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複雑系関係著書・論文 解題


ここには、複雑系セミナーや関係の文献、「複雑系」を主題にした私の論文・解説などをまとめました。


1999.2.10

塩沢由典

 

社会科学方面の著書を中心として、おもなものに解題を試みました。

選択・内容紹介・評価は、すべて塩沢由典個人の主観に基づくものです。




取り上げた本(配列は、出版の年代順) 塩沢由典『市場の秩序学/反均衡から複雑系へ』筑摩書房、初版:1990年。ちくま学芸文庫:1998年。 M.ワールドロップ『複雑系』田中三彦・遠山峻征訳、新潮社、1996年6月。 西山賢一『複雑系としての経済/豊かなモノ離れ社会へ』(NHKブックス801)日本放送出版協会、1997年8月。 塩沢由典『複雑系経済学入門』生産性出版、1997年9月。 Axelrod,R. The Complexity of Cooperation, Agent-based Models of Competition and Collaboration, (Princeton Studies in Complexity), New Jersey: Princeton University Press, 1997. 田中三彦・坪井賢一『複雑系の選択/「カオスの縁」の自然科学と経済学』ダイヤモンド社、1997年12月。 伊庭嵩・福原義久『複雑系入門/知のフロンティアへの冒険』NTT出版、1998年6月。 中田善啓『マーケティングの進化/取引関係の複雑系的シナリオ』同文館、1998年10月。 齊藤了文『<ものづくり>と複雑系』(講談社選書メチエ144)講談社、1998年11月。 生天目章『マルチエージェントと複雑系』森北出版、1998年11月。
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(1)塩沢由典『市場の秩序学/反均衡から複雑系へ』筑摩書房、初版:1990年、ちくま学芸文庫:1998年。1991年度サントリー学芸賞(政治経済部門)受賞。

(ちくま学芸文庫の宣伝文)

従来の諸科学の方法=還元主義を排し、複雑なものを複雑なものと見ることから、経済学の再構築を構想。新古典派経済学の枠組みを根底から批判し、合理性に限界をもつ人間たちの相互作用の場という新しい市場像を提示する。日本で最初に、書名に「複雑系」を掲げ、現在の複雑系ブームを先導した労作。サントリー学芸賞受賞。


(2)M.ワールドロップ『複雑系』田中三彦・遠山峻征訳、新潮社、1996年6月。

 原著は、1992年に出ている。アメリカ合衆国アリゾナ州にあるサンタ・フェ研究所に集まる人々の動きと思想の紹介。この本の翻訳が日本における複雑系ブームに火をつけた。サンタ・フェ研究所に偏っていて、あたかも「複雑系」がこの研究所の発明か特許であるように書かれていて、ヨーロッパや日本など他の国の研究者たちには評判が悪いが、その点さえ留意しておけば、臨場感あふれるルポルタージュで楽しく読める。経済学者のブライアン・アーサーが最初と最後のヒーローになっている。

 

書評

「ブームを呼んだ研究所の伝記」

塩沢由典

(『経済セミナー』第504号、1997年1月、p.125へ掲載したもの)

 

 いま、「複雑系」がちょっとしたブームである。 『週刊ダイヤモンド』の11月2日号特集は「「複雑系」の衝撃」。『現代思想』の11月号も特集「複雑系」で、驚くことに両者とも多くの店で売り切れてしまった。『週刊東洋経済』11月16日号には、すでに「「複雑系」時代の経営」なんて論文が載っている。

このブームを作る出したのがミッチェル・ワードロップの『複雑系』である。

もうすこし正確にいうと、500ページもあるこの本が、もう6万5千部も出ている。この手の堅いものにしては珍しいことである。このことに雑誌編集者が注目し、「複雑系」の特集を組んだ。それがまた当たって、相乗効果が生まれている。

このように話題になると、ひとは「複雑系」に何らかの知識をもたざるをえなくなる。上司が知ったような顔をして「複雑系」について言及すれば、部下は雑誌の特集ぐらいは覗いておかなければならない。これは広く見られるブームの構造である。

なぜ、この本『複雑系』が売れているのであろうか。かならずしも内容のおもしろさだけで売れているのではないようである。

本の帯には、「すべての鍵は「複雑系」にある!」とある。『週刊ダイヤモンド』の特集表題には「知の大革命」という枕詞がついている。実態を離れた過剰な売り込み文句といわざるをえないが、たしかに一方では新しい科学の動向を伝えるものには違いない。複雑系の考え方は、若い物理学者には現在大流行の話題である。自然科学の方面では、それはプリゴジーンの散逸構造系やカオスといわれる力学系の研究から生まれてきた。

じつは、わたし自身も、1985年以来、「複雑系としての市場経済」というテーマに取り組んでいる。その中には、この本の主人公のひとり、ブライアン・アーサーが取り組む収穫逓増の問題がある。しかし、経済学における複雑系の中心は、合理性の限界(限定合理性)のもとにおける人間の経済行動をどう理解し、分析に乗せうる定式にまとめあげるかにある。 それに関連した話が、金融市場における適応的な仮説形成の話として本の中に一部登場するが、他のほとんどは生物学や計算機実験、あるいは力学系の話である。したがって、経済や経営の本としてこの本を読むなら、いささか騙された印象を受けるかもしれない。反対に、学問の旧来の境界を越えて複雑系の考えがいかに広く浸透しつつあるか知るには、手頃な案内書といえよう。

 『複雑系』は、複雑系を研究主題の中心において集まった研究所の最初の8年ばかりの歴史の本である。これは国や大学の付属機関としてではなく、民間の任意団体として形成されている。外部から資金を得て、株式会社として運営されている。ワードロップはこの研究所の歴史をそこに関係する数人のヒーローたちの活躍を通して描きだす方式を取っている。これはアメリカ合衆国の科学ジャーナリストのよく取る手法のひとつである。企業小説を読むように、人間くさい話をおって読み進むうちに、科学者たちが取り組んでいる新しい問題がいつのまにか説明されているのに気付く。

 

(3)西山賢一『複雑系としての経済/豊かなモノ離れ社会へ』(NHKブックス801)日本放送出版協会、1997年8月。

 

「本書をすいせんします」 塩沢由典(大阪市立大学教授)

経済学を知らない人にはおもしろく、経済学を知っている人には新鮮。これは、そんな本だ。従来の経済学は、頭の中に人間を描いて来た。複雑系の経済学は、状況の中で人間を捉える。それは豊かで創造的な人間だ。そんな人間が活躍する経済は、これまでの経済学の枠を破って、ダイナミックに動き出す。これは経済学の革新に止まらない。人間の見方・生活の見方・技術の見方をも変えてしまう。  

(頼まれて、帯に書いた推薦文)

 

(4)塩沢由典『複雑系経済学入門』生産性出版、1997年。

韓国語訳: 出版、1999年予定。

 

(4)Axelrod,R. The Complexity of Cooperation, Agent-based Models of Competition and Collaboration, (Princeton Studies in Complexity), New Jersey: Princeton University Press, 1997.

この本は、社会科学の方法としての「エージェント・ベースのモデリング」について、著者約10年の報告。論文の転載が多いが、それぞれに解題がついている。複雑系の意義は多様だが、古典的な演繹(論理的推論)や帰納によってはうまく解明できない現象へなんとか切り込む努力だといえる。本書を読むと、「エージェント・ベースのモデリング」が、むしろナラティヴ=「ものがたり」に接続していることが分かる。われわれは、あいまいな言葉でもって、主体の意図を語り、行為の効果について、筋を展開することで、社会の構成を語ってきた。「それは、お話しに過ぎない。」こういって科学が無視してきた多くのことが、このようなモデリングによって、公共の議論に乗るようになってきた。そのことの可能性に注目すべきであろう。付録には、大学院生にとって親切な研究案内がついている。

 

書評

アクセルロッド『協力の複雑さ』

丸善に頼まれて書いた書評:『學鐙』第95巻第11号、1998年11月、pp.68-9。

 

 『協力の進化』(The Evolution of Cooperation) を携えて、アクセルロッドがさっそうと登場したのは、1984年のことであった。

 「囚人のディレンマ」は、それ以前も有名なゲームであった。一回かぎりのゲームでは、そこに協力の生まれる論理は見られないが、繰り返しのある状況では、きっと協力が生まれるであろう。多くのひとがこう考えていたが、それをどう説明し、証拠立てたらよいか、みな考えあぐねていた。そこに多数回ゲームで勝てるプログラムを募集するという着想をもち、実際にそれらをトーナメント方式で対戦させてみようとする政治学者が現れた。それがアクセルロッドだった。

 結果は、簡単な「しっぺ返し」法が、さまざまな複雑な戦略プログラムより、平均してよい成績を得られるというものであった。「しっぺ返し」法は、相手が裏切らないかぎり協力するが、相手が裏切ったら、その後一回に限り報復的に協力しないという戦法であるから、双方が報復し続けるのでないかぎり、相互に協力する状態が生まれてくる。アクセルロッドは、このようにして、裏切りへの誘惑のある状況においても、協力状態がじゅうぶん生まれてくることを示したのだった。

『協力の複雑さ』と題する本書は、『協力の進化』以後のアクセルロッドの研究をまとめた論文集である。といっても、無味乾燥に論文を束ねた一冊ではない。序文の他に、各論文の前には、なぜその論文を書いたか、それはどんな種から生まれてきたのか、などの解説があり、さらに巻末には、二つの付録が付けられている。とくに付録のBは、著者の経験に基づいた、かゆい所に手の届いた入門案内となっている。

新しい本でアクセルロッドが試みているのは、「エージェント・ベースのモデリング」を社会科学における第3の方法として確立することである。

 「エージェント」とは、行為者ないし主体を意味するが、それらは「合理的選択」を行うというより、ルールに従い、適応的に行動するものと考えられている。そのような行為者が闘争・愛着・交信・交易・協調・ライバル関係などを通して相互に干渉しあうとき、「社会」にはどのような過程がおこるか、それをコンピュータ・シミュレーションによって研究する。これがアクセルロッドのいう「エージェント・ベースのモデリング」である。今日の社会科学において支配的なのは、合理的選択パラダイムである。前提が非現実的で、政策的助言を与えるには根拠の薄いものであるにもかかわらず、それが支配的であるのは、それがしばしば「演繹」を可能にするからである、と著者はいう。適応的行動では、多くの場合、相互の干渉は非線形的な効果を生み、その結果を演繹的に見通すことはほとんど不可能である。そこにシミュレーションの必要がある。

アクセルロッドが本書で格闘しているのは、「社会規範」、「陣営選択」、「新政治主体の創出」、「文化の伝播」などである。こんなに簡単にしてよいかと思うところもあるが、おどろくほど単純な行動仮定から、豊富な結果が導かれている。

 「エージェント・ベースのモデリング」は、帰納や演繹よりも、むしろナラティヴ=「ものがたり」に接続している。われわれは、あいまいな言葉でもって、主体の意図を語り、行為の効果について、筋を展開することで、社会の構成を語ってきた。それは、お話しに過ぎない。こういって科学が無視してきた多くのことが、このようなモデリングによって、公共の議論に乗るようになってきた。そのことの可能性に注目すべきであろう。概念的に語られてきたことに、いまや新しい語り口が与えられたのである。

もちろん、これですべてがうまく行くとは、わたしも考えていない。「単純な行動設定」が、単純な状況設定にすり替えられ、複雑な環境における行動の意義が見失われる危険がある。それは、かつて実験心理学がみずから掘って落ちた陥穽である。生態学的認知理論がでてくるまで、実験心理学は、状況の複雑さを切り捨てていることの問題性に気付くこともなかった。その轍を踏まない保証はない。だが、やってみなければ、その限界も分からないとうのが学問研究の宿命であろう。

 

(6)田中三彦・坪井賢一『複雑系の選択/「カオスの縁」の自然科学と経済学』ダイヤモンド社、1997年12月。

 

日本には、科学ジャーナリストがなかなか成立しない。自然科学系の複雑系では、吉永良正・沼田寛などが出たが、経済学方面でリードしてきたのが田中と坪井。田中はワールドロップの翻訳者、坪井は『週刊ダイヤモンド』の編集者。前半3章はサンタフェ研究所の動きの紹介だが、第4章「日本の複雑系研究」、第5章「複雑系を経済学に応用する試み」では、日本における動きが生き生きと描かれている。社会科学における科学ジャーナリズムのひとつの範例を示している。

 

(7)伊庭嵩・福原義久『複雑系入門/知のフロンティアへの冒険』NTT出版、1998年6月。

 

慶応大学政策メディア研究科の2人の修士課程学生が書いた本。第1部は、第1章「複雑系とはなにか」などの総論。第2部では「フラクタル」「自己組織臨界」「カオス」など数理・物理系の複雑系の議論を一覧したあと、第3部では「複雑適応系」「進化と遺伝アルゴリズム」など生物系の話題を追い、第4部では、「経済学」、「人工生命」、「内部観測」まで、日本で複雑系の主題のもとに議論されている話題がほとんど網羅されている。キャリアー前の若い大学院生だから書けた本。こんな幅広い本は、専門分野に入りこんでしまった学者には書けない。KFSのよいところがうまくでた。

 

(8)中田善啓『マーケティングの進化/取引関係の複雑系的シナリオ』同文館、1998年10月。

 

社会科学で複雑系が注目されている割には、複雑系理論を用いた本格的な研究書はほとんどない。この本は、マーケティングという意外な分野に、意外な研究者がいることを示している。手法はサンタフェ研究所の借り物だが、まじめに自分の研究を積み重ねた労作。このような本がたくさん出てくると、社会科学における日本の複雑系も厚みが出てくる。

 

(9)齊藤了文『<ものづくり>と複雑系』(講談社選書メチエ144)講談社、1998年11月。

 

「科学哲学」という言葉が示しているように、哲学者で科学を研究するひとは多いが、現代社会を支える重要な知識分野である工学に関心をしめす哲学者は少ない。本書は、「工学の哲学」構築を目指す新進の哲学者による、工学的知識とはなにかを正面から論じた本。副題に「アポロ13号はなぜ帰還できたか」とあるが、それはこの本の本当の価値をかえって分かりにくくしている。大学で工学を学ぶ人達は、ぜひ本書を読んでほしい。「工学概論」などの教科書ないし参考書としても使える。

 

(10)生天目章『マルチエージェントと複雑系』森北出版、1998年11月。

 

 経済は、多数の人間が相互に作用しあう場である。そのようなシステムの研究が工学方面でなされるようになった。そのキー・ワードが「マルチエージェント」。コンピュータ・プログラムにより、自律的に外界ないし環境に反応するものを「エージェント」という。本書は、マルチエージェント・システムを研究してみたい人のための、格好の入門書。経済学で用いられるモデルは、これまでセル・オートマトンとか、道具立てが限られていたが、本書の出現で、かなりの広がりとふくらみが期待できる。


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