な知識を生み出し、世界に貢献することである。大学は、単なる教育機関ではなく、地域の頭脳として機能しなければならないことを論じた。 |
<提言> | |||||
1 | 「BS放送と地方文化(原題)」 | 単著 | 平成4年10月 | 『朝日新聞』夕刊 | かつての帝国大学が日本の各地方に予定され、地域の中核を作ったように、BS放送の日本枠7チャンネルの分配に当たっては、地域の知的中心性を回復するために、全国的な視野で配分を考えるべきだ。 |
2 | 「私言・直言/BS放送権を地方に配分せよ」 | 単著 | 平成5年2月 | 『毎日新聞』朝刊。 | 放送のチャンネルは稀少資源であり、採算性だけで配分を考えるべきではない。国家の基本構造を設計する視点がから考えなければならない。齋藤守慶『放送が世界を動かす』TBSブリタニカ、1993年4月12日、159-160頁に転載された。 |
3 | 「衛星電波の地方配分を」(日本のリストラ/私の設計27) | 単著 | 平成5年7月 | 『日本経済新聞』 | 衛星放送の電波権をどのように配分するかは、地方分権の国家構造を作るのか、中央集権を維持するのかの重大な分岐点であると論じた。日本経済新聞社編『私の日本改革論』日本経済新聞社、1994年6月に再録された。 |
4 | 「時論自論/研究・開発 トップ間で議論を」 | 単著 | 平成7年1月 | 『日本経済新聞』1995年1月9日(夕刊)。 | 「R&Dと経営を考えるサマーフォーラム」の第1回会議にあたり、研究開発のマネジメントの重要さを指摘し、これは技術担当の役員のみに任すべき問題ではないと論じた。 |
5 | 「知的生産性の向上」 | 単著 | 平成8年1月 | 『KPC NEWS』(関西生産性本部)、第23巻通巻282号、9−10頁。 | 戦後日本における生産性運動は、製造現場の生産性向上では一定の成果を収めたが、知的活動における生産性はまだまだである。研究開発を例に、知的生産性の向上が今後の課題である。 |
6 | 「R&D−経営トップの責任」 | 単著 | 平成8年2月 | 『R&D News Kansai』(関西電力・総合技術研究所)、第340号、3頁。 | 研究開発が企業戦略と有機的な連携を持つべきものでなければならないことは当然であるが、逆に技術の動向・研究開発の進展をベースに企業戦略を立てなければ掛け声だけの企業戦略になりかねないことを指摘し、経営トップが研究開発にもっと関心を向けるべきである。 |
7 | 「ニュービジネスへの期待 | 単著 | 平成8年2月 | 『That's NB』第99号、1 | 日本経済が真に活力を取り戻すためには、ニュービジネスとそれを担うベンチャー企業が続発しなければならない。そのためにニュービジネス協議会が果たすべき役割について期待を述べた。 |
8 | 「就職協定廃止を歓迎する」 | 単著 | 平成9年4月 | 『関西経協』(関西経営者協会)第51巻第4号、26-29頁。 | 就職協定は形骸化さており、企業も大学も、その規定を破り、また実態を知りながら、あたかもそれを守っているかの振りをするのは、教育機関でもある大学にとっても好ましくない。 |
9 | 「繁栄の維持/研究と開発がカギ」 | 単著 | 『毎日新聞』1997年8月10日。 | R&Dサマーフォーラムの意義と、議論すべき課題についてまとめた。 | |
10 | 「学研都市の活用」 | 単著 | 平成9年7月 | 『調査季報』大阪市信用金庫、第120号、13-14頁。 |
関西文化学術研究都市は、都市の概成が終わり、研究都市としての機能を充実すべきステージに入っている。大阪としても、学研都市をうまく利用して、世界的な競争の中で、関西が先導的地位をしめることができるようにしなければならない。 |
11 | 「研究開発は世界的視野で」 | 単著 | 平成10年5月 | 『KPC
News』(関西生産性本部)第27巻通巻310号、1-2頁。 |
先端技術における競争は、会社間の小さな競争よりも、ある地域がある先端技術で世界に先駆けることができるかどうかに依存している。このような事情を理解して、会社間の協力を進め、集積の効果を発揮する必要がある。 |
12 | 「新産業創造都市への課題」(「めざそう!オリーワン都市」第32回) | 単著 | 平成11年4月 | 『大商ニュース』第797号、1頁。 | 大阪が新産業を活発に創造する都市となるためには、技術やアイデアなどをもっている人たちを結びつけるコーディネータが必要である。編集者もその一端を担っており、もっとこうした情報の媒介者が集まる仕組みを作りだしていかなければならない。 |
13 | 談話「新技術創出へ 壁超え協力を/R&Dサマーフォーラム コーディネーター 塩沢由典・大阪市立大教授に聞く」 | 単著 | 平成11年8月 | 『毎日新聞』1999年8月18日朝刊、6段100行。 | 世界競争において関西は確固とした地位を占めるためには、関西という地域で研究開発に関する共通の理解と政策を作りださなければならない。競争前段階の技術情報はもっと積極的に公開して、地域全体としての研究速度をあげなければならない。 |
14 | インタヴュー「関西経済への提言」 | 単著 | 平成11年12月 | 『毎日新聞』999年12月18日朝刊。 | 21世紀の経済は、ますます文化などソフトな産業の比重が高くなる。関西は、それがもつ文化の厚みをITなど新しい技術に結びつけることで発展しうる。 |
15 | 「経営と研究開発/ITとバイオ 技術動向が課題」 | 単著 | 平成12年8月 | 「言」『毎日新聞』2000年8月19日、顔写真+4段59行。 | 研究開発のマネジメントにおいて重要なのは、筋のよい研究テーマを設定することである。ITやバイオにおいても、今後の発展動向を見極めていくことが必要だ。 |
16 | 「先端技術を支える地域の力」 | 単著 | 平成12年10月 | 『BBCC』(次世代通信網実憲協議会報)第21号、2000年秋、11-12頁。 | シリコンバレーの例をみればよく分かるように、先端技術は、地域内の蓄積を相互に生かす文化をもつ地域が発展する。 |
17 | 「五代友厚方式の提唱」 | 単著 | 平成12年10月 | 『KERC』(関西経済研究センター会報)第340号、1頁。 | 関西で新しいことを始めようとするとき、政府や経済団体の資金がなければなにもできないという反応がある。大商と大証を創設した五代友厚は、有志の資金を集める形で当時の先端的な社会制度を整備した。五代友厚にならい、新事業を有志の力で進める工夫が必要だ。 |
18 | 「戦略的研究開発とその担い手」 | 単著 | 平成12年10月 | 『KPC News』(関西生産性本部機関誌)第28巻通巻339号、2000年10月1日、1-2頁。 | 日常的な研究開発に追われていると、技術の大きな流れから外れていまいかねない。バイオでは、ゲノム解析に続くプロテオミックスが課題であり、そうした大きな変化を先導する戦略的思考のできる研究開発の経営者が重要だ。 |
19 | 「NPOにもベンチャー精神を」 | 単著 | 平成12年12月 | 『日本ベンチャー学会 会報』第12号、1頁。 | 多数のNPOが出現している。NPOの組織化と運営にも、新しい工夫と冒険が必要であり、ベンチャー・スピリットが必要とされている。 |
20 | 「新しい学問研究を目指して(関西ベンチャー学会の目標)」 | 単著 | 平成13年3月 | 『生活起点』セゾン総合研究所、2001年3月(通巻34号)、2頁。 | 日本ベンチャー学会があるのに、地域の学会として関西ベンチャー学会を作る意義と使命はなにかを説明した。ベンチャー振興について、学会には、国や地方政府が担えない役割があることを指摘した。 |
21 | 「日亜対中村事件の意味するもの」 | 単著 | 平成13年10月 | 『KPCニュース』第29巻,第10(通巻351)号、1-2頁。 | 中村修二氏と日亜化学の最近の対立の例を引き、中村氏のような独創的研究者に相応の処遇を与えていない日本の研究開発マネジメントの問題点を指摘した。日本の研究開発の人事処遇は、総務部などと同等の思想に基づいて設計されており、研究開発の特殊性を生かすものとなっていない。 |
<報告書> | |||||
1 | 「小売購買力の地域的分布とその構造」『上堀川商業地域診断書』 | 単著 | 昭和52年3月 | 京都中小企業指導所、44頁。 | 京都市域をひとつのひとつの商業圏とみなしてハフ・モデルを構築し、それにもどずいて紙堀川にショッピングセンターができた場合の影響を測定した。 |
2 | 『京都の商業と地域開発--京都市広域商業診断報告書を読んで』 | 共著 | 昭和60年3月 | 京都中小企業指導所、29頁。 | 京都市中小企業指導所の10年に渡る広域商業診断報告書(全10冊)の合評。司会 塩沢由典 出席者 石原武政、佐々木厚司、北沢恒彦。 |
3 | 『近畿地域における中小企業の斡旋機能に関する調査研究』 | 共著 | 平成4年7月 | 産業研究所 | 調査委員会座長として、調査の全体設計および報告書の取りまとめにあたった。 |
4 | 『新しい価値創造を目指して/多元的生産性への取り組み』 | 共著 | 平成7年3月 | 関西生産性本部、56頁。 | ワーキンググループのヒアリングに応じ、これからの生産性運動の役割についてアドヴァイスした(17-25頁)。 |
5 | 『関西圏における空洞化対策検討調査』 | 共著 | 平成8年3月 | 国土庁・京都市・大阪市・神戸市、161頁。 | 調査委員の一人として調査の設計に参画。 |
6 | 『新しい生産性運動の方向と推進』 | 共著 | 平成8年3月 | 関西生産性本部、10頁。 |
「新生産性運動」ワーキンググループの座長として、関西生産性本部創立40周年を迎えるための運動の新方向策定を指導した。 |
7 | 『高コスト構造改革に向けて:労使の挑戦』 | 共著 | 平成9年4月 | 関西生産性本部、52頁。 | 専門委員会副委員長・コーディネータとして、答申の方向策定と調整にあたった。 |
8 | 『地域における新規産業創造のための技術開発のあり方について(中間とりまとめ)』 | 共著 | 平成9年5月 | 産業技術審議会地域研究部会、72頁。 | 産業技術審議会地域技術委員会委員として、「学研都市の現状と課題」(補論10、報告書70頁)の意見発表および全体討論に参加した。 |
9 | 『近畿地域における起業家創造システムに関する調査研究』 | 共著 | 平成9年3月 | 近畿通商産業局、56+4頁。 | 調査委員会委員長として全体構想を指導した。 |
10 | 『起業を担う人材の育成システムに関する調査研究/支援人材育成プログラムの検討』 | 共著 | 平成10年3月 | 近畿通商産業局、37頁。 |
調査委員会委員長として調査の設計と報告書の構成を指導した。 |
11 | 『関西におけるベンチャー企業の現状と振興策に関する調査』 | 共著 | 平成11年3月 | 関西産業活性化センター1999年3月。 | 調査に関するアドヴァイザーの一人として調査の設計と結果の評価に貢献した。 |
12 | 『ディジタルエコノミーの進展と関西の産業競争力・起業活動に関する研究』 | 共著 | 平成13年5月 | 関西社会経済システム研究所、128頁。 | 研究会主査として、研究会の構成・研究調査の設計、ヒヤリングにあたるとともに、第1章「総括」(1-23頁)の執筆を担当した。 |
<寄書等> | |||||
1 | "On the Substitution Theorems" | 単著 | 昭和50年4月 | 京都大学数理解析研究所,Technical Report RIMS-182、pp.1-32. | 複数技術が存在しても、単純生産であり、それらが閉じた集合であるならば、非代替定理が成り立つことを証明した。 |
2 | "Durable Capital Goods and their Valuation" | 単著 | 昭和50年9月 | 京都大学経済研究所、 Discussion Peper Series KIER 91, pp.1-39. | 複数技術が存在しても、それらが単純であるならば、耐久資本財の存在においても非代替定理が成り立つことを証明した。 |
3 | 「暴力とむかいあう政治思想」 | 単著 | 昭和50年10月 | 『思想の科学』臨時増刊号、第53号(第6次、通巻261号)。 | 内ゲバにいたる組織論理とそれを抑制する考え方について考察した。 |
4 | 「イデオロギーについて」 | 単著 | 昭和50年11月 | 『思想の科学』第54号(第6次、通巻262号)、72−84頁 | イデオロギーを他者の誤った観念体系中としてでなく、みずからもそれを生きるものとして捕らえなおそうとした試み。河野健二によって『朝日新聞』 論壇回顧1975年ベスト5に選ばれた。 |
5 | "Okishio's Marxian Theorem Generalised" | 単著 | 昭和51年4月 | 京都大学経済研究所、 Discussion Paper Series KIER 96, pp.1-10. | マルクスの搾取理論の核となる置塩の定理の拡張。 |
6 | 「アルチュセールにおける科学論の意味」 | 単著 | 昭和51年2月 | アルチュセール『科学者のための哲学講義』福村出版。 | アルチュセール『科学者のための哲学講義』への訳者解説、pp.197-212。科学の3つの大陸というアルチュセールの考えを紹介した。 |
7 | スラッファ--ひと・分配・認識 | 単著 | 昭和51年12月 | 『経済セミナー』第263号63−73頁。 | 副題の示すように、人物、分配の考え方、経済学の認識論からスラッファを紹介した。 |
8 | "Total Variation of a Function and its Transversal Decomposition" | 単著 | 昭和52年3月 | 京都大学経済研究所、 Discussion Paper Series KIER104, pp.1-13. | 横断数の積分が全変動量に等しくなることを証明した。 |
9 | "Asymptotic Behavior of Perturbed Iterationes : the Case of Non-negative Irreducible and Primitive Matrices" | 単著 | 昭和52年5月 | 京都大学経済研究所、 Discussion Paper Series KIER107. pp..1-11. | 分解不能な任意の非負正方行列を多種類とった積も、漸近的にみれば一定のベクトルの延長上に近づくことを証明した。 |
10 | 「数学者のための経済学入門」 | 単著 | 昭和52年11月 | 『現代数学』第10巻第7号(通巻121号) 、45−50頁。 | 数学の素養のある人たちに、経済学にもおもしろい数学問題があること知ってもらうために書かかれた。生産的な技術体系のもとに価値ベクトルが定義できることなどを紹介した。 |
11 | 「ロンカッリア『スラッファと経済学の革新』」 | 単著 | 昭和52年11月 | 『国民経済』(国民経済研究協会)第138号、31−44頁。 | ロンカッリアの本に対する書評。内容紹介ではなく、ロンカッリアのスラッファ解釈に対して、書評者のスラッファ理解を対置した。 |
12 | 「商人たちのパリ」 | 単著 | 昭和53年3月 | 『思想の科学』第88号(通巻296号)、31−39頁。 | 「商人」特集にあたり、パリの裏を支える商人たちの毎日を紹介した。 |
13 | "Non-Simultaneous Mark-up Pricing Process" | 単著 | 昭和53年5月 | 京都大学経済研究所、Discussion Paper Series KIER125、pp.1-19. | 全産業でマークアップが同時に行われるとき、希求水準に矛盾があればインフレーションが起こる。本論文では、各産業が個別に価格調整する場合にも、同様の過程が生まれることを証明した。 |
14 | 連載「経済数学まぜあわせ」1「既約非負行列の定義さまざま」〜「べーム=バヴェルクの価値理論」 | 単著 | 昭和53年5月〜昭和54年7月 | 『Basic 数学』第11巻第6号(通巻132号)9-13頁、第7号(133号)23−27頁、第8号(134号)44−48、第9号(135号)45−50頁、第10号(136号)25−29頁、第11号(137号)28−33頁、第12号(138号)28−32頁、第12巻第1号(139号)44−49頁、第3号(141号)41−45頁、第5号(143頁)56−70頁、第7号(通巻145号)66−70頁。 | 主として経済学部学生や数学科の学生向けに、数理経済学から適当なトピックスを選んで紹介した。毎回読みきり形式の連載。 |
15 | 不況の理論とスラッファの原理 | 単著 | 昭和53年12月 | 『経済セミナー』第287号48−57頁。 | 生産量の増大を制約しているのは、費用の増加ではなく、売れ行きの不足のためであるというスラッファの基本的な考え方から不況の理論を組み立てなおす構想を示した。 |
16 | 「多国籍企業の日本市場参入−−プロクター&ギャンブルの場合」 | 単著 | 昭和54年1月 | 京都大学経済研究所ディスカッション・ペーパー、KIER7801、1−83頁。 | 多国籍企業の日本市場参入の事例として、P&Gとそれ迎え撃った花王とライオンの対応を調査した。 |
17 | 「ケインズ第一公準の帰結」 | 単著 | 昭和55年3月 | 『経済セミナー』第302号、68−76頁。 | 古典派の二つの公準の内、ケインズが受け入れた第一公準の問題点を指摘した。 |
18 | 「戦後日本の技術革新と戦時動員」 | 単著 | 昭和55年3月 | 京都大学経済研究所ディスカッション・ペーパーKIER7906、1−17頁。 | 戦後日本の経済成長を技術的に準備したものとしての戦時の技術動員とその効果について聞き取りを中心に調査した。 |
19 | 「剰余価値の秘密」 | 単著 | 昭和55年7月 | 『経済学批判』第8号、61−74頁。 | マルクス価値論が内包する「説得的な効果」について考察した。 |
20 | 連載「経済学あと・らんだむ」(1)「なまけ思考の方法」〜(7)優勝者の条件 | 単著 | 昭和55年4月〜10月 | 『経済セミナー』第303号、〜第309号。 | 主として経済学部の学生向けに身近な経済の話題を取り上げ、その背後にある経済論理について解説を試みた。 |
21 | 「好き嫌いの期待値」 | 単著 | 昭和55年10月 | 『思想の科学』123号(通巻331号)28−34頁。 | 特集「好き嫌い」への寄稿。数学の各話題に関する私自身の好き嫌いについて書いた。 |
22 | 「政策科学の矛盾−−経済学の責任概念』 | 単著 | 昭和56年2月 | 『思想の科学』第128号(第6次、 通巻336号)、臨時増刊。 | ある政策を実施しようとするとき遭遇するさまざまな困難や偶然に対し、政策科学はどうがんが絵るべきなのか。理論にはこれらの困難をも内包する論理を構築しなければならないと論じた。 |
23 | 「現代経済学の主要問題」 | 共著 | 昭和57年6月 | 『経済セミナー』第329号。 | 塩沢由典の問題提起「経済学4つの基本問題」(『経済セミナー』第328号72−80頁)に関する林敏彦・猪木武徳と塩沢の3人による座談会。塩沢は、新古典派経済学が収穫逓減を前提していること煮たいし、逆の収穫逓増を問題にすべきことなどを主張した。 |
24 | 「『確率論』からみたケインズ」 | 単著 | 昭和58年4月 | 『経済セミナー』別冊「ケインズ生誕100年」76−82頁。 | ケインズ『確率論』の意図・意義・限界について概説した。 |
25 | 座談会「ケインズ--この錯綜せるもの」 | 共著 | 昭和58年4月 | 『経済セミナー』別冊「ケインズ生誕100年」178-192頁。 | 西部邁・佐藤光・塩沢由典の3人によるケインズとケインズ経済学に関する座談会。それぞれのケインズとの出会い、かかわり、経済学への取り組み方などについて話し合った。 |
26 | 「諸学問の数学化−−経済学を例として」 | 共著 | 昭和58年3月 | 齋藤正彦・廣瀬健・森毅編『数学と現代』(『数学セミナー』増刊、『シンポジウム数学5』)日本評論。 | 諸学問の数学化の事例として経済学の歴史を取り上げ、塩沢がまず、全体の報告をした。その後、柄谷行人、馬場禮子、森毅、広瀬健などを交えた座談会が持たれた(56-91頁)。 |
27 | 「分析方法からみたマルクスの現代性−−新古典派110年の反省の上に立った古典派の再読」 | 単著 | 昭和59年5月 | 『経済セミナー』第352号、46−52頁。 | 1983年の理論計量経済学会全国大会における「マルクス、シュンペーター、ケインズの経済学と現代」における塩沢報告を基礎に書き直したもの。マルクスの分析の現代性をどこになるべきか論じた。 |
28 | 「現代古典派の経済学」 | 単著 | 昭和60年5月 | 『経済セミナー』第364号、16−19頁。 | スラッファを始祖とする現代古典派の基本的な主張を紹介した。 |
29 | 「経済学はどんな数学を必要とするか」 | 単著 | 昭和60年10月 | 『数学セミナー』第24巻第10号(通巻287号)、6-7頁。 | 経済学に必要な数学というと各種の最適化問題が連想されるが、経済学には線形代数が重要であり、加えて物理的センスに相当する経済的センスが必要である。 |
30 | 「経済学の夢は数学」森毅編 | 単著 | 昭和61年6月 | 『数学近未来』培風館 | 経済学は数学化によって進歩してきたが、いまや経済学の必要としている数学は微分方程式や確率論ではない。決定論・確率論を超える新しい世界観に立つ数学(証明の付かない数学)を必要としているのではないかという考えを述べた。 |
31 | 「マルクス経済学の作風−−宇野弘蔵と経済学の現在」 | 単著 | 昭和61年9月 | 『思想』第747号、17−35頁。 | 宇野弘蔵へのオマージュであるとともに、その全体構想に対する批判でもある。宇野においては、資本主義の理論が一度限りに成立して、現実経済の進化や深化から認識が深まり、その結果、理論の構造が変化し、深化する可能性が排除されている。 |
32 | 「経済学部の数学」 | 単著 | 昭和62年1月 | 『Basic数学』第20巻第1号(通巻235巻)、19-22頁。 | 経済学を学ぶにあたって必要となる数学は、工学部・理学部などの数学とはかなり領域・内容が異なること、そのため経済学部では数学教育に特別の工夫が必要となることを述べた。 |
33 | 「辞書と日本語のプラグマティクス」 | 単著 | 昭和62年2月 | 『思想の科学』第86号(通巻423号)、67-77頁。 | 特集「理想の日本語辞典」に合わせて、日本語辞典はいかに構成されるべきか、一利用者として構想を述べた。 |
34 | 「私の愛した数学」 | 単著 | 昭和62年4月 | 『数学セミナー』第26巻第4号(通巻305号)、59頁。 | 私が学生時代に好きだったのは、きわめて形式化された数学だった。経済学者となったいま取り組んでいるのは、形式化の対極にある問題である。 |
35 | 「経済学と人間」 | 単著 | 昭和62年5月 | 『こころの科学』第13号、8−13頁。 | 経済的判断はかならずしも最適化でなされていない。刺激反応パラダイムを越えるところに経済行動を解析する手がかりがlあるかも知れない。 |
36 | 連載「歩行と思索」(1〜12) | 単著 | 昭和61年11月〜昭和63年11月 | 『現代思想』第14巻第11号、〜第16巻第13号、見開き各2頁。 | イギリス滞在中に読んだ本の感想などを紹介した。 |
37 | 「経済学のすすめ」 | 単著 | 昭和63年4月 | 『経済学雑誌』第89巻別冊(T)、106-115頁。 | 新入生向けの大学生活への案内。受験生意識を捨て、自分で勉強目標を立てることを勧めた。 |
38 | 「論理・直観・ひらめき」 | 単著 | 昭和63年5月 | 『数学セミナー』第313号、16−20頁。 | 数学において論理的に理解することと直観とは対立するものではなく、相互に助け合うものであう。ひらめきは、その相互作用から生まれる。 |
39 | 座談会「熟年院生、わが経済学を語る」 | 共著 | 昭和63年7月 | 『経済セミナー』402号、119-127頁。 | 大阪市立大学大学院経済学研究科における特別選抜制度(通称「熟年大学院」)の第1期生たちの座談会。出席者は、北沢恒彦・中沢しとみ・中島昭・浜崎定吉。塩沢は、この制度の提案者の一人であり、座談会の司会を務めた。 |
40 | 「ペレストロイカの経済学」 | 単著 | 昭和63年12月〜平成元年3月 | 『思想の科学』(第7次)第111号26−35頁、第112号106-115頁、113号114-123頁、114号120-129頁。 | ゴルバチョフの下で進行していたペレストロイカについて、主として経済面から、なにが問題でなにを目指しているのか説明した。 |
41 | 「文化都市大阪の課題」 | 単著 | 昭和63年10月 | 『RIRI流通産業』第20巻第10号(通巻168号)、31-32頁。 | 今後の経済において文化の持つ意義は大きい。大阪は、もっと文化を発信する都市にならなければ、高付加価値経済を支えていくことができないことを指摘した。 |
42 | 「マルクスとペレストロイカ」 | 単著 | 平成1年7月 | 『経済セミナー』第414号、45−49頁。 | アナキスト経済学者とマルクス正統派(ボルシェビキ)経済学者および古典経済学者の3人によるペレストロイカの意義と可能性をめぐる架空鼎談。 |
43 | 「自信のある学生を採りたい−−大阪市立大学経済学部の自己推薦入試」 | 単著 | 平成1年9月 | 『大学進学研究』第11巻第3号、16−19頁。 | 大阪市立大学経済学部で実施している自己推薦入試について、その概要と意図を説明した。 |
44 | 「数学の最大化・経済学の最大化」 | 単著 | 平成1年10月 | 『数学セミナー』第28巻第10号(通巻335号)、42−43頁。 | 経済学では最適化問題を解く以前の問題がある。目的関数があいまいで、かつ多義的である。対象が制御可能かどうかについても検討の必要があることを紹介した。 |
45 | 「21世紀の世界を変える東欧の改革」 | 単著 | 平成2年1月 | 『エコノミスト』第68巻1号(通巻2880号)、58-63頁。 | 3極構造をなす世界経済の第2梯団としてのアジア・東欧・ラテンアメリカについて概観、東欧の経済改革の今後を展望した。 |
46 | 「都留重人をめぐるティータイム」 | 単著 | 平成2年3月 | 『思想の科学』第126号(第7次)(通巻463号)、9−16頁。 | ある経済学部における3人の経済学者の偶然の会話というスタイルで、都留重人を現在の世代がどう受け止めているかをフィクションとして示した。 |
47 | 「経済学における理論と現実」 | 単著 | 平成2年4月 | 『経済セミナー』第432号、6-13頁。 | 経済学が現実から切り離されてしまっている現状を概説し、理論と現実との関係を復活させるに必要な方向について述べた。 |
48 | 「経済学もおもしろい」 | 単著 | 平成2年4月 | 『経済学雑誌』第91巻別冊、29-34頁。 | 新入生向け講義「国民経済」への導入として、いま経済に注目が集まっているが、経済学にもおもしろい話題がたくさんあることを紹介した。 |
49 | 「21世紀へ もっと文化の奥行きを耕せ」 | 単著 | 平成2年8月 | 『エコノミスト』第68巻第34号 (通巻2913号)、77頁。 | 特集「いま、関西がおもしろい」における寄稿。文化の厚みを生かして、今後の産業形成を考えるべきことを論じた。 |
50 | 「生涯学習時代の大学」 | 単著 | 平成3年10月 | 『経済セミナー』通巻441号、11-14頁。 | 大阪市立大学経済学部の第2部における実情を紹介し、社会人が大学で学びなおす意義を説いた。 |
51 | 「マルクス主義」 | 単著 | 平成3年3月 | 『戦後史大事典』三省堂、858-860頁。 | 辞書の項目担当。戦後日本のマルクス主義を、思想、政治と運動、哲学と社会科学、マルクス主義の危機、反省と再生の試みの5点にわたって概観した。 |
52 | 対談「マルクス主義のバランスシート」 | 共著 | 平成3年7月 | 『思想の科学』第142号(通巻469号)、4-35頁。 | 塩沢由典と藤田省三による特集「マルクス主義のバランス・シート」の巻頭対談。マルクス主義の現状を踏まえ、いまどう考えるかを話し合った。司会:鶴見俊輔、記録:佐々木元。 |
53 | 「大学と企業の教育力」 | 単著 | 平成4年9月 | 『思想の科学』第156号(通巻493号)、12-15頁。 | 大学の教育力が次第に低下してきたのに対し、企業まだ高い教育力を発揮している。この状態は今後も長くつづくと見てよいであろうか、疑問を投げかけた。 |
54 | 「負の遺産を受け継ぐこと」 | 単著 | 平成4年9月 | 窓社編集部編『批評『左翼の滅び方について』』(窓ブックレット6)窓社、37-44頁。 | 関廣野の論文「左翼の滅び方」に対する感想を問われ書いた。方向としての趣旨に賛成するものの、断罪する文体に違和感があることを論じた。 |
55 | Economic Behaviours in a Complex System | 単著 | 平成4年9月 | 『主体を含む複雑系の数理モデル』(数理解析研究所講究録809)、京都大学数理解析研究所、76-87頁。 | 複雑な経済の中で限界ある合理性しか持たない人間は、どのようにして行動しているのか。それはいかなる枠組みにより捉えられるのか。定型行動の典型例を古代農業の農作業を例題として論じた。 |
56 | 「流通問題としての市場経済化」 | 単著 | 平成4年10月 | 『RIRI流通産業』第24巻第10号(通巻216号)、3-8頁。 | 旧ソ連・東欧における市場経済化の重要課題が流通経済の復活であることを紹介、逆にそこから現代の流通が前提としているものが見えてくると論じた。 |
57 | 「私の新・資本主義論」 | 単著 | 平成4年11月 | 『日本経済新聞』11月30日朝刊。 | 明治日本は、帝国大学を書く地方に作る構想を当初から持っていた。現在の日本には、知的インフラを整備する基本構想が欠けていることを指摘した。 |
58 | 「ジョーン・フォン・ノイマン」 | 単著 | 平成5年3月 | 『エコノミスト』(エコセミナー世界の経済学者/12)第71巻第13号、98-99頁。 | J.ノイマンの短い伝記と彼の経済学の紹介。 |
59 | 「都市の教育力と生涯教育」 | 単著 | 平成5年4月 | 『市政研究』(大阪市政調査会)第99号、36-43頁。 | 「京の昼寝」ということわざがあるように、都市は大きな教育力を持っていた。生涯教育が叫ばれる現在、もう一度、都市はその教育力に注目しなければならない。 |
60 | 「数理経済学」 | 単著 | 平成5年4月 | 『数学セミナー』第32巻第4号(通巻379号)、36-37頁。 | 新入学生向けに数学の一分野としての数理経済学を紹介した。 |
61 | 「経済現象における可逆と非可逆」 | 単著 | 平成5年7月 | 『数理科学』第31巻第7号(通巻361号) | 経済現象はとうぜん非可逆と考えられやすいが、知識の非可逆的な変化などを除いては、統計的に非可逆性を示すものは少ないことなどを注意した。 |
62 | 「ウィリアム・アーサー・ルイス」 | 単著 | 平成5年7月 | 『エコノミスト』(エコセミナー世界の経済学者/28)第71巻第31号、98-99頁。 | 開発経済学の始祖の一人としてのA.ルイスの業績の紹介。 |
63 | 「時評」 | 単著 | 平成5年10月〜平成6年9月 | 『エコノミスト』第71巻第44号(通巻3088号)、〜第72巻第38号(通巻3136号)。 | 『エコノミスト』における4週ごとの経済時評。日本の情報構造を変えること、地方の時代に考えるべきことなどを論じた。 |
64 | 「経済学の巨人/ノイマン」 | 単著 | 平成5年10月 | 『日本経済新聞』(6回連載)1993年10月13・14・15・18・19・20日。 | 数学、物理学、コンピュータなどに広範な業績を残したノイマンを多面的に紹介、経済学でのゲームの理論と線形経済学への貢献を紹介した。日本経済新聞社編『現代経済学の巨人たち』(平成6年2月)に再録された。 |
65 | 「アルフレッド・マーシャル」 | 単著 | 平成5年10月 | 『エコノミスト』(エコセミナー世界の経済学者/41)第71巻第45号(通巻3089号)、98-99頁。 | シュンペータの断続的発展とはことなり、連続的な経済発展に注目していたマーシャルを紹介。 |
66 | 「反復の魔術−−山田盛太郎『日本資本主義分析』」 | 単著 | 平成5年11月 | 『思想の科学』通巻506号。 | 山田盛太郎の文体の秘密の分析を試みた。 |
67 | 「さあ、優雅な没落を準備しよう」(原題:幸運な条件は終わった) | 単著 | 平成5年12月 | 『エコノミスト』第71巻第52号(通巻3096号)、68-73頁。 | 後追いで高度成長する時代はすでに終わっている。4〜5パーセントなどという高い成長率を期待せずに、むしろ低成長のなかで、生活自体を充実させていくことが重要であることを主張した。 |
68 | 「マスコミ評論」 | 単著 | 平成6年2月〜平成7年12月 | 『イグザミナー』通巻77号〜通巻99号。 | 隔月、後に3ヶ月ごとに、「地方の論壇を育てよう」そのほかのテーマで、大阪から見たマスコミの問題について論じた。 |
69 | 「経済学の旅に出よう」 | 単著 | 平成6年4月 | 『経済セミナー』通巻471号、15-19頁。 | 大学での講義は地図帳のようなものである。各自が自分の旅行計画を立てて旅にでるつもりが必要であると指摘した。 |
70 | 「ブック・ガイド/経済学を読む」 | 単著 | 平成6年6月 | 『経済学がわかる。』AERA Mook 1、朝日新聞社、190-200頁。 | 経済学の諸分野で薦められる本を、その本を読んで得られる知識の償却期間によりABCに分けて紹介した。 |
71 | 「不思議なことがいっぱい」 | 単著 | 平成6年10月 | 『思想の科学』第8次21号(通巻517号)1994年10月、15-17頁。 | コラッツの予想を例として、算数の知識で分かるやさしい数学問題でありながら、いまだ解けていない問題があることを紹介した。 |
72 | 座談会「「混沌」の時代の社会科学」 | 共著 | 平成6年11月 | 京都精華大学出版会編『リベラリズムの苦悶』阿吽社、1994年11月。 | ウォーラスタインを巡る座談会。塩沢は、ウォラースタインには大きな枠組みが最初にあって、その枠組みにあらゆる事実をぶち込んでいる傾向があると主張した。 |
73 | 「ミクロ経済学を第二水準で理解する」 | 単著 | 平成7年6月 | 『経済セミナー』、第485号、6-11頁。 | 経済学部生ならだれでも理解しなければならないミクロ経済学。ただ、その論理が一通り分かるだけでは完全とはいえない。なぜ、ある前提が置かれなければならないのか。それは経済の現実なのか、それとも理論の必要なのか。こうした第2水準での理解ができて、真の意味でミクロ経済学を消化したといえる。 |
74 | 「最初の講義 大学ってなにをするところ?」 | 単著 | 平成7年4月 | 『超・入門 経済学』(『経済セミナー増刊』)、26-30頁。 | 大学教育においては自己教育が基本であること、講義は学問全体への見取り図としして利用すべきこと、ひとつの学問を攻略するには忍耐と努力も必要であることを説明した。 |
75 | 「現物経済の発想からの転換を−−阪神大震災から考える−−」(同時代) | 単著 | 平成7年5月 | 『RIRI流通産業』第27巻第5号(通巻247号) | 阪神大震災のときには、災害時の救援物資がむしろ混乱を増強したこと、高度な生活文化の時代においては、現物を送っても必要な人に届けるのが大変であること、物資救援はむしろ流通業界に任せたほうがよいと指摘した。 |
76 | インヴィジブル・カレッジの名学長 | 単著 | 平成7年11月 | 『家の会』第28号(特別号)、22-27頁。 | 鶴見俊輔をゆるいネットワークでつながる知的共同体インヴィジブル・カレッジに組織者に見立てて、その業績を概観した。 |
77 | 「レーニン主義のバランス・シート」 | 単著 | 平成8年3月 | 『思想の科学』第8次37号(通巻534号)、16-17頁。 | マルクス主義とは区別されるものとしてのレーニン主義について述べた。 |
78 | 「経済学この10冊」 | 単著 | 平成8年4月 | 『超・入門 経済学』(『経済セミナー』増刊、日本評論社、86-90頁。 | 経済学を学ぶにあたって挑戦してみたい10冊の本を取り上げ紹介した。 |
79 | 「日本経済の行方」 | 単著 | 平成8年5月 | 『思想の科学』第40号(第8次)(通巻536号)、40-46頁。 | バブル経済がはじけたあとの維持可能な経済のあり方について、生き方への問い直しを含むものとして考察した。 |
80 | 「震災と社会・経済システム」 | 単著 | 平成8年7月 | 『市大広報』第30号 | 阪神大震災についての社会・経済システム学会関西支部の取り組みを紹介した。 |
81 | 「基礎の欠如が理論の衰退をもたらした/ケインズに想う」 | 単著 | 平成8年9月 | 『季刊経済と社会』(発行:時潮社)、第6号、1996年夏季号。 |
ケインズ理論の権威が失墜しているのは、その政策が現実において大きな成果を挙げなくなったからだけではない。理論の基礎を欠いていることが現在の理論状況を生み出している。 |
82 | 「関西からの情報発信を」 | 単著 | 平成8年1月 | 『経済人』(関西経済連合会)通巻580号、71-75頁。 | 平成7年10月16日の関西経済連合会理事会における特別講和をまとめた。先端産業を育てるにあたって、雑誌編集者など知識の媒介者たちの重要性を指摘、関西にそうした媒介者たちの厚い層を作り上げる必要について論じた。 |
83 | 「こころの健康維持」 | 単著 | 平成8年12月 | 『保健管理センター年報』(大阪市立大学) | 学生部長としての寄稿。恩師の一人がかつて「精神衛生」という言葉をよく使っていたことを枕に、体の健康とともに心の健康にも留意すべきことを論じた。 |
84 | 「書評『経済学における正統と異端』」 | 単著 | 平成8年12月 | 『専修大学社会科学研究所月報』第396号、1-36頁。 | 『経済学における正統と異端』に対する書評。主として経済学の方法的観点から論じた。これに対する反響が「経済学の諸潮流とその評価の観点について−−塩沢由典氏の批判に答えて」『専修大学社会科学研究所月報』第402号、3-51頁(平成8年12月)にまとめられている。執筆者は、平井俊顕・野口旭・川俣雅弘の3氏。 |
85 | 「学際的研究の条件は何か」 | 単著 | 平成9年2月 | 『経済セミナー』第505号、6-9頁。 | 学際的研究が真に実り多いものであるためには、対象の一致か視点の一致かが要請される。ここでは複雑系という視点が科学の諸分野に生まれてきた背景を紹介し、経済学にとっての意義を述べた。 |
86 | 「討論の習慣」 | 単著 | 平成9年7月 | 『国民文化』第452号、2-3頁。 | 社会に関する真の討論の習慣が欠けていることを指摘した。 |
87 | 「複雑系ブームの中の複雑な気持ち」 | 単著 | 平成9年10月 | 『TASC Monthly』第264号 | 複雑系はブームになったが、いつもの習いで、深い知識も考えもなく新しい流行に飛びつく人たちが言葉の表面だけで理解して複雑系を振り回している。このような傾向には注意が必要である。 |
88 | 「「複雑系」ブームの研究」 | 単著 | 平成9年11月 | 『RIRI流通産業』第29巻第11号(通卷第277号)、35-38頁。 | 「複雑系」が流行となった経緯と背景を批判的に紹介した。 |
89 | 「大震災と社会経済システム」 | 単著 | 平成9年12月 | 『ノモス』(関西大学法学研究所)第8号、63-71頁。 | 関西大学法学研究会第18回シンポジウム「阪神・淡路大震災の教訓」(51-78頁)での基調報告のひとつ。病院や役所などにおける緊急時対応対策がさまざまな面で不十分であったことを指摘、この経験を知識体系化する必要を指摘した。他の報告者は、G.Horwich、鈴木正裕。司会は山川雄巳。 |
90 | 複雑系経済学 | 単著 | 平成10年6月 | AERA Mookttt『新 経済学がわかる』特別号第38号、50-51頁。 | 新しい経済学の一分野としての複雑系経済学を紹介した。 |
91 | 「経済の起源と贈与」 | 単著 | 平成10年6月 | 『大航海』No.22、37-42頁。 | 交換の前提としての「贈与」という観点から、先史時代の経済の成立について憶測を加えた。 |
92 | 「スラッファの問題提起と経済学の行方」 | 単著 | 1998年11月号 | 『経済セミナー』通巻526号、80-84頁 | スラッファの問題提起がいまどのような意義を持っているか、紹介した。 |
93 | 「国家と市場に代替するもの」 | 単著 | 平成10年2月 | 『大航海』No.20、40-43頁 | この社会は、国家による再配分、市場による交換だけでは支えることができない。NPOなど非利益団体は社会の連帯という別の原理に基づいており、今後、こうした側面を育てていく必要があると論じた。 |
94 | 「ジョン・フォン・ノイマン」(スペシャル・インタヴュー) | 単著 | 平成11年2月 | 『グラクソ・ニューサイエンス』(日本グラクソ株式会社)、No.33、pp.4-7。 | ノイマン特集に際するインタビュー。特異な学者としてのノイマンのいくつかのエピソードを紹介した。 |
95 | 「テレビと地方文化」 | 単著 | 平成11年7月 | 『国民文化』第467号、pp.2-3。 | 地方文化に中心性を取り戻すために必要な装置としてのテレビという媒体の意義を論じた。 |
96 | 「20世紀の名著」 | 単著 | 平成11年11月 | 『東京新聞』11月14日8面、11月21日8面、11月28日8面。 | 20世紀を象徴する経済学の名著として@ドラッカー『「経済人」の終わり』、Aシュンペーター『経済発展の理論』、Bジェイコブズ『都市の経済学』を取り上げ、時代に対する意義を紹介した。 |
97 | 連載「新世紀の経済を読みとく1〜4」 | 単著 | 平成12年3月〜12月 | 『連合』第12巻第12号(通巻143号)、2000年3月号、.30-1頁〜第13巻第9号(通巻152号)、2000年12月、26-7頁。 | 3ヶ月ごとの連載4回。情報革命と仕事のあり方などについて試論を述べた。 |
98 | 「21世紀の企業像」 | 単著 | 平成13年1月 | 『イグザミナ』2001年2月号(通巻161号)、pp.46-7。 | 20世紀は大企業の世紀であった。しかし、その延長上に21世紀の企業を考えることはできない。情報革命がもたらす取引費用の急激な低下は組織を作ることの有利さを奪いつつある。少人数を雇用する個人企業という形態が増大してこよう。 |
99 | 「理念と戦略性をもった大学経営の確立」 | 単著 | 平成13年8月 | 市大広報』第45号、pp.7-8。 | 基本計画検討委員会委員の組織運営部会長として、大学の構成員に新しい基本計画の方向性を解説した。 |
100 | 「アフリカの子供はなぜ飢えているのか」 | 単著 | 平成13年10月 | はなかみ通信、その1(2001年秋)、pp.18-21。 | 中学生を対象とする経済学シリーズの第1回目。既存の経済学への導入ではなく、経済の諸問題をどう考えていったらいいかについて、読者とともに考える。 |
101 | 「小特集への編集序言」 | 単著 | 平成13年11月 | 『社会・経済システム』第20号、p.112。 |
『社会・経済システム』編集長として、小特集に対する解説。 |
102 | 「数学とオカルトのあいだ」 | 単著 | 平成14年4月 | 『数学のたのしみ』第30号、36-42頁。 | ソーカル事件に代表されるような数学のオカルトな利用がまま行われている。数理経済学はそのような数学の搾取からは離れていたが、数学化できる問題だけが理論であるという風潮を作りだしてしまった。多少ともオカルトな部分を含む危険をも犯してでも、新しい冒険に乗り出す必要がある。 |
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